ポンコツシリーズ一覧
第7話:ポンコツ博士,ノーベル賞反応を仕込む
筆者はラボメンが苦労していた鍵反応の最適化を任された。改善を目指す反応は日本人にとってお馴染みのSuzuki/Miyaura Reactionだ。ミーティング中の英語は未だ全然聞き取れないが,スライドを見ればなんとなく分かったので,ここで収率をあげてボスの信頼を得ることを試みた。
*昔はミーティングルームで紙報告だったらしいが,現在はzoomでプレゼンする形態である。また,みんなが「Suzuki, Suzuki」と言うのでなんか感動した。
ポンコツ反応屋,信頼のされ方を考える
学生時代,反応開発研究や合成研究の最適化実験において筆者は実験意図をあまり考えないで実験数勝負している場合が多かった。要領が良くない筆者は理解が追いついてないと理解できるまでがむしゃらにやら…やるしかなかった。一方,現在の筆者は無茶ができた若かりし頃より老化し,実験をガツガツこなす体力がなくなってきた。老化と引き換えに壮絶な経験を経て自分の使える引き出しが増えたはずなので,それを頼りに1つの実験系を集中して行うことにした。また,新参者の筆者がメンバーやボスから現在の研究に対する情報を多く聞き出せるように「実験系(TLCや反応系の変化,精製の条件など)を周りにしっかり報告する」ことを心がけた。幸い,ミーティングが週に1回だったため,仕込む実験系や実験スライド,喋る英語などを考える時間が多く与えられた。
ポンコツChemist, 実験系を思考する①
筆者が検討する反応基質の特徴をまとめよう。最適化テーブルを作る上で基質の性質を確認することは大切だ。
① 化合物の構造にはF,Cl,Br基を含む芳香族が存在し,Br基を反応させなければならない。うーん,まぁ問題はないが,面倒くさそうだなぁ…。
② 序盤の不斉反応で量がいる。…最終合成化合物は大量に使う前提のため,安定供給という点ではPd試薬やLigandを安く購入できないとキツそうだなぁ…。
③ 反応基質と生成物が塩基に不安定で長時間の反応に耐えられず,相方のホウ素化合物も都度作って反応させないと分解するらしい。……そう。
色々縛りが多くて頭が痛くなったが,上述の内容を頭に入れて現状ベストな条件を2回試した。結果,±3%の誤差はあったものの,収率と原料の木っ端微塵具合がほぼ再現できた。筆者は反応系が寝る時にフラッシュバックするぐらいの気持ちで反応バイアルとTLCを凝視し,帰宅後に寝っ転がりながら改善点を考えることにした。しかし,実際はすぐに寝た。
ポンコツChemist, 実験系を思考する②
朝起きて改めて考えると,触媒の反応活性種はただ混ぜて完成するのではなく,フラスコ内で徐々に発生しながら反応を進行させていたようだ。具体的には,反応系の色が赤→茶→黒と変化していく中で赤色の時は全く反応が進行せず,茶→黒の間に進行していた。
筆者は「反応でこういう変化があったよ,何か知ってる?」とメンバーに伝えると,彼らはそれらを把握しており,これまでの知見や関連文献を教えてくれた。うむ…やはり知っていたのか。よくよく考えると事前に教えてくれた気がしたが,経験した後に聞くと自身の理解が進むものだ。百聞は一見に如かずである。
これらの知見を踏まえて筆者は論文用のtable作成と共に自分の知りたいことがきっちり分かる(であろう)反応系を設定し,実験に取り組んだ。例えば,今回の場合では化合物が塩基に一体どのくらい弱いのか知りたくなり,筆者は水を添加しない反応系の挙動を確認した(塩基は無機塩の飽和水溶液を使用する)。その結果,水を添加しないと24時間加熱還流しても基質を80%近く回収できることが分かった。また,反応系が赤いまま(とあるPd触媒の錯体のまま)であることを確認した。…なるほど,今回の反応系では基質の分解だけでなく触媒活性においても水の影響が大きいようだ。熟練の鈴木宮浦反応マスターの方はそういうもんでしょと言わないで欲しい。本人の中で「経験して理解したことと聞いて理解したことの納得度」が全然違うのだから。
ポンコツChemist, 基本を振り返る。
