事実は小説より奇なり。「博士系なろう」という新ジャンルの開拓を目指し,博士を経て得られた文章力を全力で無駄遣いする珍作 第3話です。
第3話:ポンコツ研究員,未知ウイルスに遭遇する
相変わらず他力本願で人生が上向きな筆者は,承諾メールの違和感に全く気付かなかった。違和感を感じるどころか,海外推薦してくださった先生が新進気鋭の若手研究者が集う勉強会にも誘ってくれたので,有頂天になっていた。「何を発表しようか。学会では使わないスライドを準備し,ちゃんとスベりきってキャラ認知からだ!」と,何故か某主人公をイメージしながらスライド作りに励み,本当に浮かれていた。
しばらくして研究所経由の正式なOffer Letterがメールで届き,筆者は受入先の教授と留学開始日を相談していなかったこと,正式な研究テーマも決まっていないのに書類が送られてきたことに初めて違和感を持った。それでも楽観的な筆者は「Offer Letter」とはこのようなものかと思い,教授に研究テーマについて確認した。また,田舎暮らしでも奨学金の返済でヒィヒィなっている筆者がカリフォルニアの物価に対抗するため,海外留学助成金を獲得することを目論み始めた。
筆者は全く気付いていなかった。日本でダイヤモンドプリンセス号の話題が賑わっていた頃,アメリカではCOVID-19が蔓延し,渡航制限が始まっていたことに。
モラトリアム研究員,緊急事態を宣言する
日本でコロナが猛威を振るう直前,筆者は留学先の教授やPh.Dコースの学生と研究スケジュールを調整した。その結果,ポスドクを3月で満期退職し,6月から2年間,海外で研究を行うことを決めた。次に,日付を記載したOffer Letterを入手する目的で事務さんとのやりとりを始めた。しかし,途中から突然返信が途絶えた。
留学先の仕事は早いと伺っていたので不思議に思い,再度事務さんにアメリカの状況を確認した結果,「カリフォルニア州はロックダウンで,我々もテレワーク中なの。最小限の事務は行なっているが,海外入国手続きが完全に止まったわ。Due to COVID-19でどうしようもないの,ごめんね。」というニュアンスの連絡が届いた。
したがって,VISA申請に必要な諸手続は完全に停止し,「3ヶ月後の筆者」という近未来すら全くイメージできなくなった。本当に,手持ち無沙汰な状態となった。
調子乗り研究員,メンタル破壊される
筆者は助成金申請どころか本当に海外に行けるのか分からなくなった。苦しい時に様々な人に押し上げられて奈落の底から這い上がってきた筆者も,流石にこのダメージは大きかった。気が触れたのか,後輩達に「今度は世界が私を脱出するのを妨げる!」と変態的なコメントを残し始めた。恩師からも「生まれ持って不運を背負う筆者が海外留学とか宣言するからコロナ流行ってるんじゃない?」と言われた。後輩達も否定せずむしろ同意するので,…あながち間違いではないのか,そう思った。
また,若手勉強会も初めてのオンライン開催となった。発表中,聴いている先生方がゼーレ状態で,喋りの掴み具合が全く分からなかった。対面プレゼンでは周りへ実況中継のように臨場感を伝えることを信条とする筆者にオンラインはまだ難しいことが分かった。一番やってはいけない,中途半端なスベり方をした。それでも認識してくださった先生方が増えたので非常に充実した勉強会となった。しかし,筆者は数年間海外に行くので,直接会えた時,体型が変わりやすい筆者が本来の正しい体型で会えるか不安である。
窓際研究員,正しい飛び降り方法を考える
勉強会の1カ月後,研究者人生の詰みが秒読みになってきた。メンタル改善に貢献してくれた後輩・卒業生達もコロナ渦でそれどころではなく,ジョークではない一寸先が闇の中,これまで鍛え上げた鋼のメンタルは完全にとろけきった。世界的な未曾有の危機,”筆者の海外留学というちっぽけなもの”が雲散霧消になりそうな状況下,目の前の研究にやる気を出せと言われても,絞り出そうとしても出ないものである。一応,恩師が半年分の人件費を確保しており,次年度の9月までは生活できそうなので,それに甘んじてこれからを考えることにした。
