Tshozoです。前々回、前回の続きまいります。残るはSBRとIR、あとタイヤコード用の繊維とフィラー類、添加剤ですが後者の3点はかなり多岐にわたり収集がつかなくなりそうですので文献(こちら と こちら・こちら、およびランクセスの商品群であるこちら)を載せるに止め、ゴムに絞った話にしていきます。
[SBR:スチレンブタジエンゴム]
必要特性:低転がり抵抗、高スキッド性、価格安定性、高引き裂き耐性
使用される場所:トレッド、ショルダ、サイドウォール、ビードワイヤ周辺
主な供給メーカ: JSR, Zeon, 旭化成、Lanxess、Firestone, Goodyear, Dynasol, Sinopec, Kumho, …
前述したBRに加え、一番タイヤ用途として主役っぽいのがこのSBRです(以下[文献1,2]を下敷きに記載します)。世界生産キャパシティが800万トンに達する巨大市場で、生産量のおよそ3/4がタイヤ用途(2020年現在)。ベンゼン環を側鎖に含むため「硬さ」を特徴とし耐摩耗性に優れており、タイヤの主要特性を決する「トレッド」、形と挙動をキメる「ショルダー」のほか、最近ではインナライナ付近への添加やビードワイヤ付近への混合にも活躍しておりまさに主役。世界各地で製造メーカが乱立していて従来は欧州はLanxess、米国はGoodyearとFirestone、アジアは日本各社の3極で発展が続いていましたが、最近はSinopecなどが低価格攻勢を続けつつあります(注:後述しますがLanxessは2018年にARLANXEOへタイヤ事業を売却しました)。
前回記事より再掲 SBRは主役をはっているのがよくわかる
あくまで一例で、タイヤによっては組み合わせが違うものもある
合成方法は石鹸液のようなものの中で合成するエマルジョンSBR(ESBR)と、有機溶媒内で反応させるソリューションSBR(SSBR)の2種類があります。歴史が古いのはESBRの方で、I. G. FarbenによりBuna-Sという商品名で1930年前後に工業化され、その後戦略物質(今も昔も軍隊車両の移動に大量のタイヤが必要なので)として世界中で合成されるようになります。ESBRは熱容量が大きい水の中で合成するため温度管理が楽で、かつ有機溶媒を大量に使わないのでぼちぼち安いという特性がある一方、分子量制御が難しく低分子量のSBRと不純物(界面活性剤)が不可避的に含まれてしまうことが問題となります。つまり変形時にこれら不純物分子がムダな運動をしてしまい発生する発熱量が大きくなってしまい伝達効率が悪い。さらに特にバルク高分子内からこれらを取り除くのは至難の業。ということでESBRをタイヤに使うには時代的にしんどくなってきており2015年の時点でESBRはSBR生産量全体の1/4程度にとどまっています。
ESBRイメージ(英語wikiより引用) 石鹸水の中でできる油滴中で重合する
温調が楽なため概してプロセス費は安いが性能はイマイチ
一方、SSBRの方は溶媒の水分管理はもちろんのこと厳密に温度管理をしなければ熱暴走などが起きて望みのものが得られない可能性があるため若干プロセス費・設備費が高くなる。加えてゴムのように反応が進むほど高粘度になる溶液を均一に温度調整するのに相当ノウハウが要る。しかし出来上がるゴムは高純度で界面活性剤を含まないため損失を非常に低くすることができるため、後述するエコタイヤ分野での適用が増え、タイヤ用途ゴム生産量はSSBRが大部分であると言うのが現状になります。
加えて無極性溶剤中なので開始剤や助剤を選べるため分子構造変更や分子量制御がやりやすい(難しくないとは言っていない)。特に前者の「末端制御」という技術は無機物(シリカなど)とゴムとの相溶性・相互作用を高めるため、また分子量コントロールのために1980年前後から極めて重要な技術になっており、ゴム強靭性や耐摩耗性、相溶性、その他特性を大きく伸ばすことに貢献しています。ということで以下ではこの溶液重合反応の開発をトピックに紹介していきます。
SBRはスチレンとブタジエンを共重合させたゴムで、良好な硬さと優れた弾性を備えもった極めてゴムらしいゴムであるため、昔から様々な形で開発が進められてきました。そのうちSSBRの先進性を一気に世に知らしめることになったのはポーランド系移民の米国州立大学のMichael Szwarc教授がアルキルリチウム系開始剤をポリスチレン合成に発表した1950年代後半からでした。なお同時期に金属Naを重合開始剤に適用していたグループが日本にいましたが有機溶媒に溶けにくく製品にはつながらなかったとのことです。
Natureに発表されたSzwarc教授の論文表紙[文献4] 左からポリビニルピリジン、ポリスチレン、ポリイソプレン溶液
アニオンリビング重合の産業的な側面からの歴史