1つの実験でたくさんの事象が明らかになることは極めてお得であり,今回は少しだけ狙って実験した。しかし,基本的には1つの物事を導ける実験系をしっかり設定できているかが大切なのではと思う。駆け出しの頃は確認したい内容や実験に対する気持ち等が混じりあうことで実験系もごちゃ混ぜになることが多い。例として,全然反応がない実験に対して反応温度や試薬の当量数,追加の添加剤を同時に変更してしまい,「うまくいったけど,何の要因だったかよく分からないんです…」という結果を招くことだ。
アカデミアの先生や歴戦の先輩達は曖昧さを追求することが好物な生物であり,答えられないと正論という名の暴力でボコボコにしてくる。しかし,彼らはドS心を持って「曖昧なことしやがって,この○○ー!」と理不尽に追及したいわけでなく,実際にはやってくれた実験の大切なポイントを逃したくないだけである(…たぶん)。何れにせよ,本人が結果から答えを導き出せないので再度1つずつバラして実験する必要があり,長いスパンで見ると実は実験効率が悪い成果だったことになる。筆者個人の経験からもその瞬間の感情に流されて近道に見えたものは意外と遠回りなことが多いので極力避けたいと考えている。ただ,その遠回りしたことが若い頃には良い経験であることも多く,避けまくるのも良くない気がするのでバランスが難しい所だ。
一方で自分が理解したかったこと以外で予想外の結果を拾わないのもダメである。本人は分かっていなくとも第三者にとって重要な知見が眠っていることがある。何か不思議なことがあればチーム内で情報共有することが大切だ。実験がうまい人とはテクニックとは別に上述の流れを自然にこなし,興味深い知見をみんなに勝ち取ってくる人材ではなかろうか。
ポンコツChemist, 実験系を思考する②
次に筆者は,塩基を溶かした水溶液とPd触媒,反応基質を加えてホウ素化合物を加えない系を検討し,大豪院邪気が死亡するシーンぐらい涙を流しながら基質が木っ端微塵になる様を見届けた。大体,6時間ぐらいで反応基質が半分以上分解したため,今回の反応系ではおおよそ6時間以内でケリをつけなければならないことが分かった。また,反応系は程よい茶色になり,赤色のPd錯体から真の活性種に変わったことも確認できた(TLCでも確認済)。流れ的にここで実験tableを載せる所だが守秘義務的にマズいため,代わりといってはなんだが前話で怪しいtableを作成した。その後の実験はあんな感じでtableを作成したと思っていただければ幸いだ。
ポンコツ博士, 漫談で食いつなぐ
全くの余談だが,最近筆者は「理論の言語化」にハマっており,後付けながらも行動原理の理論化および言語化をクセづけようとしている。これは筆者がYouTubeで「フル○の方程式」や釣りプロ動画を観ることにハマっていることに由来する。一流の元プロ野球選手や釣りプロは自分の感覚や感性を理論立てて説明し,「だからできる・だからできない」を他者が納得できる形まで昇華している。やっていることは全く異なるが何か通じるものがありそうだなぁと思い,筆者も意識することにした。実験していると理論はよく分からないけど上手くいく(いかない)直感を感じたとき,その部分を上手く言語化して他者に何かを伝えられる人間になりたいものだ。
また,世の中には納得できない理不尽さとどうにか納得できる理不尽さが存在する。経験上,無茶でしょ…と思いつつも「でも…やるしかない…」となる(させる)状況は必ずある。理論は後から付いてくることが多いので,そこまでは理不尽さに対応しなければならない。しかし前者の場合ではその多くで感情論が先行し,よくない結果を招くことが多い気がする。そういうのを避けられるように世の中の理不尽さを正しく納得させる力が次世代には必要な気がする。
ちなみに,何故こんなポエムみたいな余談を書いたかというと今回の実験話を次回に持ち越したいからである。これは長期連載あるあるであろう”ネタが浮かぶまで余計なことで引き延ばす行為”である。今の筆者なら週刊連載で話が冗長し,中だるみしてしまった漫画家の気持ちがよく分かる。
学会の要旨や申請書,報告書等には無駄を推敲して伝えたいことをしっかり書こう。
〜〜続く〜〜
関連リンク
いらすとや :アイキャッチ画像の素材引用元。
野球理論の動画:筆者が好きな回の一部である。これを見た後に野球観戦すべし。①,②,③,④,⑤,⑥