第448回のスポットライトリサーチは、東京工業大学 工学院 機械系 機械コース 村上陽一研究室の長 勇毅(ちょう ゆうき)さんにお願いしました。
村上研究室では、環境・エネルギー技術の創出に関連した新材料開発,システム設計,基礎科学の追究に取り組んでいます。具体的にはフォトン・アップコンバージョン,フロー熱電発電に加え,革新的なCO2の吸収材と分離システムの開発,全固体電池素材の創出を追求しています。
本プレスリリースの研究成果は、熱エネルギーを電力に変換する熱電変換についてです。従来、熱電変換には固体素子を用いるアプローチが検討されていますが、世の中に多く存在する200 ℃以下の排熱・廃熱には適用が難しい側面があります。また、熱電素子は通常剛体板のため、さまざまな表面形状をもつ熱源に適用しづらいという側面もあります。そこで、酸化還元対(酸化種と還元種のペア)を溶媒に溶かした電解液を用いる熱化学電池の熱電変換が近年急速に注目を集めています。この熱化学電池の発電量は「ゼーベック係数α」と「電解液の導電率L」に関連していますが、これらの値を決めている根本因子は未確立で、値に対する説明規範と予測性を確立する必要がありました。そこで本研究グループでは、溶液化学分野で蓄積されてきた知見が、熱化学電池研究が抱える上記問題の解決に有用であることに気付き、性能支配因子について根本的な理解と洞察を構築し、その性能予測設計への道を拓くことに成功しました。
この研究成果は、「Physical Chemistry Chemical Physics」誌に掲載され、プレスリリースにも成果の概要が公開されています。
Yuki Cho, Shinya Nagatsuka, and Yoichi Murakami
Phys. Chem. Chem. Phys., 2022,24, 21396-21405
DOI: doi.org/10.1039/D2CP02985E
研究室を主宰されている村上 陽一教授より長さんについてコメントを頂戴いたしました!
長君は機械系の学生さんで,2020年4月に学部4年で来てくれました.エネルギー利用に興味があり,卒論研究と修論研究では,当研究室で創出したフロー熱電発電の元である熱電気化学発電(熱化学電池)の根本メカニズム解明の研究に取り組んで頂きました.輸送論を基盤とする機械・熱流体系の文脈は残しつつ,根底で現象を支配する物理化学に究明の深掘りを行い,今回の成果につながる粘り強い実験と量子化学計算とを完遂したのは見事であり,高く評価しています.論文をご覧頂ければ,Chemistが典型的にとる切り口とはやや違うであろう,輸送論からアプローチした機械+化学のFusionテイストを感じて頂けると思います.彼は革新的な研究領域には学問の垣根は存在せずむしろ多次元空間になっていることを見抜いており,将来きっと科学技術に貢献する人材に育ってくれると期待しています.
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
熱化学電池(図1)は酸化還元対(redox couple)を溶解させた液(電解液)を用いた熱電変換技術であり,熱エネルギーから電力を生み出せるため,最近世界で研究が活発化しています.図1のように,電解液を入れたセルの両端に電極を設け,その間に温度差ΔTを付けると,電極間に起電力ΔVが発生します.開回路状態でのΔV/ΔTの比は,固体熱電材料の場合になぞらえゼーベック係数(= α)と呼ばれています.少し難しい話になりますが,αは熱力学の関係式より酸化還元反応に伴う系のエントロピー変化ΔSrcに比例し,具体的にはα = ΔSrc /F (F: ファラデー定数)となります.また,ΔSrcは,図2のように「外圏エントロピーの変化分ΔSrc,外」と「内圏エントロピーの変化分ΔSrc,内」の和として表されます.一方,電極間の電流Iは電解液の中のイオンの動きやすさ(粘度に関係)と量(溶解度に関係)に支配されます.
