第458回のスポットライトリサーチは、九州大学生体防御医学研究所 馬場研究室の中谷 航太(なかたに こうた)博士にお願いしました。
馬場研では、細胞内の代謝情報を高精度に観測するために、クロマトグラフと質量分析計を駆使した高感度かつ定量的なメタボローム分析手法を開発しています。さらに、開発した分析手法を用いて疾患と代謝の関連性について基礎から応用までの幅広い研究を展開するとともに、他のオミクスとの統合解析を目指しています。
本プレスリリースの研究成果は、代謝物の分析⼿法についてです。代謝物には⾷事から摂取した成分や、それらを基にして体の中で⽣合成される成分があり、疾患があると特定の成分が過剰産⽣されたり、あるいは枯渇状態になったりする様⼦が頻繁にみられます。そのため、代謝バランスの詳細かつ継続的なモニタリングは、疾患の早期診断や新規治療戦略への活⽤が期待されています。しかしながら、数千にも及ぶ代謝物の全体像であるメタボロームを⼀度の分析で⼀⻫計測することは極めて難しく、これまでは複数のプラットフォームを⽤いた複数の分析⽅法を組み合わせる煩雑な⽅法が実施されていました。本研究グループでは、代謝物が電荷的に陰イオン性とそれ以外 (陽イオン性、両イオン性、⾮荷電)いう 2 つのグループに分類できることに着⽬し、1-3 級アミン及び 4 級アンモニウムカチオンを固定相として有する独⾃の分離カラムを⽤いた分離⼿法を検討しました。
この研究成果は、「Analytical Chemistry」誌に掲載され、プレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Kohta Nakatani, Yoshihiro Izumi, Masatomo Takahashi, and Takeshi Bamba
Anal. Chem. 2022, 94, 48, 16877–16886
研究室を主宰している馬場 健史 教授より中谷博士についてコメントを頂戴いたしました!
中谷さんは,私が大阪大学で准教授を務めていた際に研究室の修士課程の学生でした.私が九州大学に異動になった時いっしょに研究を続けることを選んでくれました.中谷さんは,分析技術の開発に熱意と愛情を持って取り組んでいて,みんなが認める本物の「分析屋」です.また,研究以外でも,研究室間交流のイベントを企画したり,学会の若手会をマネージメントしたりと,ムードメーカーとして頑張ってくれています.今後さらなる発展が期待される若手の有望株です.
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
今回のプレスリリースは液体クロマトグラフィー質量分析 (LC/MS) によるメタボローム解析の新しい分析手法についての報告です.本研究では,代謝物が電荷的に陽イオン性,非荷電,両イオン性,陰イオン性という4つのグループに分類できることに着目しました.そこで,1-3級アミン及び4級アンモニウムカチオンを固定相として有する独自の分離カラムを用いた分離手法を検討しました.詳細な条件の検討の結果,陰イオン性の代謝物を正に帯電した固定相に吸着させながら,それ以外の陽イオン性,両イオン性,非荷電の代謝物を極性の違いを利用して分離分析する親水性相互作用クロマトグラフィー (HILIC) を分析前半にまず行い,次いでシームレスに,固定相に吸着させておいた陰イオン性の代謝物をイオン強度の違いを利用して分離分析する陰イオン交換クロマトグラフィー (AEX)を分析後半に行うというユニークな分離手法の開発に成功しました.開発した分離検出手法をunified-HILIC/AEX/MSと命名し,メタボローム解析における分析性能を従来法と比較したところ,精度と代謝物情報量といった点で,本手法はこれまで世界で頻用されてきた測定法を凌駕する性能を示すことが確認されました.
用語注記
■親水性相互作用クロマトグラフィー (Hydrophilic interaction chromatography, HILIC)
液体クロマトグラフィーにおいて,相互作用の種類によって分離モードの呼称が異なる.親水性相互作用を利用して化合物を分離する方法を親水性相互作用クロマトグラフィー (Hydrophilic interaction chromatography, HILIC) と呼ぶ.
■陰イオン交換クロマトグラフィー (Anion exchange chromatography, AEX)
液体クロマトグラフィーのうち,相互作用がイオン性相互作用によるものをイオンクロマトグラフィーと呼ぶ.特に,陰イオンが分析対象の場合は,陰イオン交換クロマトグラフィー (Anion exchange chromatography, AEX) と呼ぶ.
