第517回のスポットライトリサーチは、立命館大学 生命科学部応用化学科 超分子創製化学研究室(前田研究室)に在籍されていた杉浦 慎哉(すぎうら しんや)博士にお願いしました。
前田研究室では、新規π電子系の合成を基軸とした新概念・
本プレスリリースの研究内容は、互いに相互作用する 2 個の不対電子を有する開殻系ジラジカルについてです。このジラジカルは、すべての軌道に 2 つずつ電子が入り不対電子を持たない系の閉殻系には見られない電子・光物性を示すことから興味が持たれています。ジラジカルは分子構造によって基底状態 が一重項状態または三重項状態として存在し、温度に依存して安定な状態が変換されることから磁性材料としての利用が期待できます。本研究チームは、きわめて報告例の少ないジアニオンジラジカルπ電子系(QPB2–)の創製に成功しました。
この研究成果は、「Journal of the American Chemical Society」誌に掲載され、プレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Shinya Sugiura, Takashi Kubo, Yohei Haketa, Yuta Hori, Yasuteru Shigeta, Hayato Sakai, Taku Hasobe, and Hiromitsu Maeda
J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 14, 8122–8129
研究室を主宰されている前田大光 教授より杉浦博士についてコメントを頂戴いたしました!
6年(ちょい)前の秋、むっちゃやる気のある3回生が研究室に入
ってくるという噂を耳にしました(その2)。 それが杉浦くんでした。当時、ラボ立ち上げ以来主軸となっていた アニオン応答性π電子系の展開、 その真の意味の解明を模索しており、(「まだまだおもしろいこと が見つかるだろう」という期待をもって)π電子系の拡張というテ ーマを杉浦くんに提案しました。杉浦くんはそのセンス(嗅覚、 実行力)を活かして、周辺修飾や骨格改変によって分子を次々と合 成し、魅力的な結果を明らかにしていきました。 論文は出ていたものの、杉浦くんの研究に対する気持ちが成果とし て十分に表れているようには感じていませんでした。そうした状況 での今回とりあげていただいた論文のπ電子系の合成と物性発現は 、杉浦くんでなければ実現は無理だったんじゃないかと思います。 ひらめき、アイデア、テーマの提案、こんなのどうでしょうかと話 をする杉浦くんとの議論は本当に楽しかったですね( 最後の議論では神聖をいただき感謝!)。僕は楽しかったけど、 ガチで突っ込んでくる杉浦くん(花園出場経験がある元ラガーマン) に対して、後輩たちはかなり気合を入れてゼミで発表していたんじ ゃないですかね。 このような学生さんがラボに参加して新しい化学を展開し、他のメ ンバーに研究姿勢を示してくれたことを振り返り、大学で仕事して いてよかったなと心から感じています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
2つのキノンメチドを共役系で架橋したπ拡張キノンは、近赤外領域の吸収やジラジカル性の発現など興味深い物性を示します。また、架橋ユニットによって物性の変調が可能であり、交差共役系で架橋したπ拡張キノンはスピンが局在化するため、トリメチレンメタンジラジカルのように基底状態が三重項状態になることが予想されます。一方で、分極ユニットを用いることで、双性イオン型の共鳴構造を取るため、オキシアリルジラジカルのように基底状態が一重項状態になることが予想されますが、交差共役系で架橋したπ拡張キノンは不安定であり、報告例がほとんどありません。今回、分極構造を有する交差共役系としてジケトンホウ素骨格に着目し、安定なπ電子系キノン(QPB)を合成してその物性の検証を行いました。
QPBの特徴として、ピロールを導入していることで、互変異性や脱プロトン化による物性の変調が期待できます。
QPBは、ピロール周辺のπ拡張による安定化が確認できました。また、脱プロトン化によって1000 nmを超える近赤外領域に吸収を示すQPB–、QPB2–への変換が可能であり、とくにQPB2–は基底状態が一重項状態のジラジカル性を示すことを、学術変革領域研究A「高密度共役」での議論をきっかけとした大阪大学の久保孝史先生との共同研究(何度も通いました)により明らかにすることができました。また、QPB2–のジラジカル性は対カチオンによって制御可能であることがわかり、π電子系イオンペアの新たな可能性を見出しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
1点目は、独創性の高い分子をつくることができた点です。この論文は僕の学生時代の研究の集大成であり、コンセプト(Chem. Commun. 2021, 57, 6983)、分子設計(J. Org. Chem. 2019, 84, 8886)、合成手法(Chem. Commun. 2019, 55, 8242)において、これまでに学んだことがすべて活かされています。そのため、この分子は僕しかつくれなかったと思いますし、思い入れが非常に強いです。
2点目は、ジアニオン体に対して2種類の異なる対カチオンを導入することができた点です。どうにかしてジラジカル性に対する対カチオンの影響を検証したかったので、モノアニオン体でπ電子系カチオンとのイオンペアをつくり、それにTBAOHを加えることで、異なるカチオンを有するジアニオン体への変換を試みました。ジアニオン体の安定性が悪く合成に苦労しましたが、最終的に結晶化に成功し分子構造を明らかにできて満足しています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
分子の安定化が大きな課題でした。最初に合成した誘導体は、(予想はしていましたが)空気中で不安定であり、徐々に還元され前駆体へと戻ることがわかりました。安定化の戦略が思いつかず途方に暮れていましたが、あるとき、僕の研究テーマのきっかけとなった先輩の分子骨格(Chem. Eur. J. 2010, 16, 10994)をふと思い出しました。この構造を用いたら安定化できるのではと直感的に思い、残されたサンプルを探しだしてすぐに反応を試したことを今でも覚えています。結果をふまえて考察すると、キノン骨格に導入したベンゾピロールは容易に酸化され、その性質を利用することでキノイド分子が安定化できました。これは、さまざまな研究に対して自分の研究に活かせる点はないか常に関心を持っていたおかげであり、自分の研究がこれまでの研究に支えられていることを改めて実感しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
これまでさまざまな分野の研究内容を学び、それによって自分の世界が広がる楽しさを感じましたので、これまでの経験を活かし、企業で与えられた課題に対して遊び心を大切にしつつ社会貢献できたらと思います。
また、博士卒の一人として社会で活躍することで、博士進学の良さを広めていきたいと考えています。以前に比べ博士卒の就職採用が増えていますが、まだ社会全体で博士人材が受け入れられてないと感じています。今後、自分のような博士卒が社会で頑張り、博士人材の良さを伝えていくことで、博士課程に進学する学生さんが一人でも増えてくれたらと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
記事を読んでいただきありがとうございます。この研究は、思ったように進まず何度も心が折れかけましたが、多くの方々に支えられながら、まさに執念でまとめることができました。研究で挫けそうになっている読者の方は、自分のやっていることを信じて、諦めずに頑張ってください。得られた結果に誠実に向き合うことで、おのずと打開策が見つかると思いますし、最終的な結果が予想としていたものと異なっても、得られた知見や考え方は今後の研究の種になると思います。
最後に、6年間研究を進めていくなかで、多くの方々に本当にお世話になりました。とくに指導教員の前田大光先生には熱心にご指導いただき、多くのわがままを聞いていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:
杉浦 慎哉(すぎうら しんや)
所属(大学・学部・研究室):
立命館大学大学院生命科学研究科 超分子創製化学研究室(2023年3月修了)
2023年4月よりDIC株式会社に所属
研究テーマ:
ピロールを基盤とした新規荷電π電子系の合成とイオンペア集合体の創製