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スポットライトリサーチ

レドックス反応場の論理的設計に向けて:酸化電位ギャップ(ΔEox)で基質の反応性を見積もる

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第389回のスポットライトリサーチは、東京農工大学大学院生物システム応用科学府(生物有機化学研究室)に所属されていた岡本 一央 さんにお願いしました。岡本さんは現在、横浜国立大学大学院(跡部研究室)で博士研究員をされています。

今回ご紹介するのは、これまで理論的な予測が困難であった不安定な芳香族ラジカルカチオンの反応性を電気化学的解析により予測・制御するために、酸化電位ギャップ(ΔEox)を提案し、さらに開発したΔEox を緻密に実際に制御することで、通常のレドックス(酸化・還元)反応では利用が困難な基質についても分子内クロスカップリング反応を進行させたという成果です。レドックス反応を設計する上で扱いやすい指標になることが期待される本成果は、Angewandte Chemie International Edition 誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。

Oxidation Potential Gap (ΔEox): The Hidden Parameter in Redox Chemistry

Okamoto, K.; Shida, N.; Morizumi, H.; Kitano, Y.; Chiba, K. Angew. Chem., Int. Ed. 2022, 61, e202206064. doi:10.1002/anie.202206064

千葉一裕 先生(東京農工大学)と信田尚毅 先生(横浜国立大学)から、岡本さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!

千葉先生コメント

岡本君は東京農工大学の5年一貫の大学院に入学し、私の研究室(当時)に入室後有機電解法を用いた合成反応の研究を開始しました。研究を始めてすぐに、電解法の原理や有機合成一般に関する興味が広がり、抗ウイルス活性物質として期待が高まる一連のAza-nucleosidesや天然由来のPyrrolophenanthridone Alkaloidsの化学合成等を達成しました。岡本君の強みは、目的とする化学反応を実現するために、基質そのものの構造や反応特性を考察するだけではなく、反応溶液系のもつ様々な要素等も広く捉え、より優れた機能を発現させるための原理の解明を意欲的に進めることです。特に有機電解反応の場合には、支持電解質や溶媒の他、添加物、電極材料など、さまざまな選択肢がある中から、最適解を見つけ、またその意味を深く解析することによって、科学的により深い原理の解明が進むものだと思います。常に本質的な部分に着目しながら目的とする化学反応の実現に挑戦することはとても重要なことです。現在は、学振PDとして横浜国立大学の跡部真人教授の研究室にてご指導を受け、更なる発展を目指して活躍中です。

信田先生コメント

岡本さんは、私が東京農工大・生物有機化学研究室(千葉一裕先生、現学長)にて学振PDとして研究を行なっていた際、修士一年として在籍されており、それ以来の交流があります。岡本さんは、大学時代は生物系の学部に所属し、大学院入試に際して独学で化学(特に有機化学)を学び研究室に配属されたという異色の経歴を有しています。ですが、研究室では誰よりも有機反応に詳しく、実験技術にも優れ、大学院で7報の論文(うち筆頭6報)を発表され、有機電解合成に基づく反応開発で博士を取得されました。卒業後、横浜国立大学・跡部研究室に学振PDとして着任され、フロー電解を利用する生理活性物質・天然物の合成に挑戦されています。今回受理された論文は博士論文を構成する8報目の内容となります。

膨大な有機反応や先行研究例を記憶する能力は日常生活でも遺憾無く発揮され、得意のインターネットサーフィンによって得た芸能情報を中心に、擬音を多用して繰り広げられるハイコンテクストな会話は、学生・教員の脳を常に刺激し、研究室を活性化しています。以下のインタビュー記事は、岡本さんの「クセ」と「アク」の強さが現れていますが、これは岡本さんのある種の気恥ずかしさの表れです(と私は思っています)。岡本さんからは常に化学研究に対する誠実さと、真理追求への熱量が強く感じられ、これから研究者としてどんなケミストリーを開拓されるのか、大変楽しみです。今後の研究者・教育者としての大活躍を期待し、応援しております。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

レドックス反応を設計するための指標として酸化電位ギャップ(ΔEox)を提案し、その妥当性を実験と計算の両面から検証した研究になります。電気化学的な分子内C(sp2)-Hクロスカップリング反応をモデルとして、SOMO-HOMO間のエネルギーギャップが酸化電位ギャップへ反映されていることを突き止めました。これらの知見をもとに、酸化電位ギャップを制御しうるEWG/EDG(Electron adjuster)を駆使することで、従来は利用が困難であった酸化電位ギャップの大きな基質に対してもレドックス反応を適用することができるようになりました。

