Tshozoです。
40年以上前、手塚治虫氏の作品「ブラック・ジャック」でこういう話が載っていました。豪州のある家族から治療を懇願する手紙を受け取ったブラック・ジャックこと間黒男はその田舎町に向かうのですが、彼が当地に着いた時には家族全員既に奇妙な発疹を残したまま息を引き取っていて、トラブル続きで車の燃料も尽きたなかで街に戻るために日夜歩き続けるブラック・ジャックの皮膚にも奇妙な発疹があらわれ…というもので、その背景にディンゴなどの外来種問題や人間の欲深さなどまで織り込んだ名作でした。
その原因が、長さ5cmくらいに変異巨大化した寄生虫、エキノコックス。”ki-mo-chi-wa-rui“を具象化したような、鼠径部のあたりがザワザワする形状で(下図)、上端部のところについている吸盤が目のように見えることがキモい感を増幅。加えて雌雄同体らしく単体で勝手に増えることが出来、キモさ倍増です。多様性は受け入れるべきですが、筆者の感性に合わない生物や考え方は殲滅すべきかもしれません(注:以下、単包虫=単包条虫、多包虫=多包条虫とします)。
同作品で採り上げられたエキノコックス イラスト(文献1)
左側:単包条虫 右側:多包条虫 たしか単包虫のほうが漫画で描かれていた
(元図、削除のうえサーバからも消去しました
関係される方々に大変なご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした)
同じく単包虫のほうのSEM写真 ベトナム保健衛生省のページより引用→リンク
頭部の吸盤が目にみえる、ってのわかりますよね?
この漫画を読んだのは小学2年の時でしたがその恐怖たるやひどいものでした。北海道に住んでないというのに生野菜を食うに何回も水洗いを要求し、友達に誘われても川に入らず、ペットや動物、特に野良犬には絶対に触れず、外で遊ぶにも帰ってきたら何か虫がついてないか確認することを姉に要求し、親父に怒鳴られても怖くて怖くて1か月くらい臆病を引っ張っていたというのはお笑い種でありました。こんな話はどうでもいいのです。
大事なのは、このエキノコックスによる人的症例はこれまで北海道、稀に東北のごく一部に限られていましたが、今回、人的症例までには至っていないものの、この多包条虫が今までほとんど検出されてこなかった本州のど真ん中である愛知県で数年にわたり連続的に検出され続けている、という点(愛知県衛生研究所 リンク)。おおかた((自粛))が北海道に行って犬か何かを((自粛))してそれを陸路か空路かで無自覚に持ち帰ったのでしょうが、正直とんでもないことをやってくれたな、としか言えません。かの柔道家の牛島辰熊はスッポンの生き血などを飲んで試合に臨んでいたそうですが、それが原因で肝吸虫に蝕まれ晩年は頻繁に体調が悪かったという話があり、無茶や無知、蛮勇も一歩誤れば危うくなる実例かとも感じます。
ともかくこれに寄生されたらどうなるのか、ブラックジャックのようにえらいことになるのは間違い無いとしても、対応できる駆除薬はあるのか、治療のためにはどういう薬があるのか、その分子構造は、作用原理は、くらいは調べておこうと思い書く次第です。
【エキノコックスとは・何が起きているのか】
医学的・獣医的知識も無い筆者が医学的な記述を書くのはどうかと思いますが、あくまで一般論として下記様々な文献に基づき記載します。実際には必ずお医者様の正しいご意見に基づく正しい対応をお願いいたします。
エキノコックスとはイヌ科動物を終宿主とする包条虫を指し、主に単包条虫・多包条虫と呼ばれる2種類が存在します(正確には4種類)。学名はそれぞれEchinococcus granulosus, Echinococcus multilocularisで、今回主に書くのは後者の多包条虫、上のキモい図の右っ側。こちらのほうがここ数十年で圧倒的に国内症例数が多いからです。この多包条虫はもともと北海道にも日本にもいなかったのですが、北から毛皮取得用・ネズミ駆除用に人為的に持ち込まれたキツネが感染していたのが侵入のきっかけ(文献2)。ここから北海道全体に広がってしまい、現在でも年に数十件程度の疾患例が出るレベルの非常に厄介な寄生虫症の原因となってしまった、というのが現在までの経緯。なお単包条虫・多包条虫いずれも世界中で感染例がみられる広範な寄生虫疾患になります。下図を見ると、寒い地域で生きるキツネの生息域に合わせた繁殖領域になっているのが予想できますね。
