第398回のスポットライトリサーチは、東京農工大学工学部生命工学科(中村・一川研究室)助教の田中正樹先生にお願いしました。田中先生は現在、東京農工大学に移られておりますが、今回の研究は主に田中先生が九州大学安達研究室に在籍されていた際にされた仕事です。
九州大学安達研究室は、有機エレクトロニクスの分野で世界を牽引する研究室で、熱活性化遅延蛍光(TADF)を利用した有機ELや有機蓄光材料など革新的な材料を報告し続けています。これまでのスポットライトリサーチでも度々ご紹介させていただいています。
今回ご紹介いただける成果は薄膜における分極制御に関するものです。新たに開発した分子によって大きさや極性を制御して巨大表面電位を示す薄膜の作成が出来るというもので、高性能振動発電素子への応用も期待されています。本研究成果は2022年5月31日にNature Materials誌に原著論文として公開され、九州大学と東京農工大学からプレスリリースを公開、日本経済新聞などにも取り上げられています。
“Spontaneous formation of metastable orientation with well-organized permanent dipole moment in organic glassy films”
Masaki Tanaka, Morgan Auffray, Hajime Nakanotani & Chihaya Adachi
Nature Materials, 21, 819–825 (2022).
研究室を主宰されている安達千波矢教授から、田中先生について以下のコメントを頂いています。
田中さんは、修士課程修了後に民間企業に就職し、実用化の視点からOLEDの研究開発に取り組んできています。一度、民間企業のR&Dに従事したことのある研究者は、有機材料を用いたデバイスを実用化することの困難さを、身をもって体験しています。そのために、デバイス物性の背後に潜む現象を正確に解明することがデバイス特性の向上にとって極めて大切であり、田中さんは、そのことを十分に理解しています。今回の研究のコアとなる材料の鍵はヘキサフルオロプロパン基です。実は、この分子は1995年頃に私が会社にいるときに手がけた材料骨格であり、今回、このユニットが興味深い分極特性を示したことを大変嬉しく思っています。予想もしなかった物性が現れるのも有機材料ならでは醍醐味です。安達研では、これまで30年のR&Dを通して約3000種類の有機半導体や発光分子を保有しています。田中さんがこの分子骨格が行けると思い、ピックアックしたことは、有機エレクトロニクス研究者として優れたセンスを有していると感じます。今後、バイオとの融合を考えられていると思います。誰もやっていない未開拓のデバイス創製を期待しています!
今回の成果と安達先生が会社にいたときの研究との間につながりがあったというのは驚きですね。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
真空蒸着の過程で、分子の向きを揃えて自発的に配列させ、大きな表面電位を示す分極膜の形成およびその極性の制御に初めて成功しました。真空蒸着とは、真空槽内で加熱により物質を昇華させ、その蒸気を基板にさらすことで分子堆積膜を作製する一般的な成膜手法です。膜厚の制御性や均一性に優れており、現在普及している有機ELディスプレイの製造にも用いられています。
2002年にある種の有機半導体分子がアモルファス蒸着薄膜中で分子の永久双極子モーメント(PDM)を膜厚方向に対して自発的に配列し、膜厚100 nmで数ボルトにも達する大きな表面電位(巨大表面電位: GSP)を発生することが報告されました[1]。しかし、真空蒸着するだけでこのような自発配列が起きる機構は未解明の部分が多く、自発的な膜分極形成を制御する分子設計は確立されていませんでした。
本研究では、トリフルオロメチル(CF3)基を有する分子が、蒸着過程でCF3基を薄膜の表面側に配向しやすいことを明らかにしました。この性質をもとに、基板上での分子運動性や分子PDMの方向を制御することで、GSPの極性を任意に制御可能な分子設計指針を初めて開発しました。開発した分子(図1)の蒸着膜は膜厚100 nmで±10 V以上のGSP(最大で約17 V)を示し、従来を大きく上回るGSPを有する蒸着膜の開発に成功しました。このような自発分極膜は、有機ELなどの有機半導体デバイスや振動発電デバイス[2]の性能向上に寄与すると期待できます。
CF3基の特異的な配向性は、小さな表面張力に由来すると考えています。フライパンなどのフッ素加工が撥水・撥油性を示すのは、CF3基が他の物質となじみにくい(表面張力が小さい)性質を有するためです。すなわち、蒸着過程の真空/薄膜界面において、CF3基は“何もない真空(薄膜表面)側”に配向しようとすると考えられます(図2)。この薄膜表面における界面活性剤のような作用により、分子およびPDMを同一方向に配列させることができ、自発的に膜分極を発生するというメカニズムを提案しました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
初めから本研究テーマを意識していたわけではなく、ヘキサフルオロプロパン骨格分子の蒸着薄膜を用いた有機EL素子が、普段とは少し違ったダイオード特性を示すことに気付いたのがこの研究の発端でした。本当に微妙な電流-電圧特性の違いでしたが、“なんとなく不思議”と感じることができたのは、これまで有機EL素子を大量に作製・解析をしてきた経験があったからだと思います。さらに、この時点では特に根拠はなかったのですが、分子中のCF3基が蒸着膜の中で配向してダイオード特性に影響しているのでは、と考えていました。このような発想に至ったきっかけは、有機太陽電池の研究を始めた学部4年の時に読んだスピンコート膜における相分離構造形成に関する論文でした[3]。10年近く前に読んだ論文でしたが、この知識がなければ今でもCF3基の配向誘起効果に気付いていないかもしれません。
