皆さんは、日本法科学技術学会という学会をご存じでしょうか。法科学は、犯罪における問題を”科学と技術”に基づき解決する学問で、日本法科学技術学会ではこの分野に関連した活動を行っています。調べてみたところ、ユニークな点がいくつかありましたので今回、紹介させていただきます。
法科学とは
冒頭で少し解説しましたが、法科学とは犯罪捜査などにおいて事件の解決と刑事訴訟・民事訴訟の法廷における立証を目的として用いられる応用科学であり、科学的方法を用い司法の原則に則り「法廷で認められる」証拠分析を行うことだそうです。日本のドラマで言えば科捜研の女、アメリカであればCSI:科学捜査班シリーズで、犯人を突き止める際に使われる技術が法科学の分かりやすい例だと思います。
繰り返しになりますが、法科学は犯罪事実の立証のためという応用での括りを示しているため、その中にいろいろな分野が含まれています。犯罪の証拠で考えても、死体から遺留品、デジタルデータなど多岐にわたるため、法科学がいろいろな分野と関連するのは必然的なのかもしれません。当然化学にも関連していて、証拠品の化学的な分析で活躍している印象があります。
- 犯罪科学・犯罪証拠学・犯罪鑑識学
- 法医学
- 法人類学
- 法言語学
- 法心理学
- 法昆虫学
- 法化学
- 法会計学
- 法植物学
- 法工学
- 法地質学
- 法微生物学
- 法天文学
- 法地震学
- 法気象学
- 法陸水学
- 法地球物理学
- コンピューテーショナル・フォレンジクス
- デジタル・フォレンジクス
参考:Wikipedia
日本法科学技術学会について
日本法科学技術学会は1995年に日本鑑識科学技術学会として設立され、2005年に現在の日本法科学技術学会という名前に変更されました。「鑑識」の語句からは、警察の行っている鑑識活動の範囲に限定された印象を与えかねないところがあり、世界的にも一般に用いられている「法科学」が最適と考え改名したようです。基本的なコンセントは他の学会同様に、1、関連する科学技術の進歩発展 2、活発な学際的学術交流の促進 3,先端技術の関連分野への積極的な応用であり、定期的な学術集会の開催と学会誌の発行を行っています。学術集会の発表分野としては、法生物、法薬物、法化学、法工学、法文書、法心理、現場鑑識の7分野を指定しており、本学会でもこの周辺分野について取り扱われているものと予想されます。法科学の中で大きな分野である法医学については別の学会の日本法医学会があり、そちらで専門的に取り扱われているようです。また近い分野を取り扱う学会として、日本犯罪学会や日本法中毒学会などがあります。
日本法科学技術学会のユニークな点
まず入会に推薦が必要なことです。正会員の場合には本会評議員2名の推薦が、また、学生会員の場合には本会会員である指導教員1名の推薦が必要です。近年多くの学会が会員の減少に頭を悩ませており、入会の門戸を広げる方向に舵を切っていますが、日本法科学技術学会だけでなく、前述の法科学に関連する学会は入会に学会のコアメンバーによる推薦を必須としています。これは自分の推測になりますが、犯罪の解明に関する内容は、犯罪の実行に悪用される可能性もありますので、限られた人のみに入会を絞っているのかもしれません。総会員数は2021年4月の時点で約1,600人で、学会誌の編集委員を調べる限り科学警察研究所や各県警の科捜研、大学の法医学研究室、毒物学研究室に所属されている方々がほとんどのようで、学会事務局も科学警察研究所内に置かれています。また年一回開かれている学術集会への参加は原則として本会会員のみであり、研究発表を会員以外が聴講することはできません。
賛助会員の団体にも本学会の特殊性が表れています。多くの学会には、賛助会員や団体会員、法人会員という枠が設けれていて、企業など団体として入会し、自社そのものや販売する商品をアピールするのに役立てています。日本法科学技術学会では、数多くの理化学機器メーカーが賛助会員に名を連ねており、食品・飲料メーカーも数社が見受けられます。少し驚いたのは損害保険ジャパン株式会社です。事故が起きた時に過失の割合で自動車保険会社が支払う保険金額は変わり、それはいろいろな証拠に基づいて決定されます。交通事故に関する研究も学会誌に投稿されており、日本法科学技術学会ではこの分野もカバーしているので賛助しているのかもしれません。
