第436回のスポットライトリサーチは、東北大学大学院 工学研究科(髙橋幸生研究室)・博士課程 1年の阿部 真樹 さんにお願いしました。
阿部さんの所属する髙橋幸生研究室では「放射光計測と高度情報処理の融合による物質機能可視化への展開」を掲げ、研究されています。
硬X線と軟X線の間のエネルギーを持つテンダーX線は、硫黄やリンといった軽元素の化学状態の分析に有用ですが、空間分解能が停滞していました。今回ご紹介するのは、「テンダーX線タイコグラフィ」という軽元素の化学状態を非破壊かつ高分解能で観察可能な手法を確立し、リチウム硫黄電池の正極材に含まれる硫黄の化学状態を非破壊で可視化することに成功したという成果です。リチウム硫黄電池の反応・劣化メカニズムの解明も今後期待される本成果は、The Journal of Physical Chemistry C 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“Visualization of Sulfur Chemical State of Cathode Active Materials for Lithium–Sulfur Batteries by Tender X-Ray Spectroscopic Ptychography”
Abe, M.; Kaneko, F.; Ishiguro, N.; Kubo, T.; Chujo, F.; Tamenori, Y.; Kishimoto, H.; Takahashi, Y. The Journal of Physical Chemistry C, 2022, 126, 14047–14057. DOI: 10.1021/acs.jpcc.2c02795
研究を指導された石黒志 助教と髙橋幸生 教授から、阿部さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
石黒先生
阿部君は、東北大学での高橋幸生研究室初年度に配属された学生の一人で、研究配属当初から特にデータ解析に対する洞察が鋭く、適性があり、COVID‑19禍初年度の研究活動がかなり制限されてしまう状況下でも、メキメキと計測・解析における知識・経験をつんでいき、テンダーX線領域のタイコグラフィ計測の実現に貢献してくれました。その後、計測光学系の構築が完成に近づくにつれ、研究の内容が機器開発・解析重視から応用展開フェーズに移行していき、試料調製・反応実験などより化学的な側面も研究に求められるようになってきました。どちらか一方を好む学生が多い中、阿部君はこの部分でも積極的に実験に取り組んでいて、リチウム硫黄電池の硫黄化学状態イメージングの実証にも成功することができました。このまま計測・解析法開発の側面と化学・材料化学への応用展開の側面両方に対して、成長をづけてもらいたいと思っております。
髙橋先生
計測システムの最適化に多くの時間を要し、苦労が多かったと思いますが、何とか50nm分解能を達成できてよかったと思います。現在、東北大学青葉山新キャンパスで建設中の次世代放射光施設NanoTerasu(ナノテラス)は、利用できるテンダーX線が最大で40倍程度明るくなることから、更なる高分解能化が期待できます。現状に満足することなく、更なる高みを目指して頑張って欲しいと思います。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
今回の研究では材料内部における硫黄の化学状態を高分解能で観察可能な計測システムを開発しました。
硫黄は生体や環境物質、電池材料など我々の生活と密接に関わる様々な物質に含まれ、その中で硫黄が果たす役割や機能について理解を深めるためには高精度な計測手法が必要不可欠です。テンダーX線 (2–5 keV)は、硫黄・リンといった元素の吸収端を含み、また硬X線ほどではないにしろ透過力が高いので、このX線領域を用いた顕微計測によって物質「内部」の微視的な硫黄の化学状態やその分布を観察することができます。しかし、従来のテンダーX線領域の顕微イメージングはX線レンズ作製精度の制限から分解能をこれ以上向上させるのが困難になりつつあるという課題を抱えていました。そこで我々は、レンズの役割を計算機に担わせることでレンズ性能を上回る分解能で試料を観察可能な「X線タイコグラフィ」の計測をテンダーX線領域で実施可能なシステムを大型放射光施設SPring-8において初めて確立しました。そして、本計測システムによってテスト用試料に施された幅50 nmの構造を観察することに成功しました。
