第509回のスポットライトリサーチは、山口大学大学院創成科学研究科 有機化学研究室(西形研究室)の土屋 直輝 (つちや なおき)さんにお願いしました。
西形研究室では、銅を始めとする金属触媒を用いた「自在な分子設計法」の開発に取り組まれており、これまでにも数多くの成果を発表されています。本プレスリリースの研究内容は、立体特異的なフッ素化反応についてです。SN2反応は反応の前後で立体が反転してしまうため、フッ素のような弱い求核剤によるフッ素化反応、特に立体的に込み入ったかさ高い部位を有するような低反応性基質との反応には不向きでした。そこで本研究グループは、反応性が低く扱い易いフッ化セシウムをフッ素反応剤として使用し、銅触媒でこれを活性化することで、光学活性を有するかさ高い第三級アルキルハロゲン化物との立体特異的反応に成功しました。
この研究成果は、「Angewandte Chemie, International Edition」誌に掲載され、プレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Naoki Tsuchiya, Tetsuhiro Yamamoto, Hiroki Akagawa, and Takashi Nishikata
Angew. Chem. Int. Ed. 2023,e202301343
研究室を主宰されている西形孝司 教授より土屋さんについてコメントを頂戴いたしました!
土屋君は、研究を非常に丁寧に実施するタイプで、研究室配属後1,2年程度はあまり目立った成果を出すことはありませんでした。しかし、与えられたテーマを広く深く考察しており、博士後期課程進学前後でこちらの予想を遥かに超える結果を創出できるようにまで成長しました。(*これを読んでいる学生諸氏も、博士後期課程への進学をお勧めします。修士までで培った経験を本格的に活かせるため、いよいよ本格的に自分の思い通りに面白い研究生活を送れます。もし、修士課程までで自信を失っている学生がおられれば、自分を信じて、是非とも博士後期課程に進学してほしいと思います。きっと、めちゃくちゃ面白い研究生活とその後の研究ライフが待っています!)現在では、自分自身で発見した4つのテーマを同時進行しており、次々と素晴らしい業績を挙げております。立体特異的反応化学も彼自身が1から築きあげたテーマです。このテーマは原料を光学分割して行うため、合成化学的にはどこまで意味があるのか不明でした。つまり、生成物も光学分割すれば、今回の反応自体を使う必要がないのです。しかしながら、しっかりとこの立体特異的反応化学周辺を調査してみると、ラセミ基質からエナンチオ収束的な反応は、圧倒的な研究事例がある一方で、得られたキラル基質を立体特異的に反応させられる有機合成反応はほとんど発展していないことに気づきました。キラル資源を有効活用するためには、実は、立体特異的な反応の開発もセットで必要であり、本来両者は同じ数だけ開発されるべきなのです。我々はこの点に着目し、立体特異的反応化学の研究を進めてきました。事実、この手の反応化学は、最近では徐々に報告例が増えつつあります。土屋君には、できれば、一連の立体特異的反応化学をすべて開発してもらいたいのですが、残念ながら本年度で大学生活が最終年度を迎えます。今後は、持ち前の発想力を活かして、しかるべき研究機関でしっかりとりとしたポジションを取ってほしいと願っております。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
不斉炭素中心を有する第三級アルキル基を持つα-ブロモアミドを、二価銅触媒により立体特異的にフッ素化する反応です。
当研究室では以前に第三級アルキル基を持つα-ブロモアミド(以降、第三級α-ブロモアミドと略す)に対してフッ化セシウムをフッ素源として使用したフッ素化反応を開発しました(T. Nishikata, S. Ishida, R. Fujimoto, Angew. Chem., Int. Ed., 2016, 55, 10008-10012.)。しかし、当時の反応条件では第三級α-ブロモアミドからフリーラジカル種が生じるため、不斉炭素中心を有する第三級アルキル基を含む同基質との立体特異的なフッ素化反応は困難でした。今回、私と後輩の山本哲大君と赤川裕紀君との共同で様々な検討をすることでこの問題を克服し、第三級α-ブロモアミドの不斉炭素中心を損なうことなく効率的にフッ素原子を導入することに成功しました。従来、ハロゲン化アルキル化合物への求核剤の導入はSN2反応が最適です。これは、ハロゲン化第一、そして、二級アルキル化合物との反応が、対応するハロゲン化第三級アルキル化合物よりも遥かに反応が速いこと、そして、キラル基質との反応では使用する原料の立体化学が反転した生成物が得られることが反応の特徴として挙げられます。しかし、今回開発した二価銅触媒による立体特異的フッ素化反応では、第三級炭素―ハロゲン結合部位が対応する第一や第二級炭素-ハロゲン結合部位よりも速くフッ素化され、かつ、キラルな原料との反応では、その立体化学を保持したフッ素化生成物が得られるということを発見しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