既に1930年あたりにコンセプトが出来ていたのが驚き
(商業生産はBayerがもっと早くに着手していた可能性大)
アニオンリビング重合のイメージ(簡単のためBRのみで説明)
リチウムが活性のままカチカチと移動していくことで線状ポリマーができやすい
加えてポリスチレン部とポリブタジエン部を分離して合成することが出来る
上記に加えて恐ろしいことに重合を止めて、別の材料をブロックとして入れることもできる
このアニオンリビング重合を応用し、ポリマーの末端構造を制御することで大きな燃費性能をたたきだしたのがいわゆる”エコタイヤ”に応用されているSSBRです。もともとはミシュランがレースの世界で使われるタイヤで色々やっているときに見出した技術らしく、ゴムとフィラーであるシリカやアルミナが上手く混ざらず相乗効果も出せず苦しんでいたところ、ポリマーとシリカの間にツナギとなるような両親和性をもつ材料を入れればよいではないのか、というのが発端でした。その解決策としてシリカ表面と相性がよくしかもゴムと相性のよいシランカップリング剤を処理する手段、というのが出てくるのですが、さらにここからもう一つ進化させることを考えたのが恐ろしい話。つまり下図のようにこのアニオンリビング重合を応用しSBRそのものの末端にシリカと親和性を持つシリコーン構造を導入したのです。
ミシュランが1990年代に出した特許における末端処理のイメージ
この前後に他メーカも同時多発的に類似特許を出しているのも面白いところ
単に親和性を上げるだけでなくシランカップリングできる構造を導入するケースも
これにより(注:以下かなり雑な説明ですのでご注意ください・より正確な記述は[文献5]にあります)やわらかいゴムに硬いシリカが高い相互作用のもと非常に均一に混じり、しかもシリカとゴムのスキマが実質無くなって余計な分子運動が抑制され変形に伴うムダ熱が大きく抑制されました。この結果、一元的には硬いゴムとなります。これの何がいいかというと、タイヤが回転する時の変形が減り、変形に伴う発熱量が減り、要は駆動力の伝達効率が改善される点(転がり抵抗の改善)です。
変形でエネルギーロスが発生するというのは少しつかみにくいのですが、例えば電車の車輪、鉄ですよね。変形量が非常に低いので、いったん動き出せばあれが一番スムーズに動力を伝える。これがぐにゃぐにゃの車輪では伝わるものも伝わらん、雑ですがそういうイメージです。これ(末端変性)により手元データによると30%以上転がり抵抗が改善されるとのこと。脆いシリカがトレッド表面に出ているので耐摩耗性は若干犠牲になりますけど(・・・が、現在だとカーボンをメインに混ぜたものとほぼ同じくらいの耐摩耗性は確保できているようです)。
しかしただ硬くなっただけだと電車の車輪よろしく滑りやすくなる。ということで止まりたいとき、つまり路面とタイヤとの摩擦が起き始めた時に「だけ」柔らかく応答し路面をグリップしつつゴム自体が素早く発熱するという、おそろしく背反した性能を持たねばなりません。一応シリカが入ってゴム表面の親水性は上がっているため路面への凝着力は高くはなっているのですが、これだけではどうも不十分らしく、上記の柔らかく応答するには粘弾性という、ゴム特有の特性を制御することで解決しなければならない、ということが一般的な見解のようです。
詳細は文献[文献5]をご確認いただきたいのですが、要約すると発熱に絡む側鎖が多いスチレンブロックの分子構造比率を20%前後まで増やして発熱しやすくする(=発熱量が多くなって早くエネルギーを消耗し制動距離が短くなる)のに加えて、特定の周波数でゴム形状が追随できるように素材配分を調整する、ということが必要になるそうです[下図]。
[文献6]より引用 考えてみれば結構むちゃくちゃな要求ではある
この結果「高いグリップ力と摩擦力、しかもウェット状態でもきちんと路面を捉えつつ転がり抵抗伴う発熱は徹底的に抑制する」という矛盾した特性を満たすトレッドが出来上がることになったわけで、本当に面白いですね。ここ数十年のタイヤ開発はこのトレッド成分をどう改善していくかということにかなりの重きを置いてきたというのが色々な話を聞いたうえでの実感です。
なお上記は末端変性SBRは技術開発すれば製造出来る的な書き方をしてしまっていますが、実際に世界でこうした高度なアニオンリビング重合に基づいた末端変性SBRを供給できているのは2015年の時点でLANXESS, JSR, Zeon, 旭化成, 住友化学だけ[文献3]。このためおいそれと材料持ってくれば出来る、というレベルの技術ではないうえ、タイヤメーカと強い結びつきが無いとどの方向性を持った組成であればよいのかわからない、という点も重要ですから、この点はまだまだ総合的に欧米日の技術力が先行している感を受けています。ただどうしても高くなる傾向があるので、途上国向けならば無視して安い材料使ったほうが良いという、いわゆる「悪貨が良貨を駆逐する」的な話になってしまうのでは困った話でしょうが。
