Tshozoです。先日ケムステスタッフの方が気になる関連論文を紹介されていましたので書くこととしました。
“A ubiquitous tire rubber–derived chemical induces acute mortality in coho salmon”
Zhenyu Tian, Haoqi Zhao, Katherine T. Peter, Melissa Gonzalez, Jill Wetzel, Christopher Wu, Ximin Hu, Jasmine Prat, Emma Mudrock, Rachel Hettinger, Allan E. Cortina, Rajshree Ghosh Biswas, Flávio Vinicius Crizóstomo Kock, Ronald Soong, Amy Jenne, Bowen Du, Fan Hou, Huan He, Rachel Lundeen, Alicia Gilbreath, Rebecca Sutton, Nathaniel L. Scholz, Jay W. Davis, Michael C. Dodd, Andre Simpson, Jenifer K. McIntyre, Edward P. Kolodziej; Science 03 Dec 2020:
リンク:https://science.sciencemag.org/content/early/2020/12/09/science.abd6951
ワシントン大学(キャンパスが多数ありますが今回はシアトルとタコマが中心になってるようです)、ワシントン州立大学、トロント大学など総勢十数名の著者が名前を並べる大規模なものですが、その研究期間も十年以上に及んでいます。息の長い研究自体が難しくなっている昨今ですが、こうしたことを粘り強くできる環境がまだ残っているという点においても印象深いものでした。
University of Washingtonのプレスリリースより(元記事リンク)
2:16あたりの銀ジャケの状態が痛々しい
何故この記事に興味をそそられたかですが、以前あった事件を覚えていたためです。つまり、「やっかいものの廃タイヤを海に沈めて漁礁にする」と意気込んでいたミシュラン社がこういう顛末(大意:漁礁代わりに海に沈めたタイヤに全く魚が寄り付かなかったどころか人間にも悪影響のありそうな有害物質が出だしたため、金を払って引き上げざるを得なかった [文献1])を迎えたという事象。今回はそれと関連する重要なトピックであると思いますのでお付き合いください。
論文の要旨
要旨としては「河川の銀ジャケ(Coho Salmon)の異常を引き起こしているのは、タイヤから漏れ出た老化防止剤から変化した材料である」となると思います。代表的な内容は下図に尽きます。
同論文より引用 右上の試験官底にある赤色物質が最後の区画検出物
タイヤからの抽出物をカラムでの繰り返し分画を通し、一番影響のあるものを突き止めた
単体で色々問題がありそうな材料を人間が様々な場面で使っている中で、何故タイヤがおおもとの原因だということに気づいたのか。それは、海から戻ってきた銀ジャケが普通川の中で産卵活動をするのに、15年ほど前からいくつかの川でほとんどの産卵前のシャケが頻繁に死に絶えてしまうという変異を調べていた際、特にその変異が「大雨が降った後に発生していることに気付いた」ということを発端と記載しています。つまり大雨が降って道路などから大量に流れ込む、人為的な雨水が原因である可能性が高いと絞り込んだわけです。
赤線部 上記の大学発表の記事より引用 [文献2]にも記載
この銀ジャケに極めて毒性の高い材料というのが何なのか。通常、一般環境中ではオゾン・紫外線・熱やらの影響があるため発生源の特定が難しいケースが多いですが、大雨という事象に気づいたことから、著者らは上流の水質異変ではなく人為的な活動によるものと推定して側溝出口付近の水質調査を集中的、徹底的に行い、その結果得られた赤い粉は元素比C18H22N2O2というあまり変哲も無さそうなもの。ぱっと見だけだとラウリルベンゼンスルホン酸ナトリウムが C18H29SO3Naですからそれに近い構造のセッケンとか界面活性剤由来かなとも思ったりしてしまいますがそう考えるのが素人のあさかかさ。実際の構造は下図のものになります。
