第512回のスポットライトリサーチは、筑波大学 数理物質系化学域(小島研究室)・藤﨑 寛人さんにお願いしました。
最も酸化が困難な炭化水素であるメタンをメタノールに温和な条件で変換する手法は、現在のところ報告がありません。今回ご紹介するのは、酵素を模倣した鉄錯体触媒を用い、さらに活性点近傍の疎水性を上げることにより水溶液中において50 ℃, 約10 気圧という温和な条件でメタンからメタノールへの直接変換を行ったという成果です。本成果はNature 誌 原著論文・プレスリリースに公開されています。
“Selective Methane Oxidation by Molecular Iron Catalysts in Aqueous Medium”
Fujisaki, H.; Ishizuka, T.; Kotani, H.; Shiota, Y.; Yoshizawa, K.; Kojima, T. Nature, 2023, 616, 476–481. DOI: 10.1038/s41586-023-05821-2
研究室を主宰されている小島 隆彦 教授から、藤崎さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
メタンを酸化するためには、とにかくメタンを活性点近傍にトラップしないとだめだ、ということを考えていて、今回の触媒分子の設計に至りました。藤崎君が4年生で配属された際に、彼と共に初めてFe-NHC錯体の化学に足を踏み入れ、今日に至ります。藤崎君は配属当初から熱心に研究に取り組んでくれました。Fe-NHC錯体の酸化触媒としての活性を明らかにした研究成果を得てから、その錯体への疎水場の導入及びメタンを含むガス状アルカンの酸化、そして酸化活性種としての鉄4価オキソ錯体の検出まで、藤崎君はとても要領よく実験を進め、今回の快挙に至りました。この成果は、錯体化学が大好きな藤崎君の創意工夫と弛まぬ努力の賜物です。指導教員として、自分が30年前に不可能だと思っていたメタンのメタノールへの酸化を可能とし、えもいわれぬ興奮と感動をくれた、さらにはNatureに論文が掲載されるという希有な経験をさせてくれた藤崎君に、とても感謝しています。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
酵素を模倣した鉄錯体触媒による、水溶液中でのメタンからメタノールへの選択的な変換を達成しました。
天然ガスに豊富に含まれるメタンは、二酸化炭素よりも大きな温室効果を示す気体であり、工業の発展に伴って排出量は増加しています。メタンは気体であり、運搬が困難であることから、メタンの化学原料および燃料としての利用には解決すべき多くの問題があります。一方、メタンの酸化生成物であるメタノールは液体であり、運搬しやすい上に、多くの用途がある有用な物質です。これらのことから、メタンからメタノールへの効率的かつ選択的な変換が期待されていますが、メタンは最も不活性な炭化水素化合物であり、生成物であるメタノールの方が酸化されやすいため、過剰酸化を抑制しつつメタンをメタノールへ選択的に変換することは、高難度な反応であるとされています。自然界では、水溶性メタンモノオキシゲナーゼ(sMMO)という酵素がメタンからメタノールへの選択的な変換を行っています。その活性部位には、タンパク質を構成するアミノ酸残基によって形成される疎水場が配置されており、二核鉄中心における酸化活性種の生成に必要な酸素と基質であるメタンを活性点近傍へと運搬し、捕捉することによって高効率かつ高選択的な酸化反応を実現しています(下図a)[1]。そのため、これらの構造や機能を模倣し、天然の炭素資源を有効利用するための酸化触媒を開発する研究が世界中で続けられています(下図b)。
そこで今回私たちは、当研究室で以前に報告した、水溶液中において高い酸化活性を示すN-ヘテロ環状カルベン(NHC)配位子を有する鉄錯体[2]に、sMMOの活性部位周辺の構造に想起された、アントラセニル基による疎水場を第二配位圏に配置した鉄錯体を触媒とし、水溶液中でメタンを鉄イオン近傍に捕捉して酸化し、親水性酸化生成物であるメタノールを水層に排出する戦略によるメタンの触媒的酸化反応系を開発しました(下図c, d)。この方法では、水溶液中において触媒中の疎水場が疎水性基質であるメタンを捕捉し、電子移動酸化剤によって酸化活性種である鉄四価オキソ錯体が生成した後、メタンがメタノールへと酸化されると推定しています。この「キャッチ・アンド・リリース酸化」によって、水溶液中において50 ºC、約10気圧という温和な条件下でのメタンの酸化を達成し、その触媒回転数は3時間で500回を超え、83%のメタノール選択性を実現しました(下図e)。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