熱化学電池の発生電力はΔVとIの積になります.このため,性能向上にはΔSrcや電解液粘度を支配する因子を根本から解明する必要があります.私の修士課程の研究テーマはこのようなまだ理解が及んでいない点を明らかにすることでした.私は図3に示す様々な配位子をもつコバルト錯体の酸化還元対(これらのうち#1はこの分野でよく使われてきたもの,それ以外は日本化薬(株)から提供)を用いて様々な実験を行いました.実験は,Iに関係する電解液粘度や導電率,Vに関係する起電力測定などです.紆余曲折を経て,文献を調べるうち,Jones-DoleのB係数というのが粘度測定結果の説明に使えそうであることに気付きました.そこで,指導教員の村上先生と議論を重ね,改めて実験を系統的に行った結果,私たちは前世紀に溶液化学分野で研究されてきた幾つか知見や理論が,量子化学計算に結果と組み合わせられたときに,熱化学電池の特性を説明するのに極めて有用であることを発見しました.具体的に,図3に示す一群の酸化還元対を対象とした研究から,(i)αに対する外圏と内圏のエントロピー変化の寄与はおよそ1:1であること,(ii)同じ溶媒のもとでは「αの大小関係」は量子化学計算から求まる内圏エントロピー変化の大小関係と定量的によく一致すること,(iii)本研究で創案した量子化学計算ベースのイオン半径算出法により粘度と導電率の値を定量的に予測可能であること,などを発見しました.
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
本研究は前世紀に発展した溶液化学の分野で,粘度の電解質濃度依存性に関するJones-DoleのB係数を理論構築の足掛かりとしました.そこで,検討したコバルト錯体の酸化還元対溶液の粘度測定をひたすら行い,濃度依存性を調べました.その過程で,測定日によって気温や湿度,装置のコンディションが異なるため,再現性のあるデータ取得の確立に苦労しました.そこで,再サンプルメイク・再実験を繰り返すことで,信頼性のあるデータの取得に成功し,それまで知られていなかった「酸化還元対のB係数の差分と溶媒和エントロピーとの関係」を見出すことができました.また,ゼーベック係数の実験値の大小関係と,量子化学計算から求めた酸化種と還元種の内圏エントロピー差の大小関係とが定量的に一致していることを発見できた時の驚きは,未だに忘れません.このような発見に至ったのも,些細なことでも村上先生へ相談し,議論をさせていただくことで,自分なりに理解を深めることができたからと考えています.
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
実験結果と量子化学計算による結果を組み合わせることで理論構築を試みたため,似たような先行研究も存在せず,当初は全く手探り状態でした.研究の突破口をつかめた大きな要因の一つは,本論文の共著者である日本化薬(株)の永塚様とのディスカッションを通じて高品質な試薬を提供頂けたことであると感じています.その後の理論構築においては村上先生と何度も打ち合わせを行い,文献調査を積極的に行うことで成し遂げられたと考えています.
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私のバックグラウンドは機械系であり,学部の時にはあまり化学に触れてはいませんでした.しかし,本研究を通じて学んだことの一つに,最先端の研究に分野を隔てる明確な境界線などなく,むしろクロスオーバーしているということです.そのため,今後も自分の研究分野に囚われず,広い視野を持って化学に向き合っていきたいと考えています.
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
私は人類が抱えている問題の一つである,脱炭素・カーボンニュートラルといったエネルギー問題を解決する技術を学びたく,本研究テーマを選択しました.現在世界が目指している脱炭素に向けた社会の実現には,困難が多く存在すると考えています.その実現のために,微力ながら本研究を通じてチャレンジできているというやりがいを感じながら日々研究を行っています.今後も,志をもって様々なことにチャレンジしていきたいと考えています.
最後に,本研究を遂行するにあたり,多大なご指導,ご助言をいただいた村上陽一先生,共著者として実験や試薬の合成,ディスカッションを行って頂いた日本化薬(株)の永塚様,実験の手順や考察の際にアドバイスして頂いた,村上研の先輩である池田寛博士に深く感謝いたします.また,このような寄稿の機会をいただき,ありがとうございました.
研究者の略歴
名前:長 勇毅(ちょう ゆうき)
所属:東京工業大学 工学院 機械系 機械コース 修士課程2年(村上陽一研究室)
研究テーマ:熱化学電池の性能向上に向けた材料探索と特性支配メカニズムの究明