第 296 回のスポットライトリサーチは、東京大学塩谷研究室で博士号を取得され、現在は京都大学寺西研究室にて博士研究員としてさらに研鑽を積まれている遠藤健一さんにお願いしました。遠藤さんが学生時代を過ごされた塩谷研究室は、分子レベルの配列 · 空間 · 動きを制御できる新しい超分子の合成と機能化に取り組んでいます。遠藤さんは、錯体化学の基礎的な構造である四面体配列の制御に取り組み、その成果を Nature Communications 誌に報告しました。
Endo, K.; Liu, Y.; Ube, H.; Nagata, K.; Shionoya, M.
Asymmetric Construction of Tetrahedral Chiral Zinc with High Configurational Stability and Catalytic Activity
Nat. Commun. 2020, 11, 6263. DOI: 10.1038/s41467-020-20074-7.
この成果はプレスリリースとして発表されるだけでなく、複数の海外科学ニュースメディアでも取り上げられており、国内外で注目を集めています。研究室を主宰する塩谷先生と遠藤さんを指導された宇部先生より、遠藤さんの人物像についてコメントをいただいております。
[塩谷先生からのコメント]私どもの研究室では、4月に新人を迎えて行う最初のセミナーで、全員が研究テーマや研究の「夢」を語ることにしています。2017年4月末のセミナーの時だったと記憶していますが、私自身も夢の一つであった四面体型Chiral-at-metal錯体の話をする機会がありました。当時、遠藤健一君は博士課程に進学したばかりで、超分子合成の研究も順調に進んでいましたが(J. Am. Chem. Soc. (2019 & 2020)に発表)、どうしてもその夢を叶えたく、遠藤君に研究テーマを大きく変えてもらいました。金属は広島大学時代から慣れ親しんでいた亜鉛イオンを選び、非対称三座配位子のデザインは彼の力量に掛かっていました。遠藤君が何と言っても素晴らしかったのは、分子デザインの際にすでに、亜鉛錯体の構造のみならず、そのあとの不斉誘導、光学純度決定、不斉触媒反応をすべて考慮していたことです。数種類の配位子の試行錯誤のあと、ほんの1年ほどで一気に結果が出てきたときは私も大変興奮しました。教科書にしたがえば、亜鉛錯体はlabileである=ラセミ化が容易に起こる、となりますが、遠藤君の発見(ラセミ化の半減期はおそらく10年単位)はその常識を大きく覆しました(Nat. Commun. (2020)に発表)。遠藤君につづく後輩たちも今、この「不斉金属」の化学をV, Ni, Co, Fe, Au錯体に大きく広げつつ、次の夢に挑戦しています。
[宇部先生からのコメント]遠藤君との出会いは3年生の五月祭実験(学園祭で発表する模擬研究)の時でした。その年の担当者だった私に、実験班のリーダーだった遠藤君から「対称性の高い、美しい分子が作りたいんです」という希望があったことを覚えています。その後塩谷研に配属した遠藤君の研究は、学部生から博士課程まで、いずれも元の希望とは異なる「(超分子)錯体の対称性をいかに崩すか」がテーマでしたが、自身で発見した知見をもとに、非常に高いクオリティの結果まで引き上げてくれました。
遠藤君の研究者としての資質は塩谷先生がご紹介されているかと思いますので、私からは遠藤君がいかに化学が大好きかということを強調しておきたいと思います。学生の頃から研究室の活動にとどまらず、化学オリンピックの行事をはじめとする多くの化学イベントに関わっておりました。こうした活動や研究へのモチベーションをなんだろうと考えたとき、化学の話を楽しそうにする遠藤君の顔を思い出しました。純粋に化学を面白いと感じ、新しいことを追い求める態度は、私も見習わなければいけません。
博士課程を修了し新たなケミストリーに挑戦を始めた遠藤君、分野に囚われない自由な発想で研究を進めていってください。
今回のインタビューでは、塩谷先生のコメントでも触れられている遠藤さんの配位子のデザインの裏話についてもお話をいただきました。それではインタビューをお楽しみください!
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?
