アルカリ金属と1-アダマンタノール (HOAd1)の混合により、平面三角形構造かつ未還元のヒドロキシ基を有する錯体の合成が報告された。錯体は複数のロンドン分散相互作用により安定化されているため、錯体中に残存するヒドロキシ基はアルカリ金属による還元を受けない。
アルカリ金属–アルコキシドの新たな錯体構造
有機合成化学において金属–アルコキシドは、安価で入手容易な原料から簡便に調製できる強塩基やアルコキシド化剤として、広く利用される (図1A)。中でも、アルカリ金属–アルコキシドは非常に単純な組成式(MOR)であるにも関わらず、アルカリ金属とアルコールの組み合わせによって多種多様な構造をもつ錯体を構築する[1]。1961年のリチウムメトキシド (LiOMe)錯体の報告[2]を皮切りに様々な構造のアルカリ金属–アルコキシド錯体が報告されている。典型的な構造として、2つの六員環が積み重なった六員環積層構造と立方体構造がある (図1B)。六員環積層構造をとる錯体としてLiOMeとナトリウムメトキシド (NaOMe)、カリウムイソプロポキシド (KOiPr)が挙げられる[2–4]。また、立方体構造をとる錯体としては、カリウムメトキシド (KOMe)とセシウムメトキシド (CsOMe)、嵩高いアルキル鎖を有するカリウムtert-ブトキシド (KOtBu)が知られる[5–7]。非典型的な構造をとる錯体としてナトリウムtert-ブトキシド (NaOtBu)がある[8]。この錯体は典型的な六員環積層構造の他に九量体かご型構造を形成する。
今回VaskoとPowerらは、アルコキシド化剤としてアルカリ金属–1–アダマントキシド (OAd1)錯体の合成を試みた。過剰な金属NaとHOAd1を混合し得られた錯体は、典型的な六員環積層型構造もしくは立方体構造ではなく、Na原子と3つの酸素原子が同一平面上にある三角形構造を構築した1であった (図1C)。加えて、系中に過剰量の金属Naが存在しているにも関わらず、1のヒドロキシ基は還元を受けていない。計算化学から、弱い相互作用であるロンドン分散相互作用による構造安定化が金属Naによるヒドロキシ基の還元よりも優位となることが示された。
“Inhibition of Alkali Metal Reduction of 1-Adamantanol by London Dispersion Effects”
Mears, K. L.; Stennett, C. R.; Fettinger, J. C.; Vasko, P.; Power, P. P.
Angew. Chem., Int. Ed.2022, 61, e202201318.
DOI: 10.1002/anie.202201318
論文著者の紹介
研究者:Petra Vasko
研究者の経歴:
2011–2015 Ph. D., University of Jyväskylä, Finland (Prof. H. M. Tuononen)
2016–2021 Postdoc, University of Jyväskylä, Finland (Prof. H. M. Tuononen)
2017–2020 Postdoc, University of Oxford, UK (Prof. S. Aldridge)
2021– Academy of Finland Research Fellow, University of Helsinki, Finland
研究内容:13,14族錯体と遷移金属錯体の合成と性質および反応への応用
研究者:Philip P. Power
研究者の経歴:
1974–1977 Ph. D., University of Sussex, UK (Prof. M. F. Lappert)
1978–1980 Postdoc, Stanford University, USA (Prof. L. H. Holm)
1981–1985 Assistant Professor, University of California, Davis, USA
1985–1988 Associate Professor, University of California, Davis, USA
1988–2005 Professor of Department of Chemistry, University of California, Davis, USA
2005– Distinguished Professor, University of California, Davis, USA
研究内容:Al、Ga、GeまたはSnなどの元素間の形式的二重または三重結合多重結合をもつ錯体、Cr元素間に形式的五重結合をもつ錯体の合成、これら新規錯体の性質解明およびH2、NH3、CO、エチレンなどの活性化
論文の概要
