皆さん、ブロッコリーはお好きですか? 一部では「凝縮された森」とも言われる独特な味で、好みは非常に分かれるところかと思います。新芽であるブロッコリースプラウトは比較的食べやすいのではないでしょうか。ブロッコリーでもスプラウトでも良いのですが、それらはスルフォラファン (図1) という天然物を豊富に含んでいます。このスルフォラファン、健康成分として盛んに宣伝されている分子の一つです。では、いったいどういった働きを持っているのでしょうか? 実は、非常にケミカルなメカニズムでその薬理効果を発揮するのです。
図 1 スルフォラファンの構造式
Nrf2 と Keap1 -スルフォラファンの標的分子は生体防御の要-
スルフォラファンは図1のような構造式で表せます。非常に単純な分子ですね。ケムステ読者なら何となく分かるかもしれませんが、スルフォラファンはイソチオシアネート構造を含むことから非常に反応性の高い分子です。スルフォラファンに含まれるイソチオシアネートは、さまざまな生体タンパク質のシステイン残基に含まれるチオール基と反応します。その標的分子の一つに Keap1 というタンパク質があります。Keap1 は Kelch-like ECH-associated protein 1 の略称で、ユビキチン E3 リガーゼのアダプタータンパク質として働く分子です。つまり Keap1 は、それと相互作用するタンパク質のユビキチン化を誘導し、26S プロテアソームによる分解を促進します。その Keap1 と相互作用するタンパク質の代表に Nrf2 があります。Nrf2 は Nuclear factor-erythroid 2-related factor 2 の略で、さまざまな生体防御遺伝子の発現を誘導する転写因子です。Nrf2 は通常、Keap1 二量体と複合体を形成してユビキチン化を受け、プロテアソームによって恒常的に分解を受けています。つまり、Nrf2 の転写活性は Keap1 により非常に低いレベルまで抑え込まれています。しかし、スルフォラファンのような異物 (生体にとって有害な、反応性の高い物質) が存在すると、それが Keap1 に存在する特定のシステイン残基のチオール基を修飾することで、Keap1 の立体構造を変化させます。すると Keap1 による Nrf2 のユビキチン化が抑制され、安定な Keap1-Nrf2 複合体となります。これが分解されずに残ることによって、新しく生成してきた Nrf2 分子は Keap1 に捕捉されず、安定的に核内移行し、抗酸化剤応答配列 (Antioxidant responce element: ARE) のプロモーター領域へ結合して、ヘムオキシゲナーゼ-1 (HO-1) や NAD(P)H:キノンオキシドレダクターゼ-1 (NQO1) といった種々の生体防御因子の発現を誘導します。Keap1のシステイン残基は、スルフォラファン以外にもさまざまな生体異物や活性酸素によって修飾を受けることが知られています。つまり Keap1 は、生体へのストレスに応答して、生体防御因子のマスターレギュレーターである Nrf2 の活性を調節するメディエーターであると言えます。
ここまでのまとめを図 2 に示します。
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②
③
④
図 2 Keap1-Nrf2 システムのあらまし
*相当かいつまんでいます。詳細な機構は各種総説などをご参照ください。
Keap1-Nrf2 複合体の巧妙な生体防御システム
なぜ、このような複雑なメカニズムで生体防御因子の発現調節が行われているのでしょうか。一説には、可及的速やかにストレスへの応答を行うためと言われています。
もし Nrf2 そのものがストレスに応じて発現するとなれば、ストレスを感知してから Nrf2 が転写因子として特定の配列に結合するまでに数時間というスパンを要することが想像されます。これでは、ストレスに対する生体防御よりも前にアポトーシスなどの経路が活性化し、細胞死・ひいては組織や個体の死に繋がり得ます。しかし実際は、Nrf2-Keap1 複合体は恒常的に細胞質に存在し、Keap1 がストレスを即時に感知することで、迅速な Nrf2 の活性化が起こりストレス感知からおよそ 30 分以内に生体防御因子の発現が誘導されます。これによって生体はいち早くストレスに対抗することが可能となります。つまり、一見複雑な Keap1-Nrf2 システムは生体ストレスに対してリアルタイムで対抗するために発展した巧妙なシステムと言えるのです。同様のメカニズムは、ノーベル賞医学生理学賞の受賞テーマにもなった HIF-1α にも共通します。それらは異常な環境 (酸化ストレスや低酸素ストレス) に対し、即座に順応するため獲得された遺伝子発現機構だと考えられます。
