アスピリン (アセチルサリチル酸、図1) といえば、解熱鎮痛薬の王様と言っていいほど有名かつ汎用される医薬品です。高校の有機化学でも必ず習う化合物であり、アスピリンやその誘導体の存在をきっかけに有機化学・薬学の面白さを知った方も多いのではないでしょうか。
図1 アスピリンとその類縁化合物
アスピリンはシクロオキシゲナーゼ (COX) を不可逆的に阻害して解熱鎮痛・抗炎症効果を示しますが、COX の阻害は消化管障害の副作用や、抗血小板作用にも関与しており、単純ながら奥の深い医薬品でもあります。医療分野では抗炎症作用ももちろんですが、抗血小板作用が非常に重要で、その作用を応用して脳梗塞・心筋梗塞・狭心症の予防や治療にも用いられています。詳しい作用機序に関しては薬理学系の書籍やウェブサイトを参照してもらうのが良いでしょう。
本記事では、アスピリンの合成にスポットを当てます。アスピリンの合成は、薬学部などにおける化学実習で非常によく扱われるテーマです。高校化学で学習すること、簡単で危険性も低いこと、結晶化しやすいことなどから、一連の合成実験を学ぶにあたって最適な化合物かと思われます。今は第一線で活躍する立派な有機化学者の先生も、はじめての化学合成はアスピリンだったかもしれません。それほどアスピリンの合成には有機化学を学ぶ上で重要となるエッセンスがたくさん詰まっているのです。ここでは大学学部 1~2 年生向けに、学生実習におけるアスピリン合成のポイントと関連事項について解説したいと思います。この記事を読めばレポートの点数が跳ね上がるかも? (保証は致しません)
サリチル酸のアセチル化によるアスピリンの合成
アスピリン合成の出発物質となるのは、ヤナギの樹皮などから単離される天然物のサリチル酸 (図1 中央)です。なお工業的には、サリチル酸はベンゼンからフリーデル・クラフツ反応とクメン法により合成されるフェノールを経てコルベ・シュミット反応により製造されます。サリチル酸のフェノール性ヒドロキシ基を酸触媒または塩基触媒存在下でアセチル化することでアスピリンが得られます。アセチル化剤としては無水酢酸がよく用いられます。反応自体は、触媒を用いればサリチル酸と無水酢酸、そして触媒を混合し湯浴で 5~10 分ほど加熱するだけで終わります。この時、酸触媒か塩基触媒のどちらを用いるかによって反応機構が変わってきます。皆さんの学校ではどちらを採用しているでしょうか? (触媒を用いなくても合成可能ですが、効率は下がります)
酸触媒によるアセチル化
酸触媒の場合、濃硫酸を使用するのが一般的です。この場合、反応機構は以下の 図2 のようになります。無水酢酸のカルボニル基がプロトン化を受け、そこへサリチル酸のフェノール性ヒドロキシ基のローンペア (非共有電子対) が求核攻撃します。次いでカルボニル基が再生するとともに酢酸が脱離してアスピリンが生成します。カルボニルの再生の際、サリチル酸も脱離する可能性があり、この場合はプロトン化無水酢酸が再生します (2段階目の逆反応)。この反応は基本的に触媒量のブレンステッド酸 (他の物質にプロトンを与える物質) を用いれば進行しますが、カルボニルのプロトン化効率を良くするためには濃硫酸程度の強酸が効果的です。また2段階目が可逆反応であるため、どうしても収率がイマイチになってしまう印象があります。
ちなみに、カルボキシ基の無水酢酸への攻撃から始まる反応機構も提唱されています (参考サイト)。ただこちらは実習レポートに書くほどでは無いですかね…。
図2 酸触媒によるアスピリンの合成
塩基触媒によるアセチル化-その1
塩基を用いたアスピリンの合成法には2パターンあります。まずはブレンステッド塩基(他の物質からプロトンを供与される物質) である酢酸ナトリウム (CH3COONa) を用いた場合を解説します (図3)。酢酸ナトリウムは弱酸である酢酸と強塩基である水酸化ナトリウムの塩であり、水中では電離して弱塩基性を示します。この弱塩基がサリチル酸のカルボキシ基をプロトンを引き抜きます。フェノール水酸基はカルボキシ基より弱い酸であり、この場合はカルボキシ基の脱プロトン化が優先して起こります。ついでカルボキシラートアニオンが無水酢酸に攻撃し、酢酸イオンが脱離してサリチル酸と酢酸の無水物を生じます。この無水物は隣接位のヒドロキシ基から求核攻撃を受け、アシル基がヒドロキシ基上に転移します (ここでベンゼン環付け根のカルボニル基に攻撃しないのは、不安定な四員環遷移状態を取るためと考えられます)。あとは酸塩基反応で分子形のアスピリンが生じます。本反応式はいちおう可逆反応の形で描いていますが、分子内反応を含むため酸性条件下よりは効率よく目的物のアスピリンが得られます。