[IR:イソプレンゴム]
必要特性:寸法安定性、品質管理性、NR代替
使用される場所:トレッド、ショルダ、サイドウォール、ビードワイヤ周辺
主な供給メーカ: JSR, Zeon, 横浜ゴム, Shell(現Kraton/ただしほとんど医療・コンシューマ用), Goodyear
最後に挙げるこのイソプレンゴム、正直結構地味です。各特性にわたって優秀な性能を示すのですが、特に優れているものに加工性・寸法安定性があります。またNR(天然ゴム)に非常によく似た性能を持つのに対し合成物のため不純物を抑えることができ、NRの代わりによく使用されていることが多いです。
そもそもゴムはタイヤにエアを封じ込める圧力容器としての役割は当然として、カーカス外側のベルト、トレッド、サイドウォールなどと強力に接着する必要があり、狙い通りの寸法ができずひずむと変なところに応力がかかって最悪バーストするような事態になりますから、非常に厳密な寸法で作製されている部品でもあります。この寸法をきちんと管理するのに、イソプレンゴムのもつ「寸法安定性」ということが重要になります。つまり設計の形状通りに作ることができ、流動性や硬化性などの品質もばらつかないことが最優先。加えて価格も落ち着いていることが重要で、後で述べるNRの値段に応じこの量を減らしたり増やしたりすることで性能を保ちつつ価格調整弁的な使い方をすることが出来るのが特徴になります。
ただ重合方法の開発は結構地味な感じで、基本的に今も昔もそうは変わらず、チーグラー・ナッタ触媒(Ti-Al系)またはアルキルリチウムを用いてSBR同様溶液重合する、というものなのであまり大きな進展はなかったようなのが近年までの傾向です。
が、近年技術的に大きな進展があったのがブリジストンが発表したこちらのニュース(リンク)。JSRが理研と共同で発見したガドリニウム触媒をイソプレンゴムに応用したと考えられるもので(注:完全に同一かどうかは発表されていませんが、活性の高さや時系列的なことを考えるとJSRの発表が発端になったのではと考えています)、シス/トランスの比率をこれまで以上にハイシス側に持っていける重合触媒と謳っています。今後、このポリイソプレンゴムもより純度を上げることで高性能化させる方向性や、ブリジストンが発表しているように(リンク)非ゴム高分子とのハイブリッド構造を織り込むことでより高性能化が見込める方向性なども見出されている点、新時代の触媒開発の扉が開いたという印象を受けます。
ブリヂストン社のHPより引用(リンク) この発表の前にポリイソプレンに適用した発表を行っていた
この他に、最近SDGs傾向を意識した開発として原料をバイオ由来にする、という取り組みを横浜ゴムが成功させており(リンク)、原材料もゴムノキを使わない形になっていくのかもしれません。バイオ系からイソプレンのような不飽和結合を含んだ材料を高純度で作るのは非常に難易度が高い印象があるのですが、同社はこれにめどをつけて2020年代に原材料を切り替えることを想定した開発を進めているようです。原材料の奪い合いが加速する中、出来るだけ多様な作り方を模索する活動はこれからも注目を集めていくと思われます。
おわりに
とまぁ一筋縄ではいかないタイヤで現在も地道な開発が継続されていますが、実はこれらの部材にほぼ共通して混ぜたり使われたりしているのが最初に除外したNR(天然ゴム)。最近はの配合比率は不明ですが、このNRは破壊的強度が優れていることに加え最も性能バランスが取れているようで、結局いくらか混ぜているケースが多いとのこと。もちろん気象条件や産地で性能が変わるので管理しにくいことこの上ないのですが、それでも性能上代えがたいものがあるのでしょう。特に高荷重がかかるバス・トラックといった商用車タイヤには天然ゴム比率がかなり高いものが使われているそうで、実はまだまだ人造合成ゴムは自然の領域には至っていないのかもしれません。
と、色々書いてきたのですが先日ビッグニュースが飛び込んできました。筆者がこれまでに何度か触れていたJSRがエラストマー事業を売却することを考えている、という。
「化学工業日報」2021年1月14日
大手合成ゴムメーカーのJSRが創業事業であるエラストマー事業の売却を含めた構造改革を検討していることが化学工業日報の取材で明らかになった。複数の化学企業幹部が同社の事業売却の情報に触れたと明かした。JSR社内の関係者によると、海外企業も視野に入れ、事業売却や合弁会社設立といった複数の選択肢も検討している。
「化学工業日報」2021年2月16日
