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ニルスの不思議な受賞 Nils Gustaf Dalénについて

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Tshozoです。色々あったので科学系ノーベル賞受賞者をぼーっと眺めていた時、「あんまり学問学問してない、いわゆる工学系での一番初期の科学系受賞者にはどういう人がいるのだろう」という疑問が浮かび上がってきました。

というのも、筆者の特性を一言で言うと「頭がこの世の科学に向いてない」。論理性とかパズル的厳密性とかが、いい加減な性格の自分にはとても向いていない。ということで厳密性が比較的必要でない分野でボチボチやっておるのですが、工学系のあこがれ田中耕一先生や中村修二先生などの影響が大きいのでやっぱりたまに色々と受賞者の方々を見てしまうわけですよ。

その中で上記の疑問に至ったため改めて見てみたところ、一番最初の工学系(情報系)受賞者として現代通信の基礎を構築したグリエルモ・マルコーニ、フェルディナント・ブラウンの2名がいたのですが、その少し後に単独受賞者かつ非常に工学寄りの立場で受賞された方で、筆者が全く詳細を知らない方がいたのです。マルコーニ・ブラウン以後の工学分野受賞者は世界の根源変革者 唯一無二の偉大なる存在、Carl Boschその人が最初の受賞者だと思い込んでいたのですが、彼の受賞(1930年代)から遡ること20年ほど前に、ほぼ完全に理学から離れた分野と言ってよい位置で受賞した方がいたのです。今回はその人のお話。

(注:個人的には理学と工学を分ける意義を感じなくなっているのですが、それを言うと記事が成立しなくなりますので、本記事では理学(的成果)≒アカデメイア分野(の成果)、工学(的成果)≒経済的・産業的分野(の成果)、という意味合いで使用します)

筆者がほとんど知らなかったこのノーベル賞受賞者とは

彼の名はNils Gustaf Dalén、スウェーデン出身の工学者であり経営者でもある傑物です。1912年にノーベル物理学賞を受賞し、受賞理由は”Invention of automatic regulators for use in conjunction with gas accumulators for illuminating lighthouses and buoys“、日本語で言うと「発光灯台及び海上ブイに適したガス吸着機構とその自動発光調整器の発明」となります。

Nils Gustaf Dalén.jpg

Nils Gustaf Dalén 壮年期写真 英語版wikiより引用

正直「????」ですね。彼の前後を見てみると1910年の物理学賞はファンデルワールス、1911年にはヴィルヘルム・ヴィーン、1913年にはカメリン・オネス、1914年にはマックス・ラウエと錚々たるアカデメイアの御歴々が並んでいる中でこの業績名と出自、かなり異色でしょう。ということでご本人の人生とその業績をかいつまんでみます。化学と関係ねーじゃねーか、と思われる方もお見えになるかもしれませんが、意外と化学工学っぽいのでご覧ください。

本名Nils Gustaf Dalén(以下ダレーン)、1869年にスウェーデン南部の比較的大きな農場の六男として生誕。両親はやり手経営者で特に実用的な器具を作ることに長けていたらしく、その才能を受け継ぎダレーン本人はなんと既に13歳の時にカラクリ目覚まし時計を作ったのですがそれが圧巻で、鈴の鳴る15分前に部屋の灯り(当時はまだ電気が無いのでランプと思われる)とポットの火を点ける事が出来たと言われています。そのほかにも色々と工作品を作っていたようなのですが、本人は基礎教育(中学まで?)を受けた後には家業に戻り、養蜂業、酪農業に携わっていたと。

転機が訪れたのはダレーン23歳の時、当時のスウェーデンの偉大な発明家 グスタフ・デ・ラヴァル(乳成分の遠心分離機を発明・現在のAlfa-Laval社創業者)に面会する機会を得た際に、自分で作った乳脂肪分を測定出来る装置を見てもらうことになったのです。

