第332回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院総合化学院(猪熊研究室)・稲葉 佑哉さんにお願いしました。
ポルフィリンという分子をご存じでしょうか?ピロールが4つ含まれる綺麗な対称性分子で、光合成システムの集光部位に使われてもいたりと、自然界にとっては欠かせない分子です。ただこの分子、なぜピロールが3つでも5つでもなく「4つ」になるのだろう?という謎が長年知られてもいました。筆者(副代表)自身もポルフィリン分子を合成したことはあるのですが、ピロールとアルデヒドを混ぜるだけで勝手に4つで組み上がるので、常々不思議に思っていました。今回の研究は、その長年の謎を解き明かすような光となる成果です。J. Am. Chem. Soc.誌 原著論文・プレスリリースに公開されています。
“Calix[3]pyrrole: A Missing Link in Porphyrin-Related Chemistry”
Yuya Inaba, Yu Nomata, Yuki Ide, Jenny Pirillo, Yuh Hijikata, Tomoki Yoneda, Atsuhiro Osuka, Jonathan L. Sessler*, Yasuhide Inokuma* J. Am. Chem. Soc. 2021, 143, 12355. doi:10.1021/jacs.1c06331
研究室を主宰されている猪熊泰英 准教授から、稲葉さんについての人物評を以下の通り頂いています。
分子に“一目惚れさせる”ことができる研究者っているんです。その一人が稲葉君だと思います。Calix[3]pyrroleの合成は、僕自身も含め多くの若手研究者が何年もかけて挑んできましたが、誰一人としてこの分子を振り向かせることはできませんでした。猪突猛進型の実験で押し続ける訳でもなく、理詰めで考え込むばかりでもなく、適度なバランス感覚と内に秘めた情熱でアプローチする。そうやって稲葉君は見事にCalix[3]pyrroleを惹き付けました。この研究テーマを割り当てる前から予感はしていたのですが、前駆体化合物の環化反応が見事に進行したとき、「彼が選ばれたんだな」と直感的に思いました。
今回はスポットライトリサーチムービーもご提供頂いています。化学者のロマンを一途に貫き、長年追い求めてきた分子合成――見事達成された実力と天賦を感じさせるストーリーをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
ポルフィリンは4つのピロールからなる環状化合物で、ヘムやクロロフィルといった生体分子に見られる骨格であることから”生命の色素”とも呼ばれ、世界中で盛んに研究されています。このポルフィリン化合物はピロールとアルデヒドの縮合反応によって合成できることが知られていますが、その中で3つのピロールからなるポルフィリン類縁体が全く得られないという謎がありました。この謎を解く鍵となるのがcalix[3]pyrroleと呼ばれる分子です。
今回我々は、環状ヘキサケトンを前駆体とした合成経路によってcalix[3]pyrroleを世界で初めて合成、単離することに成功しました。Calix[3]pyrroleは環構造の小ささに由来して歪んだ構造をしており、ポルフィリン合成に用いられる酸性条件下ではそのひずみに由来した特異な環拡大反応を起こすことがわかりました。この環拡大反応こそが、これまでピロール3つからなるポルフィリン類縁体が全く得られなかった理由であることを明らかにしました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
思い入れがあるところは、calix[3]pyrroleの環拡大反応を発見したところです。Calix[3]pyrroleを酸性条件に付すと環拡大反応が起こることを突き止めた時には、これがポルフィリン合成でピロール3つの環が得られてこなかった理由なのだと納得したのと同時に、その反応の速さ(わずか10秒以内!)に非常に驚いたことを覚えています。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
今回の合成の中で難しかった部分であり最も重要なステップだったのが、いかにして環状構造を作るかというところでした。初めは鎖状ヘキサケトンから環状ヘキサケトンへの直接の変換を試みていましたが、なかなか環状ヘキサケトンが得られませんでした。たまたま他の基質で1,4-ジケトン部位のフラン化、そしてLDAおよび塩化銅(II)を用いたカップリング反応が環化に有用だということを発見し、その条件を鎖状ヘキサケトンに適用することで環状構造を構築することができました。この研究における一つの大きなブレークスルーだったと思います。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
現在はまだ将来どうしたいかははっきりと決めてはいませんが、研究者として実験台の前に立ち続けたいという気持ちが強いです。自分の手で合成した分子で人をあっと言わせる、一目見て「この分子はすごい」と言われるような分子を作っていきたいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
本研究を行う中で私は、目標に向かって粘り強く一歩ずつ目の前の課題を解決していく姿勢の重要性を深く感じました。
実際に私が本テーマに着手して論文として報告するまでは1年ほどだったのですが、その裏には数年に及ぶ長い長い準備期間がありました。(実は今回合成したcalix[3]pyrroleという分子は、指導教員の猪熊先生が学生だった頃から合成を目指してきた分子なんです。)目標への道のりがいかに遠くても目の前の課題を一つ一つ乗り越えて一歩ずつ目標へ向かっていくという、一見当たり前のことがいかに大変なことで、いかに重要なことかを感じさせられました。
読者の皆さんにも、この一見当たり前な研究に対する姿勢の重要性を今一度、感じていただけたらと思います。
最後に、日頃熱心にご指導をしてくださっている猪熊先生に心より感謝申し上げます。また、この度このような研究紹介の機会をくださったChem-Stationスタッフの皆様にも深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
稲葉 佑哉
北海道大学大学院総合化学院•反応有機化学研究室
研究テーマ:Calix[3]pyrroleとその類縁体の化学