Tshozoです。
先日ChemRxivに、東京大学西林研究室による最新の触媒成果が発表されました(以下、こちらの文献及び西林研究室の画像より内容を引用します)。
(注1:2022/8 本件はPreprintの紹介です)
(注2:2023/4 本件はNature Synthesisに掲載されました! リンク追加しておきます+都度情報追加していきます)
(注3:2023/5 本件は同誌のNews & ViewsでLehigh大学 Robert Flowers教授に紹介されました リンク)
【速報版】
“Catalytic Production of Ammonia from Dinitrogen Employing Molybdenum Complexes Bearing N-Heterocyclic Carbene-Based PCP-Type Pincer Ligands”; May 31, 2022 Version 1, ChemRxiv, リンク“Catalytic production of ammonia from dinitrogen employing molybdenum complexes bearing N-heterocyclic carbene-based PCP-type pincer ligands.”, Ashida, Y., Mizushima, T., Arashiba, K. et al. Nat. Synth (2023) リンク
東京大学プレスリリース リンク
これまで窒素固定やアンモニア合成、エネルギー貯蔵体としてのアンモニアについて色々書いてきましたが今回は遂に常温常圧合成での触媒活性が工業化を狙えるレベルまで到達したと言ってもよい、同研究の第2のマイルストーンと考えられる成果でもあるためご紹介します。お付き合いください。
本研究のインパクト
本研究の背景と意義についてはまずは以前の記事をお読み頂ければと思います。そして下図はその最後の方に描いたグラフの更新版になります。
これを見て頂くと、約20年前に比べTON換算での触媒活性で7500倍、収率ベースで単純補正すると(2005年のSchrock触媒の収率がせいぜい60%に比し、今回は90%近く)およそ10000倍の性能向上を成し遂げられたわけで、圧倒的な成果でノウハウも含め追随を許さない状態であることが理解できます。ではこの成果がどのようなことに繋がるのか。
端的には常温常圧アンモニア合成産業化への糸口が明確に見つかったと言えます。実際、年初に出光興産社より出されたプレスリリースにある通り、本触媒系を利用した常温常圧合成によるアンモニア大量合成の初期検討が始まりました。もちろんかつてHaberから引き継いだBASFのBosch、Mittasch、Krauchらが出くわした困難があるかもしれません。またBoschらが主に鉄鋼技術と冶金技術のハード的・マクロ的な手法を駆使していたのに対し、今回は触媒・還元剤・溶媒・電解質設計、電極最適化など当時とは違うミクロ的・ソフト的な手法を活用しなければならないという観点で、その戦う場所が大きく異なります。しかしここで日本がその中心を仕留めねばいずれ他の台頭を許しかねずないため大事な段階でもあり、空気と水と光(など)から簡便に燃料を作る、というエネルギー自給の観点で大きな意義を持つ本件は重要な局面を迎えていると言えます。
NEDO資料より引用(リンク)
水素を経由せず直接アンモニアを電解合成可能な系となることが予想される
