分子の対称操作は群をなします。この記事では、一般的な科学の教科書には書かれていない「群とはなにか」という問題についてお話しします。群がなにかを理解することは、無機化学や物理化学の巻末にある難解な表 (=指標表) の理解にもつながるため、その理解を最終目標に、群とは何かに加えて群論の用語なども併せて簡潔かつ丁寧に解説することを本記事の目的とします。
はじめに
化学を学ぶ学部の上級生や大学院生となると、”分子の対称性” や “群論” という言葉を一度は聞いたことがあると思います。言葉を聞くだけでなく、分子の対称性を見極めて点群を帰属することをテスト勉強の一環として学んだことがあるのではないかと思います。しかし化学を学ぶ範囲だと、「で、結局群論とは何だったのか」ということまで深く掘り下げることは少ないないのではないでしょうか。一般的な学部レベルの教科書には、そもそも群とは何かについて書かれていることが少ないからです。しかし、少し上級な教科書 (例えばハウスクロフトなど) に当たってみると群論を利用した対称性適合配位子結合軌道(SALC) の導出について議論されており、群論の基礎がないままに応用を学ばざるをえない化学の学生は少なくないと懸念します。
この記事では、「で、結局群論とは何だったのか」という基礎的な疑問にこたえるべく、群の定義やその用語についてお話しします。言ってしまうと、これらの知識は化学の応用に必要不可欠とは言えないでしょう (なぜなら多くの化学の教科書が省略しているのだから)。そして、この記事は定期テストや院試直前の学生に直接役立つものではないことは忠告しておきます (次回以降の記事は役に立つかもしれません)。しかし基礎を知っていると、応用の際に必要なツールのブラックボックスな部分が少し理解できるかもしれません。本記事が、「数学の群論の教科書を読む勇気はないけれと、化学で群論をがっつり使いたい」という研究者のモヤモヤ感を晴らす役割を果たすことを期待します。
群とは何か
群とはある要素同士で特定の積を定義したときに、次の性質を満たす一連の要素 (“元”ともいいます) のセットのことを言います。
性質1: ある要素と別の要素の積がその群の要素に含まれている (閉集合性)
性質2: 3つ以上の要素の積を考えるとき積を施す順番は結果に影響しない (結合性)
性質3: 他の要素に乗じたときに、その要素を変化させないような要素 (単位元) が一つ存在する (単位元の存在)
性質4: 他の要素に乗じたときに単位元を与えるような要素が、どの要素にも一つ存在する (逆元の存在)
少し注釈をつけましょう。ここでいう”積” とは、いわゆる掛け算でなくても問題ありません。極端な話、足し算をある群の”積”に定義することもできます。要するに、何らかの演算や操作を”積”と呼んでいるだけです。後で見るように、要素は数字でなくてよく、”積”は計算でなくてすらよいのです。
群の具体例
具体的な群の例を考えながら、上の群の性質について詳しく見ていきましょう。
例1. 足し算を積と定義したとき、全ての実数
これが群の資格を満たしているか見てみましょう。まずは閉集合性です。実数同士の足し算は必ず実数なので。性質1の閉集合性はOKです。次に結合性。足し算は結合性があるので、性質2もOKです (例えば(1+2)+3 = 1+(2+3) )。次に単位元の存在について考えましょう。何かに足し算をしたときに、元の数字が変わらないような実数はあるでしょうか。これは0のことですね。つまり、0が単位元の役割を果たすので、性質3も満たしています。最後に、逆元を探します。「実数に何かを足したときに、0に戻るような何かが存在するか」と聞かれているわけですね。答えはYESであり、例えば 1 に (–1) を足すと0になります。あらゆる実数 x について –xが逆元になります。
というわけで、足し算のもとでのすべての実数は群をなしています。
例2. 掛け算を積と定義したときのすべての実数
上と同様にこれが群の性質を満たしているか考えます。性質1と性質2は説明不要でOKでしょう (実数の掛け算なので)。では単位元は存在するでしょうか。1 は、何にかけても相方の数字を変化させないので、1 が単位元ですね。 では逆元はなんでしょうか?先ほど1が単位元だと分かったので、「ある実数にかけたときに1になるような数が存在するか」を探せばよいわけです。例えば 5 に 1/5 をかけると 1 になります。したがってすべての実数xについて、1/xが逆元として存在します….と言ってはいけません!なぜなら、実数0に対しては1/0を考えることができないからです。したがって、「掛け算を積と定義したときのすべての実数」は群としての資格を満たしません。ただし、「掛け算を積と定義したときの、0を除くすべての実数」は群となります。