JSRが構造改革を検討中の合成ゴムなどエラストマー事業について、石油元売り最大手のENEOSホールディングスが買収を検討していることがわかった。中長期的に燃料油の需要減少が見込まれるなか、石油化学へのシフトを選択肢に掲げるENEOSは買収により石化誘導品の多様化を図れる利点がある。ただ、両社工場の物理的距離が検討の俎上にあがっているとみられ、1000億円規模ともされる金額などの条件面で折り合いが付くか未知数だ。同事業を巡っては、合成ゴム大手の日本ゼオンも一時検討した末に買収を見送った模様。現時点で韓国ロッテケミカルが買収に名乗りをあげているともいわれ、売却が実現するか注目が集まる。
そしてこの結果、ついに本記事で扱ってきたタイヤ原料を含むエラストマー事業がENEOS殿(旧日石+三石)に売却されることになったのです(化学工業日報殿:リンク)。
もともとJSRというのは戦略物質を国内で製造していくという通産省の国策に基づいた「日本合成ゴム株式会社」が起源(こちら と こちら)。今回はその創業分野から手を引き、別商売でメシを食っていくことを決断した大きな転換点です。同事業はENEOS社が引き受けるという報道が現状主流で、コンビナート生成品の有効利用・技術流出防止の面からも妥当な売却先だとは思われます。同社の売上の3割を稼ぐ部門を切り離すのは重大な選択でしょうが、日本ブチルが製造するような特殊ゴムを除き、SBRなどの汎用ゴム合成技術がコモディティ化してしまっているのが原因なのかと。つまり他社や親会社がやろうと思えば合成できてしまう商品になってきたわけです(注:日本ブチル殿も検討に挙がっているとかいう話も聞こえてきました)。
もちろん未だにJSRやゼオンが作るゴムは他社に比べ高品質を保っているはずですが、儲かるかどうかは別問題。本件には人員削減が伴っていて、会社方針に従い身を粉にして働かれていたであろう方々が同社から去ることになるのは心が痛みます。また今後低環境負荷性をより求められる以上、製品価格との間で板挟みになるのは容易に予想され、競争力を持つうちに売却するのは妥当な選択でしょう。また環境規制が厳しくなってくると先日の銀ジャケの記事やマイクロプラスチックでのタイヤの影響が大きい話などを考慮せねばならず、作ればいいだけの時代ではない点からもリスクの高い商売になりつつあるのかもしれません。じっさい、世界最大の総合ゴム製造メーカであったLAXCESSも2018年にサウジアラムコとの合弁会社ARLANXECOに事業売却(リンク)していますから、世界の潮流としてはこの時点で決まってしまっていたのかもしれません。株主に効率的に銭を払うためには必要なアクションだとは思いますが返す返すも誠に悲しい話です。
こういう案件を聞くたびにホンダを世界有数の自動車メーカに育て上げた名経営者の一人、藤沢武夫氏の「たいまつは自分の手で」という言葉が頭を掠めるのですが、合成ゴム事業は同社にとって松明ではない、とみなされてしまったのでしょうか。正直そんなことはねぇだろうという感情が先に出てしまうのですが商売はこうした個人的感覚とは切り分けて考えねばならんわけで。ある方から「人生60年、商売30年」と聞いたことがありますが、JSRのゴム事業は約60年続いたことを考えるとたいまつとしての役割は十分に果たし切ったと考えるべきなのかもしれません。
いずれにせよ同事業に関係されている方々がより良い環境で活躍されていくことを心から願っております。
ともかく、ゴムに携わりながら筆者含めた家族の糧を稼いでくれた親父に感謝しつつ今回はこんなところで。
昭和中期の某社社宅 遠景
現在はこの青空が見えなくなってしまっているのが悲しいです
- “ゴムの工業的合成法第3回 スチレンブタジエンゴム”, 日本ゴム協会誌 88 巻 (2015) 8 号, 永田裕(JSR) リンク
- “溶液重合ゴムのイノベーション”, 旭リサーチセンター, 2015,シニアリサーチャー 府川 伊三郎 リンク
- “低燃費シリカタイヤと溶液重合 SBR&BR “, 旭リサーチセンター, 2015,シニアリサーチャー 府川 伊三郎 リンク
- “Living Anionic Polymerization Celebrates 60 Years: Unique Features and Polymer Architectures”, Holger Frey, Takashi Ishizone, 19 June 2017 リンク
- “環境対応型自動車タイヤにおける溶液重合SBR の技術動向”, 旭化成ケミカルズ, ネットワークポリマー Vol. 33 No. 5(2012) リンク
- “タイヤ用ゴムの進歩:低燃費を目指して,シリカ配合タイヤ”, ブリジストン, ネットワークポリマー Vol. 33 No. 5(2012)リンク