で、本論に入る前におさらいのため何故色々アンモニアが注目を集めているかを少しだけ。アンモニアは肥料原料だけでなくエネルギー貯蔵体としても使用でき、その大量貯蔵性、取扱いの実績、コストバランスを踏まえてカーボンフリー燃料として競合品に対し決定的かつ現実的な競争力を持つという特徴があります。ほかの貯蔵体はいずれもその提案から30年以上経っていますが、何万トンと大量に貯蔵して取り扱うことが何一つ出来ていない。つまり他のカーボンフリー燃料は本当の意味で産業化されていません。こうしたことを大規模に継続しようと税金を使うのは言い方は悪いですが火星に行くから無制限に銭をよこせと言っているのとほぼ一緒。これに対しアンモニアはその企画・提案から大量に利用する産業応用(直接燃焼などによる発電への実証)まで10年に満たないレベルで船舶、発電、燃料などとして実現されています。この点から最もポテンシャルがある次世代エネルギー貯蔵体と断言してよいと思います。
なお最近見受けられるのが、ある媒体で書かれていた「アンモニアを燃やすとは何事だ、NOxが出る」的な意見。これは大間違いで、既に”AdBlue”という立派な技術があるにも関わらず、それを記載しない方々の見識を疑わざるを得ません。
BASF “AdBlue Brochure”説明資料より引用(リンク)
これのおかげでディーゼル車等がNOxを基準以下に抑えたまま走行出来る
まだアンモニアを直接使わないのは漏洩リスクを考えてのことと推定される
このAdblueは高純度尿素水と極少量の安定化剤から成る液体で、尿素が後処理装置でアンモニアに分解されそのアンモニアがコンバータ上で還元剤として作用し、NOxを極限まで減らせる反応機構に基づくものです。ですのでアンモニアを発電などで燃焼させた場合にも燃やす時点では確かにNOxは出ますが、燃焼設計をきちんと行い、未燃アンモニアが後触媒まで行くようにすることで上記の排気ガス同様極めて低い濃度、最悪でも一般の火力発電所で行われているレベル同様に抑制できるのです。また多少銭はかかりますが排ガスを追加酸化すれば硝酸化できますので肥料等にも転用し得る。第一、既に様々な火力発電で脱硝装置用途にアンモニアが利用されていることくらい周知の事実。このくらいちょっと調べればわかるというのに・・・という脱線はここで止め、早速本論を進めましょう。
今回の成果のポイント
論文要旨を一言で申し上げると「アンモニア固定触媒活性が世界最高を更新した」です。具体的には前回論文の触媒を基礎にして配位子構造をほんの少し変えたら活性が大幅に向上し15倍近く(TON4350→TON60000)になった、ということです。
冒頭の図を編集して再掲
配位子構造を変えると触媒活性が変わる、というのは古今東西実績がありますし、窒素固定触媒についても例えば以前採り上げたプリンストン大学のChirikらによるジルコニウム系メタロセン触媒で、ペンタメチルシクロペンタジエニルのメチル基1個だけを水素に入れ替えるだけで進まなかった反応の進行を示した例もあり((文献2) 下図)、僭越な書き方をしてしまうと一般的な手法のひとつではあります。
上段の方がChirikによる2004年に達成された反応(量論反応)
下段は1976年Bercawが見出していたが(文献3)、比較すると〇部のところがちょっと違うだけ
推定だが2個の錯体のネジれで距離が変わってブリッジしやすい形になったのを狙ったのかも
しかし問題はその選択肢の多さで、まさか滅多矢鱈作るわけにもいきません。BASFのMittaschが1908年あたりから最良の触媒への結論を出すのに合計数万通りの材料組合せを探ったという極端な例はあるのですが、現時点ではあまりにも非効率。そのため大事なのは配位子構造をどのようなリクツに基づいて選定するかということになります。今回の論文を読んでみると、まず基礎実験としてこれまでの触媒とそれをやや変更させた触媒で反応律速を推定し、そののち配位子上の置換基効果を見積もって反応を最適化する、というステップを取っていることがわかります。
ではまず律速部位。PW触媒では過去に西林教授がこちらの論文において反応大枠を築いた下図サイクルで触媒反応を進めていることがわかっていますが、ではこのどこを攻めればサイクルが円滑に回り得るのか?