スウェーデンの偉大な発明家 グスタフ・デ・ラヴァル 写真は(文献2)より引用
現在でも世界的な機械メーカ Alfa Lavalの創業者のひとり

その仕組みに感動したラヴァルは彼に高等教育を受けるよう強く推奨、ダーレンはその後Chalmers大学に進学、最終的にスイスのETHに遊学し当時制御工学で世界トップレベルの研究成果を出していたStodola教授に師事、その後スウェーデンに戻ります。ただアカデメイアは本人の性分に合っていなかったようで帰国後は実家を継がずにスウェーデンカーバイドアセチレン工業(Svenska AB Gasaccumulator Company)という会社の主任技術者に就任します。ここまでは比較的ありきたりな一流エンジニアのキャリア構築ですが、凄いのはここから。

当時かなり左前だったこの会社の社長に若くして就任したダーレンは持ち前の工学知識と制御技術、そしてカラクリを作ることの出来る並外れた才能を活かし、ノーベル賞の授賞理由ともなるアセチレン灯を考案。なんとパナマ運河の灯台と発光ブイに採用されそれをきっかけに世界中に販売を開始するという、漫画でもあり得ない大逆転ホームランのような業績をたたき出します。結論を先に言うとこれらの技術は電気工学技術が十分に発展するまでの約60年もの間、かなりの場所で使われるカラクリじかけの商品として成立することになりました。

採用された発光ブイ(文献4) 乗っているのは当時のAGA社敏腕営業マン
下の足場のところにアセチレン貯蔵ボンベが入っている
この写真ではなぜか後述のSun Valveが付いてないように見える

これらのブイや灯台の驚くべきところは、当時マイコンも全くないのに自動で夜間だけに発光することができ、同時にアセチレンをかなり安全に、しかも大量に貯蔵出来る構成を発明したこと。アセチレン貯蔵については現在でもほぼ同じ原理のものが使われており、まずこの点から書いてみようと思います。

当時アセチレンは石炭などから比較的簡単に採れる重要な燃料ガスでしたが(天然ガスなどは存在は確認されていたが取り扱う技術そのものが全くなかった)、ご存じのとおり単体では非常に危険で取り扱い難しい材料でありました。しかし家庭用燃料や工業用、また照明用(アセチレンランプ)に明確な需要があったため、1890年前後から様々な取り組みがなされます。しかし圧縮すると簡単に爆発する、特定の金属と一緒にしとくと簡単に爆発する等で大量に長時間使おうとするとやっぱり厄介な代物でした(イメージ下図)。

ボンベ爆発時のイメージ (文献5)の事例より引用
現代技術に基づいた酸素が存在しないタンク内保管であっても
使用方法を誤るとこういうことになる

その中でフランスの発明家Georges Claude(天才ル・シャトリエの共同研究者で世界的なガスメーカー Air Liquide創業者のひとり)が友人と一緒に不思議な手段を考えます。具体的にはガスであるアセチレンを有機溶媒(アセトン)に溶かし、その状態で加圧して保管するという方法。更に彼はこの溶液をなんと羊毛や繊維類、珪藻土に染み込ませて更に安全な系を作りますが、この発想が一体なぜClaudeの頭の中から出てきたのか、どこを探っても出てきませんでした。非常に大事なポイントなのでその源流を知りたかったのですが…例えば沸騰石は当時既にありましたので、もしかしたらそういうこと(液体内の表面積を増やし「沸騰」を分散する)にヒントを得ていたのかもしれません。

で、この発明とほぼ同時期、ダレーンも同じ結論に至り、彼はスウェーデンの強みである製鉄技術を生かした高信頼性ボンベ、内部の多孔質としてアスベストとセメント、石炭、あと珪藻土を混ぜたものを使い(文献6)そして溶媒にアセトンではなくジメチルホルムアミドを適用し、当時AGAという社名にちなみ”Agamassan“という商品名で売り出したわけです。上記同様何故これらの材料を使うことに至ったのかも何とか知りたかったのですが、残念ながら文献不足でよくわからない。バックグラウンドとなる化学的な知識、また必然性や発想のきっかけもなくこうした構成になるとも思えないのですが…ただ本人が居たのはガス関係の会社でしたから、経験的にどういうガスに何が溶けるのかというのはノウハウとして溜まっていて、そこからの延長線上のものだったのかもしれません。そしてこれらの構成は材料が変わったものの現在も引き続きアセチレンボンベに使用されている、ということは驚異的なことであると思います。

