Tshozoです。少し前ですがまた興味深い研究成果が報告されましたのでご紹介します。
“Direct synthesis of cyanate anion from dinitrogen catalysed by molybdenum complexes bearing pincer-type ligand“
Takayuki Itabashi, Kazuya Arashiba, Akihito Egi, Hiromasa Tanaka, Keita Sugiyama, Shun Suginome, Shogo Kuriyama, Kazunari Yoshizawa and Yoshiaki Nishibayashi, Nature Communications volume 13, 6161, 2022, リンク
今回の論文はアンモニア…ではなく、イソシアネート系化合物の合成。これまで色々と紹介してきた窒素固定の仲間ではあるのですが、成果の意義がこれまでと少し異なる点に注意して書いていきたいと思います。以下、本論文と東大等から発表されている資料から図、文章など引用してご紹介します。
今回の論文概要
要旨を一言で申し上げますと「世界で初めて含窒素有機化合物を触媒的に合成!」となります。
東京大学プレスリリースより引用(リンク)
これだけ見るとシンプルだが著しい内容を含んでいる
まず今まで空気中の窒素に対し炭素やケイ素、その他様々な元素を含んだ合成は出来ております。著名な例としてはBraunschweig教授らによるホウ素を含んだ窒素固定ですとか、CNRSのMezaliles教授、理研の侯教授の成果などは有名ですね。しかし、残念ながらどれも量論的触媒反応。つまり反応に触媒を生成物と同レベル或いはそれ以上の量を放り込まなければならない反応であるというのが実情でした。
Braunschweig教授、Mezilles教授、侯教授の窒素固定を伴った有機物合成反応
どれもアイデア建て、合成難度が非常に高くいずれもトップジャーナルに掲載されたが
残念ながら全て量論反応に留まる(文献1,2,3)
しかし今回、本論文においてようやく炭素を含む化合物の合成において触媒的に反応させることができました。触媒性能を示すTON(TurnOver Number:触媒回転数 触媒1個が対象反応で何回触媒として作用したかを示す 大きいほど良い)はまだ低いものの、これまでの西林教授のアンモニア合成におけるTONの向上レベルの凄さは以前この記事で触れた通り。端緒を掴めたということはあとは性能を上げられることを示しており、その先駆けになる論文である、という印象を受けます。
具体的には下記のような反応サイクルを回転させることに成功したのですが、技術的なポイントは後述するとして歴史的にはどうなのか?という点から紐解いていくとします。
本件の関係資料を編集して引用
サイクルが分離していない点、生成物が複数でない点がポイント
本件の背景と詳細な前例研究
今回の成果は上記のとおり空気中の窒素と有機物を基質として用いた触媒的含炭素有機化合物合成の成功、ですが歴史経緯を振り返るともう少し違った面からの意義があるように思います。またこれまでの窒素固定に関する記事はアンモニアが大部分を占めていましたが、今回関係するのは少し異なる含窒素有機化合物(以下NCO–Nitrogen Contained Organic materialとします)。これが歴史的にどこから現れたか、という点です。無茶苦茶に遡るとそれこそ生物の起源まで至りそうなのですが、それは一番最後のお話に留めておき以下はヒトが関係した合成方法に焦点を絞ります。
で、ギリシャ時代のタレースとかまでに遡ったりした場合までの昔の学説は今振り返るとかなり無理があるので省略して、時代は一気に16世紀付近。この時代は色々教義的なものが発生していて、いわゆる「生気説」という、有機物は無機物からは発生しないとする説が唱えられていました。その中でかのベルセリウスの弟子であったドイツのヴェーラーが登場。彼がドイツ本国に戻り大学教授になって自身のラボを運営している中で当時無機化合物と認識されていたシアン化合物とアンモニウム化合物を色々こねくり回していた際に毎回白色結晶が得られることからこれを調べたところ、純粋な有機化合物である尿素が得られた、というのが科学上でのNCOの発端です(注:シアン化合物もソレじゃねーかという批判はごもっともですが今回は当時の観点での分類に押し込ませて頂きます)。
ヴェーラーが見つけた尿素までの合成経路の一例 (文献4)より引用
