シンクロトロンは荷電粒子を高速に加速する設備です。シンクロトロンは粒子物理学の研究に用いられるだけでなく、荷電粒子から放射される高輝度の放射光を使った高度な分析化学装置としても用いられます。今回、縁あってアメリカ Illinois 州のシカゴ郊外にある Argonne National Laboratory のシンクロトロン放射光設備である Advanced Photon Source を使って、粉末X線回折の実験をする機会がありました。とっても楽しかったので、その経験についてお話ししようと思います。
はじめに: PhD 生活の3年目が終わりました
本シリーズはアメリカの大学院でPhDを取ることを志す学生の日常や成長(してるのか?)の記録を書き残した日記感覚の記事です。2019 年の秋に大学院に入学して、早いものでPhD学生生活3年目が終わろうとしています。UC Berkeley のChemistry PhD 課程では、2年次のQual が終わると、卒業に対する義務課題はなくなり、研究に専念できるようになります 。そんなわけで、Qual 以降は授業も取らずに研究に没頭し、研究室と家を行き来するだけの変わり映えのない日々を繰り返しており、特に記事を書くネタもありませんでした。そんななか、3年目の終わりになって 研究室の Powder Beam Team (別名: Powder Puff Girls) に加わるというイベントがあったので、本記事ではその経験について書こうと思います。
そもそも Beam とは?
私の所属する研究室では、シンクロトロンによる超高輝度X線を使った実験を定期的に行っています。シンクロトロンと言うと、日本もSpring-8 、SACRA などを有していますが (こちらも参照: 日本放射学会のホームページ 国内放射光施設 )、アメリカにもあります。私の研究室では、UC Berkeley に併設した国立研究所であるLawrence Berkeley National Lab (LBL)のシンクロトロン Advanced Light Source (ALS) と、シカゴ郊外にある国立研究室 Argonne National Lab(ANL)のシンクロトロン Advanced Photon Source (APS) でのビームタイムをほぼ毎回獲得 しています。
アメリカにある大型シンクロトロン設備とその大まかな位置. 私の所属するの研究室では ALS と APS に定期的にお世話になっています
それぞれのシンクロトロンには様々なビームラインがあり、ビームラインごとに行える分析手法や設備が異なっています。私たちはALSでは主に単結晶X線回折 (single crystal X-ray diffraction: SCXRD ) を行っており、APSでは主に粉末X線回折 (powder X-ray diffraction: PXRD ) を行っています (ただし、個人的にビームタイムを申請して、ALS や APS, SLAC で他の分析を行っている人もいます)。Berkeley の近くにあるALSでも粉末X線回折はできるのですが、APSではサンプルに気体を与えて、温度や圧力を変化させながら、リアルタイムで回折パターンを集める こと(いわゆる in-situ gas-dosing PXRD )ができるビームライン 17-BM があり、結晶性多孔質材料 (具体的には金属-有機構造体 MOF ) における気体の吸着メカニズムを研究するにはうってつけ なのです。
実は単結晶に対するin-situ gas-dosing 分析もALSで行っています1 。結晶学を少しでも知っている人なら、なぜSCXRDができるのにわざわざPXRDなんてするのか、と思うかもしれません、結晶構造の決定が目的ならば、PXRDよりもSCXRD の方が優れています。しかしPXRDでは、SCXRDより迅速にデータを集めることができます (APSの17-BMだと数十秒で1つの回折パターンが取れます)。したがって、例えばガス吸着によって結晶の相転移が起こって回折パターンが明瞭に変化する場合には、系の温度や圧力を変えながら連続的に粉末の回折データを集めることで、その相転移の圧力依存性2 や温度依存性3 を容易に追う ことができ、単結晶XRDよりも利点があるのです。また、MOFの合成では、単結晶を成長させることが難しいこともあります。単結晶が得られない場合にも、解像度の高いPXRDの回折パターンからはRietvelt refinement と呼ばれる手法を用いて結晶構造を解析することもできるのです 。
研究室の “Beam Team” とは?
