本稿は,世間一般にほとんど知られていない地方私立大学で学位を修了し,エリートでもなく何も成し遂げていないのにも関わらず,海外ポスドクとして働くことになった筆者の体験記を自由気ままに綴るエッセイです。個人ブログでいいじゃないという意見もありそうですが,情報発信力が圧倒的に弱く,自己満足で終わる気がしたため,ケムステへの連載が決まりました。
アカデミアの世界にポロっと踏み込んでしまった筆者の経験談が,将来不安に悩みながらも自分の道を開拓しているケムステユーザーに,1%程度は参考になって「しんどい時にクスッと笑って研究に戻るきっかけ」になれば本記は成功かなと思いつつ,執筆させていただきます。なお,本記は渡航前のエピソードから始まり,実際の滞在記を含めて約2年間の長期連載を勝手に予定しているので,長い目でお付き合いください。
プロローグ:ポンコツ博士の国内奮闘録
第1話:ポンコツ学生,人生を変えるきっかけに遭遇する。
自分の描いていた未来が変わり始めたのは博士課程の後半に差し掛かった初夏である。当時筆者は活性天然物の全合成を達成し,主要な学会発表も終えたことから「無事に卒業できそうだ。就職どうしようか」などと打算的なことばかり考えていた。それを見透かされたのか,指導教官が研究室で全合成した化合物を実際に使い,実用化を見据えた応用研究を展開したいという壮大なミッションを打ち出してきた。その化合物に昔から興味はあったものの,自分の合成した化合物ではないためサイドワークになることは間違いなく,正直ミッションを回避したかった。
一方,筆者が全合成した化合物は,タキソールやパラウアミンのような複雑化合物ではなく,First Total Synthesisも筆者が全合成を達成する1年前に海外の研究所から論文が出てしまったので,ハイジャーナルへの投稿は難しく,就職アピールには弱かった。さらに,筆者の周りでPh.Dに進んだ同世代がほとんど居なかったため,希少性にかこつけて怠惰に育った。本当にDrコースの学生か?と自分で思うほど,化学知識や専門性に乏しかったのである(今も貧相である)。
したがって,研究開発職に書類選考の段階で落ちる気しかしなかったため,一寸先に地獄が見えるプロジェクトにも参加し,優秀な彼らとは違う何かを習得するしかなかった。地方の私大生が濡れ手で粟をつかむ未来を期待してはいけない。信じられないほど賢い人達が研鑽する世界だから。
ポンコツ学生,生きるためにゾンビと化す。
結局,地獄の片道切符を改札に通した筆者は,ボスから様々な試練を与えられ,それらをこなそうとすることだけで日々精一杯だった。正直,ほとんどこなせていなかったので,優秀な後輩達が見かねて筆者の研究をフォローしてくれるお陰でどうにか生き延びていた。頑張ってくれる後輩達の為にも,毎日メンタルが折れながらゾンビのように起き上がって実験し続けた。その甲斐あってサイドワーク研究は着実に進展し,半年程度で実用化までの道筋が見えてきた。その一方で,ソンビ生活を送る筆者とそれを指示するボスを見た後輩達がドン引きして院に進学することを諦めたそうだ。これは卒業時に直接聞いた話であり,研究室内でDの意思が継承されない原因に,筆者が関与していることが結構ショックだった。
ある程度の発展を遂げたサイドワークだが今後さらに発展するためには,大規模な施設や設備が必要になってきた。様々な人に助けられて生きている他力本願な自分としては,研究成果をアピールしてやる気ある第三者の協力を得られたら最高だなぁと勝手に考えていた。
酔いどれ学生,初対面に研究紹介する。
そんなある日,高校の同級生が帰省し,オススメの居酒屋を教えて欲しいと聞いてきた。研究ストレスを発散するためによく呑んだくれていた店を紹介したところ,「非常に良い店だった。お礼に奢るから今すぐ来て欲しい。」と連絡があった。博士課程で貧困の極みだった筆者は,誰かが奢ってくれるという魔性の誘惑に大層弱く,実験や後輩の面倒をすっぽかして直ちに向かった。