最も思い入れがあるのは、鉄錯体触媒の設計と合成、結晶構造解析から改良までのプロセスです。実際にメタンを酸化しようと考えたとき、疎水性基質である炭化水素化合物を酸化する金属酵素の構造と反応機構についての論文を読み漁り、その酸化反応戦略から着想を得て、鉄錯体の疎水性第二配位圏の構造と配置を検討し、始めは第二配位圏にメシチル基を導入することにしました。しかし、メシチル基を導入した錯体の結晶構造を眺めていると、その第二配位圏を見た時に、「疎水場が少し小さいのではないか?」と感じました。メシチル基によって形成される疎水場では、活性種が形成される鉄中心付近を十分に囲むことはできてないのではないかと考え、より大きな置換基の導入を検討し、アントラセニル基を導入することにしました。これを合成し、完成した鉄錯体の結晶構造を見て、鉄中心がアントラセニル基によって形成される疎水場で密に囲まれているのが確認できた時は、とても嬉しかったです(下図a~c)。また、実際にこの触媒を用いてメタンの触媒的酸化反応を行った際に、その活性が疎水場の大きさによって劇的に変化したのが確認できた時は、NMRの解析用パソコンの前で飛び上がったのを覚えています。緻密に設計された分子触媒の力を目の当たりにできて良かったです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
アントラセニル基を導入した鉄錯体は、密に囲まれた疎水場を持つ影響で、純水中への溶解度が低く、有機溶媒と水の混合溶媒における触媒反応条件の検討を行わなければなりませんでした。有機溶媒の種類や水と有機溶媒の混合比の検討を細かく進めていく中で、水の比率が多い方が活性が上昇することに気づきました。これは、鉄錯体触媒が持つ疎水場の効果を最大限に発揮するために重要な発見であり、水の比率が多い水溶液中において、疎水性基質であるメタンの疎水場への捕捉が促進されることによって、触媒的酸化反応の活性が上昇したと考えています。
また、活性種と推定される鉄四価オキソ錯体の同定の際には、活性種がメタンを酸化できるほどの高活性であることから、短寿命ということもあって同定は困難かと思っていました。しかし、溶媒や酸化剤を検討することによって、顕微ラマン測定やESI-TOF-MS測定、ESR測定及びUV-vis測定から、鉄四価オキソ錯体の生成を明らかにすることができました。さらには、九州大学の吉澤研究室との共同研究を行い、時間依存DFT計算による反応経路の解析を行い、疎水場に捕らえられたメタン分子が鉄4価オキソ錯体によって酸化される過程を視覚化できました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は現在、小島研究室でPDをしています。今後は、海外への留学も視野に入れて、様々な化学を学びたいと考えています。これまで携わってきた酸化反応だけではなく、還元反応や固体材料など、様々な視点を知ることによって、これまで自分がやってきた化学に新たな発想を足すことができるのではないかと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
お読みいただきありがとうございました。本研究は、二度のリジェクトを乗り越え、論文の構成を大きく変更し、メタンの触媒的酸化反応の条件を一から再検討した結果、今回のような最高の形としてNatureに論文を掲載することができました。この経験から、何度実験がうまくいかなくても、何度リジェクトされても自分のやっている化学に自信を持つことの大切さを学びました。その自信こそが、実験を根気良く続けることや論文を書き続ける原動力になるのではないかと考えています。
最後になりますが、本研究に対して多くのご助言やご助力をいただいた小島隆彦教授、石塚智也准教授、小谷弘明助教、理論計算を行って頂きました九州大学の吉澤一成教授、塩田淑仁准教授をはじめ、ご協力いただきました皆様にこの場を借りて熱く御礼申し上げます。また、本研究を紹介する機会を与えていただきましたChem-Stationスタッフの皆様にも深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:藤﨑 寛人 (ふじさき ひろと)
所属:筑波大学 数理物質系化学域 無機反応化学研究室
略歴:
2018年03月 筑波大学 理工学群 化学類 卒業
2020年03月 筑波大学大学院 数理物質研究科 化学專攻 博士前期課程修了
2021年10月〜2022年03月 JST-SPRING次世代研究者挑戦的研究プログラム支援対象学生(区分1)
2022年04月〜2023年03月 日本学術振興会特別研究員(DC2)
2023年03月 筑波大学大学院 理工情報生命学術院 数理物質研究群 化学学位プログラム 博士後期課程修了 博士(理学)取得
2023年04月〜 日本学術振興会特別研究員(PD)
参考文献
- R. Banerjee, J. D. Lipscomb, Acc. Chem. Res. 2021, 54, 2185-2195. DOI: https://doi.org/10.1021/acs.accounts.1c00058
- H. Fujisaki, T. Ishizuka, Y. Shimoyama, H. Kotani, Y. Shiota, K. Yoshizawa, T. Kojima, Chem. Commun. 2020, 56, 9783-9786. DOI: https://doi.org/10.1039/D0CC03289A