第547回のスポットライトリサーチは、名古屋大学大学院 理学研究科 理学専攻 物質・生命化学領域 有機化学研究室(伊丹研)に所属されていた吉原 空駆 (よしはら たかく)さんにお願いしました。
伊丹研究室は、カーボンナノリング、ナノグラフェン様分子など、様々な構造を有する芳香族中分子〜高分子の合成を多数報告しています。本プレスリリースの研究内容は、アダマンタン構造が2組以上の炭素-炭素結合で芳香族分子に結合した構造をもつ分子についてです。本研究グループでは、ダイヤモンド構造をもつアダマンタン分子を芳香族分子に密に結合させることで、新たな分子群の「アダマンタン縮環芳香族分子」を創製しました。30種類以上のアダマンタン縮環芳香族分子を合成した結果、アダマンタン縮環により芳香族分子の有機溶媒に対する溶解性が劇的に向上することや、通常は不安定なカルボカチオン種が安定化されることを見出しました。
この研究成果は、「Journal of the American Chemical Society」誌に掲載され、またプレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Adamantane-annulation to Arenes: A Strategy for Property Modulation of Aromatic π-systems
Takaku Yoshihara, Hiroki Shudo, Akiko Yagi*, and Kenichiro Itami*
J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 21, 11754–11763
DOI:doi.org/10.1021/jacs.3c02788
本記事のアイキャッチ画像は名古屋大学ITbMの高橋一誠講師により作成されたものです。
指導教員である八木先生と伊丹先生より、吉原さんについてコメントを頂戴いたしました!
八木亜樹子 先生より
大したことじゃないですけど…と言いながらとびきり面白い結果を持ってくるのが吉原空駆くんです。私が何も言わずとも必要な実験をこなし、計算なども自分で身につけて知らぬ間にデータを揃えてくれていました。吉原くんの研究にはずっとワクワク・感動させられっぱなしで、私と伊丹さんはギャーギャー騒ぎっぱなしでしたが、本人はいつも至って冷静で、果たしてどちらが学生なのか不明な状況でした。論文も、夢中になって執筆させてもらえました。感謝です。吉原くんが開拓してくれた道を素晴らしいものにすべく、今後も頑張っていきたいと思います。
ちなみに、クールに見えるけど本当は熱い野望を秘めていて芋けんぴが大好き、それが私の知る吉原くんです。会社での活躍も楽しみにしています。
また、本研究は様々な方々の大きな協力で論文化することができました。お世話になった方々に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
伊丹健一郎 先生より
2017年に八木さんが当研究室の助教となったときに、彼女が大きな目標として掲げたのが「sp3炭素のみからなる分子ジャングルジム:ナノダイヤモンドの選択的合成」でした。その後、sp2炭素大好き人間である私とのシナジーとして、ある意味とても自然な帰着点であり、さらには八木さんの最終ゴールへの一里塚となったのが「ダイヤモンド–グラフェンハイブリッド物質」でした。その第一歩として、吉原君のアダマンタン縮環芳香族分子が標的分子として設定されました。当初私は触媒的なC-H活性化などのルートをいくつか提案していましたが、それらはことごとくうまくいかず、悩みに悩んだ八木さんと吉原君が案出したのが4-プロトアダマンタノンを経由するルートでした。実に論理的に設計された合成ルートにとても感動しました。吉原君のすごいところは論理的に反応を設計する力に加えて、反応条件を想定反応機構の妥当性の検証も含めて、徹底的に詰める能力があるところです。少量でも目的生成物が得られるごとに大騒ぎしていた八木さんや私を横目に、実にクールに(内心はめちゃうれしかったはず)、淡々と頂点に上り詰めていきました。そして、自ら開発した反応を最もイケてる形に落とし込んだアダマンタン縮環芳香族分子をいくつも合成し、その圧倒的に美しい構造や特異な光電子物性を私たちに見せてくれました。吉原君の実力に感服しっぱなしでした。本当に素晴らしい反応と破格にユニークな分子群を世に送り出してくれたことに心の底から感謝しています。今後、企業研究者として吉原君らしさを遺憾なく発揮して、オンリーワン研究を追求してくれることを願っています。吉原君、本当におめでとう!!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
芳香族分子は多くの医薬品や電子材料に見られる分子群であり、その構造に他の分子骨格を連結する(= 修飾する)ことで望みの機能を付与させることができます。芳香族分子の修飾法は数多く存在するものの、新たな修飾法の開発は機能性芳香族分子の創製につながるため、現在でも重要な課題として取り組まれています。
今回我々は、芳香族分子にアダマンタン骨格を縮環させる新たな手法を開発し、その性質を調査することでアダマンタン縮環芳香族分子が機能性芳香族分子として新たな修飾様式をもつことを明らかにしました。アダマンタン縮環芳香族分子は市販化合物から2段階で、かつ簡易な操作で合成可能です。また、開発した反応は様々な芳香族分子に適用可能であり、6員環構造を介して縮環した分子のみならず、5員環構造を介して縮環した分子や、アダマンタン骨格が2つ縮環した分子など、多様な新規分子群が合成できることが明らかとなりました。