ビームを扱うには、特別なトレーニングが必要なため、研究室の全員がビームを使うわけではありません。私の研究室では、ビームを使うことに興味があるPhD学生数人でチームを構成しています。ビームチームに加わると、メンバー自身のサンプルの分析はもちろん、ラボの他のメンバーの重要なサンプルを分析する ことになります。ビームチームメンバーのその他の仕事としては、ビームタイム獲得のためのプロポーザルの作成 (後述)、ビームで得られたデータの解析などです。ビームで得られたデータが論文化される際には、そのデータを解析したメンバーは論文の著者として加わるため、ビームチームのメンバーは、研究室内の多くの論文に名が残る可能性があります。
今回、私は縁あってAPSのPXRDビームチーム (別名 powder puff girls) の一員に加わることなったのです。ちなみに、ビームチームの別名 powder puff girls の由来は、もちろんアニメ the powerpuff girls です (自分自身は girl ではありませんが…) 。
PXRDのビームチームに加わった経緯
ビームチームに加わった経緯を端的にいうと、(1)自分自身の研究が化合物の構造-性質の相関を明らかにする ような方向に進み、結晶構造の決定が重要な役割を占めるようになったから、(2)自分が扱っている化合物で大量のin-situ gas-dosing PXRDを行うことになった から、そして(3) ビームチームのメンバーの卒業が近くなり、新しい人手が必要になった からです。
通常シンクロトロンを使って実験するためには、なぜシンクロトロンが必要なのか、どんな実験をするのか、といった内容をまとめたプロポーザルを提出し、認められる必要があります 。そういったプロポーザルの作成は、通常ビームチームのメンバーが行います。ビームチームメンバー外の研究室のメンバーは、ビームチームが獲得してくれたビームタイムにあやかってサンプルを分析してもらう段取りになります。その段取りに従って、私は powder beam team のメンバーに、自分の化合物群でこれこれの実験をしたい、と伝えると、「そんなに多くのデータを取るには多くの時間がかかる。その研究内容をもとに次のビームサイクルに向けてプロポーザルを書こう」ということになりました。
プロポーザルには、研究の背景やこれまでに集まっている実験結果を見せる 必要があります。なので、私自身でプロポーザルの下書きを書くように頼まれた のです。指示通り私は下書きを作成し、ビームチームの上級生に添削を加えてもらい、プロポーザルは提出されました。その結果プロポーザルは見事に認められ、ビームタイムを獲得することができました。すると「折角プロポーザル手伝ってくれたからビームに来る?」という流れになり、現ビームメンバーの卒業問題も相まって、まんまとチームに加わることになりました。
ビームタイム申請のプロポーザルはどんなものですか?
プロポーザルの主な目的は、ビームで集めたデータが論文化に重要な役割を果たすことを説得し、論文投稿が約束されていることを示し、妥当な実験計画と必要な時間を提案する ことです。特に、”論文投稿が約束されている”というファクターは重要なようです。ビームを運営している側としても、そのビームで得られた成果が一流ジャーナルに掲載されれば、宣伝になるからです。私たちの研究室では 2014 年から APS の 17BM に継続的にお世話になっており、ビームタイムの獲得と論文投稿がうまく循環してます。今回のビームタイムの獲得は、研究室の過去の業績が効いていたことは間違いありません。
ビームタイムでは具体的にどんなことをするのですか?
今回私たちは 6/2 から 6/6 までの 4 日間、ビームタイムが与えられました。ビームタイムの開始前日である6/1の朝8時にサンフランシスコ国際空港を出発し、シカゴにあるオヘア国際空港へ向かいました。昼間少しシカゴを観光した後、夜からビームがあるArgonne National Lab (ANL) に移動して 、ANL内のGuest Houseと呼ばれるホテルに止まりました。
シカゴ観光の様子. (左上) シカゴ観光の名物である Millenium Park のCloud Gate. ガラス張りのオブジェ. 正式名称は Cloud Gate ですが, 豆のように見えるので, 観光客からは bean として親しまれています. (右上) シカゴ市内の建物. (下) シカゴに隣接しているミシガン湖の様子.
次の日の朝からは、ひたすら実験を行いました。今回私たちは丸4日間のビームタイムを獲得しましたが、研究計画にゆとりを持って申請したため、そのゆとりを使って、本来申請した内容(=自分の実験)以外にも、研究室の他のメンバーの化合物も分析します。私たちは5人でビームに向かったのですが、与えられた96時間(24時間x4日) をフル活用するために、3人および2人からなる昼シフトと夜シフトに分けて、四六時中データを集め続けました。
私たちが利用した17-BMの利点は短時間で回折データを得られることです。逆にいうと取っ替え引っ替えサンプルを交換したり、サンプルのガス雰囲気を調整したり、常に人間の労力を必要していたため、忙しく過ごしました。私は夜シフトに割り振られ、完全な昼夜逆転生活を送ったためかなり体力的にはきつかったです。
Argonne National Laboratory の Advanced Photon Source がある建物の入り口.
初めてのビームタイムはどうでしたか?
