第464回のスポットライトリサーチは、熊本大学 大学院自然科学教育部 理学専攻 化学コース 上田研究室に在籍されていた末棟 太朗(すえむね たろう)さんにお願いしました。
上田研究室では、特異な現象・機能を示す新しい固体有機物質の開発を目指して研究を行っています。これまでに、分子の設計性・構造多様性を上手に活用することで、従来にはない集合構造を有する固体有機物質を開発することに成功しており、従来の固体有機物質にはない水素結合を利用した電気伝導性を制御・スイッチの発現を初めて見いだしました。
本プレスリリースの研究内容は、高伝導性の有機物についてです。有機物は一般的に電気を流さない絶縁体ですが、2000年のノーベル化学賞に選ばれた導電性高分子などが開発され、導電性の有機材料については基礎学術研究はもとより、応用展開・実用化も日進月歩で進んでいます。これまでの研究から、このような高伝導性の有機物を得るための鍵として、「部分酸化状態」の形成が重要であることが知られています。この「部分酸化状態」は、電子供与性の分子と電子受容性の分子を組み合わせて作るイオン性の化合物においてのみ達成されており、部分酸化型有機物質を開発するためには、二種類以上の分子を組み合わせることが必要不可欠であると長年信じられていました。このような背景のもと、本研究グループは、独自の分子設計によりこの常識を覆し、「部分酸化状態」を単一の純有機中性分子で創り出すことに世界で初めて成功しました。そして、この中性分子結晶が、従来のイオン性化合物とは質的に異なる分子集合構造・相互作用を形成し、電気伝導性/磁性の特異な多段階変化現象・相転移挙動を示すことを発見しました。
この研究成果は、「Journal of the American Chemical Society」誌に掲載されプレスリリースにて成果の概要が公開されています。
Taro Suemune, Keita Sonoda, Shuichi Suzuki, Hiroyasu Sato, Tetsuro Kusamoto, and Akira Ueda*
J. Am. Chem. Soc. 2022, 144, 48, 21980–21991
DOI: doi.org/10.1021/jacs.2c08813
研究室を主宰されている上田顕 准教授より、末棟さんについてコメントを頂戴いたしました!
末棟君は、私が熊本大学に着任し、新たに研究室を立ち上げた際に、新4年生として加わってくれた第一期メンバーの一人です。新任教員の研究室を志望するのは少し勇気のいることだと思いますが、なんと末棟君たちは私の顔や姿を直接見ることなく「上田研志望」と決めたなかなかの強者(?)です。というのも、私の着任が3月だったため、翌4月の研究室配属のための研究室紹介(2月)を私自身で行うことができず、彼らは、別の先生に代理で話してしていただいた「上田研紹介」の情報だけで私の研究室に飛び込んできてくれました。中でも末棟君は、着任後、まだ段ボールだらけの私の居室に真っ先に挨拶に来てくれて、物静かな口調の中に研究に対する熱い情熱を感じたのを覚えています。
そんな末棟君は、私の「こんな分子の結晶ができたらすごいと思わない?JACS狙えるよ!」という半ば根拠のない励ましを基に3年間とても良く頑張ってくれました。特に、修士2年の後半は固体物理の教科書や論文を読み漁り、この新物質の電子構造・物性の特異性・新規性を見事に明らかにしてくれました。彼のこの頑張りによって後輩たちも刺激を受け、今研究室には非常に良い流れが来ている気がしています。末棟君の今後の益々のご活躍を心より期待しております!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
中性の分子が酸化される(電子を失う)と、その価数は0価から+1価へと変化しますが、ある種の固体中では、0価と+1価の間の中途半端な状態で存在することがあります。この特異な酸化状態は「部分酸化状態」と呼ばれ、この状態を有する分子性固体において、金属的電気伝導性や超伝導性をはじめとした様々な新現象・新機能が見いだされています。そのため、部分酸化型の分子性固体の開発研究は、固体化学・物理学を中心とした機能性物質科学の最前線として長年注目されています。
このような背景のもと、本研究では、従来にない新しいタイプの部分酸化型分子性結晶の開発に成功しました。すなわち、従来の部分酸化型分子性結晶は、図1aに示す系のように、カチオン分子とアニオン分子を組み合わせた二成分系である(この物質の場合は、カチオン分子が+0.5価の部分酸化状態)のに対し、本研究では図1bに示すように、これらの分子を共有結合で結び付け、双性イオンラジカルとすることで、単一の純有機中性分子で部分酸化状態を実現することに初めて成功しました。
