第373回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院 工学系研究科山東研究室の齋藤雄太朗助教と谷田部浩行さん(博士後期課程1年)にお願いしました。
山東研究室では、
生命現象の理解と疾病治療に貢献する分子化学
を研究テーマに掲げています。ケミカルバイオロジー分野では世界的にも最も勢いのある研究室と言って良いでしょう。山東教授にはケムステVシンポでも講演いただいているので、スポットライトリサーチ常連と思いきや、これが今回はじめてとなります。
さて、山東研究室で現在着手しているプロジェクトは大きく以下の3つ。
In Vivo Chemical Biology:生体代謝を分子レベルで視る・操る 有機化学を駆使したオリジナルの分子デザインをもとに、生体その場で代謝や微小環境を調べる分子センサーを開発し、分子診断・分子医療に関する最先端の研究を進めています。未知の生体代謝ネットワークを明らかにするとともに、その制御を目指した阻害剤・薬剤の開発を展開しています。
人工細胞増殖因子:細胞内ネットワークの理解と制御 細胞増殖・分化などを制御する分子を創出し、再生医療・疾病治療、細胞システムの理解に貢献する新たなバイオテクノロジーを開発しています。
ペプチド創薬:ペプチドに基づく次世代バイオ医薬 論理的設計と分子進化の2つのアプローチによりペプチドおよびペプチドミメティクスの研究を行い、ペプチド創薬の実現を目指しています。
今回は、In Vivo Chemical Biologyのプロジェクトで、生体深部におけるがん関連酵素アミノペプチダーゼNの活性を検出する超核偏極MRI分子プローブの開発に世界で初めて成功しました。本件は東京大学からプレスリリースされ、Science Advances誌に掲載されています。
“Structure-guided design enables development of a hyperpolarized molecular probe for the detection of aminopeptidase N activity in vivo”
Yutaro Saito, Hiroyuki Yatabe, Iori Tamura, Yohei Kondo, Ryo Ishida, Tomohiro Seki, Keita Hiraga, Akihiro Eguchi, Yoichi Takakusagi, Keisuke Saito, Nobu Oshima, Hiroshi Ishikita, Kazutoshi Yamamoto, Murali C. Krishna,* Shinsuke Sando*
Sci. Adv. 2022, 8, eabj2667.
この研究を主体的に進めた、齋藤助教と谷田部さんに今回スポットライトリサーチを依頼しました。主宰教授である、山東教授からもお二人に対して以下のコメントをもらっています。
齋藤君は、研究にとてつもなく熱い情熱を持ち、日々研究に取り組んでいます。彼の情熱に感化されるように、学生も研究をEnjoyしており、彼の周りではディスカッションは絶えません。今回の彼の研究は、核偏極NMR研究における大きな1歩です。論理的設計によってIn Vivo応用可能な核偏極NMR分子プローブが実現できることを示すもので、世界中の研究者があとに続くことが期待されます。齋藤くんと熱心に取り組んだ、谷田部くんをはじめとする学生の頑張りも本当に感心するものでした。今後、益々ケミカルバイオロジーを盛り上げていってくれるメンバーだと期待しています。
超核偏極MRIを用いた次世代分子イメージング・診断技術への応用が期待される素晴らしい結果です。今回は、スポットライトリサーチムービーも撮影させていただきました。それではムービーとあわせて記事を御覧ください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?
化学反応を追跡したい時、どんな手法を使いますか?TLCやMSを挙げる人も多いと思いますが、複数の化学種の構造や存在量、そしてそれらの変化をリアルタイムで計測したいならNMRを使われる方が多いのではないでしょうか。NMRは、化学シフトやカップリング定数、ピーク面積・線幅など様々なパラメーターから分子に関する多様な情報をリアルタイムで得ることができます。
私たちの体の中では様々な化学反応(代謝)が起こっており、これらを計測・可視化・解析することで生命現象の理解や疾患メカニズムの解明に繋がります。単純なようですが、身体をまるごとNMR測定できれば、色んな生体化学反応をリアルタイムで計測・可視化することができます。NMRを用いた生体イメージングは、一般にMRIと呼ばれ、すでに広く医療現場に普及しています。しかし、MRIの感度は非常に低いため、通常のMRIでは様々な化学反応を追跡することはできず、生体内に莫大に存在している水や脂質の信号を画像化して生体組織の大きさや形などから診断を行います。
MRI感度を向上させ生体分子イメージングを可能にする方法として、動的核偏極(DNP)法が注目されています。この手法では、高感度化したい化合物に、極低温・高磁場中、安定ラジカル存在下でマイクロ波を照射することによって電子スピンの高い偏極率を核スピンに移し、ゼーマン分裂によって生じたα状態とβ状態の占有数差を広げ、MRI感度を数千~数万倍に向上させることができます(図1)。
DNP法によって分子プローブを高感度化してから、生体内に素早く投与しMRI計測することで、生体深部の情報を得ることができます。例えば、[1-13C]ピルビン酸を分子プローブとして生体内の乳酸デヒドロゲナーゼ活性を計測するがん診断法が米国で臨床段階あります。一方で、[1-13C]ピルビン酸のように生体応用可能なDNP-MRI分子プローブは非常に少なく、その開発が本分野の大きな課題となっていました。
本研究では、重要ながん関連酵素アミノペプチダーゼN(APN)の活性を検出する新しいDNP-MRI分子プローブを開発しました。山東研究室では、2016年に別のAPNプローブを報告していますが、in vivoでAPN活性を検出することができませんでした。本研究では、その問題点を追究し、有機化学、計算化学、生化学、核磁気物理学、腫瘍学など様々な分野の知見を駆使することで分子設計を行い、in vivoで機能する新しい分子プローブの開発に成功しました(図2)。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
