2022年のノーベル化学賞は「クリックケミストリーと生体直交化学」の開発業績で、バリー・シャープレス(スクリプス研究所)、モーテン・メルダル(コペンハーゲン大学)、キャロライン・ベルトッツィ(スタンフォード大学)の3名に授与されました。
今年のケムステ予想はナノ物理・理論化学だったのですが、なんと今年の受賞分野も昨年に引き続き有機化学!完全に予想していなかった選定でした。昨年にはクリックケミストリー、以前にキャロライン・ベルトッツィは予想してたんですが・・・
ともあれ筆者(副代表)も実は最近の研究で、同分野の化学反応開発に携わってきた経験があります。彼/彼女らの研究がもたらした革新性にはいち化学者としても驚嘆するしか無く、全く納得のいく受賞だと感じます。
今年も早速、速報記事としてまとめてみました。研究内容と受賞者3名の業績を簡単に解説します。
クリックケミストリーと生体直交化学
化学合成は、簡単な部品を複数回つなぎ合わせて、複雑な分子へと導く手順で行われています。使われる化学反応の大半は、他の反応点を保護しておく必要があったり、水や空気に弱かったりなど、実施にひと工夫が必要になってしまう課題もありました。つまり分子合成はテクニカルな側面を強くもっており、専門外の研究者にとって手がけるハードルが高いものでした。また余計な副生成物も生じる反応もおおく、精製の手間を要したり、周辺環境にも影響を与えてしまう問題もあります。
特に難しいことを考えなくても、2つの分子を混ぜ合わせるだけで、それらを簡単につなぎ合わせることはできないのだろうか?
この素朴ながら本質的なニーズに応えた化学こそが、今回の受賞対象と成ったクリックケミストリー(click chemistry)です。これは2つの分子を混ぜるだけで、効率良く2つの分子を結びつけることができる反応化学の総称です。「カチッ(click)」と音がするほど選択的に分子を繋げられるとする思想下に、この名前が付けられています。
特に重要だったのがアジドとアルキンを結びつける反応(Huisgen環化)です。この反応はロルフ・ヒュスゲン教授(故人)が1960年代に発見したものであり、古くから知られていたものでした。
一人目の受賞者であるシャープレス教授はこのHuisgen環化に注目し、大抵どんな分子が存在しようが水や酸素に触れていようが、選択的に化学結合を作れること、複雑な分子を簡単に組み上げる目的に有用であることを実証しました。そして反応化学の卓越した専門視点をもって、「クリックケミストリー」を提唱するコンセプト総説をまとめ上げ、2001年に発表します。この総説は現在までに15000回以上も引用されています。またこの反応は世界中の化学者から「クリック反応」という愛称で親しまれ、あちこちで使われるようになりました。
さて、このアジド-アルキンの組み合わせは、自然界/生体系には存在しないものでもありました。つまりクリック反応は、タンパク質、核酸、糖鎖など、様々な生体関連分子を狙って選択的につなぎ合わせる反応としても、大きな可能性を秘めていたのです。
しかしながらオリジナルの条件そのままだと、反応進行にかなりの加熱を必要としてしまい、敏感な生体分子に対して到底適用出来るものではありませんでした。
これに解決の糸口を与えたのが、2人目の受賞者であるメルダル教授です。彼は、Huisgen反応が銅触媒によって劇的に加速される事実を見出しました。これによって室温でクリック反応が進行し、敏感で不安定な分子同士でもつなぎ合わせることができるようになったため、新たな次元の応用が開拓されたのです。ちなみにシャープレス教授もほぼ同時期に、銅触媒の加速効果を見出すに至っています。
この成果は画期的だったのですが、一つの難点がありました。銅触媒に生体毒性があるのです。これを何とか回避できれば、生体内で化学反応を行うことも夢ではありません。
3人目の受賞者であるベルトッツィ教授は、これを実現するために革新的なアイデアを持ち込みます。アルキンはそもそも直線状の構造をしているのですが、これを中員環に組み入れ、意図的に歪ませてやったのです。不自然な形状をしたアルキンは、アジドとの反応性が極めて高くなります。さらに電子不足な状態にもしてやることで、劇的な反応加速が達成され、銅触媒なしでも室温で速やかに結合をつくれるようになりました。この反応はSPAAC反応と呼称され、現代ではケミカルバイオロジーや医薬開発の分野で幅広く使われるまでになっています。
ちなみにベルトッツィ教授は、クリックケミストリー・SPAAC反応の報告以前から「生体関連分子をつなげる化学反応」の重要性に注目しており、そのプロトタイプとして、3価リンとアジドの組み合わせに基づくシュタウディンガー・ベルトッツィ反応を報告しています。これをマイルストーンとして、生体分子がひしめき合う夾雑環境から影響されず、望ましい化学反応を実現できるような系を生体直交化学(bioorthogonal chemistry)と呼称し、新たな学術分野として発展させたのです。
この生体直交化学反応を用いて人工色素を繋げることで、生細胞や生物の特定部分だけを、狙って染めあげることができるようになりました。2008年ノーベル化学賞を受賞した蛍光タンパク質(GFP)を使っても、生体分子の可視化そのものは可能です。しかし、遺伝子操作を必要とするため人体応用はしづらいこと、蛍光タンパク質のサイズに起因する機能影響を考慮しなくてはならないことなどが、懸念として指摘されてもいます。この欠点を、革新的反応化学の創出によって解決しようとした研究と捉えることもできるのです。
驚くしかない2度目のノーベル賞
化学ウォッチャーたるケムステ読者の皆さんなら既にご存じの方も多いでしょうが、今回受賞したシャープレス教授は、「不斉酸化触媒の開発」により2001年のノーベル化学賞を受賞しています。そこからテーマを全く違うものに変え、「クリックケミストリー」を提唱する歴史的総説を2001年に発表します。それから20年の発展を経て、今回2度目の化学賞受賞に繋がりました。
ノーベル賞を2度受賞した人物は、マリ・キュリー、ジョン・バーディーン、フレデリック・サンガー、ライナス・ポーリングに続く5人目になります(化学賞ダブル受賞はサンガーに続いて2人目)。現代に生きる化学者としては、あまりにも凄まじい現実に直面しているわけで、偉業に驚きを隠しきれません。
全ての受賞者において、サイエンスのレベルが極めて素晴らしいことは、言うまでもありません。日本人の受賞有無によらず、科学界を進歩させ、我々の生活を豊かにさせてくれる画期的研究には、毎度、敬意を表さざるをえません。受賞者のみなさん、誠におめでとうございます!!
関連記事
- クラリベイト・アナリティクスが「引用栄誉賞2019」を発表:Rolf Huisgen(ロルフ・ヒュスゲン・故人)教授とMorten P. Meldalが受賞。
- 歪み促進逆電子要請型Diels-Alder反応 SPIEDAC reaction
- 可視光応答性光触媒を用いる高反応性アルキンの生成
- ククルビットウリルのロタキサン形成でClick反応を加速する
- 新たなクリックケミストリーを拓く”SuFEx反応”
- クリック反応の反応機構が覆される