糖化学ノックイン領域では、班員の専門性について相互理解を深めつつ、関連分野の先端研究を包括的に把握することを目的とした、「総説抄録会」を1~2ヶ月毎に開催しています。その名の通り、担当が関連分野の総説を1本読み、日本語文章で要約して(オンラインで)紹介・議論するというものです。どこの研究室でもやっている文献抄録会を、総説に拡張して領域内限定でやっているといえば分かりやすいでしょうか。グループリーダー格になると、特定の専門を狭く深掘っていくよりも、鳥瞰的に科学を眺める目線が必要とされてきます。専門知識が無くとも読める総説は数多くありますので、そのような目線獲得が進むことはもちろん、質疑を通じて専門性の異なる領域メンバーの思考回路を理解することにも役立ちます。日々忙しくもあるため、異分野の総説はよほど気力が無いと、腰を据えて読む気になれません。持ち回りの定期勉強会形式に仕立てることで、そのボトムラインを担保していく狙いがあります。
ケムステ上では、領域内総説抄録会の過去資料をブログ記事の体裁で転記し、一般向けに公開していこうとおもいます。領域研究の理解に必要とされる基礎知識を普及させる土台としつつ、先端科学の素晴らしさを読者の皆さんにも触れていただくきっかけになれば幸いです。
第一弾は「光照射による有機酸/塩基の発生法」がテーマです。
“Recent Advances and Challenges in the Design of Organic Photoacid and Photobase Generators for Polymerizations”
Zivic, N.; Kuroishi, P. K.; Dumur, F.; Gigmes, D.*; Dove, A. P.*; Sardon, H.* Angew. Chem. Int. Ed. 2019, 58, 10410. doi:10.1002/anie.201810118【概要】 光照射に応答して任意のタイミングで系内に酸や塩基を生成する光酸(photoacid)・光塩基(photobase)は、精密な成型を必要とする重合反応に主に利用され、電子・光学・医用材料を作製する3D微細加工技術などに応用されている。 このような光重合技術はラジカル反応が主流だったが、この10年程で酸・塩基の化学も発展している。 それらに関する最近の総説を概観し、重合以外の反応への応用について可能性を考察する。
1. 序論
1960年代以降、 光重合は高分子材料の作製において魅力的な技術になった。 古典的な熱的手法とは異なり、熱に不安定な細胞などの生物系の存在下でも利用でき 、大スケールでも時空間的精密制御が可能である。この特性は複雑な成型に役立つなど多くの利点に繋がる。塗装・ マイクロエレクトロニクス・ 薬物送達・ 積層造形などに応用するうえで、実用性・経済性・環境調和性の観点で優れている。光活性化合物(光開始剤・光触媒)に求められる性質は、強い吸光性・ 高い量子収率・ 光以外に対する安定性である。 この観点で金属錯体は高効率だが、特に医用・電子材料において毒性や残留が問題視され、金属フリー化合物に注目が集まっている。初期はラジカル重合に限定されていたが、開環重合や逐次重合にも適用することを意図し、最近では酸・塩基の化学にも展開されている。 なお、これらを生物系に適用するには、損傷防止・透過性などの観点から可視光による技術が望ましい。
2. 光酸発生剤(photoacid generator (PAG))
2. 1. イオン光酸発生剤 (ionic photoacid generator)
オニウム塩のカチオン部位が光化学特性(モル吸光係数・吸収波長・量子収率)、アニオン部位が生成する酸の強さを決定する。
2. 1. 1. ジアリールハロニウム塩
1970年に最初の報告があった最も古いPAGのひとつで、各種ハロニウム塩(Cl, Br, I)があるが、ヨードニウム塩が最も安定である。 活性化に高エネルギー(λ < 300 nm)が必要なことが欠点だが、クマリン骨格(350 nm)やフタルイミド骨格(395 nm)を導入することで改善されている。
2. 1. 2. スルホニウム塩
主に紫外光により、ジアリールハロニウム塩と同様の反応機構で酸を生成する。多くは含半金属アニオン(MXn–: M = As, Sb)を持つが、金属フリー(PF6–, BF4–)の塩も開発されている。電子移動が速く、重合反応においては逆電子移動による欠陥を減少できる。 また、二光子吸収が利用できることも特徴で、単一光子吸収よりも光量変化に対する応答が鋭敏になる。光を当てた近傍にだけ酸が生成するので空間制御も可能で、印刷技術・3D微細加工・マイクロチャネル作成・光データ記憶などに応用されている。これまでに試みられた分子設計で、量子収率は改善してきたが、長波長化はあまり上手くいっていない。
2. 2. 非イオン光酸発生剤(non-ionic photoacid generator)
イオンPAGは溶解度の低さが問題になる場合があるため、汎用性向上の観点から非イオンPAGが開発されている。
2. 2. 1. アリールスルホン酸エステル
ニトロベンジルエステルがよく利用されている。アルキルアリールスルホン酸エステルもよく利用される。 Ar–O結合のホモリティック開裂を利用する化合物では、Fries転位など多くの副反応が競合するが、Ar基を電子豊富にしてヘテロリティック開裂させることで解決できる(Pathway A)。アリールp-トルエンスルホン酸エステルはArO–S結合がホモリティック開裂し、溶存酸素と反応して酸を生成する(Pathway B)。
2. 2. 2. イミノスルホン酸エステル・イミドスルホン酸エステル
N–O結合がホモリティック開裂したのち、スルホニルオキシラジカルが溶媒から水素を引き抜き、酸を生成する。チオフェンを挟むことで非局在化が促進され、UV/Vis 領域(λ = 365–475 nm)での活性化が可能になった。ナフタルイミドを挟んだものは二光子吸収に利用できる。これらの化合物はラジカル重合にもカチオン重合にも利用できる。
2. 2. 3. その他
上記2パターン以外も開発されている。メロシアニン誘導体は可視光(青色 LED)で、プロトン生成を可逆的に制御できる。
また、テトラアリーレンは酸生成に対する量子収率が最も高い(Φacid = 0.47)。高効率な6π-光環化反応を利用していることに加えて、副生成物を生じず定量的に酸を生成することが効率の良さにつながっている。
以上のように、PAGの開発はイオンPAGに始まり、最近は非イオンPAGに推移することで、溶解度や合成の問題改善、光吸収の長波長化などが実現されている。さらなる高性能化を目指して、アニオン(共役塩基)・発色団の設計、二光子吸収の設計などが取り組まれている 。