少し脱線しますがこの経緯において(文献4)にご本人ヴェーラーの当時の見解を示すベルセリウスへの手紙の一文が載っていて(以下引用
「…このように、尿素が人工的に得られたことは無機物から有機物がつくられることの一例にならないでしょうか。気になるのは,シアン酸(アンモニアも)を得るため常に出発物質として有機物を持たねばならないということです。自然哲学者は言うでしょう。獣炭でも,またそれからつくられるシアン化合物でも,それらにはまだ有機性(das Organische)が消滅しつくしていないので,それらの物質から再び有機物ができても不思議ではないと…」
確かに無機物っぽい材料から尿素という純然たる有機物が取り出せた注目すべき事実ではあったのですが、当の本人はこの成果に対する解釈を上記のようにかなり慎重に行っており、無自覚にか経験的にか、この原料自体が有機無機複合材(今でいう錯体?)に近い材料なのではと見抜いていたフシがありますね。
で、この結果を皮切りに今では挙げるのも億劫になるくらい当時の観点での無機化合物から含窒素有機化合物は合成できている例がありますがここらへんの詳細は略。その後様々な検証が進み、今では下図のようにまとめることが出来ると思います。
かなり乱暴なまとめ方ですのでご注意ください(経路の左右の出入りは省略してあります)
ヴェーラーの合成法はどこに入るか難しいところですが、当時の塩化アンモニウムが
天然生成であった可能性が高いため一番左側の「非触媒的」のところだと思われます
その中で上図右側の点線部、空気中の窒素から直接炭素を含むようなNCOに変換され得ないのか、という観点から本件検討が始まったのですが、正確な意味での触媒反応やワンポットでの合成系としてはなかなか実現しませんでした(上図の赤線点線部)。
ただ、ステップバイステップや、無機化合物を利用したものであれば、今回の系にかなり近いものが無かったわけではありません。たとえば少し古いですが干鯛眞信元東京大学教授、清野秀岳秋田大学教授(リンク)らによるこの合成方法(文献5)。
ジメトキシテトラヒドロフランを基材としてピロール環に至る合成方法 図は(文献6)より引用
ヘテロ環合成法の一種だが詳細はやぶ氏のこちらの記事を参照
これは確かにアウトプットであるピロールが窒素と炭素を含んでおり、ワンポットでないですが見方によっては触媒的であると言えます。そのほか、ドイツ ゲッチンゲン大学のSven Schneider教授(リンク)による下記の合成。
アセトニトリルを部分的触媒合成した例 (文献7)
わざわざトリメチルシリル基を入れないと回るように出来ない点が困難さを物語る
特に一番下のところはちょっと強引か
塩化ベンゾイルを基質に3種類の有機物を合成した例(文献7)
基質の選択、触媒系は今回のものと似ているが合成物が混合物で、制御出来ているとはいいがたい
加えて電解合成と光化学反応を経由しており、触媒的と言うには正直ややムリがある
これらのように回っていた「ような」例はなかったわけではない。ですが、綺麗な円を描き1ポットで回る系は未だかつて存在していなかった、というのが本論文の背景になります。その技術的な難易度がどこにあったのかも含めて、本論文の詳細に入っていくことにします。
論文の内容詳細
ということで論文詳細。まず反応全体をもう一度眺めてみることにします。
上で示した図 再掲
これを見るに、Schneider教授の系が完全な円環に至らなかったのに対する相違点として、2点重要なポイントがあるように思います。一つは触媒安定性、そしてもう一つはカーボンが関係する反応における求電子材の選択です。
まず前者の触媒安定性。今回の触媒は西林研究室で磨き上げられてきたピンサー型窒素固定触媒の流れを汲むもので、特にアンモニア合成において中心金属に側面から配位する分子の構成を変えて中心金属が取り得る酸化数範囲を制御することで窒素架橋二核錯体を経由しつつ触媒反応を実現することに成功した、という重要な実績があります。この特定の酸化数範囲を取れる、ということは反応中の触媒の構造的・化学的安定性の幅を示しているわけで、円環の完成度を上げるにはこれがまず大事。
同研究室の窒素固定主要触媒の変遷 以前の記事から引用
第5世代の触媒はこちらの記事を参照のこと
で、今回触媒中の電子供与部の分子構造は第4世代のピリジン系構成と、第5世代のカルベン系構成のものを使っています。4世代以降の構成で既にTON数800以上をカウントしていた状況(論文リンク)であったため、窒素固定触媒活性としては十分高い性能を示しておりその安定性は十分に実証されていたのでここを出発点としたのでしょう。
