第545回のスポットライトリサーチは、東京農工大学大学院 生物システム応用科学府 稲澤研究室に在籍され、現在は沖縄科学技術大学院大学 マイクロ/バイオ/ナノ流体ユニットに所属の安倍 紘平(あべ こうへい)博士にお願いしました。
稲澤研では、「複雑な反応や乾燥、流動の速度が何で決まるのか」を主な研究対象にしています。具体的には、液体中の固体粒子について溶媒の乾燥が引き起こす様々な現象を研究しています。またエマルションや空気の泡を含んだ溶液について、容易に変形する液滴や気泡の存在が乾燥速度や流動現象にどのような影響を与えるのかについても検討を行っています。
本プレスリリースの研究内容は、粒子が分散している液が乾燥した時の粒子の充填についてです。本研究グループでは水と空気の境目を傾けた状態で分散液を乾かすシンプルな実験で、粒子膜の成長速度が場所によって変わることや粒子膜が十分な長さに成長すると場所ごとの成長速度に差はなくなることを解明しました。この研究成果は、「Physical Chemistry Chemical Physics」誌に掲載され、Journal back coverにも採択されました。またプレスリリースには成果の概要が公開されています。
Kohei Abe, Susumu Inasawa
Phys. Chem. Chem. Phys., 2023,25, 15647-15655
研究室を主宰されている稲澤 晋教授より安倍 博士についてコメントを頂戴いたしました!
安倍紘平さんの強みは、丹念に実験を行う集中力と、
結果の解析や数理モデル化に必要な数理処理能力を備えていること です。分散液の塗布乾燥( ものづくりで薄膜を作る際に頻繁に使われる)では、 溶媒の蒸発がきっかけとなって、 溶質の濃縮や液内部での流れを伴いながら、 最終的な固体膜が生成します。 複数の現象がお互いに影響する複雑な系ですが、 安倍さんは本質を失わないシンプルな系に落とし込んで乾燥現象を 観察し、簡易な数理モデルで結果を再現できることを示しました。 ありのままを観察する、定量的に測定する、 数理モデルで一般化する、という研究手法を武器に、 彼がさらに優れた研究者に飛躍してくれることを期待しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
微粒子が液中に分散している粒子分散液を乾燥させると、液が蒸発し微粒子が充填されて膜ができます。このプロセスは、乾燥させる、つまり放っておくだけで薄膜を得ることができるという操作上の利便さから、電池の電極製造をはじめ様々な産業で利用されています。しかし、乾燥中に微粒子がどのように充填されて最終的な膜形状が決まるかについては、まだ不明な点が多いのが現状です。特に、蒸発中の液体と大気との境目 (気液界面) が傾いていると、それが膜の成長にどのような影響を与えるかという点はわかっていませんでした。
この研究では、図1にあるようなガラスセル内に粒子分散液 (水中に直径330 nmのシリカ粒子が分散) を入れ、気液界面の角度θ0を操作したうえで乾燥中の粒子膜成長過程を観察しました。その結果、図1上段のようにθ0が90°の場合はセルの両端の長さ1と2が等しく均一に膜が成長します。それに対し、図1下段のようにθ0が90°より小さく気液界面が傾いている場合、片方の長さ2の部分が長さ1の部分よりも速く膜成長し、粒子膜がなす角θは90°に近づいていくことを明らかにしました。
図2にはθ0を変えたときの(長さ2) – (長さ1)と境界面角度θそれぞれの時間変化を示しています。本研究ではさらに、この(長さ2) – (長さ1)の差分が、なす角θの余弦であるcos θに比例するというシンプルな関係があることを突き止めました。図2の直線部分は、その関係式に基づいた計算結果です。いずれの直線も、実験で得られたプロットを精度良く再現できていることが読み取れます。
この成果は、気液界面が傾いている場合には、均一な粒子膜を作ることが困難であることを示しています。今後、乾燥中の液内の粒子流れを追跡するなどして膜形成過程をより詳細に解析していけば、膜形状の制御など産業的価値のある技術開発へ繋げられるだろうと期待しています。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