[谷田部]
一般にDNP-MRI分子プローブは、分子サイズが大きくなると高感度化寿命が短くなるため、できるだけ小さな構造である必要があります。このような制約の中で、従来の分子プローブにおける課題であった酵素反応速度を改善するための試行錯誤がありました。従来の分子プローブからの構造展開、標的酵素と分子プローブ候補の相互作用の計算的解析、酵素反応性の評価を経て、ようやく最終的な分子プローブAla-[1-13C]Gly-d2-NMe2にたどり着きました。当研究室のこれまでの経験と知識を総動員することで設計・開発することができたこの分子には、特に強い思い入れがあります。これまで分子プローブの設計による開発が十分に行われてこなかった本分野ですが、これを機に分子プローブの設計・開発が加速すると嬉しいです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
[谷田部]
酵素反応速度の測定系の確立に苦労しました。酵素反応パラメータを比較したい4種類の分子プローブ候補の酵素反応速度が大きく異なったため、基質ごとに適切な基質濃度、反応時間を設定する必要があり、条件検討に多くの時間を費やしました。また微量な酵素反応生成物を検出する必要があったため、実験当初は再現性が悪いという問題がありました。この問題に対処するために先輩や先生方からアドバイスを頂き、無事に測定系を確立することができました。
[齋藤]
思い返せば、色んな苦労がありました。谷田部くんと行った酵素反応速度解析もさることながら、分子設計・合成から分子磁気特性の解析や動物実験に至るまでそれぞれの場面で試練があったように思います。各共著者と連携しながら様々な実験・研究を進める中で、それぞれの専門家にご尽力いただいて、それぞれの困難を乗り越えてきました。ここまで辿り着けたのは、良い共同研究者に恵まれたからということに尽きると感じています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
[谷田部]
私は自分の手で分子を合成したいという思いで化学の世界に足を踏み入れました。特に、分子プローブを用いて生命現象の理解や病態診断への応用によって社会に貢献していきたいと考えています。今後は、本研究テーマで開発した分子プローブに続いて、さらに実用的な分子プローブを設計・開発し、生物学、医学など様々な分野へと展開していきたいです。
[齋藤]
私は「人に感謝される、かけがえのない“ものづくりの匠”でありたい」と思っています。これは出身研究室である名古屋大・伊丹健一郎先生の言葉の一節です。山東研の助教となった今でもこの思いは変わりません。伊丹先生から教えていただいた分子愛や情熱と、山東先生に教えていただいた(教えていただいている)研究者としてのイロハや科学への想いを胸に、学生さんたちと共に、自分たちにしかできない研究で、人に感謝される分子・成果をどんどん発信していきたいです。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
[谷田部]
B4で研究を始めてから、様々な方々のお力添えで研究を進めることができています。研究は一人ではなしえないということを痛感する日々です。お世話になっている方々のご期待に応えるためにも、挑戦する姿勢を忘れずに研鑽を重ねていきたいと思います。最後に、本研究テーマを遂行する上でお世話になった山東教授、齋藤助教、先輩方、共同研究先の先生方、そしてこのような機会を与えて下さったChem-Stationのスタッフの方々にこの場をお借りして心より感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。
[齋藤]
私から何か読者、特に学生の皆さんに教訓を授けるようなことはできないのですが、私は恵まれた環境で毎日楽しく研究ができて本当に幸せだと感じています。時には辛く厳しい状況に陥ることもありますが、その分、成長を感じる時や困難を克服できた時の喜びは何物にも変え難いです。迷いが生じた時は、「人は、選択に迫られた時、どちらを選ぶかはあまり重要ではない。選んだ選択肢が正しかったと思えるように努力することが大事だ」という山東先生の言葉に何度も助けられました。今まで色んな場面で助けていただいた方々への感謝を忘れず、今後もよりよい研究を展開していきたいと思います。
研究者の略歴
名前:齋藤雄太朗
所属:東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻・山東研究室(助教)
研究テーマ:次世代医療に資する有機化学・ケミカルバイオロジーの展開
略歴:
2009年–2013年 名古屋大学 理学部化学科
2013年–2015年 名古屋大学大学院 理学研究科物質理学専攻(化学系)博士前期課程(伊丹健一郎 教授)
2015年–2018年 名古屋大学大学院 理学研究科物質理学専攻(化学系)博士後期課程(伊丹健一郎 教授)
2015年–2018年 日本学術振興会 特別研究員(DC1)
2018年–2019年 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 特任研究員(山東信介 教授)
2019年–2019年 理化学研究所 環境資源科学研究センター 分子生命制御研究チーム 基礎科学特別研究員(萩原伸也 チームリーダー)
2019年–現在 東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻 助教(現職)
名前:谷田部浩行
所属:東京大学大学院工学系研究科化学生命工学専攻・山東研究室(博士課程1年)
研究テーマ:生体内アミノペプチダーゼ活性を検出する超偏極分子プローブの開発と応用
略歴:
2020 年 3 月 東京大学 工学部 化学生命工学科 卒業
2022 年 3 月 東京大学 工学系研究科 化学生命工学専攻 博士前期課程 修了
2022 年 4 月–現在 東京大学 工学系研究科 化学生命工学専攻 博士後期課程 在学
2022 年 4 月–現在 日本学術振興会特別研究員(DC1)
関連リンク
- 山東研究室
- 山東信介 Shinsuke Sando(世界の化学者データベース)
- 第40回「分子設計で実現する次世代バイオイメージング」山東信介教授