SIに示されたH NMRの結果 だいたいこれでイメージ出来ますが
ちゃんと2D NMRのデータもありました(SIリンク)
川に流れ込むこの材料に似た人為的な物質が何なのか、ということで更に色々あたった結果タイヤによく使われる添加剤である6-PPD(N-(1,3-ジメチルブチル)-N’-フェニル-1,4-フェニレンジアミン)にたどりつきます。これは単体ですとそこまでシャケに対し毒性は高くないのですが、この6-PPDをガスクロ用のカラム内に保持した状態で放電で作ったオゾンガスを流すことで再現させた6-PPD-quinone、つまり上のNMRで検出された物質を合成してシャケのいる水に混ぜたところこれがシャケの8割が死に至るという猛烈な致死性が判明したことから、ほぼ間違いなく6-PPDが環境中で変化したものが川に流れ込んだ結果銀ジャケが死にかけてしまう事象が起こるのだ、ということを明らかにしたわけです(画像は同いずれも論文SIから引用)。
“Product”と書いてあるのが6-PPD-quinoneを
30ug/L溶かした液に4hr漬けたシャケの様子 5匹中4匹が死にかけ
キノン体でないと(“Parent”=元の6-PPD)そこまで毒性が上がっていないのもわかる
実際の使用された市販タイヤトレッド粉末からの滲み汁も
明らかに悪影響を及ぼしていることもわかった
ただ何故変形した6-PPD-quinoneがここまで銀ジャケに極めて高い毒性を示すのかまでは今回の研究では明らかになっていません。ですが、もしこれが魚類に対し広く、たとえば酸素を取り込むエラ付近への細胞などに対し幅広く悪影響を及ぼすとなると、問題は銀ジャケのみに留まらず他の魚や水生生物にも影響を与えうることでしょうし、類似化合物(作用原理にもよりますがヘタするとアミン系とかの老化防止剤、全部対象になるんでは…)可能性があるので、今回の検討にとどまらず広く包括的に作用原理まで含めて調査を頂きたいところです。
老化防止剤の必要性とそのグループについて
で、この6-PPD-quinoneの前駆体となる老化防止剤(N-(1,3-ジメチルブチル)-N’-フェニル-1,4-フェニレンジアミン)とは何か。そもそもがタイヤにどういう材料が含まれているのかから見直してみます。
こちらの記事から再掲
トレッドとかサイドウォールとかで使われている主要なゴム組成が違うのは上図で描いた通りなのですが基本的にゴムはプラスチックの一種で、長期的取扱いではナマモノとして認識したほうがよい材料です。さらに高結晶性HDPEなど違い、分子のスキマが多いことなどからゴム単体では劣化が速いケースがしばしば。やっすいゴム玩具を日光にさらして置いておくと1年もしないうちにカチカチ・ボロボロになる、あれですね。このため各種のゴムには強度部材兼紫外線吸収材であるカーボンや強度フィラーである亜鉛・シリカやカップリング材に加えてナンタラ防止剤とか変色防止剤とか場合によっては防カビ剤、加えて成型する時に必要な油とかが必ず入ってる。これの一部が老化防止剤です。ざっと分けると酸化防止剤と高分子劣化防止剤の2種類があり、基本的には酸化されやすい/ラジカルとかを捉えやすい材料、つまり還元作用を持つものが選定されます。その具体的な作用としては大気中のオゾンや紫外線(だいたいはゴムに練りこまれているカーボンブラックで吸収されますがそれでもしんどい)、その他熱刺激などで発生するラジカルなどをトラップしてゴム分子の主構造に悪影響をが起きない≒簡単にバーストとかパンクとかが生じないようにしてくれている、タイヤ的には極めて重要な役割を担っています。
で、それをこれまたざっくり分類すると主にフェノール系とアミン系があり、特にタイヤのような、何か問題が起きた場合に人命への影響レベルが高い用途には老化防止効果のより高いアミン系、またはアミン系+フェノール系のミックスが使われる傾向にあります。ゴムが脆くなったりトレッドが剥がれたりして運転中に突然バースト→事故、とかなったらそのタイヤメーカはとんでもない社会的責任をおっかぶさせられるに違いないのですから(老化防止剤が原因ではありませんが、過去にブリジストンが買収したファイヤストンというメーカでそうした事件がありました)、非常に地味ですが不可欠としか言いようのない、重要な材料であると言えましょう。蛇足ながらタイヤ以外だとフェノール系の一部は天ぷら油に入ったりしているものもあります。なおこの6-PPDという後述する材料を取り扱っているメーカは結構あり、TCIさんを調べたらちゃんとありました(キノンでなくフェノール形態ですが:こちら 和光純薬さん:こちら)。