時間とともに膜の形状が変化していることは以前から気付いていたのですが、どのような実験系を使えばこの変化をより顕著に引き出せるかというところは工夫が必要でした。最終的には図1にあるような気液界面を斜めにした乾燥セルを使い、その両端での長さと粒子膜のなす角θそれぞれの時間変化を解析する、という方針に固めました。図1上段のθ0 = 90°の乾燥セルは膜形成の観察によく使われているものです。「気液界面を傾けて設定条件をほんの少し変えただけじゃないか」と思われるかもしれませんが、斜めにしただけで膜形成速度に明確な場所依存性が表れる、という本研究の結果はかなり意外性があり、インパクトのあるものだと思っています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
実験結果をいかに簡単な形 (数式) で再現するか、というところで苦心しました。この先のQ4とも関わる部分ですが、現象を単純な形で表現するというのは結構難しいものです。これをどう乗り越えたかについては “考え続けることによって” というほかありません。実験データとにらめっこしながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤を続けた末、図2右側にあるような式を使えば実験データをうまく再現できることを発見しました。視点を変えればもしかすると、もっとシンプルでクリアな数式を見つけ出すことができるのかもしれませんが、この図2右側の微分方程式は解析的に解くことができる形になったので、個人的には満足しています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私はこれまで化学にはほとんど関わってきませんでしたので、化学ではなく科学に置き換えて答えます。私は、自身の研究においては “シンプルであること” に強いこだわりを持っています。シンプル=簡単、と捉われてしまうこともありますが、必ずしもそうではありません。シンプルにすることがむしろ難しい場合もあります。私がこれまで取り組んできた粒子分散液の乾燥過程もその一つです。何も手を加えない限りは複雑ですが、実験系や観察条件などに手を加えることで現象を単純化することができます。どのように手を加えて単純化するかが難しいところで、そこに実験者の力量が表れます。ただ裏を返せば、工夫一つで、一つの現象が持っているさまざまな側面を炙りだすことができるということです。この点が科学の魅力であり面白さであると思っています。私自身この先いつまで研究を続けていられるかはわかりませんが、日常で見られるような “誰でも観察できる現象” の中に潜んでいる “誰も注目していなかった新たな視点” を一つでも多く探究し、紹介していければと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本記事を見つけてここまで読んでいただきましてありがとうございました。ここに示した実験自体は、ほとんどの実験室に置いてあるようなスライドガラスや顕微鏡、スペーサー (薄いシート)、粒子分散液を用意すれば行うことができます。もし興味を抱いた方がいらっしゃいましたら、実際に自身の眼で観察してみるのも良いのではないでしょうか。他の先行研究が注目していなかった新たな切り口が見つかるかもしれません。同じ現象でも、観察する人によって着眼点が人それぞれで全く異なっているというのも研究の面白い点だと感じています。自然科学は真理を探究する学問ですが、そこまでのアプローチや解決手法には研究に携わる人それぞれの性格や感性、知識が顕在化してくる、というのが私の考えです。研究に取り組んでいる学生さんや研究者を目指している方には、「あなたらしい研究ですね」と言われるような研究を目指していただきたいですし、私もそうなれるように努力を続けていきます。
研究者の略歴
安倍 紘平(あべ こうへい)
沖縄科学技術大学院大学 マイクロ/バイオ/ナノ流体ユニット リサーチフェロー
経歴:
2021年4月 – 2023年3月 日本学術振興会特別研究員 DC2, PD
2022年3月 東京農工大学大学院生物システム応用科学府 生物機能システム科学専攻修了 博士 (工学)
2022年3月 – 2022年11月 Nottingham Trent University, School of Science and Technology Visiting Scholar
2022年4月 – 2023年3月 東京農工大学 博士研究員
2023年4月 – 日本学術振興会特別研究員PD (沖縄科学技術大学院大学)