Long らはランタノイド-ランタノイド結合をもつ初めての安定な二核錯体を報告しました。その二核錯体では、金属間の結合性軌道を半占する電子のスピンと2つのランタノイドのf電子のスピンが結合して強く配向するため、これまでの単分子磁石と比較して最高の磁気特性を示しました。
“Ultrahard Magnetism from Mixed-Valence Dilanthanide Complexes with Metal-Metal Bonding”
Gould, C. A.; McClain, R. A.; Reta, D.; Kragskow, J. G. C.; Marchiori, D. A.; Lachman, E.; Analytis, J. G.; Britt, R. D.; Chilton, N. F.; Harvey, B. G.; Long, J. R. Science 2022, 375, 198–202. DOI: 10.1126/science.abl5470
研究背景1: 単分子磁石とは
単分子磁石とは、スピンを反転させる際にエネルギー障壁が存在するため、外部磁場を取り除いた後も、そのスピンの向きを保持できる単一の分子です2。ここで磁石という単語は、鉄を引き付けるような材料や羅針盤のように地磁気 (より一般には磁気) に応答する計器のことを指し、必ずしもN極とS極をもつ、いわゆる “磁石” を意味するわけではありません。単分子磁石にいわゆる磁石のような機能はなかったとしてとも、分子の磁気が上向きか、下向きかにあることは、コンピュータ科学で言うところのビット (0か1で決まる情報の単位) に対応させることができるため、単分子磁石は分子レベルでの情報記録装置として期待されています。
ただし、2022年現在までに開発されている単分子磁石には、液体窒素の温度 (77 K) よりもさらに低い温度でないと、磁化を保持できないという難点があります。もちろん温度が上がると磁化を保持できなくなることは、単分子磁石に限った性質ではありません。ネオジム磁石のような典型的な磁石も300℃近くまで加熱すると磁力を失います。単分子磁石は、(2022年現在の技術では) 磁力を保持する力が極端に弱いのです。単分子磁石研究における大きなゴールは、(1) 磁化を反転させるのに必要なエネルギー障壁をあげることと(2)外部磁気を除いた後に磁化を保持できる温度をあげることです。
研究背景2: これまでに開発されている単分子磁石の例
一番初めに開発された単分子磁石はMnの多核クラスター (上図右を参照) 3,4ですが、近年ではランタノイド錯体が強力な単分子磁石として有力視されています2。内殻に埋まった4f軌道の軌道角運動量は配位子場によって消失しておらず、電子スピンの角運動量にくわえて軌道角運動量も磁性に利用できるからです。
例えば三価のランタノイドのメタロセン錯体である [Dy(CpiPr)(Cp*)]+は、65 K の100-s 磁気ブロッキング温度 (blocking temperature: 平たく言うと磁化が保持できなくなる温度)を示し、これはこれまでの単分子磁石の中で最も高いブロッキング温度になっています5。この錯体では、強い配位子場を作る Cp系配位子が2つのアキシャルを占めることで、全角運動量 J の磁気量子数 (全磁気量子数 mJ) の間のエネルギー間隔が大きくなり、磁化を保持しやすくなっています。
問題設定: Ln-Ln結合をもつ多核クラスターの合成
ランタノイド系の単分子磁石ではなく、遷移金属からなる単分子磁石に目を移すと、遷移金属の広がった3d軌道を利用して金属-金属結合をもつ多核クラスターを形成させることで、金属間で電子スピンを相互作用させることができ、高い磁気反転障壁を作り出すことが知られています6,7。ただし一般的には遷移金属錯体では配位子場によって d 軌道の縮退が解け、d電子の軌道角運動量 L が消失してしまうため、磁気的性質を示しにくい傾向があります。
もしもランタノイド-ランタノイド結合を有する多核錯体を合成できれば、4f電子に由来する大きなスピンが結合し、従来の単核ランタノイド錯体よりも優れた磁気特性を発揮できると考えられます。しかし、ランタノイドの4f軌道は内殻的にふるまうため、ランタノイド―ランタノイド結合を作ることは困難です。例えば、フラーレンに内包された二核ランタノイド分子は報告されているものの、4f軌道同士の相互作用は非常に弱く、むしろ核同士のクーロン相互作用が結合性相互作用よりも大きいと報告されています8。そのような二核ランタノイド分子をフラーレンの外に取り出すことはできず、安定な二核ランタノイド錯体は知られていません。
技術や手法のキモ: 2価のランタノイド
