第316回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院工学系研究科 化学生命工学専攻(野崎研究室)・金雄傑 助教にお願いしました。
リグニンは木材の細胞壁を構成する芳香族ポリマーですが、製紙プロセスの副産物として取れてくるのみで、その利活用は進んでいません。そこに着目し、リグニンをバイオマス原料・再生可能資源と捉えたうえで有用物質へと変換し、利活用を促そうとする研究が近年では触媒化学分野のホットトピックとなっています。今回紹介する研究はフェノールをベンゼンへ選択的に水素還元できる革新的固体触媒系の開発から、リグニンの新たな利活用へとアプローチしたものです。Nature Catalysis誌原著論文およびCover Picture・プレスリリースに公開され、数多くのメディアですでに報道されています。
“Metal–support cooperation in Al(PO3)3-supported platinum nanoparticles for the selective hydrogenolysis of phenols to arenes”
Jin, X.; Tsukimura, R.; Aihara, T.; Miura, H.; Shishido, T.; Nozaki, K. Nat. Catal. 2021, 4, 312. doi:10.1038/s41929-021-00598-x
研究室を主宰されている 野崎京子 教授から、金さんについて以下のコメントを頂いています。それでは今回もインタビューをお楽しみください!
私自身は4半世紀にわたり均一系触媒反応を主に研究してきましたが、世の中には固体表面でしか起こりえない反応も多く不均一系触媒への強い憧れがありました。一方で、均一系ならではの機構研究も大切にしたいと思っています。2017年に双方のセンスを理解してくれる金さんがグループに加わってくれたおかげで、できることの範囲が格段に広がり、もはやなんでもできるような気がしています。研究楽しいです。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
カーボンニュートラル社会の実現に向けて、近年バイオマスを原料とする基礎化学品の合成が注目を集めています。木質バイオマスの主成分であるリグニンの基本構造に多く含まれるフェノール類をいかに省エネ且つ高選択的に芳香族炭化水素へ導けるかがこの分野の挑戦的課題の一つです。還元剤としては安価で入手容易な分子状水素が望ましいですが、芳香環が水素化されやすいために、シクロヘキサン類が副生し、温和な条件下で芳香族炭化水素への高い選択性を達成することは極めて困難です。我々は触媒担体としてこれまでにほとんど注目されなかったメタリン酸アルミニウム(Al(PO3)3)に着目し、これを担体とする担持白金ナノ粒子触媒を開発しました。このAl(PO3)3担持白金ナノ粒子触媒を用いると、100−150ºCの反応温度、わずか10%のH2分圧下で(H2/Ar = 1/9, 1 atm)、幅広いフェノール類を加水素分解でき、高選択的に対応する芳香族炭化水素が得られます。本触媒系はリグニンモデル化合物にも適用可能であり、エチルベンゼン等の重要芳香族炭化水素を高選択的に合成できます。反応機構の検討により、フェノール類がメタリン酸アルミニウムとの表面反応でリン酸エステル種となってC(sp2)−O結合が活性化され、加水素分解が加速された可能性が示唆されました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
紆余曲折ありましたが、一番工夫したところはやはり芳香族炭化水素のover-reductionをいかに防ぐかだったと思います。貴金属ナノ粒子触媒を使う以上、ベンゼン環の還元を防ぐことは至難の業です。実際、研究初期(といっても1年以上)はシクロヘキサノール、シクロヘキサノン、シクロヘキサンなどのベンゼン環が還元された化合物ばかりが生成して、目的生成物である芳香族炭化水素はほとんど得られない日々が続きました。ターニングポイントとなったのは、低水素分圧とAl(PO3)3担体を用いたことです。目的のC(sp2)−OH結合の加水素分解は不可逆反応で、芳香環への水添反応は可逆反応であることから水素分圧を極端に下げることによって、C(sp2)−OH結合の加水素分解反応が選択的に進行したわけです。不均一系担持金属触媒においては担体が非常に重要な役割を担っております。本研究に修士一年から取り組んでくれた月村梨緒さんと様々な担体を検討していくうちに、Al(PO3)3担体が表面白金ナノ粒子との協働触媒作用により目的反応に高い活性および選択性を示すことを見出しました(溶媒、内標準物質、目的生成物および極少量の副生成物のピークしかないGCチャートはいいですね!)。本研究で用いたAl(PO3)3はこれまでに触媒担体として用いた例は我々が知る限りなく、今後リン酸塩担体を用いた新反応の開発が期待されます。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