もしCF3基が配向していたら表面電位が発生しているかもしれないと考え、上述の分子蒸着膜の表面電位を測定したところ、 なんと“負”の値を示しました。これまでに報告されてきた従来分子のGSPはほとんどが“正”の極性だったので、この結果は衝撃的でした。分子PDMの向きと合わせて考えることで、CF3基が薄膜表面側に配向しやすい性質を有することを明らかにしました。そのうえで分極を反転できないかと考え、正の分極を示す分子として単純に強力な電子求引性基を導入した3F-3BNなどを設計したのですが、自分で新しい分子を考えたのは初めてだったこともあり、期待通りの結果が得られた時はクリーンルームにある蒸着装置の前でガッツポーズをするほど嬉しかったです。
ちなみに、ヘキサフルオロプロパン骨格を用いた分子は、1997年に安達千波矢先生のご研究でオキサジアゾール系の電子輸送材料として報告されています[4]。当時の研究ではまさか自発配向性に関するアイデアはなかったかと思いますが、2022年にこのような形で再登場させることができたのは感慨深いです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
本研究では、成膜過程の最表面における分子の動きを議論する必要がありましたが、現状では直接的な観測はされていません。私なりのイメージはありましたが、特に論文を執筆する際には、適切かつ明確な表現で記述するのが難しかったです。実際、説明が不十分で査読者のミスリードを生み、論文は一度rejectされました。
そこで改めて、私が考える配向メカニズムや分子設計についてラフな絵を描き、カギとなる部分を論文用の図に組み込みながら原稿を修正しました。査読者のネガティブなコメントも洞察に富んだ指摘であり、再投稿の過程で論文としての質はかなり改善できたと思います。もちろん実験結果で語る必要はありますが、簡単な絵に描いて議論できるくらいまでモデルを単純化して整理しておくことが重要だと感じました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
有機半導体デバイスの開発・高性能化を目標の一つとして研究を行っていますが、日々の実験で見つける不思議な現象を理解したいというのが根底にあるモチベーションです。今後も化学を基軸に、小さな謎の解明を積み重ねて、社会の役に立つ新しい材料・デバイスを開発したいと考えています。
これまでほとんど有機合成の経験はなかったのですが、東京農工大に移ってからは自分でも合成をしており、分子配向に関する研究も継続しています。自発配向現象はまだまだ謎が多いですが、一つずつ課題をクリアして全貌を明らかにしていきます。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
特にこれから研究を始める学生、もしくは、始めたばかりの学生へのメッセージです。「研究は孤独なもの」。学部2年の学生実験中に、その研究室の教授が雑談に来た時におっしゃっていた言葉です。おしゃべり好きな雰囲気の先生で、とても意外性のある言葉だったので、今でも鮮明に記憶に残っています。今では私もそう思いますが、ただしそれは寂しく暗い感じの孤独とは違うような気がします。研究は、基本的にこれまで誰もやってこなかったことに挑戦するので、誰もが最前線に放り出されて五里霧中のまま突き進みます。進んだ先で実験が成功するかは誰にもわかりませんし、成功していることに気付かないなんてこともあります。実験は思っているよりも地味ですし、上手くいかず落ち込んで孤独を感じることもあるかもしれません。それでも、その失敗自体もこれまで誰も経験したことがないことなので、価値のある失敗として次につなげられれば良いと思います。自分が開拓者であるという自覚・自信を持って、適度なプレッシャーを感じながら、失敗を恐れず、孤独を楽しむくらいの気持ちで研究していきたいですね。
最後に、本研究を行うにあたり最後まで自由に取り組ませていただいたことに加えて、手厚いご指導・ご助言をいただきました九州大学 安達千波矢先生、中野谷一先生、合成を迅速に行ってくださった共同研究者のMorgan Auffray博士、また、研究をサポートしていただきました安達研究室の皆様に深く感謝申し上げます。
参考文献:
- E. Ito, Y. Washizu, N. Hayashi, H. Ishii, N. Matsuie, K. Tsuboi, Y. Ouchi, Y. Harima, K. Yamashita, K. Seki, J. Appl. Phys., 2015, 92, 7306.
- Y. Tanaka, N. Matsuura, H. Ishii, Sci. Rep., 2020, 10, 6648.
- Q. Wei, T. Nishizawa, K. Tajima, K. Hashimoto, Adv. Mater., 2008, 20, 2211-2216.
- C. Adachi, K. Nagai, N. Tamoto, Disp. & Imaging, 1997, 5, 325-341.
関連リンク:
- 東京農工大学 中村・一川研究室
- 九州大学 安達・中野谷研究室
- プレスリリース:成膜するだけで正負の巨大表面電位を示す分子を開発〜分極の大きさ・極性制御により環境発電素子などへの応用に期待〜(九州大学、東京農工大学)
- 日刊工業新聞
- 日本経済新聞
研究者の略歴
名前:田中 正樹
所属:東京農工大学 大学院工学研究院 生命工学専攻(中村・一川研究室)
専門: 有機半導体デバイス
略歴:
2012年3月 法政大学 生命科学部 環境応用化学科 卒業
2014年3月 東京工業大学 大学院理工学研究院 有機・高分子物質専攻 修士課程修了
2014年4月~2017年3月 株式会社ジャパンディスプレイ
2020年3月 九州大学 大学院工学府 物質創造工学専攻 社会人博士課程修了
2017年4月~2021年3月 九州大学 最先端有機光エレクトロニクス研究センター 学術研究員
2021年4月~ 現在 東京農工大学 大学院工学研究院 生命工学専攻 助教