多包条虫(横線)の世界的な広がり(文献2)
多包条虫はどちらかというとロシアやカナダの海岸沿い等に多い
見にくいが北海道は多包条虫、本州は単包条虫の分布範囲にあたる
北海道での多包条虫拡大の経緯(文献3)
10年という短い期間で北海道全体に広がってしまったことがわかる
なんでこんなスピードで広がったか、ですが、それには多包条虫がどのような生活環を持っているかの理解が必要です。
エキノコックス 多包条虫の生活環(文献2)
左下の④の繁殖包の中で「シスト」と呼ばれる幼虫のようなものが形成される
上記のような形でグルグル回るのが多包条虫の生活環ですが、北海道には終宿主として上述したキツネ、中間宿主にネズミ(エゾヤチネズミ)の両方がいるのが問題でした。キツネはネズミ(臓器ごと)を食ってアレを出す⑤⑥①②、ネズミはそこらじゅうを動き回ってキツネの糞便などに接触して体内に取り込む②③④、という形でエキノコックス繁殖の円環が繋がってしまった、というのが一般的な認識のようです(文献2)。これに対しネコや豚だと虫卵を摂取しても④繁殖包(シスト/幼虫の巣のようなもの)がうまく出来ないらしいのですが、キツネもネズミもこの多包条虫を非常に良好に「育てて」しまう宿主らしくまことに不運なめぐり合わせとしか言いようがありません。また宿主にならないにせよ、放し飼いにしたネコなどのペットが野原でイヌなどの糞に触れて体表などにわずかでもつき、それを毛づくろいで舐めたりし、体中について、それで家に帰って子供の手を介してヒトの口に入る、とかいうパターンが考えられるだけに極めて恐ろしい話です(北海道保健福祉部の発表など、前例多数)。色々な方の意見を聞くと「野犬がネズミの臓器を食べて嚢胞を食わなければ基本的に生活環は「回りにくい」はず」だそうですが、野ネズミを摂取していないであろう犬が感染した例もあるようで(リンク)結局は油断大敵、となるのかと。
こうしたことから北海道では「野生動物には触れてはいけないのは当然であるほか、湧き水や野草、野草や野菜の洗浄しないままの直接採取は絶対に避けるように+ペットの放し飼いは基本的に推奨できない」という通達を一般に向けて出しており、キツネの営巣が住宅近くにできた場合はすぐ潰すくらいの徹底ぶり。また医療機関ではこの多包条虫に関わるELISA検査・WB検査を一般患者に対し行っていて(文献4)、北海道がこの寄生虫症をいかに危険なものと認識しているかを如実に示すものであります。
なんでここまで恐れるのかですが、この多包条虫症が非常に怖いためです。
まずその発症までの時間。虫卵②が口から入って発症するまで数年から10年以上と長期(文献3)。しかも肝臓など(最悪の場合脳にも)の重要な臓器で虫が増えまくったレベルになってからやっと自覚症状が出だす、というオマケつき。
次にその死亡率。WHO試算では発症後何もしないと10年後に94%が死亡するという凶悪さ。もちろん根治的に手術によって虫本体と虫卵を根本的に全て取り除ければ100%助かりますが虫卵サイズは1mm以下で体内にバラまかれると見つけることが困難ですし、さらに主に住み着く肝臓付近がこういう↓ことになるので全除去は非現実的。で、部分的に摘出+投薬という対処療法に依るわけですが処置状態がよろしくないと死亡率が高止まりするという(文献4)。極端な物言いかもしれませんが「虫が作るガンでは?」という印象を受けます(注:後述しますが、最近は適切に対処すれば助かる例も増えてきています)。ブラックジャックではすぐ症状が出たうえ巨大化したビッグ多包条虫を排除するだけで治った、という話の流れでしたが、彼の場合は発覚が早く虫卵がばらまかれる前にわかり、原因の除去が簡単なだけまだマシだったわけです。
罹患した患者さんの肝臓上部(文献5・カラーは差し控えます) 白くなったところが繁殖包で
多包条虫が防御壁(“クチクラ”というらしい)を作ってワラワラ増えている部分
ではこうしたエキノコックスの虫自体・虫卵自体が今後本州でも広がってしまうのか?