鏡に映した像と重なり合わないという性質「キラリティ」を持つ金属錯体は、不斉触媒や光学材料として有用です。キラルな金属錯体というと一般にはキラルな配位子を持っているものが多いのですが、近年ではキラルな配位子が必要ない、金属原子が不斉中心となったキラル錯体が注目されています。しかし、そのような不斉金属原子を持つ錯体は八面体型の場合に限られ、四面体型の不斉金属原子は不安定なために利用できないと思われてきました。今回の研究では、安定な四面体型の不斉金属原子を持つキラル錯体を不斉合成し、触媒反応へと利用することに成功しました。この結果は、キラル錯体の設計の幅を大きく広げると期待されます。
今回合成した四面体型の不斉亜鉛原子を持つキラル錯体
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください
この研究で一番重要な工夫は、配位子の設計でした。四面体型の不斉金属原子は通常、非常に速い立体反転によってラセミ化しキラルな性質を失ってしまいます。本研究ではこの立体反転を防ぎつつも触媒として使えるように、論文中で述べているような特殊な設計の三座配位子を開発しました。この配位子設計に辿り着くために、研究目標が決まってから2ヶ月ほどは実験を行わず、ひたすら文献を読み、3Dモデリングを試し、様々なアイデアを出してスタッフとの議論を重ねました。その結果、実験を始めてからは配位子設計の修正はほとんどなく、安定な四面体型不斉金属原子を構築することができました。化学はとにかく手を動かせと言われがちですが、今回の配位子設計には試行錯誤では辿り着けなかったであろう発想の飛躍が必要だったため、手を止めてじっくり考える時間も大事だと感じました。
不斉亜鉛環境を構築する鍵になった三座配位子.
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
上記の配位子設計で安定性の問題を克服できたのですが、実験的には錯体の純粋なエナンチオマーを単離することも困難でした。有機化合物であれば不斉触媒などを用いて片方のエナンチオマーを選択的に得ることができますが、不斉金属原子を持つ錯体の不斉合成には一般性の高い方法がありません。これについてもとにかくアイデアを出し絞りました。最終的には、酸性官能基を持ったキラルな配位子を作用させることで、立体反転を一時的に加速させた上でジアステレオマー平衡を偏らせ、その後キラルな配位子を除去するという手法を開発し、エナンチオマーを高収率・高純度で得ることができました。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
金属錯体は、個性豊かな金属元素と、人工的に様々な設計が可能な有機配位子の接点であり、そこには無限の可能性があると思っています。今回の研究では金属錯体のみを扱いましたが、今後は金属錯体と他の材料の複合化により、より様々な場面で金属錯体が活躍し、人類の未来に貢献できるようにしたいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
この研究には博士課程のうちの2年半ほどを費やしましたが、その中頃で研究が行き詰まっていたときに、ちょうど海外短期留学の機会をいただけたのが幸運でした。ドイツの有機系の研究室に3ヶ月滞在したのですが、異なる研究の進め方・考え方を学ぶことができ、また世界中で様々な学生が研究に奮闘していることを肌で感じて刺激を受けました。おかげで、帰国後はスムーズに研究を進められるようになったと感じています。大学院生活は5年と長いですので、在学中・進学予定の方は留学やインターンなど環境を変える機会を持ってみてはいかがでしょうか。
最後に、本研究の発起人であり舵取りをしていただいた塩谷光彦先生、学部4年の頃から研究の基礎をご指導いただいた宇部仁士先生、本研究に不可欠であった不活性雰囲気下での実験についてご指導いただいた長田浩一先生、本研究の後半から一緒に研究を進めてくれたLiu Yuanfei君に、この場を借りて深く感謝申し上げます。また、
研究者の略歴
名前:遠藤 健一(えんどう けんいち)
所属:京都大学 化学研究所 寺西研究室 研究員(研究当時:東京大学 大学院理学系研究科 化学専攻 塩谷研究室 博士課程)
研究テーマ:ナノ粒子と金属錯体を複合化した触媒材料の開発
関連記事
外部リンク
- 塩谷研究室
- 驚異の安定性を実現する四面体型「不斉亜鉛」錯体! (東京大学プレスリリース)
- Researchers develop catalyst with chirality at the zinc center (PhysOrg)
- New, ultrastable tetrahedral “chiral zinc” added to synthetic chemistry toolbox (bioengineer)
- New, ultrastable tetrahedral “chiral zinc” added to synthetic chemistry toolbox (ScienceMag)
- New, ultrastable tetrahedralCatalyst with chirality at the zinc center could be useful for drug, electronic manufacturing (ScienceDaily)
-
Researchers design new chemical tool with high configurational stability, catalytic activity (The Medical News)