図1. 電解レドックス反応における反応点間の酸化電位ギャップ(ΔEox)と収率の関係性

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

この研究はもともと銅鉄研究のつもりで始めたものですが、得られてくるデータについて考えていくうちに壮大なストーリーが組み上がっていきました。以前、電解反応を用いた分子内クロスカップリング反応を開発し、ピロロフェナンスリドン類(N-ベンゾイルインドリンが基質)を合成しました。[1]これを踏まえて、「N-ベンゾイルアニリンでも環化するだろう」というしょうもない理由で様々な種類の基質を合成し電解反応をかけたところ、環化反応の成否が置換基の電子供与性/電子求引性に応じて大きく左右されるという現象を目の当たりにしました(図2)。当初は「ラジカルカチオン経由の反応の場合、芳香環上のEWGは求電子性を増大させ、EDGは求電子性を低下させる」という考察があまりにも当然のこととして導かれたので、大したアイデアだとは思いませんでした。しかし、改めて考えてみるとレドックス反応では極性転換(Umpolung)が必ず起こるため、基質設計に際してはアリール類の反応性を定量するために用いられるHammett則が適用できない(酸化的な反応系においては、電子豊富な求核的部位は求電子的なラジカルカチオンに変換されてしまう)という問題が存在することに気づきました。しかも、自分では当然だと思っていた「芳香環上の置換基がラジカルカチオンの求電子性に与える影響」について論じた文献はほとんど見つからなかったため、この現象をきちんと解析し、理解する必要があると思いました。学会などで話すと「そんなの当たり前」という反応をいただくこともありましたが、暗黙の了解として認知されている(らしい)にもかかわらず未だに解明されていない現象を言語化し、問題提起できたことは良かったと思います。それと、我ながら論文タイトルのセンスが良い。

図2.研究開始のきっかけとなった銅鉄的着想

また、論文投稿に際してはレビュアーを論理的に納得させることの重要性を知りました。1回目のレビューでは判断が真っ二つに分かれてしまったのですが、批判的な意見に対しても丁寧に応えられる実験系を組んでリバイスレターを送ったところ、一転してねぎらいの言葉とともに脈アリな返事をいただきました。論文審査のやり取りを戦いと表現する方もいますが、僕はときメモに近いと思います。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

酸化電位ギャップを制御するために用いる着脱可能なEDG/EWGの探索です。sp3炭素の活性化については京都大学の吉田潤一先生が提唱した電子補助基(Electroauxiliary)[2]が知られていますが、これらのケイ素や硫黄をベースにした置換基を芳香環のsp2炭素に導入してもほとんどが電解条件で分解してしまい、結局EDGはメトキシ基を用いることとしました。これらの結果から、硫黄原子はローンペアの酸化電位の低さゆえに様々な副反応(ダイマー化やスルホキシド化)を引き起こしてしまうことがわかりましたが、還元的な除去が容易という点は合成素子として非常に魅力的です。そこで、EWGの探索においては硫黄原子に電子求引性のCF3基が結合したSCF3基を検討したところ、電解条件で安定なEWGとして機能することが判明しました(図3)。芳香環上のSCF3基を除去(水素化)する反応はSciFinderやグリーンの保護基では見当たりませんでしたが、幸いにもラネーニッケル処理によってスムースに外すことができました。昨今はデジタルネイティブという言葉が取り沙汰されていますが、デジタルに頼りすぎると能動的な思考力が弱まってしまうと思うのでSciFinderを超越した瞬間の快感は大事にしていきたいと思います。

また、「ΔEox」の物理化学的な意味を定義することにも紆余曲折を経ました。当初はラジカルカチオン中間体のSOMOとHOMOをそれぞれ計算し、そのエネルギーギャップとΔEoxの相関を調べようと考えていたのですがうまくいきませんでした。しかし、計算化学に精通した信田さんが環化遷移状態に到るまでの活性化エネルギーを指標にするというアイデアを提案し、膨大な計算によってその妥当性を示してくれたおかげで、正しい方向に議論を軌道修正することができました。論文化を意識し始めた頃から計算科学は信田さんにお願いしたいという思いがありましたが、改めて餅は餅屋だなと感じました。

図3. 電子求引性基(SCF3基)の導入によって酸化的クロスカップリング反応の効率を向上(従来とは逆の概念)

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

4月から新天地で新たな実験手法を学びつつ研究に携われていますが、やはり有機合成は楽しいですね。しかし、学生(院生)さんが授業に追われて研究時間を削がれている姿を見ると、そのような喜びを感じる余裕がなさそうに思え不憫でなりません。この少子高齢化の時代、大学院生は日本の宝です。僕が大学教員になったら大学院の授業時間を減らして研究に打ち込める環境を整備したいですね。それと、将来的には化学系コメンテーターとしてメディアに進出し、化学系ジャーナルはもとよりフライデーをはじめとする一般ジャーナルにデビューすることも目標としたいと思います。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

大学院生の皆さん、研究時間確保のために一揆を起こしましょう。私の研究生活を支えてくださった皆さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

私には一度お会いしたい方がいます。理化学研究所の岡本和紘先生です。ScopusでKazuhiro Okamotoと検索すると一番にヒットするため、僭越ながら初めて論文を出した頃から一方的に認識しております。この記事を見てくださっていましたら、ご一報いただければ幸いに存じます。

最後に、長きにわたり私を根気強くサポートしてくださった千葉先生、信田先生、および研究室の皆様に深く感謝申し上げます。

研究者の略歴

名前:岡本 一央おかもと かずひろ
所属:横浜国立大学大学院工学研究院 日本学術振興会特別研究員PD
略歴:
2017年3月 明治大学農学部生命科学科 卒業
2022年3月 東京農工大学大学院生物システム応用科学府一貫制博士課程修了(千葉一裕教授)、博士(学術)取得、この間2020年4月~日本学術振興会特別研究員DC2
2022年4月~現在 横浜国立大学大学院 日本学術振興会特別研究員PD(跡部真人 教授)

関連リンク

  1. Kazuhiro Okamoto and Kazuhiro Chiba, Org. Lett. 2020, 22, 3613-3617. https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.orglett.0c01082 
  2. 吉田潤一, 有機合成化学協会誌, 1995, 53, 69-79. https://www.jstage.jst.go.jp/article/yukigoseikyokaishi1943/53/1/53_1_53/_article/-char/ja/

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大学院生です。ケモインフォマティクス→触媒

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