第523回のスポットライトリサーチは、千葉大学 吉田研究室で博士課程を修了された佐藤 晴輝(さとう はるき)さんにお願いしました。
吉田研究室では、半導体の性質を示す有機物、有機半導体の電子構造について研究を行っています。特に光電子分光は物質の電子構造について直接的に情報を得る強力な手段です。普通の光電子分光では価電子帯の情報を得ますが、伝導帯の情報を直接的に得る逆光電子分光は吉田先生が長年開発してきた低エネルギー逆光電子分光(Rev. Sci. Instrum. 94, 063903 (2023))を使って初めて有機半導体の伝導帯の構造を詳細に調べることができるようになりました。 今回はただでさえ観測が難しい有機半導体の伝導帯、電子の伝導特性を調べるために重要なバンド分散の観測に成功したという素晴らしい成果を紹介いただけます。
世界で初めての知見を得たこの成果は、Nature Materials誌に原著論文として公開され、プレスリリースもされています。
“Conduction band structure of high-mobility organic semiconductors and partially dressed polaron formation”,
Haruki Sato, Syed A. Abd. Rahman, Yota Yamada, Hiroyuki Ishii & Hiroyuki Yoshida, Nature Materials 2022, 21, 910–916. DOI:10.1038/s41563-022-01308-z
それでは、佐藤さんのインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
「角度分解低エネルギー逆光電子分光法」という新たな実験手法を開発し、有機半導体の伝導帯バンド構造を初めて実測したという研究です。
有機半導体を使った発光素子、太陽電池、トランジスタ、センサーなどは、フレキシブル(曲げられる)で軽量、安価な次世代素子として注目されています。有機物は、普通は電気を流さない絶縁体です。1950年頃に、少しだけ電気を流す「有機半導体」が発見されました。それ以来、どのようなメカニズムで電気が流れるのか、研究が進められてきましたが、いまだ完全には解明されていません。
固体物理では、電気伝導のメカニズムを解明するための最も基本的な情報は、電荷の運動量(波数)とエネルギーの関係を表す「エネルギーバンド構造」です。半導体の電気伝導は、負の電荷を持つ「電子」と正の電荷を持つ「正孔(ホール)」が担います。有機半導体の正孔についての価電子帯エネルギーバンド構造は、1990年代に日本のグループが初めて測定しました。それ以来、世界中で測定されています。しかし、これまで電子についての伝導帯エネルギーバンド構造は、測定できませんでした。これまで有機半導体の伝導帯の測定ができなかったのは、実験手法がなかったからです。本研究では、指導教員の吉田教授が開発した低エネルギー逆光電子分光法を発展させて、角度分解低エネルギー逆光電子分光法という新しい実験手法を開発しました。そして、有機半導体の伝導帯のバンド構造測定に世界で初めて成功しました。
Q2. 本研究テーマについて、思い入れがあるところを教えてください。
私が2017年に学部4年生で研究室に入ったときには、すでに修士2年と修士1年の先輩が角度分解低エネルギー逆光電子分光装置開発を担当していました。先輩方と協力し開発を進め、一通り装置が立ち上がったところで、グラファイトの表面準位(鏡像準位)を測定してテストには成功しました。しかし、それから有機半導体の測定ができるようになるまでに、いくつものハードルを越えなければなりませんでした。例えば、実験しているうちに電子銃からの電子が減っていくという問題がありました。真空度が低いために、電子源の酸化バリウムが劣化するのが原因でした。真空の質を上げるために、半年ぐらい真空装置の焼きだし(ベーキング)やリークチェックだけをやっていたこともありました。また、実験をしている間に、真空装置内の配線が外れるなどの不具合もよく発生しました。そのたびに、装置を分解して、同じ不具合が起こらないように対策をしました。
このような装置の改良を進めて、有機半導体の伝導帯測定に成功したのは、自分が最高学年(修士2年)になってからでした。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
やっと装置が立ち上がって、ペンタセンという有機半導体を選んで測定をしました。理論によるバンド計算では大きなバンド分散が観測されることが予測されていました。有機トランジスタ材料としても成膜法や薄膜構造についての多くの研究があることから、最初の測定対象にぴったりと考えたのです。しかし、実際に測定してみると、幅の広いピークが観測されるだけで、バンド構造が出てきませんでした。最初は原因がわからなかったのですが、成膜条件を検討していくと、より厚い膜を、より蒸着速度を高くしてみると、きれいなピークが観測できることがわかってきました。試料薄膜の結晶性が重要だったのです。
