そこかしこで「量子コンピュータ」という言葉を聞くようになった昨今ですが、実際に何がどこまでできるのかといった可能性は未知数かつ無限大な部分があります。そんな中、量子コンピュータの開発を行っているスタートアップ企業であるQunaSysが、量子コンピュータの計算能力を活かした材料開発の可能性を発掘するアルゴリズムに関する国際ハッカソンQPARK Challengeを開催しました。
そしてなんと、京都大学理学研究科化学専攻 理論化学研究室倉重グループの学生チーム kuchemQCL が優勝し、賞金$5000と量子化学ソフトウェア使用権を手にしました!!
38ヶ国、181名の参加者の中からの快挙です。日本チームの国際的な活躍は本当に嬉しく、元気づけられますね! これはすごい!ということで、この度少しインタビューをさせていただきました。
倉重 佑輝 准教授からは以下のコメントをいただいています。
計算化学は技術的な成熟を迎え、既存のソフトウェアを利用するだけでもかなり多くのことが効率的に出来るようになっていますが、研究対象を広げるためにはやはり基礎的な理論開発が重要になりますので、学生さんには日々プログラミングの技術を磨くよう勧めています。そんな中、メンバーの一人が面白い大会を見つけたというので、私自身は学生さんたちの技術の底上げになると思い、なるべく大人数でチームを編成すると複数人でのプログラム開発の良い経験になるよとだけ助言をしました。あとは完全に野次馬の立場になりますが、リーダーの西尾くんを中心にテーマ構想からプログラム実装、プレゼンテーション準備と上手く連携をとって進めていたようです。今回は、栄えある優勝ということで心から祝意を表します。と共に、理論開発という性質上、日頃の研究では個人プレー中心の学生さんたちが、チームプレイも上手く出来ると知って若干疎外感を味わっております。やはり若いうちは食わず嫌いをせずに新しい技術をどんどん経験するということはとても大切なことだと思いますので、量子コンピュータに限らず今後も様々な最新技術に触れて遊び心を持って理論化学をアップデートしていってくれること期待しています。
以下、チームの代表の西尾さんに主にインタビューに答えていただきました。お楽しみください!
Q1. おめでとうございます! 今回受賞対象となったのはどのような提案ですか?
今回、受賞対象となった提案は ”Designing complex molecular qubits by using QC simulator and relativistic quantum chemistry” です。量子ビット素子としての応用も期待される金属錯体のゼロ磁場分裂パラメータを、量子コンピュータ自身を用いて評価するためのアルゴリズムを開発し、量子計算シミュレータを用いたデモンストレーションを行いました。
金属錯体には、1分子で磁石としての機能を発現するものがあり、このような分子は単分子磁石と呼ばれています。単分子磁石は情報記憶媒体などへの応用が期待されている一方、冷却が必要であるなど実用上の課題が多く存在しています。これらの系について、単分子磁石の機能に大きく寄与する「ゼロ磁場分裂パラメータ」を量子化学計算で精密に予測することは、現象を深く理解し、分子開発を効率化させるために有効なアプローチの一つとなります。
ゼロ磁場分裂パラメータを量子化学計算で求めるためには、錯体分子における「相対論効果」と「強い電子相関」を考慮しながら電子励起状態を計算する必要があります。古典ビット計算機を用いた計算では、錯体分子に対する相対論的Schrödinger方程式 / Dirac方程式を解く方法や、非相対論的な計算を行ったのち摂動的に相対論効果を取り込む方法が有力です。
今回のコンテストでは、古典ビット計算で準備したDiracハミルトニアンを量子計算シミュレータで扱うことができる形式に変換し、変換したハミルトニアンの期待値を「変分量子固有値ソルバー (Variational Quantum Eigensolver, VQE)[1]」シミュレータで評価する、というデモンストレーションを行いました。この計算は、「古典計算機が得意な部分と量子計算機が得意な部分を分割して行う」という考え方に基づく計算になっています。また、基底状態だけでなく、SSVQE (Subspace-Search VQE)[2]という手法を用いて励起状態の評価にも挑戦しました。
短い期間での実装であったため必ずしも満足な結果が得られたわけではないのですが、将来的には量子コンピュータを用いた計算によって量子ビット素子をデザインすることに発展可能なデモンストレーションであった点が評価されたのではないかと考えています。
Q2. 工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
今回のデモンストレーションでは、相対論的なハミルトニアンをいかにして既存の量子計算シミュレータに適応させるかという点に最も苦労しました。というのは、非相対論的ハミルトニアンと異なり、相対論的ハミルトニアンは複素数値を取るので、既存のシミュレータを素直に適用することができないためです。チームメンバーの樋野(M2)、上田(M2)、津村(M1)が中心となって、相対論的ハミルトニアンの実部と虚部を効果的に分割して計算するようなアルゴリズムを実装することによりこの課題を解決できたことが、コンテストの受賞に大きく寄与していると考えています。また、古典ビット計算による相対論的量子化学計算や対象系の選定は御代川(M1)、吉田(M1)が中心となって行いました。
また、私個人(西尾)の思い入れとしては、いつか挑戦してみたいと思っていた金属錯体の計算を題材として選び、結果として良い評価を受けることができた点が印象に残っています。私は研究を始めてから今までπ共役分子集合体の励起状態をテーマとしてきたのですが、同じ研究グループ内で錯体を計算している(いた)人の発表に印象に残るものが多く、密かにチャンスをうかがっていました。今回のチャレンジでは、VQEで扱うことができるハミルトニアンの大きさや、必ずしも高い計算精度が期待できないことなどの様々な制限を踏まえた上で、金属錯体と相対論的計算をテーマにすれば、活性空間の軌道数を制限するなど工夫次第では意義深い計算が実現できるのではないかということで題材に選びました。
Q3. 参加してみての感想を少しお聞かせください。
グループ内でチームを組み参加しようという話になってからデモンストレーションの提出までがおよそひと月半で、ちょうど学会期間と重なっていたこともあり、かなりハードなチャレンジだったという印象です。この短い期間のうちにVQEアルゴリズムや相対論的量子化学計算の基礎、また対象系の知識などを吸収した上で、さらに実装までこなすというのは非常に困難でしたが、メンバーそれぞれが日頃の研究活動で得た知見や強みを活かし、協力しながらやり遂げることができました。また、自分達のデモンストレーションに対する改善点もいくつか思いついており、また改めてブラッシュアップした成果を発表する機会があればいいなと思います。
Q4. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
量子コンピュータや量子計算は、普段から関連分野を扱っていないとなかなかとっつきにくい印象だと思います(僕もそうでした)。しかしながら、普段の分野と量子技術との接点を探ってみることで新たな知見が得られることもあるのではないでしょうか。初学者向けの学習サイトやイベントなども充実しているので、少しかじってみようかな…?と思われた方はぜひこの機会に挑戦してみるとよいかと思います。
参考文献
- Alberto Peruzzo, Jarrod McClean, Peter Shadbolt, Man-Hong Yung, Xiao-Qi Zhou, Peter J. Love, Alán Aspuru-Guzik & Jeremy L. O’Brien , “A variational eigenvalue solver on a photonic quantum processor” Nature Communications 5, 4213 (2014). DOI: 10.1038/ncomms5213
- Ken M Nakanishi, Kosuke Mitarai, Keisuke Fujii, “Subspace-search variational quantum eigensolver for excited states”, arXiv, DOI: arXiv:1810.09434v2