最も驚いた賛助会員は、最高検察庁と防衛省陸上自衛隊化学学校です。最高検察庁は検察庁の最上位組織であり、一方の防衛省陸上自衛隊化学学校は放射性物質等の汚染を検地・除染する化学科隊員の教育を行う学校です。どちらも法科学に大きく関連していることは明らかですが、官公庁に属する組織が学会の団体会員になっていることは大変珍しいと思います。
ここまでの内容で、日本法科学技術学会はなかなか硬派であるイメージがつきましたが、そうでもない点もあります。例えば、はじめての科学論文というコラムを公開しており、オリジナルの漫画を用いて科学論文の書き方を解説し、論文投稿の重要性をアピールされています。また、ホームページに普通は気づかない仕掛けがあります。
日本法科学技術学会誌
日本法科学技術学会への入会には推薦が必要ですが、日本法科学技術学会誌(旧日本鑑識科学技術学会誌)は全てフリーアクセスで誰でも閲覧することができます。年に2回の発行で毎回10論文ほどが投稿されているため、大規模な論文誌ではありませんが、取り扱う内容から考えれば活発に論文が投稿されているのではないでしょうか。
化学に関連した論文も多く発表されており、例えば、2021年の1号には下記のような内容の論文が投稿されています。
- 探針エレクトロスプレーイオン化質量分析の異物混入事案への適用:大阪府警科捜研、島津製作所
飲料に関連する事件は、誤飲から家庭や職場での嫌がらせ、性犯罪や強盗と様々な事例があり、混入物も、洗剤、農薬、睡眠薬など様々な化学物質が使われています。本研究では迅速に異物混入を調べるため、探針エレクトロスプレーイオン化質量分析を使用して種々の異物が混入した麦茶やコーラ、アクエリアス、午後ティーを調べました。結果、簡便な操作で迅速に異物混入を検出できることが確認され、スクリーニング法の一つとして活用できることが示唆されました。
放火といった火災事件の立証では着火源や油の検出が重要で、残焼物を機器で分析することで調べますが、予備的に現場で石油検知管が使われています。しかし火災発生後、何日後まで検知管で検出できるかは不明であり、本研究にてガソリンと灯油で板材やフローリングを燃焼させ検出限界を調べました。結果、床の場合はガソリンで3日、灯油で2週間後まで検知でき、フローリングではガソリンで4週間後、灯油で2か月後まで検知できることが確認されました。
- いわゆるエクスタシー錠剤に対するシモン試薬およびマルキス試薬の検査性能の評価:科学警察研究所、国際医療福祉大学
警察に密着するTV番組ではお馴染みの、職務質問で発見した怪しい白い粉が薬物かどうか確認する呈色試薬は、シモン試薬およびマルキス試薬です。しかしエクスタシー錠剤によっては、MDMA以外に薬物が添加されている場合があり、その場合にこれらの試薬が正しく呈色するか確認しました。結果、メタンフェタミンや4-ブロモ-2.5-ジメトキシフェネチルアミンが添加されている場合には、感度が微量では不十分になることが確認されました。
どれも事件の解決を目的とした研究であるため、化学論文とは研究背景や着眼点が異なり興味深く感じました。上記の3論文は分析化学に近い内容ですが、試料を合成した上で行われる実験もあり有機合成の知識も法科学の現場では使われているようです。
アメリカにはアメリカ法科学会(The American Academy of Forensic Sciences:AAFS)という学会があります。AAFSは1948年に設立され、アメリカに加えて71か国に6600人以上の会員が在籍しており11の専門部会を持つ大規模で国際的な組織のようです。
冒頭で物々しい法科学の定義を示しましたが、法化学の研究内容を見れば自然現象の理解のための研究とも解釈できます。そのため研究者の所属と研究の背景や応用は他とは一線を画すものの、大きな目標は同じだと思います。日本は安全な国だと言われますがいろいろな事件は日々起きていて、えん罪や未解決事件もたくさんあります。そのため、事件の証拠から科学が真実や関係者を導き出し、正しい司法判断がなされるよう法科学の研究を深化させてほしいと思います。