第499回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院 理学系研究科 化学専攻 有機電子材料化学研究室(寺尾研究室)の岡 勇気 (おか ゆうき)さんにお願いしました。
寺尾研究室では、ロタキサン構造で被覆した有機ポリマー型導線の創成と、新たな有機デバイスへの応用展開に向けて研究を進めています。本プレスリリースは、カテナンの運動性の制御に関する研究内容です。リングの形をした分子同士が鎖のように絡み合った構造はカテナンと呼ばれ、結合を持たないにも関わらず互いに束縛されるという特殊な性質を示します。リングの動きの制御には金属イオンが広く使われていますが、単純な制御しかできませんでした。そこで本研究グループではより複雑な制御を目指し、複数のリングの間に「ぴったりはまる」分子を使うことで、複数のリングの運動を分子の形に応じて自在に制御することに成功しました。
この研究成果は、「Angewandte Chemie International Edition」誌に掲載され表紙にも採択されました。また、プレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Yuki Oka, Hiroshi Masai, Jun Terao*
Angew. Chem. Int. Ed. 2023, e202217002
研究室を主宰されている寺尾潤 教授より岡さんについてコメントを頂戴いたしました!
“ゲラ”(なにかにつけて笑ってしまう人)とはまさにこの人のためにある言葉なのかと思ってしまう岡さん。人を笑わせることを日々のモチベーションとして生きてきた大阪人の私にとって打ってつけの学生さんで、独特の甲高い声で笑ってくれる岡さんとのお喋りをいつも楽しんでいます。そんな岡さんは研究室立ち上げからのいわゆる初期メンで早いもので丸6年が経ちました。そんな笑い声の絶えない岡さんから笑顔が消えた博士課程最後の1年。再びいつもの笑い声が戻ったのは年末にこの論文が受理された瞬間からでした。研究室でただ1人ポルフィリン関連の研究を進め、“配位子”をキーワードにポルフィリン6枚からなる[3]カテナンの効率的合成とその複雑な動きを制御することに成功しました。6年間の研究室生活の全てを注ぎ込んだ岡さん渾身の傑作論文です。遊び心を加え配位子をパズルのピースと見立てた図はAngewandte誌の表紙に選ばれました。是非ご一読頂ければ幸いです。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
リング状の分子が絡み合うことで形成されるカテナンは、その独特な分子構造に由来した性質を有します。特に刺激応答性部位を有するカテナンは、外部からの刺激に応じてリング同士が大きく動いたり逆にリングの動きを制限したり出来ます。この特徴から、カテナンは分子機械や光学材料、高分子材料を構成する機能性分子素子として応用が期待されます。従来、カテナン中のリングの運動性の制御には金属イオンが広く使われてきました(図1)。リングに金属イオンを認識するための有機配位子部位を導入するとことで、金属イオンの添加・除去に応じてリングの動きが固定・解放され、運動性のスイッチが可能です。しかし、金属イオンは比較的小さく、また形も単純なため、従来の方法ではカテナンの運動性は単純な制御しかできませんでした。
そこで今回私たちは、従来法とは逆に、金属イオンを持ったカテナンに「ぴったりはまる」有機配位子を添加・除去することによってリングの運動性を制御する方法を開発しました。この方法では、大きさや形を自在に設計できる有機配位子を活用することで運動性の複雑な制御が可能です。本研究では、Ru(II)イオンを持つ大きなリングAに、Zn(II)イオンを持つ小さな2つのリングBが絡み合ったカテナンを合成し(図2a)、添加する配位子の形状に応じてカテナンが変形することでリングの運動性の多状態制御を達成しました。例えば、3つのリングが自由に動く状態に対して、小さな球状の配位子をリングの隙間にぴったりはめることで、リングの位置を固定してその運動を制限することが出来ます(図2b、左)。そしてH字状の分子を加えた場合は、2つのリングBの運動が一体化する一方でリングAは自在に動くという、カテナンにおける新しい運動状態を作り出すことに成功しました(図2b、右)。さらに、状態が異なる3つのカテナンにおいて、リングAとリングBの運動性に応じて異なる発光性を示すことを明らかにしました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
一番思い入れがあるのはカテナンの合成の部分です。最初はなかなか思うように反応が進行せず、カテナンの生成が全く確認できない状況が続きました。そこで分子設計を見直したりテンプレート合成に用いる配位子や金属イオンの組み合わせを変えたりと、試行錯誤の末にカテナンの合成へと辿り着きました。本研究で合成したカテナンが自分で設計した目的物を作り上げた初めての経験だったこともあり、カテナンの生成を確認できた時は非常に嬉しかったことを覚えています。これまでに誰も作ったことの無いものを自らの手で作ることが出来るという有機化学の面白さの一つを、身をもってしっかりと味わうことが出来て良かったです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
私にとって本研究が論文を一から全部書き上げる初めての経験であり、実験を重ねてデータを集める段階よりも、成果をまとめて論文のストーリーを組み立てる部分での苦労が印象に残っています。特にイントロの部分は先生方からの度重なるご指導を経て何とかシンプルな今の形になりました。最初は自分の言いたいことを何でもかんでも全て詰め込んだ上で完璧なイントロを書いてやろうと意気込んでいましたが、そうして書いた初版は先生方に一蹴されてしまい、学術論文として研究成果をまとめることの難しさを思い知らされました。ただ、実際に自分で論文を書くという経験やその中で頂いたアドバイスは、それまでの研究活動の中で得たものとは異なる形で自分の科学研究に対する視野を広げてくれたので、実験から論文を通すところまで全て自分の手で行えた経験は研究者として大きな財産になったと思います。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は4月から化学メーカーに勤務する予定です。これまではかなり基礎研究の色が濃いことをやってきましたが、今後は企業の人間としてこれまでよりも社会との距離が近い現場で化学に携わることになると思いますので、時代の最先端を支える製品開発に貢献できるよう精進したいと思います。その中でも化学の面白さは最大限楽しみたいので、これから未知の分野に携わることになってもその分野の面白さを見逃すことなくちゃんと味わえるように、勉強は続けていきたいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究は実験結果がなかなかまとまらず、論文執筆にも時間がかかってしまい悩ましい期間を長く過ごしました。そんな中、研究の話だけでなく気分転換にも付き合って頂いた研究室の方々には大変感謝しております。特に、何度も共に銭湯に行き雑談に付き合ってくれた後輩の石川君、気分転換の新しい趣味としてボルダリングを始めるきっかけを作ってくれた先輩の周さん、日々の実験の活力となったラーメン『千里眼』の旨さに目覚めさせてくれた先輩の稲森さん、そして常に刺激的な存在であり続けてくれた同期の宮岸君とラッセル君には特にお世話になりました。周りの人の有難みや気分転換の大切さを改めて痛感しました。
最後に、本テーマの礎を築き化学実験の手ほどきをして頂いた千葉さん、日々の研究生活を通じて私の化学に対する視野を広げて下さった正井さん、そして熱心なご指導や温かい励ましと共に私の研究活動を導いて下さった寺尾先生にこの場をお借りして深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:岡 勇気 (おか ゆうき)
所属:東京大学大学院 理学系研究科 化学専攻 有機電子材料化学研究室
略歴:
2018年3月 東京理科大学 理学部第一部 化学科 卒業
2020年3月 東京大学大学院 理学系研究科 化学専攻 博士前期課程修了
2020年4月~ 東京大学大学院 理学系研究科 化学専攻 博士後期課程
2020年4月~ 日本学術振興会特別研究員(DC1)