初期型”Agamassan”用ボンベの断面図(文献7) 白いところがアスベスト等で作った多孔体 
もちろん今はケイ酸カルシウム等人体に無害な材料が使われている

ちょっと本論から離れますが、AGA社は”Agamassan”が一時代を席巻した関係で、明治あたりに日本の海軍等の用途拡大を狙い代理店を通して福山に商売拠点をかまえました。その会社が実は現在も日本で継続して商いを続けており、その名も”大日本アガ株式会社“!

大日本アガ株式会社 100年史より引用(リンク)
同社が当時から繋がりがあったことを伺わせる重要な資料

同社の資料にもある通り、工業的使用はもちろん後述する灯台やブイへのアセチレンガスの使用で海軍の航行を容易にする目的に使われたのだと思われます。同社が継続して生業を続けているのは非常に興味深いですね。

もう一つの受賞理由 “Sun Valve”

で、これだけだと特殊ガスボンベのいち発明(正直なところ前述のClaude改良版と言わざるを得ない)だけなのですが、上の方で述べた通りDalenはこのボンベと得意のカラクリ構想を組み合わせ、火は常時点いているのですが、昼になると火が非常に弱くなり、夜になると火が強くなるという、当時としては恐るべき仕組みを実現させます。それがSun Valveと呼ばれる下図のようなもの。また発光部のレンズも自ら構成を考え当時としては最先端のフレネルレンズを採用、光の量は同じでもより遠くへ届くようにすることで、従来の製品に比較してじつにアセチレン消費量を90%以上低減したとの記録がありました。

(文献7)より引用 ただの透明なバルブに見えるが…
発光するのは右の図の中心にある透明なところで、ここでガスを燃やす
ただアセチレンは相当な量の煤が出るはずで、どうやって上手く燃やしていたのかも謎

もちろん当時はコンピュータなんて無いですしバッテリーも鉛電池くらいはあったかもしれませんが信頼性とか現代に比べればたぶん性能的にグズグズで、しかも船舶ブイのように塩いところで当時の技術レベルで電気モンが使えるわけがない。ということはメカニカルな構成だけで夜昼を判別して制御できる構成でなくてはならない。

ところが上図のSun Valveを何度見ても金属の柱が何本か立ってるだけ。黒いところが何か高度な仕掛けがあるのかと思いましたがそんな時間を制御できるような仕組みはどうにもわからない。一体どうやったのか? カラクリ時計とかと組み合わせたのか?など、筆者も考えたのですが結局思い浮かばず、悔しいとは思いつつ結局文献に頼ることになりました。

で、調べてみると”United States Lighthouse Society“、アメリカ灯台協会とでも言いましょうか、広いウェブの中でここだけにSun Valveの仕組みが詳しく載っていました(リンク)。それによると、

The Sun-valve (1907). The Sun-valve extinguished the light in the morning and re-lit the light in the evening. The Sun-valve was made from a heat-absorbent black rod in the center of three highly reflective gold-plated copper bars. When the black rod was warmed by the sun it absorbed the heat and expanded downward, closing a small valve in the main gas line. When it was nearly dark, the black rod cooled and contracted, moving upward, thus opening the valve and allowing the acetylene gas to be ignited by the pilotlight.