・・・昔1回だけサイタマーで出た例は蔓延が起きなかった幸運な例とみるべきなのですが、本記事作成のきっかけになった愛知県知多半島では2014年以来の経緯をみると拡大・定着している印象を受けます(下図)。国立感染症研究所はまだ断言はしていないのですが、状況証拠的にはなかなか厳しいかと。加えて知多半島にはキツネに代わり野犬が結構な数いるらしく、あとは野ネズミでもいれば生活環がある程度回り得るので広がってしまうのでしょう。加えて本州には野生豚とも言えるイノシシ、それに鹿も多数いますから野犬が糞をしたところを掘り起こしたり泥浴びしたイノシシとかに卵がひっつき、あちこちを走り回って拡散、とか考えるともうどうなることやら…令和に入って今のところ(令和3年9月時点 リンク)比較的収まっているようには見えるのですが、なんせ動物相手なのでどう拡散しているのかが見えないのがなんとも恐ろしい限りで。
愛知県の知多半島でのここ10年くらいの検出マップ(文献6) 個人的意見だがたぶん定着してしまっていると思う
愛知県は農業も盛んなはずですが、たとえば露地ものの野菜とかに犬の糞便が付着し出したら
たいへんなことになるでしょうね…
ということで北の国から静かに攻めてきたおそろしい寄生虫はおよそ50年近くかけて本州に広がろうとしており、個人的にはあと10年くらいしたら重大な問題に発展するのではとビビッております。アイチーの関係機関では上図の対象調査の地理的範囲を広げるなど関係者が尽力しているようには見えますが、検査はともかく実質の拡散をどう止めるかはあまり話が聞こえてきません(正直あまり具体策はないのかも…)。筆者が小学生の時に感じていた恐怖がン十年越しに現実のものになるとは正直思っていませんでしたが。
(2022年4月追記)幸い愛知県衛生研究所の追跡調査では広範囲に広がっている兆候を示すような形跡はなく(リンク)、筆者の心配は杞憂で済んでいるようです。また、北海道でここまで大規模に広がったのはやはりキツネと野ネズミによる生円環の完成が大きかったようで、本州で見つかったと言ってもそうした円環が部分的にしか存在しない地域では必ずしも急速には広がらない、ということを示す重要な中間状況ではないか、とも思います。
【広がるのを防ぐには、かかった場合どうすればいいのか、関連する化学物質は】
ということでやっちまったからには、何としても被害が出るのを防がねばならない。以下、どう防ぐかを含め同じく一般論として書いていってみます。
まずこのエキノコックス症、単包条虫・多包条虫に関わらず、また発症しているいないに関わらず、これだけ薬学が発達した現在でもいわゆる「特効薬」がありません。細菌なら抗生物質でなんとかなるのでしょうが、蟲そのものの大きさが数mmでしかも肝臓などに大量に居つくので、お薬だけで処理するには非常に始末が悪いことはなんとなく想像出来ると思います。しかも体内で成虫だけ駆逐しても虫卵がばらまかれますし、要は真の意味での根治が困難。つまり(1)拡大防止5割、(2)予防4割、(3)薬や手術含む対処法1割くらいの集中力で防がねばならない寄生虫症なわけです。
ということでまず(1)拡大防止。とにかくエキノコックス生活環をどこかで断絶させればいいので野犬を駆除します。本当です。そもそも元先進国なのに野犬が発生しまくっているってのもおかしな話で、関係者の意見を聞いてみるとまずはキツネに相当する野犬を増やさずかつ減らしていくことだ、というのが第一優先事項のようです。
で、それだけではなかなか100%対処には近づかないので次に駆除薬。北海道でも有効性が実証されているのは上の円環の①の状態で早く宿主の体内からたたき出す方法。いわゆる”ベイト(bait)”という下図のような駆虫薬入り餌を撒き、キツネなどに食べさせて、卵を大量に産む前に糞と一緒に排出させ②の量を出来るだけ少なくするやり方です。
若干遠回りな印象を受けますが、これが結構効果が高くエキノコックスを保有するキツネの数が大きく低減したという成果が得られており(ニセコでの取り組み:文献9)、本州での拡大や被害抑制のアイテムとして重要な方法になると思われます。とはいえ若干でも汚染された糞がそこらにばらまかれることにはなるので、注意して使用しなければならないということでもあります。加えて途中で使用をやめるとまた増えてしまう傾向があるらしく(後述)、おそらくは年単位での継続的な取り組みが必要になる点も留意すべきでしょう。
