第306回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院工学研究院 (伊藤研究室)・瀬尾 珠恵さんにお願いしました。
今回は、なんと皆さんでスポットライトリサーチムービーに登場頂きました!
溶媒に溶けない物質は化学反応に用いることができない―これは有機合成において長きにわたる”常識”でした。しかし今回、以前より検討が続けられているメカノケミストリー型触媒的クロスカップリング法(参考:前回のスポットライトリサーチ記事)によって、これが見事に打ち破られました。随所に想像もしなかった工夫が盛り込まれてもおり、同じ反応開発屋視点からしても驚愕する他ない成果です。J. Am. Chem. Soc.誌 原著論文およびプレスリリースに公開されています。
“Tackling Solubility Issues in Organic Synthesis: Solid-State Cross-Coupling of Insoluble Aryl Halides”
Seo, T.; Toyoshima, N.; Kubota, K.; Ito, H. J. Am. Chem. Soc. 2021, ASAP. doi:10.1021/jacs.1c00906
指導に当たっておられる伊藤肇 教授・久保田浩司 准教授から、瀬尾さんについて以下のコメントを頂いています。まだまだ驚くような成果を出してくれそうで、今後とも注目の研究者です!それではインタビューをどうぞ。
久保田先生より
瀬尾さんは、僕が伊藤研でメカノケミカル合成のプロジェクトを立ち上げた際に、最初にこのチームに入ってもらった学生です。彼女が中心メンバーとしてここまで引っ張ってくれました。彼女は本当に粘り強く、常に期待に応えようと真摯に努力を積み重ねられる、素晴らしい才能をもった学生です。特に今回の不溶性化合物の反応は、メカノケミカル合成の真価を問うような、重要かつ非常に挑戦的なプロジェクトのひとつだったのですが、見事最後までやり遂げてくれました。本当に感謝しています。
彼女はもちろんのこと、他の優秀な学生・博士研究員の努力のおかげでここまで順調に成果を積み上げることができましたが、まだまだ固体カップリング反応の研究は道半ばです。現在瀬尾さんは、「固体中で効率良く働く高活性メカノ触媒の開発」という我々が本当にやりたい重要プロジェクトにチャレンジしています。彼女はすでに非常に面白い研究成果を出していますので、今後も彼女の活躍に注目していただければ幸いです。
伊藤先生より
瀬尾さんは、久保田先生のご指導のおかげで、とても成長した学生さんの一人です。今後が楽しみです。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
一般的な有機化学反応のほとんどは有機溶媒を用いた溶液状態で行われます。しかしながら、出発原料が有機溶媒に溶けない場合、基本的に反応を実施することは困難です。この「低溶解性による合成の限界」は,現代の有機合成化学のボトルネックであり,人類が手にすることのできる化合物が大幅に制限されていると言っても過言ではありません。このような背景のもと,溶媒を用いずにボールミルによって合成反応を実施する試み(メカノケミカル合成)が注目を集めています。この方法は様々な固体反応に応用されてきましたが,難溶性の反応基質を用いた場合,しばしば反応効率が悪く,上述の「溶解性問題」を克服する具体的なアプローチとは見なされていませんでした。特に,反応温度を制御しながら固体反応を行う術がなく,反応速度を向上させる実用的な方法がない点が課題でした。
そこで今回私は、ヒートガンで加熱しながらボールミルを行う高温ボールミルという新しい合成手法を開発し、さらに固体系で効率良く働く私たちのオリジナルのPd触媒系を利用して、不溶性芳香族ハロゲン化物の固体鈴木-宮浦クロスカップリング反応を実現しました。本反応は従来の溶液系を大幅に凌駕する反応速度を示し,極めて溶解性が低く従来の方法では扱えなかった不溶性の顔料や色素にも適用することが可能です。特に,Pigment violet 23という顔料に対して固体カップリング反応を実施することで,新しい発光性分子の合成にも成功しました。本成果により,従来の溶液系の有機合成手法では合成することのできなかった,不溶性化合物を出発物にした新しい化学製品,医薬品や機能性有機材料を開発できるようになることが期待されます。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
初めて一通り自分で論文を書いてみる経験ができたので、その点において非常に思い入れのある研究になりました。最初は全く書けなかったのですが、伊藤先生や久保田先生に細かく指導していただいて、何とか形にすることができました。
また、本研究は分子の構造が複雑であるだけでなく、溶けにくい化合物ばかりを扱うため、実験操作に手間がかかる大変なテーマでした。この難しいテーマを最後までやり切ることができたということで、とても自信をつけさせてくれた研究でした。最後のほうは、こんなかっこいい分子できたらすごくない!?という、モチベーションだけで頑張っていた部分もあります。
大変なことばかりでしたが、結果として素晴らしい形で努力が報われて本当に嬉しいです。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
今回の研究では生成物の単離精製が一番苦労しました。不溶性の基質のアリール化物体は、溶けるといっても、一般的な化合物よりもかなり溶解性は低いので、一日中(9時間くらい)カラムしてやっと単離できた化合物もいくつかありました。また、不溶性化合物のトルエンへの溶解性を調査する実験では、不溶性化合物がわずかに溶けた1リットルのトルエン溶液をひたすらエバポするという操作があり、心が折れそうになることが何度もありました。やはり溶媒に溶けないということは大変なことだと体感しました。正直思い出すだけで辛いです。
たくさん大変なことがありましたが、久保田先生や周りの先輩や後輩にたくさん支えてもらいながら、最後は気合と根性でなんとか乗り越えることができました。一人では絶対にここまで頑張れなかったです。研究室のみなさんには本当に感謝しています!
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
将来はこの研究室で得たたくさんの知識と貴重な経験を活かして、化学系企業の研究者になりたいと思っています。企業では今とは全く違う分野を扱うことになると思いますが、それが今はとても楽しみです。どのような形であれ、化学における重要課題の解決に取り組み、その成果を社会に還元できるような研究者になりたいと考えています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!
私は研究室に配属された最初の1年間はなかなか結果が出ず、正直研究がとても嫌いでした。早く卒業したい…と思いながら日々過ごしていたのですが、修士1年のときに久保田先生がアメリカからスタッフとして戻ってきて、一緒に研究をすることになり、研究することの楽しさをたくさん教えてもらいました。そこから研究が楽しくなり、たくさん悩んで博士課程に進学することに決めました。久保田先生に会わなかったら研究が嫌いなまま卒業していたので、人との出会いは本当に大切だなと思いました。博士課程に進学したことは全く後悔していませんし、今では研究が大好きです!
人との出会いでガラッと人生が変わることがあります。私と同じような経験をした方もいると思います。研究して結果を出すことももちろん大切ですが、それと同じくらい人との出会いも大切にして過ごしていただけたらいいなと思います。
コロナで暗いニュースが多いですが、それを忘れるくらい明るく元気に頑張りましょう!私はまだまだ頑張ります!次の論文も楽しみにしててください!
最後にこの場をお借りして、日ごろからご指導していただいている、伊藤先生、久保田先生、ミング先生をはじめとする研究室のメンバーの皆様に深く感謝申し上げます。
研究者の略歴
名前:瀬尾 珠恵
所属:北海道大学総合化学院 伊藤肇研究室 博士後期課程2年 (日本学術振興会特別研究員DC1)
研究テーマ:ボールミルを用いた固体クロスカップリング反応の開発
趣味:お酒を飲むこと、実験
関連動画
第1回ケムステVシンポ:伊藤肇先生がボールミル反応について基礎から分かりやすく講演されています。