大意、「3本の金メッキを施した銅棒と、中心の黒棒から構成され、日中は太陽光によって黒棒が暖められ膨張することで下部方向へ膨らみメインバルブを閉め、日が落ちてからは黒棒が冷えて縮むことでバルブを開き、出てきたアセチレンガスがサブバルブ側に点いた小さなパイロット灯によって再度着火する」となります。つまりSun Valve、名前そのままの仕掛け。素直に考えりゃよかった。

黒棒部の実際の動きを模写したイメージ
「ノーマルオープン(熱がかからないと常にガスバルブが開)」という興味深い構成
(上記リンクから引用した図に筆者推定を追記)

しかしながらいくら障害物のない海の上といえど、日中の昼夜の気温差はせいぜい20℃程度。固体の膨張収縮をそのまま利用するにはあまりにも温度差が少ない。実際計算してみると銅の線膨張係数は、17.7×10^-6/K前後。なので黒棒が金メッキ棒に比べ20℃上昇した場合、1メートルあたり17.7×10^-6x20x1000=0.354mmしか増えない。しかもSun Valveの全長は300mm程度なので、実際には金メッキ棒の寸法に比べたかだか0.12mmくらいしか多く膨らまないことになる。外乱とか気温とかで放熱が激しくなって変位がブレて0.06mmくらいとかなるともう開閉するとか以前の問題なのでは…さすがに機械加工や素材技術が優れたスウェーデンとはいえこの差で開くバルブがあるとは思えない。

なので黒い部分の棒が直接膨張する、との記載はうまく説明出来ていない気がするので、何かメカニカルな増幅器的なものを考えざるを得ない。となるとガスが何かを膨らませるくらいしか方法がないのでは、と思うがかなり精密にやらないと難しそう。例えば体温計の中に入ってる灯油とかならうまいことやればなんかできそうだ、等は思い至りました。しかし実際のメカニズムがとんと浮かんでこない。

で、さんざん探してようやく黒い棒の中身が記載されている図を見つけました。フィンランド版Wiki(リンク)に感謝です。

Sun Valve 断面図とそれぞれの機構
(上記リンクから引用した図に筆者推定を追記)

これによると筆者の推定は大間違い。間違っていました。なんと本当にアメリカ灯台協会のサイトに記載されていた通り、メカニカルな構成だけでこの吸光→熱膨張→閉弁を行っていた、当時としても極めて珍しい機械的な装置だったのです。

化学とは少し一線を画すことになりましたが、せっかくなので筆者の把握した範囲でその詳細をみてみます。上記リンクからの引用図によると中央のバネはTension(引張り状態で固定)、下のアクチュエータ付近にあるバネはCompression(圧縮状態で固定)であることがわかります。

上記リンクからの引用図

ということは、中央のバネは下図のように黒棒部を下部フランジを介して上下に締結し全体の寸法が緩まないようにしている=黒棒部の寸法を規定しているのでしょう。また黒棒上部のゴチャゴチャしたところはネジを回すことで黒棒部の初期位置を調節することが出来る構成になっているようです。よく見ると、黒棒部は上に固定されつつほぼほぼぶら下がっているような状態みたいですね(下図左・一番下のバルブに接触しているのは先端の針状アクチュエータのみ)。

上記リンクからの引用図に筆者推定を追記

加えて下のバネ付近。ここには上図右のように、非常に小さいであろう黒色円筒部の変位量を正確にバルブに伝えることが出来る構造(黒色円筒の変位を直接バルブに伝えると振動などで簡単にバルブが開閉してしまうので、圧縮ばねを介しバルブに黒棒先端の針状の部分が常に接触する構造)を採用しています。加えて黒棒先端部の針が接触する部分をテコの支点近く置くことでバルブの開閉動作変位が大きくなるように工夫してあるなど、黒棒円筒部の熱による膨張収縮によってのみバルブの開閉を行える驚異の構造でした。推定するに、おそらく針状のアクチュエータは初期セッティング時にある程度荷重がかかった状態になっていて、微小な荷重の増加でも閉じるようになっていたのでしょう。ということはバルブ周辺のバネ類のセッティングや管理もかなり十分に行う必要があり、特に海付近で使用する部品なのですから塩害を受けないよう相当神経を使って組み立てていたと思われます。いずれにしてもかなりシンプルな構成でバルブの開閉を自動で行えるということがわかります。

