第501回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院理学研究院化学部門 有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)で博士の学位を取得された 林 裕貴さんにお願いしました。
林さんは、今回が2回目のスポットライトリサーチご登場となります。前回は博士前期課程二年次の成果である光と熱による酸化特性のスイッチングが可能な分子の創出についてのご紹介でしたが、今回の成果は新規的手法「カチオンキャッピング」の考案とこれを用いたアントラセンオリゴマーの詳細調査、さらに種々の物性を制御可能な分子スイッチ群の構築についてです。本成果はJournal of the American Chemical Society誌に掲載され、さらに北海道大学プレスリリースでも成果の概要が公開されています。
“Dibenzotropylium-Capped Orthogonal Geometry Enabling Isolation and Examination of a Series of Hydrocarbons with Multiple 14π-Aromatic Units”
Yuki Hayashi, Shuichi Suzuki, Takanori Suzuki, and Yusuke Ishigaki*
J. Am. Chem. Soc. 2023, 145, 2596.
doi: 10.1021/jacs.2c12574
林さんの指導教員であり論文の責任著者でもある石垣 侑祐 准教授と、有機化学第一研究室を主宰されている鈴木 孝紀 教授より、林さんについて以下のコメントを頂いています。
【石垣先生より】
以前のスポットライトリサーチの際にも述べたように、林君は無駄のない実験計画を自ら立案し遂行できる極めて優秀な研究者です。その無駄のなさは実験数にも表れており、私が見てきた限りでは最少の実験数で大きな成果へと繋げ学位の取得に至っています。本人も書いているように、観察眼に優れており、6個のアントラセンを有するジカチオンの単離・X線構造解析に成功したのみならず、ジカチオンのさらなる酸化を追究し、規則性を発見してデータを持ってきたときは、ただただ驚かされました。大学とは異なる環境で、今後どのような発見、成果を掴み取るのかワクワクしています。
【鈴木先生より】
林君が石垣准教授と二人三脚で取り組んだ本研究のアピール点の1つは、巨大な有機ジカチオン種のX線構造にあると思います。常に1つ上を目指す林君の執念で、無数のサンプル瓶から何個かの単結晶が得られ、より良いデータを追求する石垣准教授の情熱により、何度ものトライアルの後で、美しい構造が得られました。師弟の信頼関係が研究結果に結実した好例と思います。林君は新しい職場でも、多くの方と力を合わせて活躍してくれると確信しています。
それでは今回もインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
π系が連結した大きな分子骨格を二つのカチオン性ユニットで挟む「カチオンキャッピングアプローチ」を考案し、溶解性の問題により従来は調査が困難だったアントラセンオリゴマーの単離、X線構造解析及び電子物性の詳細な調査に成功しました。さらに、アントラセン骨格の数によって異なる応答挙動を示す一連の分子スイッチ群を構築しました。
アントラセンの9、10位で直鎖状に連結したアントラセンオリゴマーは以前より研究対象とされてきましたが、アントラセンの数が増加すると溶解性が著しく低下してしまい、合成や物性調査が困難となります。これまでにX線構造解析によって構造が確認されたオリゴマーは、アントラセンが三つのものに留まっていました。これに対し、本研究では、置換基をもたないアントラセン骨格を1~6個連結したオリゴマーの両末端に、カチオンユニットを導入した一連の炭化水素ジカチオンを設計しました。
詳細な調査によって、各ユニット間が直交した構造をとることを示し、一般的な有機溶媒への高い溶解性も獲得可能なことを明らかにしました。また、直交構造により各ユニット間にはほとんど相互作用がないため、各アントラセンユニットの酸化電位がクーロンの法則に従うことを初めて実験的に証明しました。一方、これらジカチオンを二電子還元した中性状態も安定に取り出すことができ、アントラセンの数に応じて異なるスイッチング挙動を示すことを見出しました。これにより、光、熱、電位といった適切な外部刺激を与えることで最大三つの状態を行き来可能であり、これに伴って色調、磁気特性、酸化還元特性といった物性を自在に制御可能な分子スイッチ群として機能することを示しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究では、6種類のジカチオンをさらに酸化した際、クーロンの法則に基づく単純なルールに従って、各アントラセンユニットが順番に酸化されることを発見しました。この発見は、6種類の化合物を合成し、そのボルタモグラムを並べて比較、考察したことで初めて得られた成果であると思います。もし、データを1種類ごとに見ていたら、得られる情報は限られており、アントラセンオリゴマーの特異な電気化学的特性を見つけることはできなかったのではないでしょうか。この研究を通して、実験データに対して真摯に向き合うことの大切さと、そこから得られる情報の多さを学ぶことができました。