テンダーX線タイコグラフィの有力な応用先の一つがリチウム硫黄電池です。この電池は、リチウムイオン電池の6-7倍という極めて高い理論容量を示す一方で、充放電の繰り返しにより容量が急激に低下するなど多くの課題を抱えています。それらの課題を解決するためには、正極中の硫黄がどこで、どのように反応するのかを明らかにする必要があります。我々はテンダーX線タイコグラフィによりリチウム硫黄電池の正極材料として開発された直径約5 µmの硫黄化合物粒子を硫黄K吸収端近傍の複数エネルギーで測定し、得られた空間分解X線吸収スペクトルを解析することで粒子内部における不均一な硫黄化学状態を捉えることに成功しました。今後は、本計測システムを用いて動作中の正極を計測することで、リチウム硫黄電池の材料開発に有用な知見を提供することが期待されます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
X線タイコグラフィの計測データを解析して試料像を再構成する過程に強い思い入れがあります。X線タイコグラフィの計測データから試料像を再構成するためには位相回復計算という特別な処理を行う必要があります。この解析はもともとある程度の知識と経験を要するものですが、今回の研究で我々が開発した計測システムによって得られるデータの質は必ずしも良いものではなかったため、再構成の難易度が通常よりも更に高くなっていました。定量的な解析に堪え得るだけの質を備えた試料像を再構成する必要があったため、解析用アルゴリズムに関する文献を調査して見つけたアルゴリズムの一つを試しに実装してみたところ試料像の質が改善しただけでなく、測定条件の緩和により測定時間を大幅に短縮することが出来るようになりました。この工夫が無ければ今回の成果を挙げることは難しかったのではないかと思います。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
リチウム硫黄電池正極材料の硫黄化学状態を可視化するために行った、硫黄K吸収端における空間分解X線吸収スペクトルの解析が難しかったです。硫黄は多種多様な化学種と価数状態を持ちうる元素であり、それらの化学状態の差異がスペクトル上にはピークの位置や強度のわずかな変化として現れるため、その解析は慎重に行う必要がありました。また、今回の研究では数十nm×数十nmという微小領域から得られるX線吸収スペクトルを扱ったため、ノイズの影響が少なからずあったことも解析の難易度を引き上げていました。スペクトルの特徴を過不足なく評価できるように慎重に抽出した上で、それらの特徴がどの化学種のどんな反応に起因するのかを考察するために、リチウム硫黄電池材料を含む様々な硫黄化合物に関する文献の調査や、指導していただいている先生方や共同研究者の方々との議論を入念に行いました。苦労した甲斐あって、最終的には多くの方々に納得いただけるような考察が出来たと思います。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私の所属する髙橋研究室は新たな計測手法の開発に力を注いでおり、私自身も従来の技術では知り得なかった情報を提供する可能性を秘めている計測手法開発に強い魅力を感じています。そのため、今後も化学を扱う多くの研究者の方々に役立つような計測手法を提案・開発できるような研究者になれたらと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究の遂行にあたって多くの問題に直面し、試行錯誤を繰り返す中で直接的に成果につながらなかった時間や労力は少なからずありましたが、その分論文が通ったときの喜びは大きかったです。また、試行錯誤する過程で様々なことを学び、思考し、経験したことは非常に有意義だったと思います。同じように中々努力が報われず苦労している方は多くいらっしゃると思いますが、あまり深く考え込まず前向きに挑戦し続けていただきたいなと思います。
最後にはなりますが、日頃より親身かつ熱心なご指導をいただいております髙橋先生、石黒先生、そして本研究にお力添えいただきました多くの共同研究者の皆様に厚く御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前:阿部 真樹(あべ まさき)
所属:東北大学大学院 工学研究科 金属フロンティア工学専攻
研究テーマ:テンダーX線タイコグラフィの開発とリチウム硫黄電池正極材の反応・劣化機構可視化
略歴:
2020年3月 東北大学 工学部 材料科学総合学科 卒業
2022年3月 東北大学大学院 工学研究科 金属フロンティア工学専攻 博士前期課程 修了
2022年4月 – 現在 東北大学大学院 工学研究科 金属フロンティア工学専攻 博士後期課程 在学
関連リンク
- 研究室HP
- 東北大プレスリリース
- 住友ゴムプレスリリース
- 電池材料粒子内部の高精細な可視化に成功~測定とデータ科学の連携~ (スポットライトリサーチ)