なお面白いのが、金メッキ銅棒。寸法的な面で考えるとこの構成が結構大事ということが推定されます。つまりこの部分が反射構造ではなく吸光するような構成だと熱で上下の寸法が微妙に変わり、バルブが変なところで動いてしまうかもしれない。また純度で熱膨張係数が変わるような素材だと歪みが出来てしまうかもしれない。ということで、当時でも純度が上げやすくメッキがやりやすい銅でつくった金メッキ棒を使っていた、というのもこのSunValve=太陽バルブの重要な設計ポイントの一つだったのではないかと思います。

ちなみに上に挙げている一連の図は発明から十数年経った結構完成度が上がった構成なのですが、こちらのスウェーデンデジタルミュージアムに記載された最初期のもの(リンク)の説明文を見ると本当に数ミクロンレベルの変位でバルブの開閉を制御してたらしく…(När stavarna utvidgas olika, skillnaden är tusendels millimeter, stängs ventilen.)、一体どうやってたのやら。文献が一切無いので謎に尽きるのですが、筆者の知っている方の中に数ミクロンの段差を判別する達人がいますので、ダレーン本人やAGAのスタッフにそのレベルの加工技術、組立技術を持つ方がいたのではないでしょうか。機械加工関係でスキマとか寸法とかいうものをミクロンレベルで調整出来る方は結構現実にいるので…とは言え数ミクロン程度の変位にバルブの命運を任すのは非常に難しいことが予想され、おそらくバルブの安定性、堅牢性に問題があったと思われますので、上図のような凝った構造に進化していったのでしょう。

おそらく第2世代くらいのSun Valve(引用リンク:AGA社Web博物館)
初期よりだいぶ複雑になっているが動作メカニズムがさっぱり推定できないが
上部から下に伸びる錘のようなものがバルブを開閉していた可能性がある

現在ではこうしたものは全てマイコン+太陽電池+センサ、等に置き換わっていますが当時は魔術のような印象を与えたのではないでしょうか。実際発明から60年以上も現役で使われていたということでもあり、一つの時代を築いたという点で工学+化学+実用性、の合わせ技一本でノーベル賞受賞に至ったのだと思われます。なお発明当時からかなり長い間競合がほとんどいなかったことを考えると(市場が狭いという面はありますが)このブイのメカニズムや装置、組み合わせをきちんと理解してもモノとして完成できなかったのではないでしょうか。その点でも特殊な技術であったと言えるわけです。

その後のダレーン

何故かボンベを焼くの絵(引用リンク:AGA社Web博物館)
おそらく安全性を確認するためだったと思うのですが
こうした実験中にボンベが爆発し、ダレーンは両目を失明してしまう

Agamassanを発売して爆発的に売れ、ノーベル賞受賞が決まったあたりに、ダレーン本人はボンベが爆発する事故(上の写真のようになぜかアセチレンが入ったボンベを火で炙る実験をしてたそうなのです)の近くにいたため、両目を失明してしまいます(リンク:”Country Life“)。このため史上初めて代理人である兄が受賞にいったそうで…。

ところが常人でないダレーン、なんとそのまま勤務を続行し、しかもその後も目が見えないというのに様々な発明を成し遂げ、結局AGAを下図のようなマルチコングロマリットまだ育て上げる基盤を作ってしまいます。有名なものにAGAキッチンなる今のシステムキッチンの奔りものもあったそうで、火をうまく使う装置つながりで開拓していったと思われます。しかしどうしてこういう偉人たちは何というかスジが切れてるようなことを平気で出来るのやら。まぁそれこそが豪傑たちの特性なのでしょう。

失明後のダレーン(文献4) この状態でも精力的に仕事を行っていたらしく
隻眼の数学の魔王 レオンハルト・オイラーとイメージが被る

AGAという企業が発展した経緯のイメージ (文献4)より引用 

重ねて申し上げますがダレーン本人がノーベル賞を受賞したのは1912年、堅牢なアセチレンボンベとSun Valveを組み合わせたブイと灯台を発明してからわずか3年。爆発的に売れているさなかの出来事だったわけで、Carl Boschなどのように業績から二十年近くが経ってから受賞、とかAGAを上記のような巨大企業に育て上げた後に受賞、というのとは少しわけが違う。ノーベル賞は当時は数ある賞のうちの一つであったとはいえ発明から数年で、しかも工学でも理学でもなく言い方は悪いですが正規の教育ルートを通っておらず、大学にも部分的にしか通っていなかったダレーンが「機械じかけのカラクリの発明」によって受賞したため、色々後の世代のひとがこれに文句を言ったりするケースをあちこちで見かけました。

