第537回のスポットライトリサーチは、名古屋大学大学院 創薬科学研究科 布施研究室の杉澤 直斗(すぎさわ なおと)さんにお願いしました。
布施研究室はフロー合成技術や自動合成技術といった工学的な技術、さらには機械学習や理論計算を駆使して、「これまでの不可能を可能にする革新的な有機合成プロセスの開発」を目指しています。有機合成化学分野での革新を駆動力とする創薬科学分野への貢献を通して、より優れた医薬品をより早く、より安価に、より廃棄物を出さずに世の中に送り届けることを目指しています。
本プレスリリースの研究内容はペプチド合成についてです。ペプチド医薬品は、タンパク質医薬品と低分子医薬品の双方の長所を併せもつと期待されていることから、脚光を浴びています。しかしながら従来の合成方法では、コストが高かったり、大量の廃棄物を排出する、精製操作が煩雑となることなどが問題となっていました。そこで本研究グループでは、微小な流路を反応場とするマイクロフロー合成法を駆使し、アミノ酸N-カルボン酸無水物(NCA)を用いる実用的なペプチド鎖伸長法の開発に初めて成功しました。
この研究成果は「Chemical Science」誌に掲載され、プレスリリースに成果の概要が公開されています。
Naoto Sugisawa, Akira Ando and Shinichiro Fuse
研究室を主宰されている布施新一郎 教授より杉澤さんについてコメントを頂戴いたしました!
NCAと呼ばれるアミノ酸の誘導体を使ったペプチドの合成は、昔から廃棄物も工程数も少ない理想的な手法となりうると考えられてきて、数多くの試みが世界中でなされてきました。私達のグループでも優秀な学生さんが何年も合成法開発に取り組んだのですが、残念ながら実用的な手法の開発には至っていませんでした。その状況を打破してくれたのが杉澤直斗さんです。私は以前の開発失敗があったので、積極的にこの研究をお願いすることはなかったのですが、杉澤さん自身がアイディアを着想し、見事にこれまでの問題を解決して、極めて実用性の高い手法の開発に漕ぎ着けてくれました。この成果はまさに杉澤さんの発想力と課題解決能力の高さを如実に示すものです。今後のさらなる杉澤さんの活躍と、開発した手法の応用展開に期待しています!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
一般的なペプチド鎖伸長は、C末端保護アミノ酸とN末端保護アミノ酸の活性化体の縮合、およびN末端の保護基の除去の繰り返しからなります(図1上)。このため、全工程の約半数を脱保護工程が占めており、多量の廃棄物を排出することが課題となっています。
α-アミノ酸-N-カルボン酸無水物(α-NCA)は求核性を示す窒素原子と求電子性を示すカルボニル基を併せもつことから、もしもα-NCAとN末端保護アミノ酸の活性化体、C末端保護アミノ酸との連続的な多成分連結が実現できれば、一挙に二残基分のペプチド鎖が伸長でき理想的と考えました。しかし、α-NCAは望むカップリング反応と自己重合反応が競合することがよく知られており、ペプチド鎖伸長に用いられた例は限定されていました[1]。
本研究では、精密な反応時間・温度の制御が可能なマイクロフロー合成法を利用することでα-NCAに由来する副反応を抑制し、短時間(<2分)、温和な条件下(20 °C)での二残基ずつの高速ペプチド鎖伸長を実現しました(図1下)。また、本手法は廃棄物の量も少なく除きやすいため、分液、再結晶操作のみで高収率でトリペプチドを得ることに成功しました。さらに、Beefy meaty peptideの全合成や3種類の市販アミノ酸からのトリペプチドの高速一挙構築にも成功しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
工夫した点は反応設計です。α-NCAを利用したペプチド鎖伸長は所属研究室において未解決課題の一つでした。その難しさゆえに、私が研究室に入ったばかりの頃、先輩から「α-NCAを利用したペプチド鎖伸長には手を出さない方がいいよ」と言われた記憶があります。それから数年が経過し、研究室の先輩・同期・後輩たちによってさらに積み上げられたNCA、ペプチド鎖伸長に関する膨大な知見を改めて俯瞰してみたときに、「α-NCAの求核剤としての利用」にペプチド鎖伸長としての可能性があると気付きました。今思えば、既に本研究が成功するためのピースは全て揃っていて、私が偶然にもそれらの組合せに気付き、パズル完成の瞬間に立ち会えただけなのかもしれませんが、この組み合わせに気付いたときはとても感動しました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本手法を実現するためには、3つの課題を解決する必要がありました(図2)。1つ目は、カルボン酸からの酸塩化物の調製には一般的に高温条件・長時間を要することです。これは、関係文献を精査すると、塩基を利用することで温和な条件下で速やかに酸塩化物を調製できることが分かりました[2]。2つ目は、N末端保護アミノ酸からのα-NCAの調製には高温条件もしくは長時間を要することです[3]。こちらはBoc-アミノ酸を1つ目の課題解決手法を利用して酸塩化物に変換しようと試みた際に、速やかにα-NCAに変換されていることが分かり、解決できました。3つ目は、α-NCAの求核剤としての利用が難しいということです[4]。これは、α-NCAと同時に求電子剤である酸塩化物も活性化することで、α-NCAの自己重合反応を抑制できることが分かり、解決できました。いずれの課題も解決に相当な困難を伴いましたが、強い信念のもと、地道に研究に取り組んできたことが結果に結びついたのだと思います。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は中学生の頃から創薬研究に携わりたいと考えていました。幸運なことに昨年製薬企業から内定をいただき、来年度からそちらで働かせていただく予定です。新薬創製に向けて一生懸命頑張りたいと思っています。できることならば、一生、化学の世界に身を置きたいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究を通じて、「膨大な情報の中に隠れた研究同士の繋がりを見つけ出し、組み合わせること」が研究テーマの創出方法の一つだと学びました。もしも読者の皆さまの中で研究テーマの創出に苦労されている方がいましたら、本事例が少しでも参考になれば幸いです。
最後に、本研究においてご指導、ご助言をいただきました布施先生、増井先生、研究室の先輩、同期、後輩のみなさまに厚く御礼申し上げます。また、本研究を昨年ご退職された安東章 博士と一緒に取り組めたことを大変光栄に思います。本研究を取り上げていただき、誠にありがとうございました。
参考文献
[1] R. G. Denkewalter and R. Hirschmann, Am. Sci. 1969, 57, 389–409. [2] J. P. E. Human and J. A. Mills, Nature 1946, 158, 877. [3] a) D. Ben-Ishai and E. Katchalski, J. Am. Chem. Soc. 1952, 74, 3688–3689; b) D. Konopinska and I. Z. Siemion, Angew. Chem. Int. Ed. Engl. 1967, 6, 248. [4] 米沢 養躬、辛 重基、有機合成化学協会誌、1989、47、782–794.研究者の略歴
名前:杉澤 直斗 (すぎさわ なおと)
所属:名古屋大学大学院 創薬科学研究科 布施研究室 博士三年
研究テーマ:迅速連続反応を可能にする高反応性化合物を駆使したマイクロフロー合成法の開発
経歴:
2017年3月 沼津工業高等専門学校 物質工学科 卒業
2019年3月 東京工業大学 生命理工学部 卒業
2021年3月 東京工業大学 生命理工学院 修士課程 修了
2021年4月- 名古屋大学大学院 創薬科学研究科 博士課程
2022年4月- 日本学術振興会特別研究員(DC2)
2023年4月-9月 Cambridge大学 Lapkin研究室 留学