そして、定性的な比較だけで終わらず、定量的な議論に発展させることができたのは、再現性が確認できる自信のあるデータを、苦労しながらも丁寧に得た結果であると実感しています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本研究に着手した当初は、以前のスポットライトリサーチの際に取り上げていただいた成果の発展として、両末端のジベンゾトロピリウムユニットにtBu基をもたない誘導体に焦点を当て研究を進めていました。実際に、すでに報告したアントラセン1つの誘導体に加えて、アントラセンを2つ及び3つ有する二種類の誘導体を新たに合成し、構造解析まで完了している段階でした。しかしこの時点で、他の研究グループによってアントラセン2つの誘導体が発表されてしまったため、研究方針の再考が必要となりました。そこで、研究のゴールを大きく変更することにし、いっそのこと、どこまでアントラセンを繋げることができるのか挑戦してみることにしました。さらに、これまでに調査例が限られているアントラセンオリゴマーの物性を解き明かしたいという気持ちも高まり、合成後の各種測定を想定して、より溶解性を向上させるために分子の両末端にtBu基を導入するための原料合成の検討から研究を再スタートしました。その結果、本研究手法を用いることで、最長でアントラセン6つが連結したオリゴマーの単離、構造解析に成功しました。さらに、アントラセン1つから6つの全ての誘導体を詳しく調査することで、アントラセンオリゴマーを酸化した際の電子放出に関する法則の発見のみならず、アントラセンの数によって異なる応答挙動を示す一連の分子スイッチ群の構築まで研究を発展させ、当初の計画以上の成果を出すことができました。以上の経験を通して、研究につまずきそうになった時こそ、決して諦めずに柔軟に対応することが非常に重要であり、これが『新たな発見』に繋がることを学びました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は、合成した分子から『新たな発見』をすることで、研究に大きなやりがいを感じてきました。『新たな発見』をするためにはもちろん運も大切ですが、貴重なチャンスを何としても逃さないことの方が必要であると感じています。例えば本研究では、一般的に不安定とされている炭素ラジカル種を溶液中100℃以上の高温で加熱してみたり、またボルタモグラムのデータをこれまでの手法のみにとらわれない新たな方法で自分なりに解析してみたりしたことが本成果に繋がりました。このように、自ら考えた新たな手法を試すことがとても重要であると思います。私は今後の研究活動でも、チャンスを確実に『新たな発見』につなげられるように、過去から受け継がれてきた汎用的で最適化された手法の上に、新たな視点からの新しいやり方を常に考え、すぐに実行してみることを心掛けていきたい思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
私は、研究室に所属してから6年間、非常に多くの経験をさせていただきました。フランスでの研究留学や、海外の国際学会での発表、国際学会(ISNA-18)の運営等を経験する貴重な機会をたくさん与えて下さり、研究者として大きく成長することができました。また研究活動だけでなく、博士課程教育リーディングプログラム(北海道大学物質科学フロンティアを開拓するAmbitiousリーダー育成プログラム)にも参画し、1ケ月以上にわたる異分野研究室での研修や、企業、他大学、他分野の方々との交流等、このプログラムでしか得られない多くの貴重な経験をさせていただき、広い視野を持つことの大切さを学びました。これら学んだ多くのことを、今後の研究活動でも活かし続けていきたいと思います。そして何よりも、北海道大学の四季豊かな美しいキャンパスがあったからこそ、常に楽しく研究生活を送り、無事に博士課程を修了することができたのだと思います。
最後になりましたが、本研究の遂行へとサポートしてくださった鈴木先生、実験から論文執筆に至るまで研究の全てをご指導してくださった石垣先生、そして有意義なディスカッションだけでなく、楽しい研究室生活を支えてくださった研究室のメンバーみなさまに深く感謝いたします。また今回の研究紹介の機会をいただいたケムステスタッフの方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前: 林 裕貴(はやし ゆうき)
研究テーマ[有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)]: 七員環骨格に基づいた炭化水素から成る分子スイッチの開拓
所属: アステラス製薬株式会社
略歴:
2013年3月 京都市立堀川高等学校 卒業
2018年3月 北海道大学理学部化学科 卒業
2020年3月 北海道大学大学院総合化学院 修士課程修了 [有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)]
2023年3月 北海道大学大学院総合化学院 博士後期課程修了 [有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)]
2023年4月 アステラス製薬株式会社 入社
2018年9月~2023年3月 博士課程教育リーディングプログラム(北海道大学物質科学フロンティアを開拓するAmbitiousリーダー育成プログラム)
2018年10月~2018年11月 リヨン第一大学ICBMS(フランス)短期留学 (Maurice Médebielle先生)
2021年4月~2023年3月 日本学術振興会特別研究員DC2
関連リンク
・北海道大学大学院理学研究院化学部門 有機化学第一研究室(鈴木孝紀 研究室)
・プレスリリース:世界最長のアントラセンオリゴマーの詳細な調査に成功~新たな設計指針の獲得により次世代型分子スイッチの開発に期待~