ちょっと古いが老化防止剤の一覧と種類 その1
基本的な構成は現在も変わってないはず [文献3]より引用
老化防止剤 その2
硫化物系は用途次第だが出ている総量は多くないもよう
これらの材料はどこのメーカが作ってるのか。アメリカではダウ(+モンサント)、欧州はBayer(今はランクセス?)がかなりのシェアを握っている一方、国内では住友化学が大きな生産量を持っています。そのほかチラホラと小規模メーカが存在しますがどうもこの老化防止剤、過去数十年にわたってあまり大きな進化がなさそうなイメージです。というか既に1908年にあのオストワルド(!)がフェニレンジアミン系の材料がゴムの劣化を抑制するという知見を発表していて[文献4]、配合などは色々変わっているとは思いますがそれと同じ系統の材料が100年も使われているのですから。で、その原理や適応できる材料が結局アミン系(やフェノール系)から大きく変わらないとすると、あとは組合せや分子量向上などの小改良に留まるわけで…合成もドカっと作られることによる低コスト攻勢にはなかなか耐えられないでしょうから今後は大手の寡占化が進むのではないかとみております。
ともかくこのアミン系の材料、使用されている方や生物系の方々はお気づきとは思いますが一般的にあんまり体に良くないものが多い。そりゃ反応性が高いから酸素やラジカルを補足しやすく酸化されやすいわけで、生体にも何らかの影響は及ぼし得るということは予想されるわけです。これについて昔々のコソコソ噂話ですが、ある古参メーカAではとある染料にアミン系材料が使われていましたがどうもそれを扱っている方の体調が悪くなったりする事例があったとか、また古参メーカBでは工程でアミン系材料を使っている方の+++が***になったりとかいうことを聞きます。今では(注:昔も)速攻でアレな事例ですが、人間レベルでそういう事象が起きるということは、特に溶解して拡散する水中では、水生生物や人間よりもずっと体重の少ない生物にはもっと悪影響を及ぼし得る可能性があると認識しなければなりません(有害となる原理がわかっていないのに断定は出来ませんが…)。今回は素材そのものではなく素材が酸化されて変異した挙句の材料の毒性が非常に高かったということですが、変化次第で有害性が大きく変化し得るのですからなおさら他人事ではいられない事例だと思います。
さらにイカンのがこの老化防止剤、だいたいタイヤ1kgあたりに13-16gくらい入ってる。ということはタイヤ1個8kgぐらいあるので1台で500gくらいは使っている。一応ゴムから落ちにくいように色々工夫はしているようですが6-PPDの構造からみても親水性がそれなりにあって雨とかに当たると溶けそう。大通りやトラックとかが通ったりするともっとひどい。…というイメージをきちんと数量化して示しているのが今回の論文の素晴らしいところ(下図)。素晴らしいフィールドワークに基づいた社会的にも科学的にもインパクトの大きい内容であると感動した次第です。また古くなったゴムはブリード(添加物などが外部に溶け出していく現象)を起こしやすくなる傾向があり、更に老化防止剤の溶出が加速するのではないかというようなものがデータがばらついている原因ではないかということも推定されましょう。
論文より引用 ほとんどの箇所で今回の有毒物質の濃度が
銀ジャケのLC50値を超えてしまっている
[TWP:トレッドゴムの粉末 Runoff:道路からの流入水 Receiving Water:受水槽の水]
なおこういう環境への放出が問題になった例としては特定の炭素数のフッ素系界面活性剤が十何年か前に使用禁止になり、その中で3M社が速攻で販売禁止にしたのが記憶に新しいですね[文献5]。社会的責任というのはある程度の身銭を切る覚悟をしていないとできないことが多いのですが、同社はその文化が強く残っていたからだったと信じたいところです。
