ACSではJACS(Journal of the American Chemical Society)に加えてJOC(Journal of Organic Chemistry)といった各化学分野の論文誌が有名です。ではこれら以外にどんな論文誌があるのでしょうか。今回は、ACSの中で他の論文とは一線を画す名論文誌をいくつか紹介します。
前書き
多くの論文誌はその分野の名前(有機や無機、ナノマテリアルなど)を冠していますが、中には聞いたことのない単語を含むタイトルの論文もあり、タイトルだけではどんな内容かわからない論文もあります。そんな隠れた論文誌たちをACSの中から探していました。Zeolinite独断のチョイスですので、広く一般的な論文誌も含まれているかもしれません。
ACS central science
始めに紹介するのはACS central scienceという論文誌です。The central scienceとは化学の呼称のひとつで、自然科学の分野の中で化学が中心となり物理学や生物学などと結びついていることを示します。そんな意味を持つ central scienceの名を冠したこの論文誌は、広い化学分野に対して基礎的な内容から応用、学際的な内容までを取り扱います。
いろいろな分野を取り扱うならJACSと同じではないかと思うかもしれませんが、ACSではJACSとACS central scienceの違いについて解説しています。まず第一に発行される論文数が違います。JACSは、約3000報/年ほどが発行されていますが、ACS central scienceではわずか100から200報/年しか発行されていません。JACSはACSのフラッグシップ論文誌として質の高い論文を発行していきますが、ACS central scienceではエディターとレビュアーが並外れた質とオリジナリティ、重要性があると見なした論文のみが選択されて掲載されるとしています。JACSでさえも掲載されるのは簡単ではないので、ACS central scienceへの掲載はそのさらに上をいく難しさがあるようです。もう一つの違いは、ACS central scienceは論文誌全体がオープンアクセスであり、CC-BY-NC-NDを条件とすれば投稿費もかかりません。これは、論文投稿者にも読者にもうれしいルールで、本当にインパクトのある結果を発表するための論文誌のようです。ということでACS central scienceは筆者が知らなかっただけで、大変権威のある論文誌です。
現在の編集諮問委員には、日本からは京都大学の浜地格教授、北川進特別教授、名古屋大学の伊丹健一郎教授がメンバーとなっています。最近の日本の研究グループの発表例としては、東京大学大学院理学系研究科小林修教授の有機合成アクアケミストリーについての総説が今年の4月に掲載されています。
The Journal of Chemical Education
次に紹介するのはThe Journal of Chemical Educationで、一言でいうならACS版化学と教育でしょうか。歴史は大変古く、1924年に創刊されました。取り扱う内容は、化学物質、ラボでの実験、教育方法、教育学などでThe化学教育といった内容です。カバーするレベルは中等教育から大学院、プロフェッショナルスタッフまでと、学校での教育だけでなく化学業界全体の教育に関する論文を掲載しています。通常のACSの論文誌とは異なり、独自のカテゴリーを持っていることがユニークな点です。
- Editorials, Commentaries, Letters: 化学教育的に価値のあるアイディアを提言する場。例:現在流行りのサステナビリティをどう化学教育に導入するか
- Articles, Communications: 化学の学習指導に関する報告。例:反応速度を理解するための家庭でできる実験として、食品用色素への脱色反応をスマホで追跡する方法
- Activities: 教室やラボ、公式の場で行うことができる実際の活動紹介。例:3Dプリンターで製作したセットアップで水の接触角を測定した結果
- Demonstrations: 生徒・学生の興味を惹く演示実験の紹介。例:重力によって沈降するコロイドのトルネード観測
- Laboratory Experiments: 実験テクニック、学生実験、実験における安全に関する内容。例:温和な条件での青銅めっき方法
- Technology Reports: 化学教育や学習に関する技術紹介。例:3Dプリンターを使って2D NMRスペクトルとHPLCチャートを実体化する方法の開発
実験に関する論文では、他の論文誌では記述しない試薬や実験の安全性について解説していたりします。また教育に特化しているため、教育や学習に直接関係しないscience research papersは掲載しないと明記されていることも興味深い点です。最近の日本の研究グループの発表例としては、足利大学の加治屋大介准教授が、界面活性剤の理解のための水中に形成された水のボールについて論文を発表されています。コロナ渦の影響でオンライン授業や家でできる実験についての論文が多く、今の時代に対して最善の教育を行うべく、教育者や研究者がいろいろなアイディアをこのThe Journal of Chemical Educationに発表しているようです。
ACS Chemical Health & Safety
最後に紹介するのはACS Chemical Health & Safetyです。こちらは化学の安全に特化した論文誌で、安全情報、法律改正、安全衛生に関する効率的な実務、危険性評価などについて取り扱います。もちろん安全をどう守るかといったハイレベルな内容の論文もありますが、USのラボで大学院生がけがをしたら誰が治療費を払うかや英国や仏国のラボで大学院生がけがをしたら誰が治療費を払うか、3Dプリンターから排出される有害物質のコントロールなど現場で役に立つ論文も多く掲載されています。もちろんLessons Learnedとして特定の化合物、実験操作に関する論文も多数掲載(例:フッ化水素酸の取り扱いにおける事故や事故防止のための教育)されております。
安全な実験を行うために不燃性の衣服が必須ですが、宗教上の理由からリスクのある衣服を着用している場合もあります。ACS Chemical Health & Safetyに掲載された論文では、実験作業にも適するヒジャブについて紹介されていて、安全には人種や地域も関連することを認識させられました。ちなみにこちらのヒジャブは市販品ですが、ACS Chemical Health & Safetyでは市販品に関する内容も大歓迎と書かれています。
日本のチームからの論文掲載は少なく、2017年に化学物質評価研究機構が、エチルベンゼンの暴露リスクについて論文を発表したのが最新の投稿のようです。
最初は、Elsevierの論文誌も紹介しようと思っていましたが、各論文誌の奥が深くなかなかの文量になってしまいましたのでElsevierは次回紹介します。ある化学分野の研究を行っている時に、論文検索をしてもここで紹介したACSの論文誌にはたどり着かないかもしれません。しかしそれぞれに掲載されている論文は独特で、時間があればいつまででも読んでいることができる気がします。インパクトの高い研究、教育、安全が気になった時はこれらの論文誌を調べてみてはいかがでしょうか。