ただ、同研究室のパイプライン構成から本検討も2018年前後から開始したであろうことを考えると、触媒の基本骨格がほぼ固まっていた時点からであるのに、今回の結果の実現には3年以上かかっており難儀があったと思われます。その難儀を推定するに、触媒上の窒素を炭素に当てる部分の疑似求核置換的な反応がそもそも回るのか、また円環を回らせるための副反応が恐ろしく多い点をどうクリアするのか、という2点ではないでしょうか。
反応比較 アンモニアではPCET(プロトン共役型電子移動)で高速1電子還元が進むのに対し、
今回は触媒上の窒素が炭素に電子を与える求核反応が最初になり、まるで勝手が異なる
しかも求核置換反応と違い、電子を引っ張るXが触媒金属に当たらないと進まない点も難儀
特に中心部の窒素がめでたく炭素と結合しても円環を完成するためには還元剤が存在せざるを得ず、その過程で触媒だけが副反応を避け運よく還元されるとは思えない。となると触媒と反応基質のガードを上げる=立体障害を上げなければならないが、そうすると進めたい反応が進まない、というトレードオフがあると推定されます。
なお何故トリメチルシリル基が中心金属近くの窒素へ関わる系ではそれなりに触媒反応が回っていたのか、という点も(1990年代からもかなりの例が存在)理由を推測できそうです。つまり、N-Si結合距離は一般に1.79Åと長く(注:気体中の数値・液体中では異なる可能性あり)最大で~2.01Åとかなり範囲を取り得る。これに対し標準的なN-C結合距離が1.45Å前後で短いうえにほとんど余裕範囲が無い。つまりSi-N結合が長く距離が離れていても反応し得ることが、上記の副反応と立体障害のトレードオフを運よく乗り越えていたのではないでしょうか。
これに対しN-C結合の場合、距離もキッチリ詰めなければ反応しない、となると中心金属やCの周りに余計な分子は置けない、となるとどういうバランスの分子が適用されるべきの設計が非常に難しかったものと推定されます。繰り返しになりますが、こうした反応を組み立てられたのも、電子数が大きく変動する触媒の安定性の実現に一日の長があったことが今回の成果の土台となったものと推定されます。
上記のような困難を乗り越え実現できた円環のイメージ 本論文より引用
しかしパっと見、2~4aとかめちゃくちゃ不安定な印象を受ける(O-PhがSmI2に還元される部分など)のですが、ここで理論計算上ポイントとされるのはNとCが共有結合性の高い状態を取れるかではなく、N-Mo間がπ結合に近くなって安定化することで、Ph-Oがイオン性を増すかどうかによる、という計算結果も添えられています。専門外ということもありここの理解がやや甘いのでこの点ご指摘頂ければありがたいです…
N-Moの結合状態がπ結合性を帯びることでdoublet→quartetへの移行がスムーズになり、
PhOがイオン性を帯び触媒から離脱しやすくなることで反応が進行すると推定されている
ということで数々の難関を乗り越え触媒反応化に成功した本成果、いかがでしたでしょうか。長年なかなか実現出来なかった反応が成立した、という以外にもいろいろと意義を持つ中身ではないかなと思う次第です。
おわりに
その昔、故 溝部先生にヒアリングした際に頂いた「アンモニアは安い天然ガスから大量に出来るからとても敵わない(筆者注:当時)、しかしヒドラジンや炭素を含むNCOが空気から直接合成できるとしたら勝負できる」というコメントがずっと頭に残っておりました。当時も、世情が混乱してきている今でも普遍性を持つ重要なご指摘であったと思います(同じご意見がメーカーさんの見解として(文献6)に記載されていました)。今回の論文は正にこの点で低コストな合成ルートを開拓し得た、という面が第一の意義であるでしょう。
で、筆者が思うにこれに加えて今回の成果は触媒による連続性の実現、という意義もあるのではないかと考えております。
何を言っているかというと、たとえば今ではすっかり一般的な言葉となったPCR、ポリメラーゼ連鎖反応。界隈で変人と言われたキャリー・マリス博士(リンク)による、生命工学と実生活を繋いだ偉大な発明ですが、これは以前書いたようにDNAのコード(暗号)を複製するためにプライマー(初期変数)をきめ、そこに高温耐性DNAポリメラーゼ(演算子)とDNAソース(素数ともいうべきもの・実際にはdNTPsの入った溶液)を放り込んで高速でDNAコードを複製し倍化を繰り返すことでDNA(ウイルスの場合はRNAです)の量を指数関数的に増加させるという、何の因果かたまたま情報工学にも知見があったマリス博士の発案に基づいた手法です。この結果DNAの検出精度やその材料としての利用の幅を大きく増やすことが出来、生命工学の可能性を比類ないレベルで広げることになりました。もちろんこの発明の土台にはサンガー法によるプライマー、DNA培養溶液の発明や周辺技術の熟成がありますが、根っこのアイデアは高温で高速に触媒的にDNAをつないでいく高温耐性DNAポリメラーゼ、つまり反応酵素触媒に支えられたものでした。