本論文より引用 実際には様々な副反応が進みうるわけで、
この反応が回っていること自体が結構奇跡的な気がする
結論から言うとこの円環のうち触媒濃度が低い、つまり出来るだけ触媒反応としてこの系を回す条件においては触媒の2量体化(dimerization・2か所)が律速になっている、というものでした。検討内容の要点をかい摘まんで申し上げますと系内での触媒量をストイキ(理論容量)比から大小に振った反応系を作り、各系で触媒量、還元剤量、プロトン源量を変化させることでどの部分で反応速度がケタ違いに代わるかを調べたものです(データとしては触媒が低濃度の時に精製アンモニアの量が大きく減少した/実際にはこれにPCETのところの同位体効果を調べていて、触媒が高濃度の時のみPCET律速になる、つまり2量体化が早まって初めてPCET(Proton-Coupled Electron Transfer Reaction:プロトンと電子がほぼ同時に供給される特殊な反応形態)速度がコントロールされうる状態になってくる、ということから推定されています)。
となると、問題はPCET反応が律速にならない程度に系を最適化したうえでこの律速部分である2量体化を回すための置換基は何を使用すればよいのか、という点に収束されることになります。このため、まずサイクル内のPCET部分について下図モデル化合物に基づきここからPCETがどうすれば進みやすくなるかを検討されており、その使ったのが上ハメット則(置換基の電子吸引性の大小で反応性が変わり得るという経験則を前提とした指標)に基づき定数を説明変数として反応への効果を定量化するという方法でした。
本件論文より引用 赤枠数値が大きいほど電子吸引性が強い置換基であることを示す
また錯体の出来やすさの指標である結合自由エネルギー(BDFE)も算出してあり、
基本的にはこの値(特に一番最初のプロトン化のI)が高いほど各反応が進みやすい傾向がある
これによると、結局一番最初の一電子還元(imide complex化)が一番エネルギー差が小さく進みにくいことが予想されますので、PW-2はここが大きくなる組合せを選べばよい、ということになります。で、この値が最も大きくなるのはR1, R2を(CF3, H)とした上から5番目の置換基のところであり、これによりおおよそPCETが最大化するところが推定できた、ということになります。
ただ、この結果には少し疑問があります。そもそも本触媒の特徴はカルベンの中でも特に電子供与性の高いNHCを配位子として用いることで中心金属の還元性を高め窒素分子を開裂させることが特徴でした。ならば電子供与性が高い上から2番目のケースが最も反応しやすくするはずなのですが、今回はそれに対し置換基は電子吸引性を高める方向の方が反応性が高くなる、という逆のベクトルが示されたわけになるので、これは一見不思議なことでもあります。
ですがこの点もPCETでの中心金属の一電子還元がどれだけ早く起きるか、ということにポイントを絞ると配位子を変更した夫々の触媒のLUMO(とHOMO)を解析することで説明が出来そうで、実際にLUMO(電子を一番受け取りやすい準位)が最も低くなる=還元されやすくなるのは電子吸引基を放り込むことである、という結果もバシっと出されています。SIファイルが見つからないのでグラフィカルにHOMO・LUMOがどう変わったかがわからないのですが、-CF3を片側に寄せることで何かしら立体的にも反応が有利に出る効果があるのではないでしょうか。ちなみに-CH3にすると逆効果、というのもしっかり提示されております。
ハメット係数を上げて中心金属Moの電子軌道電位を下げることで
反応が進みやすくなるの図 -CF3よりさらに下げる方向は果たして有り得るのか…
いずれにせよ上記のような形でリクツを強化しつつ
TONで60000を超える触媒と反応系が確立されたことになる
(簡単に書いてますがNHCカルベン系錯体は結晶化しにくいらしく
合成や構造特定には相当の苦労があったと予想されます…)
じっさい中心金属の還元性を高めるばっかりですと定性的には開裂の時以外の反応を阻害するケースも推定されるわけで、要はバランスが大事、という直感的な推定と一致するのではないでしょうか。いずれにせよ今回でこの系が高い精度で予見できる≒触媒設計が出来るようになったことと同意であり、これらの計算に基づき他の工夫(他の配位子をアンバランスにする、副反応を抑えるために保護基をどこかに加えるなど)が出得るという点でも大きな期待を出来る成果ではないでしょうか。
なおこれらの計算(リクツ)は九州大学 吉澤一成教授との共同研究に基づいたもので、吉澤先生は量子化学計算理論の端緒を世界に先駆けて拓かれた京都大学 福井謙一先生の薫陶を受けられたとのこと(リンク)。また西林先生のこちらの記事を読むと福井先生のご活躍に感銘を受けられて化学の道を選ばれたということだそうですの、で今回の成果もなにか縁というものを感じずにおれません。ただ恥ずかしながらこの計算関連の知識について筆者が非常に疎く今回成果の後追いが出来ておりませんゆえ、もう少し勉強したうえで改めて詳細をご紹介出来ればと思っております…