到着すると同級生とその彼女,彼女の友達が座っており,空気を読まずにボロボロの格好で来たことに反省しつつ,輪の中に入っていった。しばらく談笑すると彼女らは報道関係者であり,地方ネタの収集にかなり苦労している話を聞くことができた。ガバガバに酔った筆者は,初対面ながら「地方ネタならうちの先生の研究を取り上げてみませんか?」と提案し,あちらも酔っていたのか想像以上に乗り気になり,あっさり取材の段取りが決まった。筆者の求めたやる気ある第三者は,居酒屋で…偶然,隣の席に居た。
ボスには事後報告だったため怒られるかと思ったが,ブーブー言いながらもノリノリで取材を受けていたので,これで院生時代の仕事はやりきったなと勝手に達成感に浸っていた。
理系学生,マスメディアの威力を思い知る。
ボスの研究は,“社会的なインパクトがあり,やっていることが非常に分かりやすい”と某局に判断されたそうで,地域限定から急遽,全国放送になった。実際,「日本の研究.com」のとある分野で検索ランキングが5位前後を一時期推移するなど,かなりのインパクトがあった。ただし,大学広報を介さずニュースにしたので,本部および広報は知らないのに電話が鳴り止まず,かなりカンカンだったそうだ。いずれにせよ大学全体で本腰を入れて支援するという大きな話になったので,飲み会で知らない人に冗談半分で,しかし,情熱を持って研究紹介するのも案外侮れない。
ポンコツ学生,国内ポスドクになる。
その後,私学助成の中でも大学全体で億単位の研究費が動く私立大学研究ブランディング事業への公募が決まり,ボスが申請書の草稿を書くことになったので,筆者もスキームやイラスト作成などをたまに手伝うことになった。どんな内容なのか気になるので申請書をちらっと盗み見すると,ポスドク雇用費1人分程度が予算として含まれており,現状に詳しい人がならないと無理そうな内容が書いてあった。
筆者は,博士課程という監獄学園を出所し,一般社会という大海原へ出航したと見せかけて,実はエスポワール号に乗船していた未来を描いてしまった。その不安と愚痴をぶつけることを前提に,就活の偵察を兼ねて他大学の仲の良い後輩に連絡すると,「え…?まだ就活してないんですか?博士の公募は早いんで,うちの先輩達は就活終わりましたよ。」という衝撃の事実を知らされた。企業戦士になるという輝かしい未来予想図は…情弱な筆者にそもそも存在しなかったのだ。
プロローグまとめ
要約すると,Ph.Dが取れそうなので,就活を始める手土産にボスへの恩返しを兼ねて世間に研究の周知を試み,飲み屋で友達の友達に紹介した結果,想像以上の大事になり,就活戦争にも乗り遅れたことから引くに引けなくなってポスドクになったのが筆者である。自分のひょんな行動から生じた良い結果だから,この道で進むしかないと思い込むことで様々な葛藤をある程度消化し,ポスドクになることを受け入れた。しかし,ここからどうにもならない苦難が続くと思わなかった。
〜〜続く〜〜
経験からの要点
マスメディアを用いた情報発信力の凄さを思い知ったと同時に,一般社会に科学の面白さを伝えるためには,基礎研究の敷居を高いと思わせない”簡単に魅せる努力”の必要性を感じました。マスコミの方は情報を間違えずに分かりやすく編集する技術が本当に上手かったです。貴重な経験を間近で見られたので,良いと思ったことを,第三者に正しく簡単に伝える・行動することを意識した生活を目指しています。
お酒好きな筆者には,飲みニケーションはコミュニティを形成する上で非常に便利なツールの1つです。呑んだくれの読者は,筆者のように迂闊な行動で人生を分岐することが稀にあるので注意しましょう。1つのきっかけが研究を発展させるとよく聞きますが,今回は,筆者が出会った人すべてに恵まれ,予想もしないブレイクスルーが生まれた面白いケースでないでしょうか。
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