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創発型研究のススメー日本化学会「化学と工業:論説」より

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学問のススメの続きは?

「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」で始まる福沢諭吉の学問のススメの続きを知っていますか? その後,差がつくのは学問ですよと続く。民間企業で,日々の業務に追われていると,このような新しい学問や知識を取り入れる機会や時間が十分とれず,取り残されていることはないだろうか? また,その新しい学問に関して,本欄で繰り返し議論されているようなサイエンスのポピュリズム化 1)により,イノベーションや社会実装を急ぐあまり,新しい知識の発見や学理の構築が軽視される傾向はないだろうか?

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戦略と創発

一昨年,経団連から,研究開発のマネジメントを従来の「選択と集中」から「戦略と創発」に変えていくべきという提言がなされた 2)。広範囲の研究を繰り広げ,その中から研究成果に応じて選択したテーマに集中して社会実装に向けて開発を加速するという「選択と集中」の考え方では,豊富なリソーセスを背景にする各国との国際競争には勝ち抜けない。そこで創発型研究を実施すると同時に,その成果から戦略に基づく開発につなげて破壊的イノベーションを導こうというものである。それでは創発型研究というのはどういうものだろうか?

創発(Emergence)という言葉は,物理や生物などさまざまな分野で用いられているが,文字通り「発見や発明を創る」という意味であり,このような発明や発見がどんどん生まれるのはどんな環境なのだろうか? 昨年の当時文部科学省の岡村直子大臣官房審議官の論説 3)では,科学技術政策の体系の中で,新しく策定された創発的研究制度について紹介されている。これは,主として若手を対象に,自由に研究ができる環境づくりの支援をしようという位置づけである。本稿では,このような創発型研究を具体的なアクションにつなげるために必要とされる「失敗を恐れない野心的挑戦」,「多様性の向上と融合の促進」,「卓越した個の育成」,「研究を楽しむ環境づくり」の4 つの要素から論じる。

失敗を恐れない野心的挑戦

アドマテックス社の球状シリカ 出典:アドマテックス

筆者は,40 年近く材料の研究分野に携わっているが,材料の偉大な発明は失敗や間違いから生まれたものが多いことを学び実感してきた。金属材料の講義で最初に習うのは,アルミ合金ジュラルミンの強化機構であるが,これは,アルミを鉄のように焼き入れる実験を繰り返しても上手くいかず,ある週末に熱処理炉に試料を置き忘れて帰ったら,合金が時効析出により固くなったという事例である。そのほかにもノーベル賞の白川英樹先生や田中耕一先生の事例は,説明するまでもなくとても有名だし,弊社発のベンチャーのアドマテックス社の球状シリカの製造法も,実験に失敗して爆発事故を起こしてしまったことから美しい粒子を造る新しいプロセスを見いだした 4)ものである。

また,先日ある材料系の先生に弊社で講義をお願いして伺った話では,研究計画を議論するディスカッションで,教授が過去の知見やリソーセスを含めた総合的な判断で「やめとけ!」といったテーマでも,研究者が自ら既存の環境を活用して実施して,上手くいったケースは多いということである。

このような成功事例は,研究マネジメントでよく用いられるビジョンやロードマップというような会議室の議論に基づいてなされたものでなく,上手くいかなかった試料でも調べてみようとか,これ何か面白そうという現場の研究者の好奇心と粘り,失敗を評価するマネージャーの姿勢,そしてそれを許す時間と資金の余裕がもたらしたものである。

多様性の向上と融合の促進

創発型研究が,研究者の意思を尊重し,サイエンスを極め,新しい学理の構築を目指すものであるならば,日本学術振興会がマネジメントする科研費のプロジェクトはその中心的役割を担っていると考える。前述の新しい制度は若手研究者の環境づくりのために必要な制度であるが,科研費のプロジェクトの量的な強化と質的な充実こそが,創発型研究の推進につながると考える。

科研費のプロジェクトの中で,新学術領域から新しく学術変革領域と名称を変えるプロジェクトがあるが,ここでは,研究者が従来の学会の枠組みを越え,班を構成し,連携により新しい学理を構築するための議論がなされている。研究者同士は,特に研究統括や上司の教授から指示されたわけでなく,自律的に研究を加速するために議論を重ね,それによる連携で成果が得られ,新しい学理が生まれる場面も多い。最近は,新型コロナウイルス感染症の影響もあり,なかなか合宿討議や懇親会の場を持つことができないが,コロナ以前のこのような場では,若手研究者が飲みながら話していることは,他人の噂話でも趣味の話題でもなく,ほぼ100% 研究の議論である。前述した新しい連携や発想は,このような場がきっかけとなるケースも多いので,感染対策を実施した上で継続することはとても有効である。