ランタノイドイオンの安定な酸化数は一般的に三価で、このときの電子配置は (4f)nです。ただし、二価のランタノイドでは (5d)1(4f)nの電子配置を取り、その5d電子によって配位子と共有結合的な相互作用が可能であることが知られています9。例えば+3の酸化数によるランタノイドのメタロセン錯体ではランタノイド中心の配位構造は、フェロセンのような直線になっていません (下図上)。それは、ランタノイドとCp配位子間の結合が共有結合よりもむしろイオン結合的であり、配位子同士の立体的な要因がランタノイドの配位構造を決定しているからです。しかし、そのような錯体を還元し、二価のランタノイド錯体にすると、5dz2 電子と配位子が共有結合的な相互作用を示し、錯体の立体構造は直線になります (下図下)。
Long らは、ハーフメタロセン型のLn(III)錯体を架橋性配位子でつないだ後にそれを一電子還元すれば、5dz2軌道同士が相互作用したLn(II)/Ln(III)混合原子価の直線型二核ランタノイド錯体が合成できると考えました。具体的には下に示すようなヨード架橋Ln(III)二核錯体(CpiPr5)2Ln2I4(Ln = Y,Gd, Tb, Dy)をKC8で一電子還元し、Ln(II)/Ln(III)混合原子価の(CpiPr5)2Ln2I3錯体を得ました。この錯体のLn-(μ-I)3-Lnコアは、面共有八面体構造を持つ[M2X9]n-のM-(μ-X)3-Mコアと類似しています10。[M2X9]n-は、酸化状態によって金属-金属結合を持つことが知られているため、同様のLn-(μ-I)3-LnコアにもLn-Ln結合が形成できると考えたのです。
主張の有効性検討1. ランタノイド-ランタノイド結合の存在の確認
ランタノイド-ランタノイド結合の形成は、単結晶X線構造解析、電子スピン共鳴そして可視紫外分光法 (UV-Vis) により確認されました。
X線構造解析
合成された(CpiPr5)2Ln2I3 (Ln = Y, Gd, Tb, Dy: Y はランタノイドではありませんが, 簡単のためにLnでまとめます) の構造は単結晶X線構造解析により決定されました。Ln—Ln距離は、それぞれの単一の金属原子の共有結合半径の和よりも 2-4% 程度小さいことが確かめられました。そのLn—Ln距離/共有結合半径の和の比は、結合次数 0.5 の同核二核錯体に見られる値と一致し、Ln-Ln結合の存在を示唆しました。重要なことに、錯体中のそれぞれのランタノイドは結晶学的に等価で C2 対称軸によって対応付けられます。このことから、それぞれのランタノイドはLn-Ln結合に等しい割合で寄与しており、その結合は共有結合的な均一な結合であること示唆されました。実際に、DFT計算により、この錯体の半占分子軌道 (SOMO) は、2つのランタノイドイオンのdz2軌道の寄与を持つことが確かめられました。
dz2軌道由来の半占分子軌道の存在を確かめるため、Tm2+/3+を利用して同様の錯体を調製しました。Tm2+は、(5d)1(4f)n の電子配置を取る他のランタノイドの二価イオンと違い、(4f)n+1の電子配置を取るため、dz2軌道由来の半占分子軌道を形成できないと考えたのです。実際に合成された(CpiPr5)2Tm2I3 において、Tm—Tmの距離はTmの共有結合半径の距離よりもはるかに大きく、それらは相互作用していないことが確かめられました。さらに2つのTm原子は結晶学的に等価ではなく、Tmと他の配位子の結合距離から一方をTm2+、もう一方をTm3+に明瞭に区別できました。
さらに Tm 以外での (CpiPr5)2Ln2I3 における dz2軌道由来の半占分子軌道の存在を確かめるため、その一電子酸化体である[(CpiPr5)2Dy2I3]+ を調整しました。この錯体において、もしDy–Dy結合がなければ、より中心金属の酸化数が大きい[(CpiPr5)2Dy2I3]+の方がDyのイオン半径は小さく、Dy—Dy距離は小さいと考えられます。しかし、実際には(CpiPr5)2Dy2I3におけるDy–Dy距離よりも[(CpiPr5)2Dy2I3]+ のそれの方が大きいことが確かめられました。これは、(CpiPr5)2Dy2I3 から[(CpiPr5)2Dy2I3]+ に酸化される際に、(CpiPr5)2Dy2I3のDy—Dyの結合性軌道から電子が取り除かれ、Dy—Dy間の結合性相互作用がなくなったためだと考えられます。
分光学σ軌道性の半占軌道の存在を確認するため, f 電子を持たず、ランタノイドの反磁性等価体とみなせるYをEPRのサンプルに用いました。[(CpiPr5)2Y2I3]のXバンドのEPRを測定したところ、アキシャル方向のgテンソルが確認されたため、σ軌道性の半占軌道の存在が確かめられました。
