不安定なホスファボレンを速度論的にのみ安定化する分子設計により、本来の電子状態のリンホウ素二重結合をもつホスファボレンの合成が初めて報告された。合成したホスファボレンのリンホウ素結合は、隣接基による電子的な影響を無視できるため高い二重結合性をもつ。
いかにして不安定なホスファボレンを合成するのか?
13族と15族元素間の二重結合は、14族元素同士の二重結合と等電子関係ではあるが、その特異な物性や反応性に興味がもたれ、精力的に研究されてきた[1]。中でもリンホウ素二重結合は、周期の異なるリンとホウ素のp軌道の重なりが小さいため、π結合が切れやすい(図1A)[2]。この弱いπ結合に加え、リンの非共有電子対およびホウ素の空のp軌道の存在により自発的に多量化するため、不安定な結合である。そのため、リンホウ素二重結合の形成は長年の課題であった。
リンホウ素二重結合をもつホスファボレンの生成が初めて確認されたのは、1986年、Cowleyらの報告である(図1B)[3]。彼らは環状ジホスファボレタンの熱分解からホスファボレンの生成を質量分析で確認した。その後、ホスファボレンの安定化法がいくつか見出され、その合成と単離が達成されている。1990年にNöthら[4]が、2006年にはPowerら[5]がそれぞれルイス酸/塩基により安定化されたホスファボレンの合成、2022年にはLiuらがPush–Pull効果により安定化されたホスファボレンの合成を報告した(図1C)[6]。しかし、これらの安定化法はリンホウ素二重結合の電子構造の変化が無視できないため、本来の電子構造をもつホスファボレンの合成は未だ達成されていない。
ブリストル大学のMannersらは、速度論的にのみホスファボレンを安定化すれば、電子構造の変化を無視できるリンホウ素二重結合が形成できると考えた。そこで、かさ高い置換基として2,6-ビス(トリイソプロピルフェニル)-3,5-ジイソプロピルフェニル基[7]をもつホスファボレンを設計し、合成に取り組んだ(図1C右下)。
“A Crystalline Monomeric Phosphaborene”
LaPierre, E. A.; Patrick, B. O.; Manners, I. J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 7107–7112
DOI: 10.1021/jacs.3c01942
論文著者の紹介
研究者:Ian Manners
研究者の経歴:
1979–1982 B.Sc. in Chemistry, University of Bristol, UK
1982–1985 Ph.D. in Chemistry, University of Bristol, UK (Prof. Neil G. Connelly)
1986–1987 Postdoc, University of Aachen, Germany (Prof. Peter Paetzold)
1988–1990 Research Associate, Pennsylvania State University, USA (Prof. Harry R. Allcock)
1990–1994 Assistant Professor, University of Toronto, Canada
1994–1995 Associate Professor, University of Toronto, Canada
1995–2006 Professor, University of Toronto, Canada
2006– Professor, University of Bristol, UK
研究内容:触媒反応を用いた高分子合成、結晶化駆動型自己集積体の合成
論文の概要
図2Aにホスファボレン4の合成経路を示す。まず、ホスフィンカリウム1[8]とジブロモボロン2[9]をトルエン中で反応させ、ホスファボラン3を得た。続いて、得られた3に塩基を作用させ、所望のホスファボレン4の合成を達成した。単結晶X線構造解析により、合成したホスファボレン4のリンホウ素間の結合長は1.741 Åであり、これまで報告されたどのホスファボレンよりも短い値であった。また、4のWiberg結合次数はリンホウ素結合が1.9707、窒素ホウ素結合が0.9526であった。これらは4のリンホウ素結合は二重結合性、窒素ホウ素結合は単結合性が高いことを示している。すなわち、窒素の非共有電子対のホウ素への押し込みによるリンホウ素結合の二重結合性の低下はなく、電子構造の変化を無視できるリンホウ素二重結合の形成に成功した初の報告例となった。
次に、反応性の高い分子との反応からホスファボレン4のリンホウ素二重結合の性質を調査した(図2B)。4はDMAPと反応し4·DMAPが生成した。また、メタノールを作用させると、4は一級ホスフィンとトリメトキシボロンに分解した。一方で、一酸化炭素および二酸化炭素、水素、TMSN3、HCCPh、Ph2COとは反応しなかった。この反応性はDFT計算による軌道解析から説明できる。4のHOMOは立体的に保護されたリンホウ素二重結合に局在している。一方LUMOは、主にホウ素の空のp軌道からなるため、リンと比べ立体的に保護されていない。したがって、HOMOが関与する反応は進行しにくく、LUMOのみが関与する反応は進行しやすかったと考えられる。
以上、本来の電子状態のリンホウ素二重結合をもつホスファボレンの合成が達成された。電子的な影響を受けていないリンホウ素二重結合の詳細な性質解明の続報に期待したい。デカすぎる置換基の優しい抱擁に、不安定だったリンホウ素二重結合も安心して安定化しているはずである。
参考文献
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