(文献7)より引用 一見、牛や豚が食べる飼料っぽい
プラジカンテルはキツネなどの健康に害は及ぼさないもよう
その時にベイトに混ぜて使われるのが、”プラジカンテル Praziquantel“。以下、(文献8,9)におんぶにだっこになりますがお許しを。
この薬はもともとドイツのBayer内の寄生虫部門のと同じくMerckの寄生虫部門が共同で1970年代に新たに開発したもので、今も耐性を持っているような個体が見出されずにその効果を発揮する魔法のようなお薬。Bayer中央研究所(当時)のH. Thomas, P. Andrews, 及びMerck薬理研究所(当時)の J. Seubert, R. Pohlke & F. Loebichらによって見いだされ、その後Merck側が公共の目的でWHOの枠組みの中で供給し続け世界の寄生虫症を治療する目的で未だに使用されている、現在でも非常に重要な意味を持つ化学物質で、効果の高い駆虫薬として畜産用、ヒト用いずれにも使用することができます(文献8・注:日本国内でのエキノコックス症への服用はまだ承認されていないはずです)。
プラジカンテル分子構造(wikipediaより引用)
商品名 ビルトリシドなど 以下にも述べるが駆虫的な薬には
ピラジノキノリンやイミズベンダゾールなど陽イオンの動きに影響を与え、
かつ平べったい構造を持つものが多い
なおこのプラジカンテルが出るまでは「苦~い」駆虫薬がハバをきかせていて、それなりの効果はあったようなのですが使用に制限があったりで使いにくく、そこに颯爽と現れたこのプラジカンテルは比較的副作用も少なく効果も絶大。(文献9)には、当時この薬剤の劇的な効果を示す様子が書かれていました。
…1974年, ミュンヘンで行なわれた世界保健機関(WHO)主催の研究協議会において, メルク社とバイエル社により共同開発されたプラジクアンテルが初めて紹介された際, 本剤が縮小条虫を一瞬にして攣縮(れんしゅく・痙攣しながら収縮するさま)させるのを見た一同は驚きの声を上げたとされている
同じく(文献9)より引用 効き目のほどは一目瞭然・・・
だが、使用後に虫卵っぽい粒が撒かれていて、この卵からの成虫を抑えるのに継続的な服用が必要になる
なおプラジカンテルは幅広い駆除スペクトルを持ち人間も動物も服用できる
このプラジカンテル、未だにその詳細な作用機構が解明されていないようですが、基本的にはサナダムシ系全般に効く、つまり蠕虫の体表に存在する外皮リン脂質を「破壊」出来ることが理由であるとされています(文献10)。また最近発表された論文で、条虫の一種であるマンソン条虫に対するin vitro下での効果を確認すると、細胞分裂が活発な部分を緑色に発光させるようにした条虫の体表が、プラジカンテルの投与によってその色を失い、細胞分裂を止めてしまうような影響を与えていることがわかる(投薬分量にもよります)映像が撮影できており、どのような作用であるにせよ同薬が寄生虫外皮に加え寄生虫臓器類へのアタックにより寄生虫に強いダメージを及ぼしていることがうかがえます(文献11・下図)。現在は対エキノコックス用途としてはあくまで動物用駆虫薬としての使用がメインですが、ヒトに対しても効果を検証する論文例がちらほら出てきており(後述)、副作用に留意しつつ用途拡大に期待したいところです。もっとも、虫卵自体を攻撃できるお薬がまだ出てきていないので服用や活用を止めるとすぐまた条虫の数が増えてしまうような傾向があちこちで見られる(文献12)のが残念なところですが…
(文献11)より引用 エキノコックスではないが似たような条虫の一種であるマンソン条虫へのプラジカンテル薬効
特に成虫(下段)のほうで、低濃度の段階から体表付近・臓器部分の細胞の分裂活性度を示す
緑色の蛍光色が消え、分裂自体が出来なくなっていることを示している
なおやや若い成虫(上段)でも部分的に結構なダメージを与えうることが同論文で示唆されている