図3 酢酸ナトリウムを用いたアスピリンの合成
塩基触媒によるアセチル化-その2
2パターン目の塩基触媒としては主にピリジンが用いられます (4-ジメチルアミノピリジンを用いる変法もあります)。学生実習ではパターン1よりもこちらを採用することが多いのではないでしょうか。ピリジンは触媒量用いたり溶媒として過剰量用いたりもしますが、どちらの場合でも鍵となるのは活性中間体の生成です (図4)。まず、ピリジンの窒素原子上のローンペアが無水酢酸に攻撃し、酢酸イオンが脱離して、活性中間体であるアシルピリジニウムカチオンが生じます。このアシルピリジニウムカチオンは元の無水酢酸より反応性が高く、サリチル酸からの求核攻撃を受けやすくなっています。その後、ピリジンが脱離しアスピリンが生じます。ピリジンを溶媒とした際は酸で処理することで分子型のアスピリンが得られます。ピリジンは反応前後で実質的に変化がないため、触媒として作用していることが分かります。おそらくピリジンを用いるこの方法が最も高収率になり、実験室レベルではスタンダードなのかなと思います。
図4 ピリジン触媒によるアスピリンの合成
アスピリンの再結晶
さて、様々な手法でアスピリンを合成し、その後は酸性条件にしたり水を加えて刺激したりして粗結晶を析出させる工程があると思います。そして再結晶をさせられることでしょう。再結晶の手順は学校によってさまざまだと思いますが、水または水-アルコール (メタノール・エタノール) 系で行うのが一般的でしょう。実はアスピリンの合成自体は実習書通りにやればどの班も同じ程度で進行しているはずで、収率や純度に影響が出るのはこの再結晶のプロセスになります。水系溶媒によるアスピリンの再結晶を成功させるために重要なコツを以下に示します。
① なるべく最小量の溶媒で、しっかり加熱して全量を溶解する。
② 熱時濾過に用いる受け器は乾燥機などで温めておく。
③ 受け器は底面が溶媒で満たされる程度のサイズにする (底面が乾くとそこから粗結晶が析出します)。
④ 熱時濾過し、透明な溶液が得られたら、室温に冷めるまでそのまま放置する!!
⑤ 室温に冷ましても一向に結晶が析出しなければ、氷水浴で冷却するか、スパーテルでフラスコ内側の壁面を擦って刺激を与える (最終手段)。
特に ④ の手順が最も重要です。これはアスピリンに限らず、実験室スケールで再結晶を行う場合はまさに鉄則です。ここで早く帰りたいからといって急いで氷冷などすると、おおかた結晶ではなく粉状の物質が析出してきます。粉状のような不定形で析出した物質は得てして低純度であり、また充分に析出しきっていない場合が大多数です。再結晶の極意は、ゆっくり冷却し、その間は刺激を与えず、結晶をやさしく成長させることに尽きます。そうすることにより、アスピリンは無色の針状結晶として得られます。少なくとも室温に戻るまでは我慢しましょう。その後、NaOH を用いた確認試験や融点測定による純度試験を行う場合もあると思いますが、粉状よりも針状結晶の方が実習書や文献に記載されている結果に近くなりやすいでしょう。
(粉状でも OK な実習と、結晶でなければ NG な実習などいろいろあると思いますが、どうせやるなら綺麗な結晶を得たほうが感動すると思います)
おわりに
アスピリンの合成には、「求核攻撃」「酸・塩基」「触媒反応」「再結晶」など、有機合成化学を学ぶうえで繰り返し考えることになるトピックがたくさん詰まっており、まさに合成実験のお手本と言えます。たかがアスピリン、されどアスピリン。1890年代の最古とも言える合成医薬品は、2020年代の今でも第一線で活躍しており、さらに有機化学のイロハを教えてくれます。バファリンの半分は優しさでできているらしいですが、もう半分は「有機化学」でできていると言っても過言ではないでしょう (過言かも?)。
なお、本記事は筆者の所属したことのある大学のカリキュラムを中心に書いています。アスピリンの合成実習には大学・学部・学科によってさまざまな条件が使われていると思います。もし本記事内でサポートされていなかったり、説明不足であったりしてどうしても不明な項目がありましたら、ぜひとも ケムステSlack でご質問ください。ベテラン有機化学者が優しく解答へ導いてくれると思います。