未曾有の大震災より10年
2021年3月11日、東日本大震災の発生より丸10年を迎えます。今年2月には東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震が東北地方を中心に発生し、震災の余波が今も続いていることを改めて認識させられました。
本記事では震災10年を迎えるにあたり、今後起こるであろう日本各地での大地震への心構えを新たにするため「有機合成系研究室における地震対策」と題して、有機合成系研究室における東日本大震災の被害の振り返りとその後の対策についてまとめました。
本記事の執筆にあたり、東北大学大学院理学研究科 化学専攻反応 有機化学研究室の寺田眞浩先生と中村達先生にご厚意でインタビューをさせていただき、また震災当時の貴重な写真資料をご提供いただきました。心より御礼申し上げます。
寺田 眞浩 (てらだ まさひろ) 教授
中村 達 (なかむら いたる) 准教授
寺田研は化学棟の7階にあり、東北大の有機系研究室の中でも特に甚大な被害を受けたそうです。
東北大のある宮城県は1978年の宮城県沖地震で震度5 (注: 旧震度階級) の強い地震に見舞われており、同クラスの地震がおよそ30年周期で発生していたことから、棚などの固定は以前からしっかりしていたとのことでした。しかし、2011年の大地震では棚は固定具ごと外れて倒れてしまったとのことです (写真)。また、2007年には化学棟の改修が行われており、それ以来、廊下には物を置かないなど徹底した対策がなされていたそうです。
まずは逃げろ!ラボ内で地震が起きた時の鉄則
寺田先生曰く「地震発生を感じたら、すぐに作業をやめてラボから脱出する」ことが何より重要だということです。
家や普通の施設にいる場合、落下物などの危険があるためすぐに外に出るのは危険とされています。一方、実験室 (特に有機系) は危険な物が室内のそこかしこにあるため、まずは一刻も早く廊下に逃げること、これが鉄則になります。
震度6強にもなると、什器が倒れてきたり物が壊れるのは防ぎようがないとのことです (写真1)。
写真1:震災後の寺田研究室 (1)
これは経験した方にしか分かりえない感覚かもしれません。ドラフトが 1~2 m 動いたそうですので (写真2)、「実験室の被害を完全に防ぐことは無理」と覚えておいた方が良いでしょう。しかし、「減災」の心構えは常に持っておきたいものです。
写真2:震災後の寺田研究室 (2)
先生方曰く「30秒あれば逃げられる」とのことでした。避難路の確保は非常に重要です。地震発生から廊下に逃げるまで、避難を確実に行うため実践されていることを教えていただきました。
基本に立ち返って、自身のラボでどれだけ気をつけているか思い返してみてください。
・地震を感じたら声をあげてラボ全体に知らせる。ドアを開けておく。 ・緊急地震速報を侮らない (外れたらラッキーくらいの気持ちで) ・出入口付近に障害となるものを置かない (冷蔵庫やロッカーなど置いてませんか?倒れてドアが塞がれます) ・ガスボンベは遊びがないようにしっかりとチェーンで括り付ける。金属疲労が起きないよう、ステンレス製のフックを使用。できればチェーンは2箇所で固定。 ・ガロン瓶には安全用のネットを付ける (写真3) ・試薬・器具はこまめに保管場所へ戻す。保管場所もネットで保護 (写真4) ・試薬保管場所の高さは最高でも1.5m程度。 ・貴重品 (財布・鍵) は肌身離さず持っておく (地震後すぐに取りに戻ることはできない)
写真3:安全ネットによるガロン瓶の保護
写真4:安全ネットによる試薬の保護
いかがでしょうか? 普段の心構えをしっかりしておけば問題なくできそうな対策ばかりです。
実際、震災後しばらくは関東や関西の研究室でも気を配っていた方も多いのではないでしょうか。しかし、10年も経てば徐々に機が緩み、利便性や収納を重視して対策がおろそかになってしまっていませんか?