なお、何故ドイツでこうした駆虫薬の開発が進んだかというと理由は単純で、同国で獣医学・医学が発達していたから、です。欧州での研究ルーツを探ると古くはヒポクラテスの時代から既にこの条虫による人体の腹水の発生や家畜の症例が記録されていたことがわかっています(文献8)。しかしながら原因がなんであるかの研究はなかなか進まないまま時代は進んで19世紀、ドイツのキュッヒェンマイスターという医師がキツネと得体の知れない条虫卵を使って高い再現性でキツネの体内でその条虫が成長することをようやく突き止め、これがエキノコックスの学術的な「特定」の第一歩になりました。もちろんこうした情報は欧州域で共有されて各製薬会社の前身でポツポツと開発がスタートされたりしています。
エキノコックス研究について獣医学的に重要な発見を行った
ドイツの医師 Friedlich Kuechenmeister
当時はその発見に対し「ありえない」とムチャクチャ叩かれたらしい
歴史ついでにこの後を書くと、この発見をきっかけにドイツを中心としてエキノコックスや寄生虫に関する生活環やシスト(寄生虫の「幼虫」ようなもの・上の生活環の左下、繁殖包内にできる)からの発展形態が医学領域で研究され、周辺のお薬を開発するのに重要な基礎知識が積み上げられていきました。また「人体でも(数は少ないながら)腹水がみられる妙な疾患がある」というのも医学的に記録され続けていて、同じくドイツの医師で淋病の原因物質の発見者Albert Neisserによる精力的な研究を中心として症状や対処療法などが開発されていたのもバイエルやメルクの重要な基礎知見になっていったと思われます。ただ西暦1900年~1950年前後のエキノコックス症の処置方法を見ると「腹水を穿刺で取り除いた後、ヨウ素や、駆虫作用を持つシダから採取したエキス、牛胆汁(!)、塩素消毒水(!!)、硫酸銅、β-ナフトール(!!!)、テレビン油、テルペン類、ヨウ化カリウム、ホウ酸、サリチル酸、塩化水銀(!!!!!)、アルコール+ホルマリン(!!!!!!!)とグリセリンを混ぜた液を患部に注入」とか書いてて(文献8)死んだほうがマシと思うような激痛がしたんではないかと。
次に(2)予防法。こちらの北海道の資料に非常によくまとまっていますが(北海道保健福祉部・「エキノコックス症の知識と予防」)とにかく成虫と虫卵、特にタマゴが口を通って体の中に入るのを防がねばならない。上でも少し書きましたが、北海道では「キツネや野良猫、野良犬を含む全ての野生動物との接触厳禁」ということがまず何よりも大事。特に一般の方々にも認識されています。本州在住の方が子供のころに何も知らずに北海道に行ってキツネと触れ合ってしまい30歳近くになってから症状が出た例とかあります(文献12)ので、とにかく野外から帰ってきた時には十分に気をつけなければならない。加えて動物の糞への直接接触を避けるのは当然のこと、糞が含まれるような野草、湧き水、ナマモノの接種は厳禁ですし、土遊びをしたところに虫卵があるかもしれませんので外で遊んだような時には必ず手洗いうがい、衣服や靴に付いた土にも含まれているかもしれないので車や家に入る前にきちんと落とす、というコロナウイルスばりの対策をしていかねばならんことになります。
・・・書いていて気づきましたが、これ、大人はともかく子供さんは絶対守れませんよね…もし定着が進んでしまったら外で元気に遊んで泥だらけになって帰る、ということ自体遠い昔のことになってしまいかねなくてヘタすると河川での水遊びとかもアウトになりかねないですから色々陰鬱な気分になってしまう次第で。ただ、シツケの範囲でいってきかせてさせてみて、ということがリスクを減らすのも事実ですので、定着しつつあるアイチーの特定地域では幼稚園や小学校に対し通知を行い対策を指示するなどの重点的な対策を取らねばならないのではないでしょうか。