錯体1は過剰量の金属NaとHOAd1のTHF溶液を還流することで合成された (図2A)。X線構造解析から、1のNa原子と3つの酸素原子ほぼ同一平面上に位置しており(結合角の合計 = 359.58°)、3つすべてのアダマンチル基はこの平面の片側に位置すると示された。エネルギー分割法(Energy decomposition analysis)により錯体1の分子内相互作用を解析した結果、ロンドン分散相互作用(Edisp)による安定化が、全相互作用エネルギー(Etotal)のおよそ3割を占める。詳しく見てみると、ロンドン分散相互作用はアダマンチル基の水素原子同士および錯体中に残存している2つのヒドロキシ基の水素原子同士に加え、それら2種類の水素原子間に存在している。水素原子間に働くロンドン分散力は一般的に1 kcal mol–1以下であり、分子構造を規定できる力とは見なされにくい。しかし、錯体1の分子内にはロンドン分散相互作用が複数存在しているため、合計12.7 kcal mol–1で安定化に寄与している。この安定化によって錯体中の残存ヒドロキシ基がアルカリ金属による還元を受けないと推定された。また、金属Naの代わりに金属Liおよび金属Kを用いた際に生成する錯体も、1と同様の平面三角形構造となることがNMR解析によって確認されている。
一方、過剰量の金属Naと2-アダマンタノール (HOAd2)のTHF溶液を還流した場合、すべてのHOAd2が還元され、典型的な立方体構造の錯体2が得られた (図2B)。この結果から錯体1の形成は、複数のロンドン分散相互作用が構築可能な1-アダマンチル基の特異な構造が鍵であると考えられる。
以上、アルカリ金属とHOAd1による残存ヒドロキシ基をもつ平面三角形構造の錯体が報告された。アルカリ金属存在下であるにも関わらず、錯体中のヒドロキシ基が還元されない理由は、分子内に存在する複数のロンドン分散相互作用による錯体の安定化であった。今後もこのように特異な構造を有する金属アルコキシド錯体が発見され、金属アルコシキドのファミリーがさらに拡張されるかもしれない。
参考文献
- (a) Klett, J. Structural Motifs of Alkali Metal Superbases in Non-coordinating Solvents. CHem. –Eur. J. 2021, 27, 888−904. DOI: 10.1002/chem.202002812(b) Weiss, E. Structures of Organo Alkali Metal Complexes and Related Compounds. Angew. Chem., Int. Ed., 1993, 32, 1501–1523. DOI: 10.1002/anie.199315013
- Dunken, H. Krauße, J. Strukturuntersuchungen von Lithiummethylat. Z. Chem. 1961, 1, 27–28. DOI: 10.1002/zfch.19610010111
- Weiss, E. Die Kristallstruktur des Natriummethylats. Z. Anorg. Allg. Chem. 1964, 332, 197–203. DOI: 10.1002/zaac.19643320311
- Greiser, T.; Weiss, E. Kristallstrukturen der Alkali-Isopropoxide des Kaliums, Rubidiums und Caesiums. Chem. Ber. 1979, 112, 844–848. DOI: 10.1002/cber.19791120309
- Weiss, E. Die Kristallstruktur des Kaliummethylats. Chim. Acta. 1963, 46, 2051–2054. DOI: 10.1002/hlca.19630460624
- Weiss, E.; Alsdorf, H. Die Kristallstrukturen des Kalium-, Rubidium- und Cäsiummethylats. Z. Anorg. Allg. Chem. 1970, 372, 206–213. DOI: 10.1002/zaac.19703720212
- Weiss, E.; Alsdorf, H.; Kühr, H. Structure of Alkali Metal t-Butoxides. Angew. Chem., Int. Ed. 1967, 6, 801–802. DOI: 10.1002/anie.196708011
- Greiser, T.; Weiss, E. Kristallstruktur des Natrium‐tert‐Butoxids, [(CH3)3CONa]9[(CH3)3CONa]6, Ein Neuer Strukturtyp Mit Nonameren und Hexameren Assoziaten. Chem.Beri. 1977, 110, 3388–3396. DOI: 10.1002/cber.19771101018