考えられる課題と今後の展開
ちょっとアレッ、と個人的に思ったのが「活性が上がったのに水素発生量があまり増えていない」点。もともと還元剤であるSmI2のレドックス電位が高い(RHEで-0.75V前後)、つまり水素発生電位を大きく上回るので反応が早くなったりすると副反応もそれだけ激しくなるのでは、と考えていたのですが…その意味でこの反応については確率的に水素が発生し得る可能性がもともと低いのかもしれないけれども何故だろうということ。通常ポテンシャル的に発生しやすい反応が進行する、というのが化学の基本的な考えなのですがここは実は思わぬメリットとして考えられるのではないか、とも考えています。
今回最高性能を達成した反応で発生する水素量の変化(赤矢印部)
時間経過しても増加する様相がみられない 水素発生が優先されても
おかしくない条件であるのに不思議で、更なる最適化で抑制できる可能性もある
一方、懸念としては大量の還元剤SmI2に対し収率がややよくない(~80%)点。ここらへんはおそらく助剤や更なる反応機構解明で抑制は出来ると思いますが、様々なトレードオフも予想され、引き続き注視すべきでしょう。というのも今後何十万トンも作るような産業化を考えるにあたり、発電単価が高いとなった場合そのコストアップにつながるという点で結構な問題になり得るわけで。つまり今後はアンモニアを現状以上の高収率で合成しながら副反応を抑制させつつ水素を発生させず、しかも産業的に安定して使えるというこれまた非常に高いハードルの開発が必要になってくると思われます。
その意味で許されるコストとのバランスを取りに行くため、活性はホドホドでも水素が全く出ず副反応性も低く高安定性、というベクトルを追求することになるのでしょう。このあたりは産業化のプロである各社が入っていけば新たな且つ様々な知見が拓かれていくでしょうから逆に楽しみでもあります。
ただどの場合であっても西林先生が見出した下記のサイクルは高活性のキー反応でもあり、必ずや適用される反応ルートとなるはずです。原理が解明されているということは筆者が昔の記事で採り上げたとおりやはり大きな一里塚であり、この基礎となる論文がBCSJに載っているというのはある意味で日本の有機金属化学分野にとり幸運なことなのかもしれません。
おわりに
西林教授のことを知ったのは、科学ライター 佐藤健太郎さんの有機化学美術館の「金属を使用せず、アンモニアが合成された」という2000年前後の記事(リンク)。美しいフラーレンの分子構造と特徴のある文章は今でも覚えています。
この案件が興味を持つ出発点(リンク)
そこから20年以上が経とうとしており、もちろん研究方針や対象に色々紆余曲折はあったかもしれませんが次世代アンモニア合成法の一つが開花しようとしていることに大きな感慨を覚えております。そして最近の諸々の研究成果を見るたびに思い出すのが、寺田寅彦先生の「科学者とあたま」というある随筆(@青空文庫)。少し長く引用させていただくと、、、(以下、失礼な意図をもって表現する意思は一切ございません)
「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧不鮮明から生まれることはもちろんである。
(中略)しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりきったと思われることで、(中略)何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明に苦吟するということが(中略)科学的研究に従事する者にはさらにいっそう重要必須なことである。この点で科学者は、普通の頭の悪い人よりも、もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者であり朴念仁でなければならない。
(中略)頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。
科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。一身の利害に対して頭がよい人は戦士にはなりにくい。
(中略)しかし頭の悪い学者はそんな見込みが立たないために、人からはきわめてつまらないと思われる事でもなんでもがむしゃらに仕事に取りついてわき目もふらずに進行して行く。そうしているうちに、初めには予期しなかったような重大な結果にぶつかる機会も決して少なくはない。
(中略)しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。つまり、あたまが悪いと同時にあたまがよくなくてはならないのである。
(中略)科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう。これもわかりきったことのようであってしばしば忘られがちなことであり、そうして忘れてならないことの一つであろうと思われる。