で、最後にそれでも体内に入ってしまった場合の(3)人体用治療薬 Chemotherapy の概要について。くりかえしになりますがこれだけ医薬や医学が発展した現在でも手術をせずに飲めば一発で治るような高い特効を示すような薬はありません。あくまで筆者の印象ですが、基本的にはソコソコの効果は持つ(けどそれなりの副作用が出る)お薬がいくつかあり、摘出手術と組み合わせればそれなりの症状の改善は可能である、というのが現実のようです。もちろん1970年代に比べれば格段によくはなっているようですが、以下に書くことは症状が出た後の対処療法のための一道具として考えた方が賢明と思われます。
歴史をふりかえるとエキノコックス向けの人体用駆虫薬には、上記の穿刺+直接投入以外には1960年代までアミノフェニルアルソン酸やネオ・サルバルサン系のいわゆるヒ素系医薬品が使われていました。淋病などにも使われたアレですね。しかし薬効は「?」だったため、またヒ素を含むため安全性の観点からも現在は使用されていません。上記のホルマリン注入とかと併せて薬効や副作用に対する理解が進んでいなかったとはいえ色々恐ろしい話です…
アミノフェニルアルソン酸、ネオサルバルサンの分子構造(ドイツ語版wikiより)
どちらにもアミン・アミドが分子構造に存在し、イオンを阻害し得る効果をもつのがポイントだったか
ということでより低い毒性、高い薬効を求めて開発は進められていましたが、その後も1960年代末までめぼしい効果を示す材料が見つからず難航していました。そんな中で突破口になったのが、1974年に既にジョンソン&ジョンソンの傘下に入っていたヤンセン・ファーマのD. Thienpont氏と、ベルギーの医師J.J. Sonnet氏らにより開発された”メベンダゾール”。イミダゾール構造を持ち、pH環境にもよりますがナトリウムイオンなどの陽イオンを交換しうる分子が駆虫薬に適応しうることを示した歴史的にも重要なお薬で、使用量によっては多包条虫の成虫だけでなくシストにすらダメージを与えうる効果を示すようです。
メベンダゾールの分子構造(ドイツ語版wikiより) ヤンセンが開発したのは知りませんでした…
これをきっかけにアルベンダゾール(スミスクライン)、フルベンダゾール(ヤンセン)、フェンベンダゾール(メルク)、など類似物質が次々と見つかり、各国での各社の営業力と効果、用途に応じた展開が広がり最初は畜産用、次にヒト用に展開されていきます。中でもアルベンダゾールは似たような構造なのに何故か非常に広い駆虫スペクトルを持つという不思議な特徴をもち、世界的にも症状的にも広く使われています(文献13のTable.3)。ただこれらベンズイミダゾール系のお薬は基本的に催奇性をもつのに加えその他の副作用も色々とあるため、状況に応じた服用をしなければならない制限はあるとのこと。
なおヤンセンファーマはプラジカンテルで活躍するメルクと並んでWHOを中心とした駆虫薬のプログラムに1980年代からずっと取り組んでおり、筆者もこれを今回初めて知ったのですがやたらにアピールすることなく、企業として大事と考えることに継続的に貢献していくのはまさに「陰徳」と言えるでしょう。
左からアルベンダゾール、フルベンダゾール、フェンベンダゾール
右半分が全部同じじゃないかとかは言ってはなりません
「効果を示す構造を分子内に増やせばいいじゃねぇか」的な発想で作られたと思われるフェバンテル
個人的にはこの発想は好き バイエルで開発され、今はエランコで発売している模様
加えて書くと、このアルベンダゾールは外科的切除と組み合わせた場合、2011年時点でかなり良好な予後成績が得られている国内での例があるほか(リンク)、海外でも外科手術後にアルベンダゾールを服用しない群に比べ60%近くも生存率が上がったという報告もあり(リンク)、非常に頼もしいお薬であるとはいえます。しかし長期間の継続服用が必要ですし副作用はついてまわっていますのでその点ご注意を。またこれらの生存例はあくまで早めにエキノコックス症と診断できる体制があったから、またそれに対応できる強力な医師陣がいたからからこそ、ですので、過信は禁物です。だいいちハラを掻っ捌く手術自体もうカンベン、ですよね。