反応の活性種が何なのかの仮説を立てながら、試行錯誤することで反応の立体特異性を改善していった点です。
以前当研究室で報告した一価銅触媒によるフッ素化反応は、配位子にピリジンを3つ有するTPMA(Tris(2-pyridylmethyl)amine)を使用し高温で反応を行うことで、α-ブロモアミド中に含まれる第三級炭素上の臭素をフッ素原子で置換していました。しかし、この反応条件では立体特異的な反応は行えませんでした。実際に、私がこの反応をエナンチオピュアな第三級α-ブロモアミドを用いて行ってみると、原料の立体化学を完全に失う結果となりました。この原因は、原料から生じるフリーラジカル種の発生が原因です。そこで、ラジカルの発生速度が遅い二座のビピリジル系配位子を使用すると(銅触媒による原子移動型ラジカル重合化学において、多座窒素配位子とラジカル発生に関してその序列が報告されている)、室温下にて高いesが発現することを見出しました(es:enantiospecificity、生成物ee/原料eeより算出される)。また、本反応の発見当初はその効果が不明でしたが、一電子酸化剤であるTEMPOを添加し、二価銅を確実に系中で生成することで、低いesであった基質でも非常に高いesでキラルフッ素化反応を進行させることに成功しました (図の一番下の基質)。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本研究で一番苦労したところは反応機構を考察するために行った機構解明実験です。私は機構解明実験を行う際に、大体の実験結果を予想して実験を取り組んでいくのですが、本研究では、予想とは全く異なる実験結果が数多く得られました。(例えば、一価の銅触媒を使用して本反応を行うとラセミ化生成物が得られるのに対し、TEMPOを1.5当量添加した場合にラセミ化を抑制できたことで二価銅が活性種であること、そして、CuF2との当量反応にセシウムカチオンが必須であったことから、セシウムが関与する中間体を提案できたこと、それらの化学種とのかかわりを速度論実験を通して明らかにしたことなど。)半年に渡って数多くのコントロール実験を実施したため、それらの実験結果を総合して反応機構をまとめることが難しく、西形先生や共同研究者らと議論を重ね納得のゆく反応機構提案に至るまで、苦労しました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
現在実施している研究では、新しい現象を自ら発見できることや、その現象がどのように進行しているのかを機構解明実験で納得のゆくまで追求できる点が、私には非常に面白くて魅力に感じます。従いまして、将来はアカデミアの世界で有機化学の研究を極めたいと考えています。今後も新たな知識を身に着けるために勉強しながら研究活動に励みたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究を始めた当初、「以前のフッ素化反応は高温条件下、フリーラジカル種を発生させやすいTPMA配位子を使用していたので絶対に立体特異的に進行するはずがない」と思い込んでいました。しかし、いくつかの検討を重ねると室温条件において立体特異的に生成物が得られることを発見できました。この経験を通じて自分の思い込みが選択の範囲を狭めてしまう可能性があることを実感しました。実際に実験を行うことで、自分の思い込みを覆すことができるため、研究が楽しいものだと感じることができました。最後に本研究を進めるにあたってご指導いただきました山本哲大君と赤川裕紀君、西形先生、そして、一緒に議論してくれた西形研究室のメンバーには深く感謝いたします。
研究者の略歴
土屋 直輝(つちや なおき)
山口大学大学院創成科学研究科
有機化学研究室 (西形研究室)
銅触媒存在下におけるキラル第三級アルキルハロゲン化物の立体特異的フッ素化反応開発
略歴:
2019年3月 山口大学工学部応用化学科 卒業(西形孝司准教授)
2021年3月 山口大学大学院創成科学研究科 化学系専攻 博士前期課程修了(西形孝司教授)
2021年4月~ 山口大学大学院創成科学研究科 ライフサイエンス系専攻 博士後期課程
2021年4月~ 科学技術振興機構SPRING特別研究員