この老科学者の世迷い言を読んで不快に感ずる人はきっとうらやむべきすぐれたあたまのいい学者であろう。またこれを読んで会心の笑みをもらす人は、またきっとうらやむべくあたまの悪い立派な科学者であろう。これを読んで何事をも考えない人はおそらく科学の世界に縁のない科学教育者か科学商人の類であろうと思われる。
筆者が興味を持ちだした2000年前後はアンモニア合成はHaber-Bosch Verfahren以外やってもムダだ、豊富な天然ガスからいくらでも合成できるんだから、という風潮でした。その状況で偉大なFritz HaberとCarl Boschらによる成果、100年の歴史のある完成度の極めて高い巨大な成果に対し挑みかかるのは上記の文章に基づけば一面的には「あたまのわるい」取組みでしょう。曰くもうからない、曰く辿り着く手がかりすら無い、曰く誰も成功していない。曰くそもそも生物の窒素固定合成すら欠片もわかっていない、曰く失敗したら人生のキャリアが台無しになりかねない。
時代の偶然か、そこから少しして2003年にSchrockが緻密な触媒設計とプロトン供給だけでなく還元剤を切り分けるスキームで世界初の触媒的反応を見出しましたがTONでは10未満。同時期に有名だったポリエチレン合成用メタロセン触媒のTONが最も高いもので確か数十万程度は行っていましたから彼我の差は歴然。正直申し上げますと当時は常温常圧アンモニア合成自体が数学で言うフェルマーの最終定理レベルの超難問で解決に100年はかかってしまうのではと思っていました。
しかし、そこに果敢に挑まれた西林先生の20年以上にわたる取組みの中で、触媒活性を向上させる新たな反応設計(特にHB法とニトロゲナーゼを組み合せる点)という戦略、そして還元剤を見直す戦術という「はじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のない糸口」の両輪が見つかり、この両輪がうまく動き出した結果今回のように世界に誇る触媒性能と反応系、反応メカニズムを明示することになったわけです。この一見「あたまのわるい」継続的な取組みこそが今回の成果に至る基礎であったと思わずにはおれず、上記のエッセイを引用した次第です。筆者は所謂鬼殺隊に入ることすら叶わない部類の人間でしたが、本件の発展史を間接的ながらリアルタイムで見ることが出来たのを幸福であったと感じており、西林先生、吉澤先生はもちろん本研究に関係された方々のご活躍に感謝し、衷心から敬意を示すものであります。
そしてアンモニアがエネルギーを固定化出来る、つまりドラえもんのひみつ道具「ドライ・ライト」を具象化出来るツールであることがわかっていてエネルギーを長期に貯められるということが事実としてわかっており、また国家間の関係がこれまでのように円滑に回らない時代になっているからこそ今回の成果の意義は今まで以上に大きくなっていくでしょう。
小学館「ドラえもん」33巻 第3話「地底のドライ・ライト」より(リンク)
太陽光線のエネルギーをドライアイスみたいに固めたものがまさにアンモニアである
もちろん産業化にはまだひと山ふた山あるでしょうが、有機金属錯体化学も電解技術も日本の十八番技術なのですから必ずや実現するでしょう。何故なら筆者が信じているからです。
最後に、今回の成果を見るにつけ、寺田寅彦氏が書く「格物到知」に至るような、難題や疑問に突撃していける、あたまがわるくあたまの良い科学者が多数出てきてくる、またはそういった方々が息を繋いで行ける環境が継続することを願わずに居られません。これは昨今の研究環境を伺うに難しいと認識しているためでもありますが、久米の仙人は落下の途中に花を見たということもありますので、何とか悲観的だけにならずにいて頂きたい。各位が悲観的になったとしても楽観的に、真剣に、楽しく、精神性を求め研究を進めて今回のようなインパクトの大きな成果を生み出せていけるよう願っております。
それでは今回はこんなところで。
参考文献
1. “Catalytic production of ammonia from dinitrogen employing molybdenum complexes bearing N-heterocyclic carbene-based PCP-type pincer ligands”, May 31, 2022 Version 1, ChemRxiv, リンク
2. “Hydrogenation and cleavage of dinitrogen to ammonia with a zirconium complex”, Nature volume 427, pages 527–530 (2004), リンク
3. “Structure of μ-dinitrogen-bis(bis(pentamethylcyclopentadienyl)dinitrogenzirconium(II)), {(.eta.5-C5(CH3)5)2ZrN2}2N2”, J. Am. Chem. Soc. 1976, 98, 26, 8351–8357, リンク