今一度、ラボの危険箇所をチェックしておいたほうが良いでしょう。チェックだけでなく、危険箇所は改善するよう、ラボメンバーやスタッフへの注意喚起も率先して行えると良いですね。
耐震にどれだけのコストをかけるか
アカデミアの研究室では、地震対策の固定具を揃えるにも予算の問題があるかと思われます。冷蔵庫や乾燥機などはバンドで強固に固定しているラボも多いでしょうか (写真5)。
写真5: 乾燥機のバンドによる固定 (筆者所属研究室のもの)
では、棚や器具の滑り出し対策などはどこまで徹底すべきでしょうか。
先生方曰く「避難までの時間稼ぎができれば充分。何もやらないよりは出来ることを」とのことでした。
例えば、100均で売っている自転車用のワイヤーロックでエバポを固定するだけでも、転倒までに数秒のラグが期待でき、避難のための時間が延びるとのことです。特殊な器具を使わずとも、ホームセンター等で入手可能なアンカーで実験台を固定することもできます (写真6)。
写真6: 実験台の固定
むやみやたらな固定よりも、もっと大事なのはやはり避難路の確保です。先述の通り、巨大地震では固定具ごと折れて棚や機器が飛んでくる (写真7) とのことですから、ある程度購入可能な固定具は導入しつつも、コストをかけるより徹底した避難の心構えが重要でしょう。
写真7:震災後の寺田教授室
「もったいない」は防災の大敵
・不要な物は捨てる:物が多くなればなるほど危険度は増す。「ゴミ箱」もしかり、極力減らす。 ・使っていない試薬はもったいないと思わず廃棄 :「いつか使うかも」、「もったいない」は多くのリスクを抱えることに。
地震から1ヶ月余後、先生方が被害報告のためようやく研究室に立ち入った際には、THFやピリジンの臭いが充満しており、排気を全開にしても臭いが消えるまで相当の時間を要したとのことです。復旧においても余分なものが無ければそれだけ時間を短縮できることでしょう。同じ溶媒のビンが少しだけ残ったまま何本も取って置かれてないでしょうか? 古い試薬はただでさえ劣化しており実験に影響を及ぼす可能性もあります。使用していない試薬は極力廃棄しましょう。
また、同時に入室する作業員の方は薬品に関する知識を持っていない場合が多いとのことです。後処理の時間を最小限にとどめ、二次被害を防止するためにも「余計なものは残しておかない」ことが非常に重要です。
他に試薬に関する注意として、震災に乗じた盗難が発生するおそれも十分に考えられます。毒劇物は普段からしっかり施錠管理し、放置のないようにしましょう。
実験室内の居住スペースと実験スペースの配置
居住スペースが部屋の奥にあると、いざという時に危険性の高い実験スペースを経由して逃げなければなりません。危険性の高い部分はなるべく奥に配置すべし、とのことです。
採光などの都合から、デスクを部屋奥の窓側に設置しているラボも多いのではないでしょうか。その場合、出入口近くにデスクがある場合とは脱出に十数秒の差が生じますし、棚が倒れたり器具・試薬が飛び散ったりして避難路が塞がれる危険性も高いです。
実験室と居住スペースは別室とするのが最適でしょうが、建物の構造や広さの関係で難しいかもしれません。まずはその配置を見直してみてはいかがでしょうか。
停電時に活躍する蓄光テープ
最近は非常用電源を供えてある施設も増えてきたかと思いますが、地震に伴う停電は避けて通れない問題です。夜間の停電は避難路を見失う可能性があり非常に危険です。
寺田研では、停電時でも避難路をすぐに見分けられるよう、蓄光テープを実験台の端に貼り付けて活用しているとのことでした (写真8, 9)
燐光を発し暗闇でも光るやつです。100均でも手に入ります。あると無いとでは避難路の視認性が段違いですね。
写真8:蓄光テープによる避難誘導(1)
写真9:蓄光テープによる避難誘導(2)
NMRは危険!