シンクロトロンのような大型装置を扱うというのは、いかにも自分が科学者であるという気分になれて、科学者冥利に尽きる時間でした。そして、自分で合成した新規化合物を使って、ガス吸着前後の回折パターンをリアルタイムで見ることができるというのはすごく楽しかったです。
シンクロトロンを使った高輝度X線では、一般的なCu Kαを使ったX線回折装置よりも高い解像度の回折パターンを得ることができ、普段のPXRDでは捉えきれないようなごく僅かな変化も追跡することができます 。例えばサンプルの温度を上げ下げするだけでも、原子の熱振動によってピーク幅が少し変わったり、結晶格子が収縮/拡大したりします。そういった温度依存性自身を見ることは研究の本来の趣旨ではないのですが、「そこまで見えるのか!」と感動できます。論文化がまだのため実験結果の詳細は言えませんが、ガス吸着に伴う回折パターンの変化も観察することができ、in-situ 分析の醍醐味を味わうことができました。これからPXRDの回折データから結晶構造を決定する手法であるRietvelt refinement を上級生から学んで、データ解析をしていくことになります。解析結果が非常に楽しみです。
普段は、研究室で合成の仕事をメインに行っており、自分はいわゆる “合成化学者” に分類されると考えていました。しかし、今回の経験を気に、分析することの楽しさに気づきました。新しい化合物を作ることができる”化学の創造性” をこれまで楽しんでいましたが、その新しい化合物で面白い物理現象を探求できる 機会も手に入れ、研究の楽しみが倍増した気分です。
余談ですが、APSへの旅はビジネス旅行の一環なので、渡航費、宿泊費、食事代、その他の経費はすべて研究室持ち です(食事代は$60/1d)。普段はラボと家を往復するだけなので、最近では今アメリカにいるということを意識することは少なくなっていますが、今回のように研究と称してアメリカを(無料で)旅行すると、「ああ、自分はアメリカにいるんだなぁ」と再確認でき、帰りの飛行機で一人感慨に浸っていました。来年はAPSがupdateのために使えないため、ニューヨークのBrookhaven National Laboratory (BNL) のにある National Synchrotron Light Source (NSLS: 位置は記事の途中の地図を参照) のビームを使おうか、とチームで検討しており、次のビームタイムも今からとても楽しみにしています。
終わりに: 3 年目を終えて
Ph.D.課程の3年目が終わったということは、形式上は PhD 生活の半分が終わってしまったことになります (5年で卒業できればの話ですが)。実は、今研究室には自分の一つ上の学年の学生がおらず、今の5, 6年生が続々と卒業を迎えようとしているため、次の秋から私は “研究室内でも最もシニアな学年の一人” になろうとしています。自分にとって、自分が研究室に所属し始めたころの4,5 年生は、素晴らしい研究成果を持った、雲の上にいる手の届かない存在であり、憧れの眼差しで見ていました。そのような過去の上級生たちと比べると、自分自身が成長している実感はありません。しかし今回のビームチームへの参加したことで、自分が憧れのまなざしで見ていた先輩たちのような研究室の重要メンバーに、自分も成長していけるだろうか、と淡い期待を抱いています。また、少しずつではありますが、自身の研究もようやく少しずつ軌道に乗り始めてきました。大学院入学に思い描いていた自分に少しずつ近づきつつあるような気がして、最近は研究生活が楽しいです。
今回の記事の内容とは全然関係ないですが、学年が上がってきたことに伴って、上級生やポスドクからは、「卒業後にどうするのか」と聞かれることも多くなりました。「まだわからない」というのがいつもの答えなのですが、そろそろ卒業後についても考えていく必要もありそうです。
というわけで、記事の最後はただの日記になってしまいましたが、シンクロトロンでの実験の経験についてお話ししました。日本でも放射光施設はあるため、シンクロトロンでの実験が海外留学特有の経験というわけではありません。しかし、そうだとしても非常に貴重な経験であると思うので、楽しんで読んでいただけたなら幸いです。
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参考文献
詳細はこの論文を参照: “Structural characterization of framework–gas interactions in the metal–organic framework Co2 (dobdc) by in situ single-crystal X-ray diffraction” Gonzalez, M. I.; Mason, J. A.; Bloch, E. D.; Teat, S. J.; Gagnon, K. J.; Morrison, G. Y.; Queen, W. L.; Long, J. R. Chem. Sci. 2017 , 8 , 4387-4398. DOI: 10.1039/C7SC00449D
例えばこの論文の Figure 2a: “Methane Storage in Flexible Metal-Organic Frameworks with Intrinsic Thermal Management” Mason, J. A.; Oktawiec, J.; Taylor, M. K.; Hudson, M. R.; Rodriguez, J.; Bachman, J. E.; Gonzalez, M. I.; Cervellino, A.; Guagliardi, A.; Brown, C. M.; Llewellyn, P. L.; Masciocchi, N.; Long, J. R. Nature 2015 , 527 , 357-361. DOI: 10.1038/nature15732
例えばこの論文の Figure 3b : “A Spin Transition Mechanism for Cooperative Adsorption in Metal–Organic Frameworks” Reed, D. A.; Keitz, B. K.; Oktawiec, J.; Mason, J. A.; Runčevski, T.; Xiao, D. J.; Darago, L. E.; Crocellà, V.; Bordiga, S.; Long, J. R. Nature 2017 , 550 , 96–100. DOI:10.1038/nature23674
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