測定できるようになってからも苦労が続きました。角度分解低エネルギー逆光電子法というのが、初めての測定法なので、測定条件を最適化したり、データ解析法を開発したり、全てが初めてで最初は手探りでした。角度分解低エネルギー逆光電子スペクトルというのは、一つのスペクトルを電子の入射角度を0°から40°ぐらいまで5°刻みで測定をしていきます。全部で10本以上のスペクトルを観測して、そこから角度に依存するピークの微小なエネルギー変化からバンド構造を求めます。
ペンタセンの場合、最低非占有軌道(LUMO)に由来するピークは、2つのサブバンドに分裂しています。これを分離する必要がありました。ピークフィッティングなど、いろいろな方法を試しました。最もうまくいったのは、角度分解光電子分光の研究者がよく用いている二次微分を使ってピークを検出するという方法でした。ところが、二次微分というのは、隣の測定点との強度の差ですから、ノイズにとても弱いのです。これがやっかいでした。もともと逆光電子分光法というのは原理的に光電子分光法にくらべて信号強度が低く、理論研究によれば10万分の1しかありません。このため、十分な信号対雑音比(SN比)を得るには、一つのスペクトルを4時間以上積算しなければならないことがわかりました。バンド構造を得るためのすべての測定をするには、40時間以上かかることになります。現在は、モーターを付けて自動測定できるようにしましたが、当時は手動で時間が来ると回すという作業を何度もやりました。
長く積算すればノイズの少ないスペクトルが得られます。しかし、電子線を有機試料に長時間照射すると、試料が損傷します。低エネルギー逆光電子分光では、低速電子を使うことで試料の損傷を抑えていますが、それでも100時間ぐらい測定を続けていると少しずつ損傷してきます。そのため、積算時間を必要以上に長くすることはできません。そこで、ノイズに強いデータ解析方法を工夫しました。試していくと、Savitzky-Golay法によるスムージングを複数回繰り返すと、なめらかで解析可能なスペクトルが得られることがわかりました。このような工夫を経て、ペンタセンの伝導帯バンド構造を決定することができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
新たな装置を開発することで科学技術の発展に貢献していきたいです。これは、私が吉田研究室での研究生活を通じて、装置開発の面白さとやりがいに魅せられたためです。私は今年度から、半導体製造装置メーカーで成膜装置の研究開発に従事します。学術界から産業界に移るわけですが、研究のプロセスそのものは変わらないはずです。これまでの研究活動から培ったスキルや経験、吉田先生から学ばせて頂いた研究に対する姿勢を活かし、活躍していきたいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。私は、博士課程に進学し、研究を続けてよかったと思っています。最後まで研究を続けることで、このような成果に辿りつくことができました。また、吉田研在籍時には、2回のドイツ留学をさせて頂きました。海外の研究者との交流や共同実験、セミナーでの研究発表など貴重な体験ができました。
博士課程在籍時には、研究以外にも経済的な不安や、将来の進路に対する不安もありました。私は、学振の特別研究員に採択されず、アルバイトをする時間も無かったため、経済的に不安定な生活でした。しかし最近では、国や大学が博士課程学生を積極的にサポートしようとしてくれています。私自身も、博士課程2年の後期からは、JSTの次世代研究者挑戦的研究プログラムの支援で生活が安定しました。また、博士に進学したら民間就職は厳しいと思い込んでいましたが、いざ就職活動をしてみると、博士のための説明会なども実施されており、企業側も博士人材を求めていると感じました。今では博士に進学することをおすすめできます。
最後に、本研究は吉田先生や筑波大学の石井先生をはじめ、多くの方々の尽力なしには、成し得ることができませんでした。この場を借りて深く感謝申し上げます。
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研究者の略歴
Profile:
名前:佐藤晴輝(さとう はるき)
所属:千葉大学大学院 融合理工学府 先進理化学専攻
専門:有機半導体の電子構造
略歴:2018年3月 千葉大学工学部ナノサイエンス学科 卒業
2020年3月 千葉大学大学院 融合理工学府 先進理化学専攻 博士前期課程 修了
2023年3月 千葉大学大学院 融合理工学府 先進理化学専攻 博士後期課程 修了