例3. 掛け算を積と定義したときの {1, –1, i, –i}
ここで i は虚数の i です。先に結合性と単位元をみておきましょう。積を掛け算で定義しているので、結合性は自動的に満たしています。さらに、掛け算なので1が単位元になります。
閉集合性を考えたいところですが、これはすべての積の組み合わせを考えなければならないので面倒ですね。こういうときは、”積表 multiplication table” をつくるとよいでしょう。この表では、要素を表の一列目と一行目にならべて、百マス計算の要領で、それぞれの要素の積の結果を埋めていきます。計算の詳細はすっとばして結果を下に示します。自分自身でも計算して確かめてください。
表の中には {1, –1, i, –i} しか存在しません。これは、「ある要素と別の要素が、その群の要素に含まれている」ことを意味し、閉集合性を満たしていることが分かります。さらに、この表を見ると、全ての行あるいは列に1が存在していることがわかります。例えば、2行目であるiの行を見ると (–i) x i が1 です。つまりi の逆元は –i なわけです。そんな調子で、全ての要素に関して逆元があることがわかりました。というわけで「掛け算を積と定義したときの {1, –1, i, –i}」もまた群をなします。ちなみに、この群は imaginary group といい、記号 I で表すこともあります。
例4. 操作を連続的に施すことを積と定義したときの物体 (分子) の対称操作
ここで変化球になりますが、数を要素としない群について考えましょう。ここでの群の要素は対称操作になります。そしてそれらの要素の積を、「2つの対称操作を連続的に施すこと」と定義します。具体例として、アンモニア分子を考えましょう (対称操作については以前の記事を参照: 分子の対称性が高いってどういうこと?)。アンモニア分子には、次の6つの対称操作が存在します。
これらの6つの操作のうち2つを連続しておこなったときにどうなるかを考えながら、積表をつくってきましょう。ここで積表を作る際の注意点。この記事では、積表の行の操作を先に実行して、列の操作をその後に実行する、ということで統一します。群の中には、操作の順番が積の結果に影響を与える場合もあるのです (後でお話します)。
積表を埋めていきましょう。まずはEの列です。Eに何をかけても結果かわらないことを考慮すると、Eの行と列は簡単に埋まります。次に「C3 に続いて C3」について考えます。C3が120度回転なので。それを2回続けて行うと240度回転、つまりC32です。その次の「C3に続いてC32」は、120度回転に続いて240度回転、すなわち1回転なので何もしなかったことと同じEです。
では「C3に続いてσv」どうでしょうか。少し厄介ですね。これを考えるときには、立体投影図 (stereographic projection) をつくるとよいでしょう。この図において、ある点に対称操作を施して移動させ、さらに対称操作を施して点を移動させます。そして、初めの点の位置から最終的な点の位置に一度で動かすことができる操作を考えます。その対称操作が、2つの対称操作の積なのです。
この立体投影図を使って、C3に続いてσvを行ってみると、+印が左下まで移動することが分かります。初めの位置からその位置まで一発で+印を動かす操作は σv’なので、2つの操作の積はσv’であることがわかります。これを式にすると σv C3 = σv’ です。ここで式の書き方に注意。σv C3は C3を先に行うことを意味します。
もう2つ例を示します。「C3に続いてσv’ 」はσv” です。(σv’C3 = σv”)。C3から始まらない例も示しておきましょう。例えば 「σvに続いてσv’」はC32です (σv’ σv = C32 )。
同様に他も埋めていきます。読者の皆さんも自分で考えてみて納得したうえで続きを読まれることを強くお勧めします。理解を深めるために自分で手を動かすことは重要ですし、こういった単純な脳トレは、集中して取り組むと意外とハイになってゾーンに入れます。
さて、晴れてアンモニア分子の対称操作に関する積表が埋まりました。積表のなかに記入されている操作は、全てアンモニア分子の対称操作になっています。言い換えると、積によって新しい対称操作は生まれていません。したがって閉集合性が成り立っています。単位元と逆元の存在も確認しましょう。単位元は、恒等操作Eです。そして、積表のすべての列(あるいは行)に1つずつEがあらわれているため、すべての要素に逆元があることもわかります。ついでにいうと, 各々の行や列にはすべての対称操作が必ず一度ずつ重複なく表れています。
