実験室レベルでは、未だに危険な試薬を扱わざるを得ない場合も多いかと思います。tert-ブチルリチウムによる痛ましい事故は化学徒の間で語り継がれていますが、ハインリッヒの法則によると、1件の重大事故の裏には 29 件の軽微な事故があり、さらに300 件のヒヤリハット事例があると言い、何らかのインシデントは毎日どこかのラボで起きていることでしょう。実験における安全確保は、当事者の学生だけでなく、むしろ指導教員が配慮しなければなりませんが、昔取った杵柄を断捨離できずにわざわざ危険を冒させてしまう人もいるでしょう。令和のいま、研究者やメーカーの努力により、危険性 (爆発性・毒性など) を抑えた便利な代替試薬がたくさん市販されています。本稿では、筆者が使ってみて「これは便利だ!」と思った代替試薬についていくつかまとめてみました。
ジアゾメタン→ TMSジアゾメタン
まずは有名どころですがトリメチルシリルジアゾメタン (TMSジアゾメタン) の紹介です。ジアゾメタンはカルボン酸→メチルエステルへの選択的変換において大いに有用な試薬ですが、高い爆発性と毒性 (発がん性)、さらに要事調製が必要という欠点を持ちます。要事調整に用いる前駆体の Diazald®も取扱に注意を有するうえ、なんと単純な Diazald® 自体は国内で購入できなくなっているようです (メーカーサイト)。そこで、低爆発性で取扱容易な TMSジアゾメタン が活躍します! TMS ジアゾメタンの反応性はジアゾメタンと同等であり、ハンドリングしやすい n-ヘキサン溶液として市販されています。クエンチは泡が出なくなるまで酢酸を加えるだけ。もちろん注意を払いながらドラフト内で扱う必要はありますが、あまりに使い易すぎてもうジアゾメタンなんぞ一生作りたくなくなります。ネックなのは非常に高価だということでしょうか…。
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・ジアゾメタン diazomethane
塩化ホスホリル (オキシ塩化リン)→ ジホスホリルクロリド
Vilsmeier-Haack反応 といえば electron-rich な芳香環へのホルミル基導入反応の常法です。反応中間体となる Vilsmeier 試薬の調整に DMF と塩化ホスホリル (オキシ塩化リン、POCl3) を用いますが、この塩化ホスホリルは毒物及び劇物取締法に基づく医薬用外毒物に指定されており、積極的に用いるのは避けたい試薬です (帳簿を書いたりもめんどいですよね)。また代替として用いられる塩化オキサリルや塩化チオニルは塩化水素を発生しやすいことから、これらもハンドリングに面倒が生じます。そこで役に立つのが、ジホスホリルクロリド (ホスホロジクロリド酸無水物)! こちらの試薬は構造的に「塩化アセチルに対する無水酢酸」のようなものであり、POCl3 と同じ反応機構で DMF から Vilsmeier 試薬を生じます。性状は標準状態で液体ですが、発煙・刺激臭がほとんど無い点で POCl3 よりもハンドリング容易です。またジホスホリルクロリドは分子内環化反応にも応用されています (試薬メーカーサイト)。
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・ヴィルスマイヤー・ハック反応 Vilsmeier-Haack Reaction
金属ナトリウム→ 金属ナトリウム分散体
こちらの記事をご参照ください。
四酸化オスミウム→PI酸化オスミウム
四酸化オスミウムを用いた cis-1,2-ジオールの合成は他の試薬で代替がほぼ効かない反応です。しかし、四酸化オスミウムは猛毒であり、しかも揮発性があるため取り扱いには細心の注意を要します。NMO などの再酸化剤を加えて触媒量で用いるのが一般的ではありますが、それでも後処理が面倒臭いものです。そこで活躍するのが、小林修先生らが開発した PI酸化オスミウムです。これは酸化オスミウムを高分子カルセランド型 (Polymer-Incarcerated) のポリマーに担持させた固定化触媒で、反応物との分離が容易・繰り返しの使用が可能 ・揮発性の抑制による毒性の低減低減・高い反応性および立体選択性といった良いとこ取りの試薬となっています。再酸化剤としてフェリシアン化カリウム ([K3Fe(CN)6]) を使用する場合に適しているとのことです。さらに対溶剤性を向上したPI酸化オスミウムII型も市販されています。詳しくはメーカーサイトをご覧ください。
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・四酸化オスミウム Osmium Tetroxide (OsO4)
ベンゼンスルホニルクロリド → p-トルエンスルホニルクロリド
ブロモ酢酸エチル→ブロモ酢酸メチル
そこを変えて何が違うの ?? という感じに思えますが、前者は医薬用外毒物に該当するため、替えが効くなら後者の方がいろいろ面倒臭くありません。というだけ。
二塩化硫黄→ビス(フェニルスルホニル)スルフィド
硫黄源として有用な二塩化硫黄は古い合成論文にはよく出てくるものの、近年はその有害性から市販を取りやめたメーカーが多いようで、入手困難になっています。その代替品がビス(フェニルスルホニル)スルフィドです。東京化成工業 (TCI) の製品チラシには以下のような利点が記載されています。
- アリールリチウムなどの求核剤と温和な条件下で反応し,剛直骨格を含む種々の チオフェン環の形成が可能
- 毒性が高く取扱い困難な二塩化硫黄(SCl2)の有用な合成等価体
- 反応により副生するベンゼンスルフィン酸は分液,精製等で容易に除去可能
本試薬は固体で取り扱いやすいのもポイントです。硫黄が3連続で結合した突飛な化合物に見えますが、脱離基が Cl から ベンゼンスルホニルに変わっただけだと思えば、ああそうかと納得いくと思います。
二酸化硫黄 → DABSO
こちらは二酸化硫黄の等価体。こちらの記事をご参照ください。
一酸化炭素 → ギ酸トリクロロフェニル or N-ホルミルサッカリン
いずれも静岡県立大学の眞鍋敬先生が開発された一酸化炭素の等価体。安全なホルミル源として有用です。詳細はこちらの記事をご参照ください。
溶媒
小ネタですが、毒性・発癌性などの観点からプロセス化学などの現場では忌避される傾向のある溶媒の代替品をリストアップします。どうしても値は張りますが、安全性を考える上では実験室レベルでも変えていくのが望ましいでしょう。
- ベンゼン → トルエン、キシレン
- n-ヘキサン → n-ヘプタン
- 1,4-ジオキサン → シクロペンチルメチルエーテル (CPME)
- THF → 2-メチルテトラヒドロフラン (2-MeTHF)
おわりに
大学の実験室は産業界に比べて規制が緩く (または遵守されず)、明らかに危険な試薬を昔ながらの慣習で使わせてしまう事例が今でも多いと思われます。安全確保は実験において何よりも大事です。調べきった上で他に方法がないのであればともかく、できるだけ危険な試薬の使用は回避し、自分も周りも指導学生も安心して (ただし油断は禁物) 実験を進められるように工夫したいものです。
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