低水素分圧とAl(PO3)3担体にたどり着くまでに結構苦労を重ねましたが、反応機構の研究はさらに難しかったです。いくつかコントロール実験をやって論文を投稿しましたが、案の定エディターとレビュアーから反応機構の検討が不十分とのコメントをもらい、反応機構を詳しく調べていくことにしました。都立大学の宍戸哲也教授のグループとの共同研究により、担体の性質を詳細に調べました。Al(PO3)3担体の比表面積が小さいことから、表面リン酸エステル種の直接観測には成功していないのですが、種々のコントロール実験に加え分光学的手法による触媒キャラクタリゼーションの結果から、表面リン酸エステル種が鍵中間体である可能性が示唆されました。これら反応機構の研究に関するデータを論文に追加する形で再投稿し、初投稿から一年弱の長旅を終えることができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
「触媒は化学反応を能動的に制御できる唯一の手法」―触媒研究の最大の魅力はまさにここにあると思います。身近なものから地球規模の環境エネルギー問題まで、触媒なしでは語ることができません。不均一系触媒と均一系触媒はこれまでに異なる学問分野として発展してきましたが、「触媒」というキーワードを共有している以上、研究手法こそ違うけれど共通点のほうがはるかに多いはずです。実際、野崎研究室に加わってから、均一系・不均一系触媒概念の融合による無限の可能性を日々実感しております。これからは、融合触媒の時代が必ず来ると確信しております。均一系・不均一系触媒、さらには材料科学分野まで融合した新しい融合触媒化学分野の開拓に力を入れたいと思います。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
固体触媒研究はまだ経験に頼る部分が多く、ブラックボックスみたいなものです。だからこそ固体触媒分野はブルーオーシャンでやりがいのある分野だと私は考えています。なかなかうまくいかなくても、突然そのブラックボックスの中に一筋の光が差し込んできて、出口を見つけた時の感動と喜びは言葉では言い表せないのです。数年間頑張っても進まなかった反応が、ある日突然進むようになった、そして心臓のドキドキが止まらない、手が震える。。。このような体験を一度でもしたら触媒研究の世界から抜け出せないと思います。まさにギャンブルみたいなものですね。これは触媒研究だけでなく、研究者を目指している人ならば一回ぐらいは経験したことあるのではないでしょうか。本稿を通じて、すこしでも固体触媒研究のイメージが伝わり、興味をお持ちいただければ幸いです。
最後に、二年間一緒にフェノールの加水素分解反応と戦ってくれた月村さん、プロジェクトを引っ張ってくださった野崎教授、日々のディスカッションで貴重な意見をくださった研究室の皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。このような素晴らしい環境で研究できるのは本当に幸せだと思います。共同研究でお世話になった都立大学の宍戸哲也教授、三浦大樹准教授、相原健司さん、共同研究のきっかけとなった新学術領域「ハイブリッド触媒」、そして分析装置を貸してくださった東京大学の山口和也教授にお礼申し上げます。また、研究紹介の機会をくださったケムステスタッフの方々にも心から感謝申し上げます。
研究者の略歴
金 雄傑(きん ゆうけつ)
東京大学大学院工学系研究科 化学生命工学専攻 野崎研究室 助教
略歴
2008年7月 上海交通大学 工学部 環境科学工学科 卒業
2012年3月 東京大学大学院 工学系研究科 応用化学専攻 修士課程 修了
2015年3月 東京大学大学院 工学系研究科 応用化学専攻 博士課程 修了
博士(工学)の学位を取得 (水野哲孝 教授)
2015年4月−2017年7月 東京大学大学院 工学系研究科 応用化学専攻 特任研究員
2017年8月−現在 東京大学大学院 工学系研究科 化学生命工学専攻 助教 (野崎京子 教授)
研究分野
触媒化学・有機合成化学