さらに(CpiPr5)2Ln2I3 (Ln = Y, Gd, Tb, Dy, Tm) のUV-vis-NIRにおいては、Ln = Tm の場合を除いて、吸収極大波長 15000 cm-1あたりに観測されました。Y錯体でのDFT によると、この吸収は結合性σ(dz2-dz2) SOMOから反結合性σ*(dz2-dz2) LUMOへの遷移であると帰属されました。さらにその吸収の半値幅から、(CpiPr5)2Ln2I3 (Ln = Y, Gd, Tb, Dy) の錯体は、Robin-Day の分類でいうところの Class III の混合原子価であると帰属されました12。それは、d電子が2つの金属間で均一に共有されていることを意味します。
Ln = Tmにおいて吸収極大波長 15000 cm-1の吸収が確認されなかったのは、前述のようにTm2+は5d電子を持たず、σ(dz2-dz2) SOMOを形成していないからです。
主張の有効性検討2.磁気特性の測定
半占されたσ(dz2-dz2)結合性軌道を持つことの磁気特性における利点は、磁化率、ブロッキング温度および保磁力の高さにより示されました。
磁化率
始めにゼロ磁界低温での直流磁化率法により(CpiPr5)2Ln2I3 (Ln = Gd, Tb, Dy)のスピン状態を調査しました。それらの錯体は 1000 Oeの磁場において、高スピン状態をとっており、室温付近でも磁化を保っていました。さらに重要なことに 300 K での磁化率と温度の積 χTは、個々のランタノイドイオンのf電子が相互作用していないときの理論値よりも高く、そのすべてのf電子が半占軌道の電子のスピンと平行に配向している場合の理論値に近いことが確かめられました。磁化率測定のデータから、スピンのカップリング定数は、J = +387(4) cm-1 と見積もられ、この値はこれまでに報告されているランタノイドにおけるカップリング定数よりも大きいことが明らかになりました。これが4f電子とσ結合性電子のスピン-スピン交換相互作用によるものであると帰属されました。
ブロッキング温度
次に直流および交流での磁化緩和データから、ブロッキング温度および反転障壁を見積もりました。Dy錯体において、緩和時間を100秒としたときのブロッキング温度はTb = 72 K 、そして反転障壁は Ueff = 1631(25) cm-1 と見積もられ、これらはこれまで報告されている中で最高の性能を示す単分子磁石[Dy(CpiPr)(Cp*)]+の記録 (Tb = 65 K. Ueff = 1541(11) cm-1) を上回りました5。
保磁力
Dy錯体における±14 T での磁場可変測定の結果を以下に示します。この錯体は80 K でも磁気ヒステリシス (磁場をゼロに戻したときにも磁化が残ること) を示し、これはこれまで報告されている単分子磁石の中でも最も高い温度における磁気ヒステリシスの一つです。さらに、68K 以下において、測定装置が測定可能な磁場では、その錯体の磁気が反転することはありませんでした。このような測定装置の限界から、保磁力 (磁気が飽和した材料の磁気をゼロに戻すことができる外部磁場) は「60 K 以下において 少なくともTc >= 14 T である」としか見積もることができませんでした。しかし、その保磁力は、これまでの単分子磁石の記録 (10 K で 7.9 T) や市販されている磁石 (SmCo5 が 4.2 K で 4.3 T) よりもはるかに大きいと確かめられました。
コメント
報告された錯体の構造は驚くほどにシンプル。そして単分子磁石における記録を片っ端から更新した驚異の磁性。この分子には、単分子磁石を研究する研究者だけでなく、「ただの化学好きの大きなちびっ子たち」すらも興奮させる魅力があるのではないでしょうか。2022年はまだ2月ですが, 今年を代表する分子の有力候補であることは間違いないでしょう。
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参考文献
- Gould, C. A.; McClain, K. R.; Reta, D.; Kragskow, J. G. C.; Marchiori, D. A.; Lachman, E.; Choi, E.-S.; Analytis, J. G.; Britt, R. D.; Chilton, N. F.; Harvey, B. G.; Long, J. R. Ultrahard Magnetism from Mixed-Valence Dilanthanide Complexes with Metal-Metal Bonding. Science 2022, 375 (6577), 198–202. https://doi.org/10.1126/science.abl5470.
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