従来型物質とは異なり、この新物質にはアニオン分子が存在しないため、図2aに示すように、「部分酸化型」分子同士の三次元的な近接・集合化が可能となりました。さらに、この分子内に部分酸化骨格が2個存在するため、図2bに示すような分子内の電荷自由度も新たに生み出すことができました。つまりこの系は、従来の系とは質的に異なる電子構造・電子間相互作用を有しており、電気・磁気測定から、これらに起因した特異な電子特性変化・相転移挙動(図2b-d)を発見することに成功しました。
部分酸化型の有機物質として、BEDT-TTF塩(図1a)やTTF-TCNQ錯体などの電荷移動錯体/塩が有名ですが、今回開発に成功した双性イオンラジカル型純有機中性分子固体がその新たな物質系として今後発展することを期待しています。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
目的分子の合成・結晶化はもちろんのことですが、より思い入れがあるところは、構造物性相関・相転移メカニズムの解明です。結晶作製後、物性測定を進めていくと、図2cに示したように、温度が下がるにつれて、電気抵抗率が一旦減少し、再び増加する不思議な振る舞いを発見しました。さらに不思議なことに、結晶構造を調べてみると、この2度の物性変化に対して、構造変化(相転移)は1度しか起こっておりませんでした。この謎を解くために、有機伝導体の論文や固体物理の教科書をいろいろと調べつつ、結晶構造の詳細な調査ならびにバンド計算を行ったところ、図2aに示したように分子「内」と「間」の電子的相互作用が連動したこの系ならではの相転移/クロスオーバー現象が起こっているのでは、という結論を得ることができました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
実は、この物質の単結晶を得るところまではトントン拍子で進み、研究開始から2,3か月後にはX線構造解析で確かにこの分子ができていることが分かりました。しかしそこからが苦労の連続でした。この結晶は、前駆体分子を電気化学的に酸化することで得られるのですが、物性測定(電気抵抗率測定)に適した良質な単結晶を再現良く得ることがなかなかうまく行かず、どの結晶の測定結果がこの物質の真の物性を表しているのか、結論が出せず頭を悩ます日々が1年以上続きました。研究室の一年後輩であり本論文の共著者でもある園田君とともに、50種を超える結晶化条件を考案・検討した結果、良質な結晶を得るための鍵を見いだすことに成功し、これで間違いない、と思える物性測定結果を得ることができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は現在、電子材料を開発・製造している会社に勤めています。現在の勤務内容は、大学での研究テーマと直接関連するものではありませんが、大学で学んだ化学の力はその基礎としてさまざまな場面・状況において大いに役立っています。特に、化学の知見に基づいて説明・予測したり、物事をミクロな視点から(根本から)考え、それが本当に正しいのか検討・追究したりすることは、会社における問題・課題の解決においても非常に重要であると感じます。大学で学んだ化学の楽しさや好奇心を大切にして、さらに勉強し、化学的な知識・思考力を養っていきたいと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
私自身、大学・大学院で世界の最前線に立ち最新の化学の研究ができたことは、貴重であり、特別な体験でした。研究を行う中で、泥臭かったり辛かったりすることもありましたが、化学的なおもしろさ、新しい物事を発見するうれしさに触れる機会も多くありました。そのような良い面に目を向けること・未来に期待を膨らませることは、研究を楽しく進める上で重要になると思います。最後に、本研究でご指導いただいた上田先生、共著者の先生方、研究室の皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。また、このような研究紹介の機会を与えてくださいましたChem-Stationの皆様にも感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:末棟 太朗(すえむね たろう)
所属(当時):熊本大学 大学院自然科学教育部 理学専攻 化学コース 上田研究室 博士前期課程2年
研究テーマ(当時):部分酸化型TTF骨格を有する純有機中性ラジカル伝導体の開発と強相関電子現象・物性の開拓
略歴:
2020年3月 熊本大学 理学部理学科 卒業
2022年3月 熊本大学 大学院自然科学教育部 理学専攻 博士前期課程 修了
2022年4月~ 化学メーカー勤務