第430回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院工学研究科(松原研究室)修士2年 竹邊 日和 さんにお願いしました。
キュバンといえば、きれいな正立方体構造を思い浮かべるかと思います。しかし、その高い対称性のために置換基導入して非対称化してキラリティを付与することが難しいとされています。今回ご紹介するのは、立方体骨格そのものを変形させる際に左右のひねりを制御する不斉合成の新たな手法の開発と、そして得られた六面体かご型分子クネアンの光学活性分子としての可能性を見出したという成果です。本成果は、European Journal of Organic Chemistry 誌 原著論文とプレスリリースに公開されており、Front Coverにも採用されています。Front Coverは竹邊さんが手書きされたとのことです!
“Catalytic Asymmetric Synthesis of 2,6‐Disubstituted Cuneanes through Enantioselective Constitutional Isomerization of 1,4‐Disubstituted Cubanes”
Takebe, H.; Matsubara, S. European Journal of Organic Chemistry, 2022. DOI:10.1002/ejoc.202200567
研究室を主宰されている松原 誠二郎 教授から、竹邊さんについて以下のコメントを頂いていますそれでは今回もインタビューをお楽しみください!
竹邊さんの学年は,4年生の卒業研究開始時にCOVID19でいきなり登校が制限された苦難の学年です。当初大学の指示に従いリモートでしか会うことはなかったのですが,難しいスペクトルの問題をだしてもいち早く正解を送り返してくるような方で,「分子の形」に関わる研究が好きだろうな,と思っていました。登校は夏になりましたが,お会いした瞬間に,3回生の授業で,いつも右の前列に座り,授業が終わると,素早くさっと退出していた学生さんであることに気づきました。今回の業績は,複雑な分子対称性の最も面白い例の一つで,本人と立体化学を議論してもすぐに理解されるので,こういう特殊感覚を最初から持っているのだろうな,と思っていました。版権の関係で,このサイトではお見せできませんが,上記の仕事は,EJOCのFront Cover (https://chemistry-europe.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ejoc.202201014)に採用されています。とてもセンスのいい絵です。もちろん,その絵を手書きで描いたのは,本人です。見ていただくと,この方の特殊な能力がわかります。また,竹邊さんは,私共の展開するデジタル有機合成研究の主要研究者であることも申し添えます。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
高対称正立方体分子(キュバン)から、非対称六面体かご型分子(クネアン)への「変形」を行う骨格異性化反応で、不斉誘導が起こることを世界で初めて示しました。正立方体分子(サイコロ型)であるキュバンは、種々の医薬分子におけるベンゼン骨格の代わりに導入され、薬理効果を向上させることで注目されています。対頂線上に二つ置換基があるキュバンは、高い対称性を有しており、この骨格に不斉環境を構築するにはさらに二つ以上の置換基を制御しながら導入する必要があります。しかし、今回特殊なパラジウム錯体を用いることで、キュバン骨格中の二本のC–C結合を選択的に組み変え、非対称化した六面体かご型分子クネアンを鏡像異性体比最大89/11で一方の鏡像体にすることに成功しました。本研究は、不斉合成の新しい手法を示すだけでなく、キュバン導入により活性が改善される薬物分子に、さらに不斉環境を容易に設定することを可能にします。このようにして得られる六面体かご型分子クネアンは、光学活性分子としての可能性を新たに示すことになります。
出発物の1,4-二置換キュバンは非常に対称性が高く、立方体を形成する8本のC–C結合のうち、2本が切断・再結合することで、2,6-二置換クネアンになります。生成物のクネアンの鏡像異性体のうち、一方のみを選択的に合成するためには、適切な2本の組み合わせを選択するという非常に難しい反応過程があります。一般の不斉合成では、鏡像体それぞれに到達する二つのルートの選択を行いますが、今回は6つの可能なルートのうちの3つについてどれかを選ぶという特殊な不斉合成です。
そしてこの反応を可能にしたのが、パラジウムの周りに配位子を強固に固定したピンサー型錯体です。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
正直、不斉合成の可能性を疑ったこともありましたが、ネガティブにならず可能性を信じて、手に入る触媒はどんどん試していきました。ピンサー型錯体にたどりついたのは、今から思えば偶然ではなく、キュバンの形にフィットするような感覚を大事にしたからではないかと思います。
また、この成果にキュバン合成の開発者であるEaton先生から祝意をいただけたこと、論文誌の表紙を自分で描かせていただけたのも、貴重な経験となりました。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
反応機構についての考察が難しかったです。1971年にEaton先生らによって報告された機構では銀もパラジウムも金属挿入、カチオン性中間体を経由するとされており、これを踏まえて当初は銀カチオンの対アニオンにBINOLやBINAPHOSなどのキラルアニオンを用いることでの不斉誘導を期待しました。しかしながら、わずかな不斉誘起しか観測されませんでした。銀は金属挿入を経ずにカチオン種が生じるため不可逆となり、不斉誘導が困難だったのではないか、と考えました。
ここで、パラジウムに注目しました。パラジウムは、可逆的な酸加的挿入によりキュバンが非対称化しキラリティーが導入される、パラダサイクルを形成する機構を考えることができます。キラルリガンドを用いない場合は、生じうる二種類のパラダサイクル中間体は等量のエナンチオマー混合物であるラセミ体となるため不斉誘導は起こりません。キラルリガンドを用いれば、パラダサイクル中間体はジアステレオマーとなり、もし一方の中間体が他方の転位よりも早く起こるのであれば、不斉誘導が可能であると考えられます。狙い通り、パラジウムピンサー型錯体の利用により、不斉誘導が達成できました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
化学とどう関わっていくかについて目下思案中ですが、有機化学で培った力を生かして、異分野の人と共同し新たな価値を生み出したいと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。「キュバン」と「クネアン」というちょっと変わった分子について、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。
最後になりましたが、本研究を行うにあたり手厚いご指導・ご助言をいただきました松原誠二郎教授をはじめ、研究をサポートしていただきました松原研究室の皆様に感謝申し上げます。そして, 自分の研究を紹介できるという貴重な機会を頂いた Chem-Station のスタッフの皆様に深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:竹邊 日和 (たけべ ひより)
所属:京都大学工学研究科材料化学専攻有機反応化学分野 松原誠二郎研究室 修士課程2年
研究テーマ:光学活性かご型多面体分子群合成に関する研究
略歴:2021年3月 京都大学工学部工業化学科 卒業