さらにもう少し詳しく書くと、ベンズイミダゾール系薬剤は上述のプラジカンテルとは作用機序が異なります。参考文献を色々見る限りでは条虫の体にある「微小管」という、だいたいの真核生物に必須の構造に影響を与えることが出来るとのこと(文献13)。この作用原理が違うことを利用し、ヒトに対しアルベンダゾールと作用機序が異なるプラジカンテルを試験的に組み合わせることで成虫でないシスト状態のエキノコックス症に対しより高い薬効を示した例もありまして(文献14)、ここらへんは製薬会社各社の取り組みを期待したいところです。が、商売上こういうアニマルヘルス系とヒト系が重複するような領域は儲かるんでしょうか、、、専門家からのご指摘を頂きたいところでもあります。
アルベンダゾール・メベンダゾールの作用を示したアニメーション
生物の細胞を成り立たせる「骨格」的な役割をはたす微小管の構成物である
“α, βチューブリン”にくっつき、構造を壊すのに加えて
エネルギー源であるグルコース透過を阻害し、細胞を兵糧攻めにする効果もある模様
アルベンダゾールに非常に構造が似たニコラゾールがチューブリンを阻害するの図(文献15)
βチューブリンに取りついてαチューブリンとの結合の相互作用を弱めていると推定される
蛇足ですが、アルベンダゾール・メベンダゾールはほとんどの細胞の骨格に存在する微小管の成長や活動を阻害できることから、2010年前後に何社かがガンに対する薬効を確認するための臨床試験を開始した時期がありました。しかし2021年現在、そうした臨床の9割以上は継続されていません=つまり「薬効なし」です。そのうえ、最近の大学主導の臨床でも否定されている例がほとんど(一例となる論文:リンク)。なので「胡散臭いサイトに記載があるような抗がん作用」を期待して購入して飲んでもムダですし、副作用でぶっ倒れる可能性の方が高いかもしれませんよ。言いましたからね!
・・・で、ここまで書いてきてナンですが、上記のお薬について重要なことを記載していません。そう、「虫卵」に対し特効のある薬剤がまだ見つかっていないのです。筆者レベルで色々みたところ一般にこうした条虫のタマゴを選択的に駆除するのは相当に難しいどころか皆無で、理由としてはやっぱり卵のカラが成虫の体皮に比べて非常に強いことが原因のようですね。親エキノコックスの、彼ら自身の子供に対する愛を感じます。嘘です。
多包条虫の写真と特徴(文献1より引用 赤線は筆者) なんかめっちゃ強そうに見えてきました
しかも上図の通りかなり長期にわたって生きていくことが出来るわけで、宿主からたたき出して駆虫したから終わり、でないのがこの案件の辛いところ。プラジカンテルも宿主の腹からたたき出すことは出来ますが虫卵の破壊まではできませんので、もしエキノコックスが本州で広がってしまうと年単位の長期にわたった面倒な対策が必要になってしまうのは想像できるでしょう。ということで農薬化学者や製薬会社の方々、一度この虫卵に特効のある薬品の開発ってぇのをスタートするわけにはいきませんでしょうか。「野焼きとかの方が百倍以上効果がある」と言われてしまいそうですがそこをなんとか期待したいところで。
・・・ということで何故北海道の方々が常々ここまで警戒しているのか、本州人はいま一度正しい予備知識をもとに思い知る必要があるかと思います。まずは従来通り念入りな手洗い、泥をきちんと落とす、外の動物にムヤミに触らない、で十分だとは思います。ただ色々な面で劣化が進む諸々の体制について各個の善良な方々の意思だけで抑えきれるか。そもそも筆者の親族に聞いても今回のエキノコックス定着のおそれについて「中部地方のニュースとかで聞いたことがない」と。じっさい調べてみると報道された形跡がほとんどなく(2021年10月15日時点)、2018年に東海テレビで1回放送されただけのもよう(動画リンク)。他県在住の筆者が不安を抱えてしまうぐらいですぜ、というのが本件のオチでありました。過剰な拒否反応を恐れてのことかもしれませんが、せめて地域限定でも公的放送などで周知してもいいじゃないですか、ねぇ。
おわりに
以上、なかなかに厄介そうな多包条虫についてのお話でした。書いてる途中に昔ブラックジャックを読んだ時のトラウマがよみがえりましたが、対策方法の理由と根幹も含めて知ることが出来た回でもありました。