このような創発型の研究と,イノベーションを目指す戦略的な開発との関係は,慎重な議論が必要である。あくまでも科研費は学術のために実施されるものであるが,結果として生まれた成果は,イノベーションのシーズとなる大変良いものが多いので,それを目利きして,JST やNEDO のプロジェクトに継承する仕組みが,前述の「戦略と創発」の構想の中ではよく機能すると考える。

卓越した「個」の育成

大学院の教育改革を目的として,卓越大学院制度が実施されている。新しい時代に対応できる卓越した研究者を育成する仕組みをパイロットプランとして実施し,それを全学の教育改革に展開していこうという取り組みである。ここでは,従来の学科,学部,さらには大学の枠を外した連携がなされ,文理融合や医工連携などのテーマが推進されている。ここで学ぶ学生は,厳しい選抜を経たということもあるが極めて意識が高く,このプログラムにより,海外留学やインターンなど,修了までの極めて負荷が高くなることも前向きに受け止めているケースが多い。指導される関係の先生方には,このような高い意識の学生の研究の手助けをする中から,彼らの新しい考えから新しい学理の体系や,大学院の構造改革への展開を推進されることを期待したい。

研究を楽しむ環境づくり

筆者は,20 年以上,民間企業で電池や材料の先端研究のマネジメントを担当してきたが,常に研究スタッフに言い続けてきたのは,研究を楽しんでほしいということである。人生の一番多くの時間を使うのは,会社で研究をする時間なので,それが楽しい時間でないともったいないじゃないですか。日曜の夜に国民的アニメの主題歌を聞いたら,早く会社に行って実験がしたくてしょうがないようになってほしい。そしてそのためにマネージャーは上位に対する説明責任を果たし,研究者が思い切り研究を楽しめる環境を整えることがミッションだと。

大学の場合は,外から見ていると,研究とマネジメントの境界がなく,オンリーワンの研究のできる優れた人材が,誰でもできるマネジメントに多くの時間を取られているケースが散見される。それであれば,タスクにあわせたマネジメント人材を配置し,研究者に楽しく研究に専念できる環境を提供することも1 つの方策と考える。

蟻の門人となるなかれ

諭吉の学問のススメでは,「蟻の門人となるなかれ」というくだりがある。自分のため,自分の属する組織のためにという考えから,新しい学術の構築のため,新しい時代に活躍できる人材を育成するため,そして広く社会に貢献するためという考えに基づけば,創発型研究を推進するための種々の方策の立案や実行がより円滑に行くと考える。

(文:射場英紀 トヨタ自動車株式会社)

ここに載せた論説は,日本化学会の論説委員会の委員の執筆によるもので,文責は基本的には執筆者にあります。日本化学会 では,この内容が当会にとって重要な意見として掲載するものです。ご意見,ご感想を下記へお寄せ下さい。

論説委員会 E-mail: ronsetsu@chemistry.or.jp

記事掲載について

以前掲載した上杉先生の「博士号で世界へ GO!」と同様に、「化学と工業の論説をぜひ若い学生や研究者のみなさんに読んでほしい」という玉尾皓平先生からのご依頼です。不定期に掲載していく予定です。なお、本記事は日本化学会からの寄稿であり著作権は日本化学会にあります。メールのみならずTwitterなどSNSでもぜひ感想をお寄せください。

引用文献

  1.  山本 尚,化学と工業2019,72,657.
  2. https://www.keidanren.or.jp/policy/2019/034_honbun.pdf
  3. 岡村直子,化学と工業2020,73,185.
  4. 安部 賛,異端者たちの挑戦,幻冬舎メディアコンサルティング,2019.

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Chem-Station代表。早稲田大学理工学術院教授。専門は有機化学。主に有機合成化学。分子レベルでモノを自由自在につくる、最小の構造物設計の匠となるため分子設計化学を確立したいと考えている。趣味は旅行(日本は全県制覇、海外はまだ20カ国ほど)、ドライブ、そしてすべての化学情報をインターネットで発信できるポータルサイトを作ること。

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