筆者は,ここ3年間で人生の重大な選択をこれほど決断せざる得ないのか,いや,もしかして気付いていないだけで何気無く選んできただけなのかと自分を見つめ直しつつ,これまでに得た経験の中で状況を打破できそうなカードの使用を考えた。
生活困窮研究員,人生保険を適応する
すなわち,学生時代に取得した薬剤師免許を利用して薬剤師になることを考案した。一応,筆者は薬学出身で,「人生で何か起きた時の保険として国家資格は取っておきなさい。国の保証である国家資格はいくらあっても困るものではない。」という堅実な両親のアドバイスのもと,国家資格の1つである薬剤師免許を取得した。しかし,筆者はテストで選択肢にない所をマークするなどのケアレスミスが半端なく,命の生命線である薬の門番として完全に不向きな人間だと自覚していた。資格はあくまで保険であって利用したくなかった。
しかしながら,ここまで不運が続くと「あなたは研究者として能力的にも運命的にも不向きだから,まだマシな薬剤師をしつつ,新しくやりたいことを見つけなさい」という天からのお告げではないかと考え始めた。
この時筆者は,メンタルを蝕まれた方がよく分からない壺を買う気持ちを完全に理解していた。
ポンコツ化学者,悟りを開く
自身の手が届く所まできて海外行きを諦めきれない筆者は,留学へのこだわりから残り僅かな若い時期を無駄にしてしまう懸念を感じた。このような無明によってコーンフレークのような煩悩の塊となった筆者は,煩悩を断つ手段として自身に新たな選択肢を与えた。すなわち,留学できる前提で出せる助成金は申請し,もし当たったとしても渡航制限が来年6月までに解除されない場合,人生の分岐点として研究生活をすっぱり諦めるというルールを課した。研究道の逸脱と新たな修験道を探索する,所謂, 俗世でいう逃げるは恥だが役に立つであろう。
最終的に,「転んだ方がベストと思える人生を」という金言は1),おそらく日本の中で筆者が最も相応しく,求源思考と類比思考2)という名の下に,これらを化学以外の世界で表現することが,Dの意思3)を継承した筆者の責務である,というよく分からない悟りを開いた。
…ただ,筆者はなかなか諦めが悪い人間で,転覆前に這いつくばって煩悩の海に航海できるルートをもう少しだけ探すことにした。
寄生ポスドク,研究費を圧迫する
アメリカの渡航制限は伸びていき,気が付けば12月31日までビザ申請を再開しないという大統領令が出ていた。9月まで延びたポスドク契約も終わりに近づき,就職先を確保し終わった頃,恩師が消耗品の研究費を人件費にまわして年度末まで雇ってもいいよという提案をしていただいた。マンパワーと消耗品代を天秤に掛けつつ,筆者の実験技術が錆びることを懸案した恩師の判断だったのだろう。しかし,比較的裕福だった研究室のお財布事情が,予定外の人件費によって一気に赤字転落し,合成を頼まれていた化合物の試薬購入等ができなくなった。したがって,コロナ渦中で残されたのは,別の悟りを開いたあんまりやる気のない筆者と研究費の圧迫という二重苦に嵌った。本当に,最後の後輩には迷惑をかけた。
ポンコツ研究員,研究の世界から足を洗う
先の見えない自分の未来を考える度,メンタルがその都度溶けてスライム化した筆者に朗報が届いた。申請書の1つが採択され,留学の渡航費用を確保できた。これまで様々な人に下駄を履かせてもらうことで食い繋いできた筆者であるが,この助成金に関しては1人で書き上げた書類であるため,自分の力で人に伝わる文章が書けたことにちょっぴり自信が持てた(友人には見てもらった)。初めて自身が研究者としての未来を紡いだことに喜びを噛み締めつつ,とりあえず研究室で叫んでおいた。