例えば(文献8)。引用すると、

大意「最も疑問なのがダレーンの物理学賞受賞であり、そもそもエンジニアが受賞したのは数回しかないのだ。その後WWⅡ以降にスウェーデンから受賞者がほとんど出てこなくなったのが、受賞委員会の翻意によるものなのか同国の研究レベルが落ちたためなのかどうかは判断しがたい(が、おそらく前者の影響が大きいのだろう)」とあります。そうなのでしょうか?

否、否。断じて否!筆者は彼の味方でもなんでもありませんが、これには声を大にして異を唱えたい。

結局のところ当時、いったい誰がこんな魔法のような自動開閉弁を持つ高性能でかつ長時間点灯できる無人ブイや灯台をを作れたのか、ということです。彼をおいて他になく、彼の会社以外において作れなかった。しかもちゃんと動作し、燃料を節約し、世界的なヒット商品になったということが全てなのです。

また今より海運・軍艦の位置づけが相当重要であった当時において、夜間に船の位置や目的地を知ることは生死を分ける極めて重要な判断を行うことにつながるわけで、こうした時代背景も発明から受賞までが短期間であったことの理由に十分なり得ると思われます。もちろんノーベル賞候補者の選考方式が当時も今も基本的に推薦制らしく(噂レベル)、所謂「ロビー活動」が無いとは言い切れない部分があるため上記のような大人の世界でのやりとりや政治的な判断が無かったとは断言できませんが、実際のバルブの機構とそのインパクトを紐解いてきた筆者としてはそうした影響はごくわずかだったのではないかと推測します。

ただAGAはその後順調に発展を遂げた後ドイツのガス大手、Lindeに買収されて独立した企業ではなくなっています。またダレーンが発明した様々なカラクリは、電子技術やエネルギー貯蔵技術が発達した現在では過去のものになり、実際に使われているのは記念碑的なところでしかありません。もちろん上記のようにより進化して安全になったガス貯蔵技術は継続して使われていますが・・・その意味では彼の受賞理由はあくまで当時から半世紀程度のインパクトしか持たなかった、という見方もできるわけです。

しかし当時の問題に対し予想も出来ない機構で成し遂げた、つまり解が存在するということを証明したことに対しては大いなる敬意を払うべきであり、またその作動に太陽光以外のエネルギーを使わないという点で何なら今でも通用する自動開閉弁を実現した点は驚異的なことではないでしょうか。材料のわずかな体積膨張を利用して自動で動くカラクリを作った、その点はこの現代でも活かせる視点であるのではないかとも思います。機械加工技術や材料技術が当時より段違いに発達した現在なら、より精度よく日没とともに開弁し灯りをともす風情のあるガス灯や、より使い勝手のいい未来の自動開閉弁が出来るかもしれませんよ。

それでは今回はこんなところで。

参考文献

1. Rottneros customer newsletter No. 30

2. “スウェーデン -発明家の系譜-” 2006年6月 スウェーデン大使館商務部 香川大学講演資料

3. “Chalmers’ first Nobel laureate”, Chalmes University, リンク

4. “Ett företags teknikskiften AGAs första 80 år”, Av Ebbe Almqvist, 1992, リンク

5. “高圧ガス事故事例情報シート“, 神奈川県庁HP リンク

6. “Industrial Chemistry”, Dexter Harvey & Nicky Rutledge, リンク

7. “The lighthouse Libertas and Gustaf Dalén 150 year”, Mats Ekman, Projects manager, Ports of Stockholm リンク

8. “Nobel Controversies”, Physics Today, 1997

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Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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