ケイ素錯体がルイス酸/塩基に応答して原子価互変異性を示す例が初めて報告された。遷移金属触媒の代替や配位子への応用が期待される。
ケイ素の原子価互変異性
原子価互変異性とは、外部刺激に応答する中心元素/配位子間での分子内電子移動により、中心元素の価数が変化する現象である(図1A)[1]。この現象は、電子デバイスなどの機能性材料への応用が期待されている。遷移金属元素でよく知られている一方で、典型元素における原子価互変異性は報告例が少ない[1]。中でも低原子価のケイ素における原子価互変異性は、最近2例報告されたのみである。最初の報告は2020年Driessらの報告であり、ビス(シリレニル)-ortho-カルボラン配位子を有する単原子0価ケイ素錯体が還元により原子価互変異性を示した(図1B)[2]。2例目は、2021年に岩本らによって報告された環状(アルキル)(アミノ)シリレンを配位子として用いた単原子0価ケイ素錯体である(図1C)[3]。この錯体は固相と液相によって2つの電子状態が可逆的に切り替わる。このように、原子価互変異性を示すケイ素の化学は未だ開拓されたばかりである。
今回カールスルーエ工科大学のRoeskyらは、2012年にSoらにより報告されたI価およびIII価の異なる価数をもつ2つのケイ素が結合したモノシリレン1に着目した(図1D)[4]。著者らは、モノシリレン1がルイス酸/塩基に応答して原子価互変異性を示すことを見いだした。
“Stimuli Responsive Silylene: Electromerism Induced Reversible Switching between Mono- and Bis-silylene”
Yadav, R.; Sun, X.; Köppe, R.; Gamer, M. T.; Weigend, F.; Roesky, P. W. Angew. Chem., Int. Ed. 2022, e202211115. DOI: 10.1002/anie.202211115
論文著者の紹介
研究者: Peter W. Roesky
研究者の経歴:
1992–1994 Ph.D., Technical University of Munich, Germany (Prof. W. A. Herrmann)
1995–1996 Postdoc, Northwestern University, USA (Prof. T. J. Marks)
1996–1999 Habilitation, University of Karlsruhe, Germany (Prof. Dr. D. Fenske)
1999–2001 Privatdozent, University of Karlsruhe, Germany
2001–2008 Professor of Inorganic Chemistry, Free University of Berlin, Germany
2008– Professor of Inorganic Chemistry, University of Karlsruhe (currently Karlsruhe Institute for Technology), Germany
研究内容: ランタノイド、金、亜鉛、アルカリ土類金属などの錯体の性質解明と触媒への応用
論文の概要
Soらの報告において副生成物として確認された1を、著者らは{[PhC(NtBu)2]SiCl} (3)と[DippN(H)Li] (4)の反応から収率90%で得た(図2A左)。合成したモノシリレン1にルイス酸であるCuMesを添加すると、ビスシリレン-銅錯体2が生成した。一方、ビスシリレン2はルイス塩基としてカルベン5を反応させるとモノシリレン1に戻った。1および2におけるケイ素の原子価はそれぞれI価とIII価およびII価であるため、これらはルイス酸/塩基に応答して原子価互変異性を示すことが示唆された。
実際に原子価互変異性化しているか確認するために、それぞれの化学種におけるケイ素の価数を調査した(図2A右)。29Si{1H} NMRスペクトルでは、1は2本のピークが31.8, –61.7 ppmに観測された。このピークは、理論計算からそれぞれI価およびIII価と帰属された。一方で、2は–9.7 ppmに単一のピークが現れ、1種類のケイ素原子のみ存在していた。また、X線結晶構造解析でビスシリレン2のSi–Cu結合長が既存のシリレン(II)–Cu(I)錯体のSi–Cu結合長とよい一致を示したことからも、2のケイ素はII価であると確かめられた [5]。以上の解析結果から、1と2の間でケイ素の価数はI価とIII価からII価へと変化しており、ルイス酸/塩基の添加により原子価互変異性が起こっていると結論づけられた。
本研究の進行中に、Driessらによりアミン上にフェニル基をもつ類縁体ビスシリレン6’が報告された[6]。そこでDFT計算により、原子価互変異性体間のギブスエネルギーに対するアミン上の置換基の影響が調べられた(図2B左)。かさ高いDipp基をもつ場合、ビスシリレン6がモノシリレン1よりも9 kJ/mol不安定であるのに対し、フェニル基の場合、6’が1’よりも53 kJ/mol安定である。6が1よりも不安定なのは、Dipp基とアミジナート配位子上のtBu基との立体障害によると考えられる(図2B右)。つまり、1と2(6)が可逆的な原子価互変異性を示すには、アミン上の置換基のかさ高さが重要である。
以上、ルイス酸/塩基による低原子価ケイ素の可逆的原子価互変異性が初めて報告された。金属を使わない刺激応答性デバイスや、系中で自在に活性を調節できるシリレン配位子などへの応用が有望視される。
参考文献
- Greb, L. Valence Tautomerism of p-Block Element Compounds – An Eligible Phenomenon for Main Group Catalysis? Eur. J. Inorg. Chem. 2022, e202100871. DOI: 10.1002/ejic.202100871
- Yao, S.; Kostenko, A.; Xiong, Y.; Ruzicka, A.; Driess, M. Redox Noninnocent Monoatomic Silicon(0) Complex (“Silylone”): Its One-Electron-Reduction Induces an Intramolecular One-Electron-Oxidation of Silicon(0) to Silicon(I). J. Am. Chem. Soc. 2020, 142, 12608–12612. DOI: 10.1021/jacs.0c06238
- Koike, T.; Nukazawa, T.; Iwamoto, T. Conformationally Switchable Silylone: Electron Redistribution Accompanied by Ligand Reorientation around a Monatomic Silicon. J. Am. Chem. Soc. 2021, 143, 14332–14341. DOI: 10.1021/jacs.1c06654
- Zhang, S.-H.; Xi, H.-W.; Lim, K. H.; Meng, Q.; Huang, M.-B.; So, C.-W. Synthesis and Characterization of a Singlet Delocalized 2,4-Diimino-1,3-disilacyclobutanediyl and a Silylenylsilaimine. Chem. Eur. J. 2012, 18, 4258–4263. DOI: 10.1002/chem.201103351
- Paesch, A. N.; Kreyenschmidt, A.-K.; Herbst-Irmer, R.; Stalke, D. Side-Arm Functionalized Silylene Copper(I) Complexes in Catalysis. Inorg. Chem. 2019, 58, 7000–7009. DOI: 10.1021/acs.inorgchem.9b00629
- Xiong, Y.; Dong, S.; Yao, S.; Dai, C.; Zhu, J.; Kemper, S. Driess, M. An Isolable 2,5-Disila-3,4-diphosphapyrrole and a Conjugated Si=P−Si=P−Si=N Chain through Degradation of White Phosphorus with a N,N-Bis(silylenyl)aniline. Angew. Chem., Int. Ed. 2022, e202209250. DOI: 10.1002/anie.202209250