渡り鳥を含む多くの動物は方位を正確に把握する手段のひとつとして”地球の磁場”を知覚していると言われています。
生物物理学的メカニズムは未だ十分に理解されていないものの、長年の動物学者や化学者、物理学者らの活発な研究により、そのメカニズムが少しずつ明らかとなってきております。今回はこの磁気感受における複雑な生体内の現象を、モデル分子を用いて理解を深めている研究の一端について触れてみたいと思います。
鳥類の磁気感受メカニズムの仮説
鳥類が磁気を感じるための機構についていくつか仮説がありますが、網膜に存在する青色光受容体クリプトクロムと呼ばれるたんぱく質の一種であるフラビンアデニンジヌクレオチド (FAD) が磁気受容に関わる事が報告されて[1,2]以来、過去1978年にSchulten, K. らによって提案された光電子移動反応により生成される磁気的に敏感なフリーラジカルに基づく仮説、いわゆるラジカルペア機構 (Radical Pair Mechanism; RPM)[3] が動物の磁気感受のメカニズムにおいて特に注目を集めています。
“RPM” 以外の説に、”マグネタイト”と呼ばれる体内に存在する極めて小さな磁石粒子を方位磁針とする仮説もあり[5]、現在、RPMとともにこの二説が動物の磁気受容の議論における有力仮説となっています。
ラジカルペア機構の検証課題
RPMに関わるタンパク質はFADの青色光励起により生成される空間的の離れたFADと対ラジカルのペアとされています。[6] このRPMの現象理解において、特に地球の磁場 (ca. 30-65 μT) と同じくらい弱い磁場下での反応を分光観測することが重要されていますが、in vitro での磁場効果は、単離された無傷のタンパク質に対し地球の約20倍の磁界でのみ観察されており、低磁場下の実験的証拠を提供している研究はほとんどありません。
DNAベースの磁気センサーの提案は、注目に値するものの、生成されるラジカルペアの寿命の短さや、ラジカルパートナー間の距離の近さなど、重要な問題があり、どちらも(低)電磁界に敏感なラジカルペアの検証において適しておりません。
そこで光化学反応が渡り鳥の磁気センサーの基礎を形成できるという原理を確立するため、最近の研究ではモデル分子を適用するケースもあります。
CPF分子の特徴と適応例
DNA由来の磁気センサーに比べ、ハンドリング容易かつ光誘起ラジカルペアの寿命が比較的長く、地球の磁場と同じくらい弱い磁場に敏感な ”カロテノイド-ポルフィリン-フラーレン系分子 (CPF)” がモデル分子として提唱されております。[1,8,9]
では、このCPF分子の特徴について見ていきましょう。
一般に、磁場効果はドナーとアクセプターが溶液中で自由に拡散するラジカルペアシステムもしくは分子内におけるラジカル同士が柔軟な鎖によって結合されて大きな内部運動が容易であるラジカルペアの組み合わせで、観測が可能となるとされております。モデル分子であるCPF分子は光励起より生じる一次ドナーが分子中におけるドナー-アクセプター種を介して、最終的なアクセプターに移動する多段階電子移動を利用し、ラジカルペアを高収率で形成することができるといった特徴があります。[10,11] 加えて、本CPF分子は合成が簡便であり、有機溶媒に非常に溶けやすくハンドリング性に優れているされております。
つぎに、励起過程における状態を少し詳しく見てみましょう。
下図のように、532 nmの励起光にてまずポルフィリンが CSPF に光励起された後、すみやかに分子内電子移動が行われ、最初にピコ秒の寿命をもつ一次ラジカルペアCS[P•+F•–] が生成されます。それに続く電子移動により、おおよそ1マイクロ秒の寿命をもつ第二のラジカルペア [C•+PF•–] が形成されます。温度や溶媒などの雰囲気によりますが、第二のラジカルペアは主に一重項状態で存在しており、三重項状態で生成されるラジカルペアはわずかとされています。このとき、磁場の存在により一重項状態と三重項状態の相互変換過程が影響を受け、再結合するラジカルペアの割合が変化するとされております。[9]
化学コンパスとしての性質
光化学的に形成されたラジカルペアの寿命が磁場によって変化することを実証し、磁気センサー、すなわち”化学コンパス”としての動作に不可欠な異方性の化学的応答性が評価されます。これまでは冒頭で述べたように多くの実験的な調査では地球の低磁場よりも数桁強い試験環境で行われているため、弱い磁場に対する感度についての知見はまだまだ研究報告が少ないとされていました。
Kerpal, C. らはこのCPF分子を用いて比較的弱い磁場条件 (50-200 μT)での化学コンパスの応答性について調査し、ついに磁気応答性を有するラジカルペアが地球レベルの低磁場領域でも機能を発現することを初めて実証したと2019年のnature communicationsにて報告しました[8]。
弱い磁場は主に S–T0相互変換効率を高め、より強い磁場はゼーマン効果を介してラジカルの再結合に影響を与え、一重項–三重項ミクシングを抑制させると言われてます。[8,12]
おわりに
鳥類の磁場感知メカニズムの概要と最近の研究例について見てきました。動物たちがもつ複雑な”化学コンパス”についても、CPFのようなモデル分子を駆使することで少しずつ紐解かれつつあります。検証が困難な世の中の未知に対し、分子設計とそのアプローチの仕方で取り組むことができるのが化学の醍醐味のひとつですね。
参考文献
- Maeda, K., et al., Nature, 2008, 453, 387. DOI: 10.1038/nature06834
- Ahmad, M., et al., Nature, 1993, 366, 162–166. DOI: 10.1038/366162a0
- Schulten, K., et al., Z. Phys. Chem., 1978, 111, 1–5. DOI: 10.1524/zpch.1978.111.1.001
- Gauger, EM., et al., Phys. Rev. Lett., 2011, 106, 040503. DOI: 10.1103/PhysRevLett.106.040503
- Beason, R C., et al., Nature, 1984, 309, 151–153. DOI: 10.1038/309151a0
- 前田光憲, 化学と教育, 2016, 64.
- Schulten. K., et al., Biophys. J., 2009, 96, 4804–4813. DOI: 10.1016/j.bpj.2009.03.048
- Kerpal, C., et al., Nat. Commun., 2019, 10, 1-7. DOI: 10.1038/s41467-019-11655-2
- Maeda, K., et al., Chem. Commun., 2011, 47, 6563–6565. DOI: 10.1039/c1cc11625h
- Kodis, G., et al., J. Phys. Org. Chem., 2004, 17, 724–734. DOI: 10.1002/poc.787
- Kuciauskas, D., et al., J. Am. Chem. Soc., 1998, 120, 10880-10886. DOI:10.1021/ja981848e
- Lewis, A.M., et al., J. Chem. Phys., 2018, 149, 034103. DOI: 10.1063/1.5038558
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〇Forbes Japan: 科学が解明、渡り鳥たちの「驚異的方向感覚」のミステリー (https://forbesjapan.com/articles/detail/20545)