今年のノーベル化学賞とも深く関連する、アジド化合物。受賞対象となったクリックケミストリーに加えて、アミンの簡便な導入にも不可欠な存在として、世界中で使用頻度が増えています。
この高い有用性を反映して、新たなアジド基導入反応の開発研究も活発化を見せており、最近では遷移金属触媒を活用した光反応・電解反応なども数多く報告されています。
この潮流にあって必然と言うべきか「この新しい反応条件って、本当に実施しても安全なの?知見少ないけど大丈夫なの??」とする懸念が各所で生じてくることは、想像に難くありません。加えてアジドが活きる分野=ケミカルバイオロジーや創薬分野で化合物を扱う人は、有機合成のエキスパートではないケースも少なくありません。経験の浅い学生さんが実施するケースであれば、なおさら考えどころです。
このような中で注意喚起が必要だと考えたのか、Journal of Organic Chemistry誌からアジドの危険性に関するEditorialが公開されていました。中身は基本的ながら良くまとまっており、ラボ内安全教育にも活用できる良い資料だと思いました。今回、要約して紹介しておきます。
“How Dangerous Is Too Dangerous? A Perspective on Azide Chemistry”
Treitler, D. S.*; Leung, S. J. Org. Chem. 2022, 87, 11293–11295. doi:10.1021/acs.joc.2c01402
アジドの取扱注意・三原則
もっともポピュラーかつ安価なアジド源といえば、アジ化ナトリウム(NaN3)ですが、取り扱いにおいて気をつけるべきは、大きく下記の3点です。以下、順番に見ていきましょう。
- 酸への暴露を避ける
- 遷移金属への暴露を避ける
- ハロゲン溶媒の使用を避ける
1.酸への暴露を避ける
アジ化ナトリウムと酸を混合すると、アジ化水素(hydrazoic acid, HN3)が生成します。HN3は急性毒性(マウスLD50=22 mg/kg)に加えて、TNTよりも強い爆発性を持つ、極めて危険な化合物です。希釈することで幾分マシにはなりますが、危険性に変わりはありません。10%以上のHN3を含む窒素ガスや、20wt%以上(正確な値は決定されていない)のHN3水溶液でも、爆発性を有するとされています。
またHN3特有の話として、沸点が低い(約36℃)ために、希薄溶液からでも容易に蒸発・再凝縮されて濃縮溶液を生じてしまうことがあります(下図)。爆発に必要なものはわずかな摩擦や衝撃だけでよく、酸素・火元なしでも爆発は起こります。
HN3の希薄溶液を生成・保存する場合には、低沸点溶媒(エーテルやペンタンなど)を加えて蒸気や凝縮物を希釈するのがベストプラクティス(もちろん適切な計算のもと、安全濃度に収めるべきです)であり、 またHN3を生成しうる反応系では、凝縮を防ぐために連続窒素パージを行い、装置全体を37℃以上に維持しておくべきとされています。
2.遷移金属への暴露を避ける
アジ化銅(I)/銅(II)、あるいはそれに類する混合物からの爆発事故は、10件以上報告されており、少なくとも16人の死亡が確認されています。特にアジ化銅(II)は衝撃に弱く、結晶性固体に軽い衝撃をあたえるだけで、水中でも激しい爆発を起こすことが報告されています。無機アジドやHN3を含む反応に遷移金属を添加することは、そもそもが極めて危険な行為であると認識されるべきでしょう。汎用ベストプラクティスは存在しません。Al, Ca, Ti, V, Cr, Mn, Co, Ni, Cu, Zn, Mo, Pd, Ag, Cd, Sn, Sb, Te, Ba, Pt, Au, Hg, Tl, Pb, Biなどから、爆発性のアジ化塩の生成が報告されています。実験室レベルでは金属製のスパチュラを使わず、プラ製・テフロン製を使って秤量することを徹底すべきです。遷移金属アジ化塩の爆発性を調べた動画を貼っておきますので、ご参考に。
無機アジドを調製または使用する工業プロセスでは、金属が厳密に排除されるように、細心の注意が払われます。たとえば、反応器の金属部品、金属の継手、金属の熱電対、金属のスコップやスパチュラ、さらには床の排水溝もアジドが銅パイプに入り込まないように、綿密に保護されています。
3.ハロゲン溶媒の使用を避ける
特に問題となるのはジクロロメタンの使用です。無機アジドとジクロロメタンの組み合わせは、強い爆発性を誇るジアジドメタンの生成につながる可能性があり、多くの事故事例が報告されています。
脈々と語り継がれる、プロセス化学現場からの有名事故を一つ紹介しておきましょう。2→3のアジドSN2置換反応において、後処理の際に爆発が起こりました。溶媒としてDMFを用いているので一見問題無さそうに見えるのですが、前工程でDCM=ジクロロメタンを使用しています。1→2の反応(1 kgスケール)後に溶媒を留去したつもりが、完全には除けておらず、次工程で残存ジクロロメタンががNaN3と反応してジアジドメタンが生じてしまい、濃縮時に大爆発を起こしてしまったという顛末です。
反応溶媒では気をつけていても、分液抽出の溶媒にジクロロメタンを使用してしまううっかりミスも、しばしばやりがちです。アジド反応には、どこに危険が潜んでいるか分かりませんので、慎重な実施が必要です。
今回の文献では、無機アジドについての注意喚起が主ではありましたが、有機アジドも同様に危険なものが多く存在します。その爆発性については、こちらのケムステ過去記事が大変参考になると思います。
おわりに
Editorialの最後では、「著者・査読者とも、原稿の作成・評価の際には、安全性に関する重大な懸念に留意されることをお勧めします。過去の悲劇を繰り返さないよう、極度の危険に対する認識を広めることに全力を尽くさなければなりません」と結ばれています。しかし危険試薬であっても適切な取扱いができる限り、便利に用いることはできるのです。正しい知識をもって、日々の実験をご安全に行いましょう。
ことの顛末について補足
本稿が公開された背景には、同じくJOC誌に掲載されたGazvodaらによる報告があるようです。
条件を眺めて見ると、たしかにアジ化銅(II)+HN3が出そうな条件なのでこれは・・・と思えます。しかし論文Conclusionでは、下記の主張がなされていました。
It is noteworthy that hydrazoic acid was recently used for the large-scale synthesis of an early aryltetrazole intermediate in the synthesis of a drug candidate, giving the developed method the potential for scaling-up.
(最近、医薬品候補化合物の合成において、アリールテトラゾール初期中間体の大規模合成にアジ化水素が使用されたことは注目に値する。このように、開発した方法はスケールアップの可能性を持っている。 )
この主張を受けてか、論文公表後に、編集部に注意喚起を求めるクレームが舞い込んだようです。その後、「HN3が生成しうる系で、濃度や金属源のケアなどを含めた最大限の安全配慮なしに、スケールアップできるとする主張は適切では無かった」とする趣旨のコメントが、Addition & Correctionの形で著者から発表されるに至っています。
新反応の開発に携わっている皆さんも、反応の魅力をアピールしたい欲が勝ってしまった結果、不用意なことを紙面に書いてしまうようなことがないよう、普段から肝に銘じておきましょう。
関連書籍
「続続 実験を安全に行うために –失敗事例集–」ケムステのレビューはこちら
「Hazardous Laboratory Chemicals Disposal Guide」 ケムステのレビューはこちら
Hazardous Laboratory Chemicals Disposal Guide, Second Edition
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