有機系研究室の人ならNMR室で地震に遭うことも考えておいた方が良いでしょう。
もし遭遇したら、実験室と同様一刻も早く廊下に逃げてください。
NMR装置自体が凶器と化しますし (写真10)、クエンチの危険があります (参照記事はこちら)。
写真10: 東北大化学棟5階のNMR
火災の発生にも注意
寺田研では幸い実験室内での火災はなかったとのことですが、試薬庫で火災が発生し、25m2が延焼したそうです。運良く繋がった公衆電話で化学消防車の出動を要請し、大きく広がらずに鎮火はできたそうですが、写真では被害の大きさが見て取れます (写真11)。
有機系研究室は溶媒などの引火性液体 (危険物第四類) はもちろんのこと、自然発火性物質・禁水性物質 (危険物第三類) なども頻繁に利用すると思われます。アルキルリチウムやアルキルアルミニウム、水素化ナトリウムなどがこれらに該当します。実験台やドラフトにこれらの試薬を置きっぱなしにせず、使用後はすぐに片付けることが重要でしょう。
小さな火災が発生しているようであれば、揺れが収まったあとに初期消火を試みることも有効でしょう。もちろん火の勢いが強い場合や判断に困る場合は、人命を優先して急いで避難すべきです。
写真11:地震に伴う火災発生現場 (試薬庫)
いざという時のために、ラボ単位での準備と心構えを
地震に備え何を用意しておくべきかと尋ねたところ、「ラボスタッフはラボメンバーの名簿をプリントアウトしてすぐに持ち出せるようにしておくべき」とのことでした。現在はコロナ禍で入館管理のためにその日の投稿者名簿をプリントアウトしている研究室もあるでしょうが、それとは別に全員の名前と連絡先・自宅・血液型などの情報も記載された名簿が良いでしょう。もちろん個人情報保護の観点から管理は適切になされるべきですが、それを踏まえた上でスタッフはラボメンバーの情報管理をしっかりとしておきましょう。
また、常日頃からラボ単位での避難訓練を実施しておくことも必要とのことです。大地震の際、減災には初動が一番大切です。
日中は自分のラボや居室だけでなく、共同実験施設や食堂・図書館など皆それぞれの場所で活動していることと思われます。そのため、大地震が発生した際の「一次集合場所」をラボ単位で決めておき、まとめて点呼を行うことが重要だとのことです。被災直後の安否確認を迅速におこなうためです。建物内やエレベータ内に人が閉じ込められている場合もあります。混乱の原因となるので、勝手に帰宅することは絶対にやめましょう。
寺田研では、非常用の懐中電灯はもちろんのこと、ヘルメットと拡声器が常備してあるそうです。また、被害報告の際の入室時はトランシーバーを持っていったとのことです。大きな余震も続いていたため、通信手段が使用できなくなることを想定してのことだそうです。こういった機器類はラボ内の分かりやすいところに常備しておくと良いでしょう。
ラボでの地震に対する先生方からのメッセージ
寺田先生「地震前の対策と、地震後の時間ごとの動き方が重要。特に初動が大事。常に覚悟をもってシミュレーションしておくこと」
中村先生「日本で研究する以上、震災はどこでも起こり得ます。東北に限らず、どこで研究していても同じことです。まず第一は人命。ケガもしないように被害を最小限にする。学生としっかりコンタクトをとり、どんな実験をしているか把握することも重要です」
今後、首都直下型地震や南海トラフでの大地震が高い確率で起こると予想されています。「次は自分達が被災者になる」ことを常に意識しておくことが必要でしょう。東日本大震災の時は、小さい初期微動から徐々に揺れが大きくなっていきました。繰り返しますが、ラボで地震が起きたら、小さいと感じてもすぐに作業を止めて避難することが大事とのことです。何より大事なのは人命です。人的被害を最小限にとどめるため、できる限りの対策をしつつ、個々人の心構えを常にアップデートすることが重要でしょう。
最後となりましたが、インタビューと資料提供にご協力いただきました 寺田眞浩先生、中村達先生に厚く御礼申し上げます。
ご協力いただいたラボ:東北大学大学院理学研究科化学専攻反応 有機化学研究室
寺田眞浩先生の研究室では「基質認識型有機分子触媒の開発」と「金属錯体触媒による新規物質変換反応の開拓」を軸に、触媒を用いた分子変換プロセスに関する最先端の研究が行われています。
(寺田研 研究概要ページより引用)
『化学の原点は「ものづくり」です。21世紀を迎えた今、有機化学に求められているのは欲しいものだけを作る選択的な物質変換に加え、効率の追求による環境に配慮した高度な分子変換プロセスの開拓です。我々の研究室では有機分子や金属錯体の特性を生かした次世代分子触媒を創製することで選択性、汎用性、効率に応えうる新しい分子変換法の開拓を行っています。さらに、高度分子変換を駆使した有用物質の高効率合成へと展開することで基礎から応用まで一貫した開発研究を目指しています。』
(寺田研 研究概要ページより引用)