最後に結合性を確認しましょう。これをするには3つの操作の積を考える必要があります。例えば C32σv’C3 について C32(σv’C3) = C32 σv” = σv ですし、(C32σv’) C3= (σv”)C3= σv であるから、とりあえず C32(σv’C3) = (C32σv’)C3 は言えます (2つの積の結果は積表から借りてきましょう)。ただしこれだけでは結合法則が一般に成り立つことの証明にはなりません。少しズルをして、線形変換の知識を借りましょう。
回転や鏡映のような対称操作は、行列で表せるはずです。そして行列の積の結果は、なんらかの操作に対応するはずです。そこで対称操作の積の話を行列の積の話にすり替えましょう。まず対称操作を行列に変換したのちに、行列の計算を行い、その結果を対称操作に戻すことを考えます。このとき行列の計算には結合法則が成り立つので、対称操作の積にも結合法則が成り立つはずなのです。
というわけで、晴れてアンモニアの対称操作のセット {E, C3, C32, σv, σv’, σv”}は閉集合性、結合性、単位元の存在、逆元の存在という群の資格をすべて満たすことが分かりました。
ここから話を一気に一般化すると、分子の対称操作のセットは、一般に群の資格を満たします。このような分子の対称操作において、分子の中心は動かないため、このような群を点群 (point group) と言います。点群を利用して分子の性質を論じることは、分子の化学的な特徴 (元素の種類など) をいったん無視して、その分子の形だけに基づいた定性的な議論 (結合状態, 振動など) ができることです。
ちなみに化学者(特に結晶学を行う人)が知っておくべき群として、平面群 (plane group) や空間群 (space group) もあります。平面群や空間群の対称操作の中には、らせん操作やグライド操作のように平行移動を含むものがあり、点群とは異なる操作があります。
群論で使ういくつかの用語
ひとまず群が何かについてはお話しできたので、ここで用語を紹介しておきます。今後の記事で必要になるかもしれませんが、今は覚える必要はなく、「必要になればここに戻ってくる」という感覚でよいと思います。
- 群の要素の数を次数 (order) といい、記号 h であらわします。
- 操作の積に交換性 (AB=BA) がなりたつとき、その群はアーベル群 (Abelian group) といいます
- 群の要素について、それ自身と繰り返し積を取ることで生成される群を巡回群 (cyclic group) といいます
上の用語についていくつか補足しておきましょう。まず、群の資格のなかに交換性が含まれていないことに注意しましょう。例えばアンモニアの積表の例に戻ります。この表は、対角線に関して対称になっていません。すなわち、対称操作を行う順序が積の結果に影響します。例えば C3 に続いて σ は σ’ ですが、σ に続いて C3 は σ” です。したがって、アンモニアの対称要素からなる群では、交換法則は成り立たず、交換法則は群の条件ではありません。
巡回群の例として、先ほど例に挙げた imaginary group, I = {1, i, -1, –i} があります。i の累乗で4つのすべての要素を生成できることに注目しましょう (i2 = -1, i3 = –i, i4 = 1)。巡回群は、アーベル群であるという特徴もあります。つまり、巡回群では積の要素を交換可能です。
まとめ
ここまでのお話で、重要なことをまとめます。
群とは、なんらかの積を定義したときに要素間で次の性質が満たすような要素のセットを言います。
性質1: 閉集合性
性質2: 結合法則
性質3: 単位元の存在
性質4: 逆元の存在分子の対称操作は群の資格を満たし、その群を点群といいます。
今回は、きりがいいのでここまでとします。次回以降で無機化学の教科書に出てくる指標表についてお話して、群論を利用して簡単な錯体の分子軌道図を導くところまでいこうと思います。ただし次回は、テストなどで役立つ知識として分子の点群の見分け方について伝授したいと思います。
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参考文献
- 本記事の内容は主に次の書籍を読んで学んだ知識を利用しています. より詳細に学びたい人はこちらをあたるとよいでしょう. 値は張りますが, 下に Amazon のリンクも張っています: Cotton, F. B Chemical Applications of Group Theory, 3rd edition;Wiley.