合成したアダマンタン縮環芳香族分子の性質を調査したところ、アダマンタン縮環芳香族分子は単体の芳香族分子と比較して紫外可視吸収スペクトルおよび蛍光スペクトルが長波長側に観測されることや、1つのアダマンタンが縮環することで芳香族分子の溶解性が劇的に向上することを明らかにしました。また、化学酸化を行うことで安定なカルボカチオン種を与えることも明らかにしました。一つのアダマンタンが縮環することで芳香族分子の性質を変えることが可能であり、アダマンタン縮環が芳香族分子の新たな修飾法として機能性分子創製に有用であることを見出しました。
今回合成したアダマンタン縮環芳香族分子は、未知の炭素材料である「ダイヤモンド–グラフェンハイブリッド物質」の接続部分の構造をもちます。そのため、アダマンタン縮環芳香族分子を種として用いることで、ダイヤモンド-グラフェンハイブリッド物質の創製にも期待がもたれます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
思い入れがあることは、アダマンタン縮環ペリレンのカチオン種の結晶化です。たった一つのアダマンタン骨格が縮環することで安定なカチオン種が得られることが論文の中でも肝となっていますが、カチオン種の単結晶を得るまでの過程では約4ヶ月かかったため思い入れがあります。
NOSbF6を用いた化学酸化を行うことで目的のカチオン種が生成していることがNMRや質量分析の結果から判明しており、初めは結晶構造無しで論文を提出する予定でした。しかし、構造有機化学者たるものX線結晶構造解析によりその分子構造を見たいという思いがありました。何度結晶化を試みても針状の細い結晶しか得られず、X線結晶構造解析が行える質の結晶を得ることができませんでした。そこで溶媒の蒸発を極力抑え、結晶の成長速度を低下させるためにグローブボックスの冷凍庫の中で2週間以上かけて結晶化を行いました。論文のサブミット予定日の4日前の朝、目的のカチオン種の構造を示すORTEP図が表示されたときに、測定室で驚き喜んだことは3年間の研究室生活で最も嬉しかった瞬間です。ほぼ完成済みの論文や、修士論文発表の修正に追われましたが、嬉しい悲鳴であったことを覚えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
アダマンタン骨格の前駆体ユニットとして用いる4-プロトアダマンタノンの合成に関して2つ難しかった部分があります。一つ目は労力面です。既知化合物であり、市販の1-アダマンタノールから2段階の反応を経て合成していますが、1Lスケールでの溶媒ベンゼンを使用したり、100 g近い四酢酸鉛とヨウ素を使用したりするなど合成面での労力が非常に大変だったという印象があります。原料合成をする日は気合を入れて取り掛かっていました。
2つ目は合成面です。この反応は厳密な脱水が必要であり、使用する四酢酸鉛やヨウ素に僅かな水分でさえ残っていると反応が進行せず原料回収となります。また、反応温度が70 ℃を切ると反応が進行せず原料回収、75 ℃以上になると収率が大きく低下し痕跡量しか得られないなど、反応温度の厳密な設計も必要でした。最初は既知化合物ではあるにも関わらず原料が痕跡量しか得られない状況ではあり苦労しました。少しずつ条件を検討したり、他の論文を参考にしたりするなどして最終的には中程度の収率で合成することに成功しました。条件検討をする上では、反応系中での分子の変化の様子を可視化できるTLCや質量分析の偉大さに改めて気が付かされました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
2023年度からは化学系の企業に勤務しています。有機合成とも芳香族分子とも縁遠い業務に取り組んでいますが、学びや刺激の多い充実した日々を過ごせています。企業では、大学での研究とは異なり開発した製品をいかに売るかという目線が重要だとひしひしと感じます。市場開発や事業管理など、開発した製品をどのように活躍させるかという目線から化学に携わるのも面白そうだと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
読んで頂きありがとうございます。学部生の頃から読んでいたケムステに自身の研究内容が紹介されることを大変嬉しく思います。
この研究はM1の5月からテーマ変更を経て行われたものでした。標的のアダマンタン縮環分子自体もM1の8月には合成出来た一方で、合成後の展開について紆余曲折した思い出があり、八木さんとも多くディスカッションをさせて頂きました。そんな中で、研究を進むアイデアが思いついたのも研究室内での先輩や後輩との何気ないワイガヤがきっかけだった部分も多くありました。普段から研究室で行われている研究に目を配り、コミュニティ内でのフラットで良好な人間関係を築くことで、良い成果を生み出せるのではないかと思います。
私は卒業してしまいましたが、アダマンタン縮環アレーンの化学はこれから飛躍的に展開していくと思います。面白い関連研究が研究室内でも走っていますので今後の展開にも興味をもって頂けると幸いです。
最後になりましたが、3年間の研究室生活を通してご指導と激励を賜り、濃密な研究生活を満喫させて頂きました八木亜樹子特任准教授、伊丹健一郎教授にこの場をお借りして感謝申し上げます。
研究者の略歴
吉原 空駆 (よしはら たかく)
所属(論文投稿時):名古屋大学大学院 理学研究科 理学専攻 物質・生命化学領域 有機化学研究室
研究テーマ: アダマンタン縮環アレーンの合成と性質
略歴:
2021年3月 名古屋大学理学部化学科 卒業
2023年3月 名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻(化学系)博士前期課程 修了
2023年4月〜現在 化学企業勤務
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