現実は無情である。現実世界に生きる筆者にはシンデレラのような時間制限があることを忘れてはいけない。しかし,某大魔道士のように「一瞬…!!だけど…閃光のように…!!!まぶしく燃えて生き抜いてやるっ!!!」という気持ちは忘れない大切さを覚えた。
…とりあえず,コロナ渦中でいつでも全巻無料の有合協の巻頭言と同じくらい漫画を読み漁った筆者は数年前に取得した薬剤師免許で新人薬剤師として就職した。
ポンコツ薬剤師,早くも仕事をリタイアする
─就職して2ヶ月後,留学を諦めて本格的に薬の勉強をやり直そうと考え始めた頃,研究所から1件のメールが届いていた。「あなたの研究スタートはいつから行いますか?そもそも私たちのプログラムに参加できますか?」と。筆者はすぐさま返信した。「もちろん参加するに決まっている。あなた達と仕事がしたい。1年以上も待ったんだ。」と─
たった半年で去ることになった就職先にはご迷惑をおかけした。短い薬剤師期間でも,やっぱり迂闊な筆者は個人的に生涯忘れない失敗をした。しかし,ミスの権化である筆者を大部分カバーできるルールや環境設備,個人の失敗も含めて医療の群青劇に参加したことで,人として多くのことを学んだ。1つだけ言えることは,薬剤師という回り道をしてよかったと確信している。
研究論文もそうだが,面白いと思う内容には様々なドラマがあり,最短コースはやはりないのだ。ろくにまともな論文も書けないし,英語もうまく喋れない,しがないポスドクで研究者として独り立ちもできていないのに,自分の描いた道を振り返るのはまだまだ早いよとお叱りを受けてもおかしくないと思う。しかし,今の等身大の自分を見つめ直すために,ちょっとぐらい振り返ってもいいじゃないか。鍵中間体の合成論文のように,これまでの経験談を第三者に報告し,誰かの参考になればそれはそれで良質な文献ではないか,そう思ってケムステで書き始めることにした。
高校時代,書き手の意図など全く分からずいつも国語が5割以上取れなかった筆者が,博士課程とポスドクという困難な道でたくさんの人に助けられて成長し,面白可笑しく文章を書く側になっていること自体,小説でも信じられない程のサクセスストーリーではないか,と。
ポンコツ博士,海外で博士研究員になる
そして来たる2021年12月,筆者はアメリカへ旅立った。
〜〜プロローグ 完〜〜
あとがき
そう,筆者はまだ海外にすら旅立てていなかったのです。大丈夫か,このタイトルと思い,打ち切り連載のような駆け足で出国にあわせて書き終えました。
海外奮闘録であるため,本編となる海外編を予定しております。リアルタイムでの体験記になることから遅筆になりますが,ポ・ン・コ・ツをキーワードに研究から日常生活まで臨場感を提供し,厳しさと楽しさ,そして日本にどのような価値観を持って帰れるか等々,1%は参考になるべく,自由気ままに書きます。また,第1部が好評?なので,VISA取得編なども書いていこうかなと思います。実力不足でそれどころじゃなくのたれ死んでるかも。
それでは,行ってきまーす!
参考文献
- 藤田 誠, Chem Station, 化学者へのショートインタビュー 第20回, 「転んだほうがベストと思える人生を」(2013).
- a) 目 武雄, 有機化学合成協会誌, 天然脂環式化合物の合成を基にした有機合成のデザイン序説, 32 (1974). b) 目 武雄,化学総説 19,有機合成反応の考え方, 1 (1978). c) 鈴木 啓介, 有機化学合成協会誌, 起死回生から研究ラストスパート, 78 (2020). d) 鈴木 啓介, 有機化学合成協会誌, チョットゼイタクなハナシ:目先生のこと、ストーク先生のこと, 65 (2007).
- a) 尾田 栄一郎, ONE PIECE, アラバスタへ, 17 (2001). b) 尾田 栄一郎, ONE PIECE, 大海賊エドワード・ニューゲート, 59 (2010).
関連リンク
何度でも:開眼後,久しぶり聴いた曲。別に病んでた訳では無いが,初回時やっぱり泣いた。
いらすとや :アイキャッチ画像の素材引用元。