別の記事を調べる関係で知ったDNAポリメラーゼの反応機構(英語版Wikiより引用)
こんな反応をプログラムしこんな酵素を作ったのは
仏様くらいしかおらんのではないかと思わせるほど神秘的
触媒反応というのはPCRの例を持ち出すまでもなく、言うなれば単純な反応を上記のように動的に、生命的に変え得るという側面も持っているわけです。つまり今回開発された本触媒の性能が上がっていけば、これを用いて空気中のN2を主原料としたより高次の窒素化合物合成の実現、最終的には中分子・高分子合成反応の実現、という夢も描けるわけではないでしょうか。後者のラジカル反応に基づいた高分子合成は既にCuCl(TMEDA)を利用した例やCO2を取り込んだ高分子合成は東京大学の野崎研究室などで実施されていますけれども、生合成のレベルでの低温で高速に、というのはまだ例が少なくハードルが高いものである印象を受けます。そこに隠れたニーズや新しいフロンティアが存在しているような気がしてならないのですが…現段階ではまだまだ難しいのは認識していますが。
そもそも生物は自分たちで窒素化合物~高分子を常温常圧で反応・合成しているわけであり、今後の現代化学が目指す方向が、人類にとっての筋肉増強剤(アナボリックステロイド)=石油から可能な限り離れる方向、つまり脱炭素/脱エネルギーの方向だとすると、生化学分子が人工触媒によって高速に合成し得る、くらいの夢は描いてもいいじゃないですか、と一介の物書きとして思う次第です。現時点で藤子不二雄さんが「ドラえもん」の中で描かれた夢は結構な数が叶っているのですから。筆者が一番欲しい「どくさいスイッチ」はまだ実現してませんけど。
いずれにせよ、今回の成果を発表された西林研究室の方々はもちろん、本分野で関係される方々の引き続きのご活躍を改めて祈念して、今回はこんなところで。
参考文献
1. “Nitrogen fixation and reduction at boron”, Science 23 Feb 2018: Vol. 359, Issue 6378, pp. 896-900 リンク
2. “Conversion of Dinitrogen into Nitrile: Cross-Metathesis of N2-Derived Molybdenum Nitride with Alkynes”, Angewandte Chemie Volume60, Issue22 May 25, 2021 Pages 12242-12247, リンク
3. “Dinitrogen Cleavage and Functionalization with Carbon Dioxide in a Dititanium Dihydride Framework”, J. Am. Chem. Soc. 2022, 144, 15, 6972–6980, リンク
4. “7. 尿素の合成と生気論 : ヴェーラーの尿素合成は生気論を打ち破ったか(化学史・常識のウソ)”, 化学と教育 1987 年 35 巻 4 号 p. 332-336, リンク
5. “Synthesis and Reactivities of Pyrrolylimido Complexes of Molybdenum and Tungsten: Formation of Pyrrole and N-Aminopyrrole from Molecular Nitrogen”, J. Am. Chem. Soc. 1995, 117, 49, 12181–12193, リンク
6. “金属酵素活性部位をモデルとした高活性金属クラスター触媒の創製”, 溝部裕司, 2004 年 56 巻 5 号 p. 383-395, 生産研究, 2004年, リンク
7. “Nitrogen Fixation via Splitting into Nitrido Complexes”, Chem. Rev. 2021, 121, 11, 6522–6587, リンク