なお北海道で2010年時点で年間の新規感染者がだいたい30人前後、という数字をどこかで目にしたのですが、この数字は人口密度が低めの北海道でのものということを改めて認識する必要があります。なんせ本州は人口密度もイノシシもシカもネズミも密度がハンパなく、北海道民のように訓練された住民も自治体も皆無に等しいのです。問題が発覚してから動くのは世界中のどこの政府も同じというのは世の常ですが、ことこの問題に至ってはあんまり悠長に構えてられる話ではないのでは、というのは繰り返し申し上げたい次第です。
もちろん深窓のお嬢様のように極端に怖がる必要はないのですが、正しい知識をもとに正しい予防をきちんとしなければ農業を含め関係する産業や健康に重大な問題を与え得るわけです。近年は手術の技術レベルも診断技術も昔とは比べものにならないくらい上がっていますし薬もどう使えばいいかということもわかりつつあるのは個人的には大きな安心材料になりつつあると感じた次第ですけど、まずは周知徹底、早急な拡散防止の対応を関係各所に所望したいところです。でなきゃ、我々の生活に一番大事な酪農業や農業に従事される多くの方々が被害にあいかねませんので…(下表・文献16)。
1987年~1999年までの北海道での感染者 職業別発症数例(文献16)
やはりこの寄生虫の特質上、動物(この場合はキツネ)・土と接触回数が多い方々が被害にあってしまっている
これとは別に最近ダニ経由の妙なウイルスが出てきたり、STFSというこれまたダニ経由の死亡率の高い病気が流行っているなど、野生動物経由でやっかいな病気が発生しているのも事実。コロナウイルスで疲弊しているところに申し訳ない気分なのですが、こうした動物経由の病害に対しても引き続き関係各位の取り組み強化を期待したいところであります。というかこういう一見地味なところ、基礎的なところにこそ財源なり人員なりが充てられなくちゃいかんと思います。改革改革とか勇ましい言葉以前に、あたりまえのことに十分なお金を使ってください、と。
こうしたことでいつも思うのが、再掲になるのですが藤沢武夫さんの「お前さんらは未来、未来言ってるようだがいくら探しても未来なんてどこにもありゃしないよ。それより、自らの反省という泥の中を探しなさい」という言葉の重み。身に染みるばかりです。あくまで例えばなのですがこちらの論文(文献17)にも書かれているようにもう10年前には正しくアラームが出されていたわけで、何故こうしたことを北海道への立ち入り時に真剣に警告するなど対応が出来なかったのか、という反省からアクションを決めるべきだと思う次第なのであります。
ということでもう少し明るい話にしたかったのですが、今回はこんなところで。
【参考文献】
- “Study on the ecological distribution of alveolar Echinococcus in Hulunbeier Pasture of Inner Mongolia, China”, Parasitology , Volume 128 , Issue 2 , February 2004 , pp. 187 – 194 リンク
- “蠕虫感染症”, 平成24年12月20日, 感染症リスクマネジメント作戦講座, 防衛医学研究センター 感染症疫学対策研究官 加來浩器教授, リンク
- “市街地に出没するキタキツネの実態とエキノコックス症”, 森林野生動物研究会誌, 2015 年 40巻 45-49, 北海道立衛生研究所 浦口宏二, リンク
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- “愛知県内でエキノコックス陽性犬が発見された地域”, 愛知県衛生研究所 生物学部 医動物研究室, 2021年4月6日, リンク
- ” 第134回まちづくり町民講座のご案内 エキノコックス対策の現状”, 2014年6月5日, ニセコ町まちづくり町民講座, リンク
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- “エキノコックス終宿主ワクチンと駆虫薬について”, IASR Vol. 40 p42-43: 2019年3月号, リンク
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