ということで、環境負荷を減らすことの機運が世界的な方向性として高まっているわけですから、今回のようにアミン系の材料に対しても合理的かつ厳しいレベルまで使用量を低減&溶出、暴露を減らす材料に変更していくなどの対策が必要になる可能性が高く、影響の規模次第では材料そのものに対し規制がかかるかもしれません。おそらくミシュラン社の漁礁の話もこうした材料の滲出しが影響したでしょうから、実際の車のみならず廃タイヤを山積みにしたり廃棄してあるような場所の対策も必要になるかもしれません。関係者は是非今回の話を自分の案件としてとらえていただきたいところではありますが。。。
かと言ってすぐにタイヤからアミンを抜くということは安全性の観点から考えにくい。ではどうするか、というのが知恵の出しどころだと思います。昔の筆者なら人間のことなんかどうでもいいからさっさとタイヤを鉄に変えろとか言っていたかもしれませんがそういう態度になるにはもう齢をとりすぎました。ただ、簡単にゴム外に出にくいようにすることがまず第一歩になるであろうほか、タイヤそのものを変える工夫以外にも道路の素材や側溝のグレーチング、周辺構成の工夫などからも今回のような影響を軽減するようなことこそが知恵につながるのではないかと思っております。
終わりに
結局今回のことも、かのCarl Boschがご自分の息子に言っていた言葉、
“Absolute haben wir viel erkannt in unserer Zeit, aber relative wissen wir immer weniger, weil jedes geloeste Problem eine Vielzahl neuer Probleme aufrollt.”
(大意:自分らの世代で多くのことを完全に知ったとしても、結局はわかってないことがほとんどだ 何故なら問題を解決しても、その解決策自体が新たな問題を引き起こすからだ)
これに尽きます。タイヤの性能を上げれば上げるほど耐久性のあるよいタイヤは出来るでしょうが、こうして河川への影響という新たな課題が出てきて、しかも技術的でない案件も含まれた複合的な課題である可能性が高く、より難易度が上がっている。数十年前と大して構図が変わってないどころかどんどんその問題が大規模に深刻になってきており、しかもその問題の根幹たる人間の7つの大罪だけが肥大していって何も解決の方向に行ってないような気がしているのは自分だけではないと思います。
今回の件に限りませんがプラゴミやメガソーラによる森林破壊の件(国内のものは特に害悪以外の何物でもないのですが)とか身近な話もそうですが地球規模の変動がどういう原理に基づくのかなどもヒステリー的な反応でやたら危機を煽るとか、なんというか本筋から離れたところで火の手が上がりやすい社会情勢であることも相まって色々とゲンナリしてしまうのが正直なところです。Boschは同じく「結局共同体の幸せなるものは存在しない、最終的な幸せは家族という単位で過ごすことにあるのだ」と厭世的な言葉を残していたそうですが(原出典調査中)、なんというか、非常に共感できるところがあります。
・・・というように世をはかなんでいてもしゃあないので、それぞれの領分で精いっぱいやっていくとしましょう。うまくいかなきゃ来世にやりなおせばいいのですから。
それでは今回はこんなところで。
[本論文以外の参考文献]
- “Plastic from tyres ‘major source’ of ocean pollution”, BBC News, 22 February 2017″BBC, リンク
- “Researchers discover that a ubiquitous tire rubber–derived chemical is killing coho salmon in urban waterways: 6PPD-quinone”, Green Car Congress, 7th December 2020, リンク
- “老化防止剤における最近の動向”, 精工化学, 日本ゴム協会誌, リンク
- “アミン系老化防止剤”, 精工化学 研究開発部, 日本ゴム協会誌 91(12), 442-446, 2018, リンク
- “撥水撥油処理剤・フッ素系コーティング剤におけるPFOS・PFOA対策第2版” フロロテクノロジー, リンク