第302回のスポットライトリサーチは、岩手大学農学部の宮崎雅雄 先生の研究室に所属する上野山怜子(うえのやまれいこ)さんにお願いしました。
宮崎先生の研究室では、匂いやフェロモンを介した動物の嗅覚コミュニケーションを分子レベルで解き明かす研究をされています。
ネコが大好きな上野山さんは、ネコのマタタビ反応に興味を持ち、実際に研究を始めたそうです。
今回プレスリリースの対象となった研究は、第62回天然有機化合物討論会で上野山さんのとても落ち着いた、非常にわかりやすい口頭発表(奨励賞受賞)を聴いた時から注目していましたが、最近Science Advances誌に掲載されました。
プレスリリース:ネコのマタタビ反応の謎を解明 -マタタビ反応はネコが蚊を忌避するための行動だった-
原著論文:“The characteristic response of domestic cats to plant iridoids allows them to gain chemical defense against mosquitoes”
Science Advances 2021, 7, eabd9135. DOI: 10.1126/sciadv.abd9135
宮崎先生より上野山さんについて以下のコメントを頂いています。
上野山怜子さんが研究室に配属されて2年半が過ぎました。入室時に「ネコが大好きでマタタビ反応の謎を解く研究に挑戦したい」と強い意志を示したのが印象的でした。入室してから長期休みを取ることなく日夜研究に打ち込み、ポジティブな結果が出ない時期も乗り越え、最終的に「マタタビ反応は、ネコの蚊よけに有効」という私も予想しなかった結論を導きだしました。肝となる結果を得た時の笑顔は、ネペタラクトールに反応したネコに匹敵する多幸感を得てのものだったと思います!プレスリリースされた論文の初稿は、彼女が一人で書き上げました。その後、私や共同研究者、更にはレフリーの助言を元に100回近く原稿の書き直しを行うことになりましたが、めげたり妥協することなく論文受理まで筆頭著者の役割を果たしてくれました。これからもネコの気持ちに寄り添いながら、好奇心の赴くままに研究に励んでもらいたいと思います。
それではインタビューお楽しみください!
【Q1. 今回プレスリリースの対象となったのはどんな研究ですか?】
「猫にまたたび」のことわざがあるように、ネコがマタタビを嗅ぐと顔や頭を擦り付け地面に転げ回る反応は非常に有名です。1950~60年代には、大阪市立大学の目武雄教授らによってネコにこの反応を誘起する複数のマタタビ活性物質が構造決定されました(Chem-Station, マタタビの有効成分のはなし)。しかし、ネコ科動物特異なマタタビ反応の神経メカニズムや生物学的意義は全くの未解明でした。本研究では、まず過去の知見も参照しながらマタタビ葉から活性物質を探索し、これまで報告されていた活性物質よりネコに対する作用時間が長いネペタラクトールという物質を新たに同定することができました。次いでネペタラクトールだけを嗅がせてマタタビ反応させたネコの脳内状態を解析すると、ヒトで多幸や鎮痛に関わるμオピオイド系が活性化していることを突き止めることができました。さらにネペタラクトールには蚊の忌避活性があることも分かり、最終的にネコのマタタビ反応は葉に顔や頭を擦り付けネペタラクトールを付着させ、フィラリア等を媒介する害虫である蚊への化学防御を可能にする行動であるという、研究開始当初は全く予想もしなかった結論を導く事が出来ました。
【Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください】
マタタビ葉120g由来の抽出物をGC/MSで分析してみると、意外なことに、目教授らが報告していた活性物質マタタビラクトン類の10倍以上もの濃度で、それまでマタタビから報告の無かったネペタラクトールが検出されました。その結果を見た指導教員の宮崎教授と共同研究先の名古屋大学の西川教授から、「現在の分析技術が60年前より優れていたとしても、当時の440kgもの乾燥葉を使った研究でそうそう見落としはないだろう、ネペタラクトールがマタタビ反応に最も重要な生物活性物質なら大発見だが、これがもし抽出過程やGC/MS分析時に生じたアーティファクトであって我々が間違った知見を報告したら大問題になる、再現性を確認し見逃されていた原因を明らかにする必要がある」と言われました。よって私に与えられた最初の難題は、ネペタラクトールが本当にマタタビに含まれるかの確証を得ることでした。この課題を解決するため、ネペタラクトールの精製法を改良し、葉抽出物のGC/MS分析を、カラムの種類や、注入時の温度や圧力などの条件を様々変えて行いました。また異なる産地・収穫時期のマタタビの葉を集め、有機溶媒抽出と熱水蒸留の両方の抽出法を試しました。結果、間違いなくマタタビ葉にネペタラクトールが含まれることを立証できました。さらに過去の精製段階で使われていた酸やアルカリ加熱処理は、ネペタラクトールを化学変換しマタタビラクトンを生成してしまうことも分かりました。一連の研究を経て、過去の研究を自分の手で再検証することの重要性を学びました。
【Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?】
マタタビ反応はネコ科動物の共通祖先の時代から1000万年以上もの間受け継がれてきた行動と考えられます。そのためマタタビ反応には必ず重要な機能が隠されていると信じて研究しましたが、解明への端緒が全く見えずに時間ばかり過ぎていきました。その折に、宮崎教授主催の国際シンポジウム参加のためイギリスから来日した動物行動学者Jane Hurst教授とディスカッションする機会を得て、「ネペタラクトールを壁や天井など様々な場所に置いたときのネコの行動を観察してはどうか」とこれまで考えたこともなかった実験法のアドバイスを頂きました。早速試してみると、ネコはどこにネペタラクトールが提示されてもしきりに顔や頭を擦り付ける反応を見せました。これは、マタタビ反応で最も重要な行動は活性物質への顔の擦り付けであることを意味しました。そこで擦り付けの行動学的意義を探るため、ネコが頬分泌物を葉に塗り付けマーキングしている可能性や、逆に葉から顔にネペタラクトールを塗って他個体のネコを誘引する媚薬的効果の可能性などを検証していきました。最終的に、ネコはネペタラクトールをマタタビ葉から顔に付着させることで蚊除け効果を得ているという発見が得られました。
【Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?】
私たちヒトにとって「言葉」が重要なコミュニケーションツールであるのに対し、身近な伴侶動物のネコをはじめとした多くの動物では、におい、すなわち「化学物質」が摂食、繁殖、危険回避など、生存に重要な行動を制御するうえで大きな役割を果たしています。彼らが何を考えどのように行動しているのか、種に特有な動物行動の原理を化学的な観点から理解できるよう、先はまだまだ長いかもしれませんが研鑽を積んでまいりたいと思います。
【Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします】
化学に関わる多くの方が読んでいらっしゃるChem-Stationにて本研究を取り上げていただけることを、大変光栄に感じております。このような若輩者に執筆機会を与えてくださったChem-Stationの方々に御礼申し上げます。
岩手大学の宮崎雅雄教授からは学部3年次より研究の手技から着眼点、心構えまで一から熱心にご指導いただき、研究の面白さと厳しさを教えていただいております。ネコ研究の楽しさに目覚めたことは、将来研究者を目指すきっかけにもなりました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。また、共同研究にて研究室の学生の一員のようにご指導いただきました名古屋大学の西川俊夫教授をはじめ、本研究にご協力いただいたすべての先生方に心より御礼申し上げます。
研究者の略歴
名前:上野山怜子(うえのやまれいこ)
所属: 岩手大学総合科学研究科農学専攻応用生物化学コース
研究テーマ: ネコ科動物がマタタビに反応する謎の探求
略歴:
2020年3月 岩手大学農学部応用生物化学科卒業
2020年4月 岩手大学総合科学研究科農学専攻応用生物化学コース修士課程入学
現在に至る(2021年3月現在、修士課程1年)
受賞歴:
- 日本味と匂学会第53回大会 優秀発表賞
- International symposium on “Environmental Response Mechanisms in Plants and Animals” Best Oral Presentation Award
- 日本生化学会東北支部第86回例会・シンポジウム 最優秀ポスター発表賞
- 第93回日本生化学会大会 若手優秀発表賞
- 第62回天然有機化合物討論会 奨励賞(口頭発表の部)
- 公益社団法人日本農芸化学会東北支部 第155回大会 学生優秀発表賞