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究テーマは博士課程で行った研究の一つです.当時,ボスより「メタボローム解析の第一選択になるような分析法を開発せよ」との命を受けていました.しかし,命を受けたのはただの凡庸な学生.ここ20年弱の期間,ほとんど進歩していない技術をどうやって進めたらいいんだとしばらく途方に暮れていました.そんな中,ある学会出張がありました.早朝の電車移動では,混雑の中で苦労して満員電車で空港まで行きました.一方,空港での飛行機の搭乗では後方窓側のGroup1から始まり,Group4の前方通路側まで整然と順番に案内されました.この時の人混みに代謝物が混ざっている様子を連想し,メタボロームという代謝物の混合物もGroupごとに順番に測定すれば良いのでは?との考えに至りました.この着想が,陽イオン⇒非荷電分子⇒両性イオン⇒陰イオンというHILICとAEXによる連続段階的な分離分析法,unified-HILIC/AEX/MS法の開発に活きています. このような経緯もあり,メタボロームを順々に測定するという戦略そのものに思い入れがあります.以降,日常の体験をサイエンスに活かすことで面白い研究ができるのかもしれないとの思いで毎日を過ごしています.
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
メタボローム分析の第一選択肢になるような分析法を開発するのがテーマでしたが,第一選択を開発するには,まず現状の第一選択を知る必要がありました.しかしながら,これまで分析方法の客観的な比較指標はなく,再利用可能なデータもありませんでした.そこで,今までメタボローム解析に使用されてきた分析方法を片端から試していきました.分析方法でいうと50種を超え,目視したデータ数 (クロマトグラム) では1万を超えていたと思います.そうした経験の中で徐々に測定結果が予想できるようになり,今まで単なる結果でしかなかった現象に仮説的な解釈がつけられるようになりました.それからの実験は仮説検証という楽しみに変わりました.そして,試行錯誤の結果,先生方も認めてくださる分析方法の評価指標ができ,現状の第一選択法をできる限り客観的な形で把握することができました.膨大なデータを目でみる作業の中に楽しさを見つけられた点が難しさを乗り越えることに繋がったと思います.なお,この段階は開発のスタート地点でしかないのですが,残りの開発はQ2の着想とうまくマッチしたこともあり,それほど難しくは感じませんでした.芸はないですが,楽しさを見つけることが鍵なのだと思います.
あと,あまりフォーカスされることはありませんが,1000種近くの標準品を調製する作業は大変辛かったです.希釈という作業量倍化機構も相まって,先輩には希釈奴隷と呼ばれることもありました.こちらは根性乗り越えましたが,奴隷にまで例えられると楽しくなっていた気もします.
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
化学は材料デザインの基礎であると今回実感しました.本研究においては,LCカラムの粒子の合成に関わっています.メタボロミクスでは工学,生化学をはじめ,生命科学全般の知識が必要になりますが,さらに化学の視点を取り入れることで技術革新が生まれるものと信じます.これからも必要な知識であれば厭わず勉強し,他分野融合の反応場に自分がなれたら良いなと思います.
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
私は博士取得後,引き続き大学で研究を続けています.大学での研究は不安や焦りとの闘いです.短期間での成果を求められ続けます.止まれば死ぬマグロのようなもの.その環境にあって,私はこれまで一人で頑張って来ることができた訳ではなく,同じ志の仲間から刺激を受け,励まされて今があります.いつも仲間を探していますので,どこかでご縁がありましたら是非よろしくお願いいたします.学会でもお声かけいただけましたら嬉しいです.駄文をお読みいただきありがとうございました.
最後に,本研究を遂行するに当たり,多数のご指導,ご助言を頂き,常に激励し,様々なものに挑戦する機会を頂いた馬場健史教授,和泉自泰准教授に厚く御礼申し上げます.
研究者の略歴
名前:中谷航太(なかたに こうた)
所属:九州大学生体防御医学研究所
研究テーマ:
高深度オミクス解析法の開発:
①分析方法の開発(親水性代謝物,脂質,ステロイド,胆汁酸,エイコサノイド,ドコサノイドなど)
②前処理法の開発
③分析法の高感度化
※深度は分析カバレージと分析感度を指します