難治疾患治療への光? Nrf2 活性化剤
スルフォラファン以外にも、Keap1のシステイン残基を修飾することで生理活性を示す化合物は数多く知られています。ここでは、その代表格として「フマル酸ジメチル」と「バルドキソロンメチル」の 2 化合物を紹介します (図3)。
図3 代表的な Nrf2 活性化剤の構造式
フマル酸ジメチル (図3 左) は、これまたスルフォラファンと並んで単純な構造をした低分子化合物です。このフマル酸ジメチル、実は多発性硬化症の治療薬として日本や欧米で使用されている既承認薬です (商品名: Tecfidera®) 。その添付文書の「薬効薬理における項目」には、はっきりと「Nrf2 抗酸化応答経路の活性化」と記されています。多発性硬化症は難病に指定されている脱髄疾患の一つであり、治療選択肢は未だ多くはありません。フマル酸ジメチルはそんな多発性硬化症治療の光として今後の活躍が期待されています。経口薬であることも大きなアドバンテージの一つですね。
もう一つのお薬、バルドキソロンメチル (図3 右) は協和キリンによって開発が進められている薬であり、2021年1月現在、慢性腎不全に対する治療薬として第 III 相臨床試験が進行中です。バルドキソロンメチルはスルフォラファンやフマル酸ジメチルに対してだいぶ複雑な構造を有していますが、その作用機序は先の二つとほとんど変わりありません。α,β-不飽和カルボニル構造に Keap1 のチオールが求核攻撃し、共有結合を形成する (=チオール基が酸化される) ことにより、Nrf2 を活性化します。
α,β-不飽和カルボニル化合物といえば、有機化学者には Michael アクセプターとしての認識が強いと思います。まさしく、Nrf2 を活性化する化合物の代表群は Michael アクセプターなのです。しかし、Michael アクセプターは潜在的な毒物であり、Keap1 以外にも多くのタンパク質と非特異的に共有結合してしまいます (オフターゲット効果)。実際、バルドキソロンメチルも一度は毒性によって臨床試験からドロップアウトした過去を持ちます。このような Nrf2 の活性化を狙った薬は、まさに「毒をもって毒を制す」という、諸刃の剣に近いものであるかもしれません。Nrf2 活性化剤を狙ってデザインするのはなかなかに難しいと思われます (注: 特異的な共有結合を狙った創薬の例も存在します。コチラの記事をご参照ください)。
ただ、近年はタンパク質間相互作用 (Protein-Protein Interaction: PPI) のホットスポット (相互作用形成部位) をターゲットにした、”新しい” Nrf2 活性化剤の報告が次々となされています。それらは Micheal アクセプターのような反応性の高い構造を持たず、Keap1 と Nrf2 の相互作用部位そのものをブロックすることで Nrf2 を活性化します。ここ10年の間に、スクリーニングや Fragment-Based Drug Discovery (FBDD) によって、数多くの非共有結合性 Nrf2 活性剤が発見されています[1]。まだ医薬品としての実用化の報告はありませんが、製薬企業からの論文発表事例もあり、水面下での開発が進んでいるのではないでしょうか。
Nrf2 は長寿のカギ ? 壮大な宇宙空間での実験
東北大学東北メディカル・メガバンク機構の山本雅之教授 (Keap1 と Nrf2 の発見者) らは、宇宙空間におけるストレスに対し Nrf2 が加齢変化を抑制すること、及び Nrf2 をノックアウトしたマウスでは加齢変化が促進することを、国際宇宙ステーション (ISS)「きぼう」内での飼育実験によって明らかにしました (記事リンク)。
「人類が宇宙進出を果たすためには、宇宙放射線や微小重力環境などの宇宙環境ストレスによる健康リスクを克服することが必要です」 (プレスリリースより)。
まさに、この健康・老化促進リスクを克服するカギを Nrf2 が握っているようです。研究グループは、野生型及び Nrf2 ノックアウト雄性マウス各 6 匹ずつ (計 12 匹) をケネディ宇宙センターから打ち上げ、ISS 「きぼう」で約 30 日間飼育しました。12 匹すべてが無事生存したまま地上へ帰還し、それらの解析を行った結果、さまざまな臓器で Nrf2 の活性化が見られたこと、各臓器における遺伝子発現や血中代謝物の加齢変化が確認されたこと、そして Nrf2 ノックアウトマウスではその加齢変化が加速していることを明らかにしました [2]。
月や火星への進出はまだまだ遠くとも、ISS における宇宙飛行士の活動は飛躍的に発展しています。Nrf2 はそんな宇宙時代の人類における「健康維持と長寿のカギ」であるのかもしれません。
おわりに
Keap1-Nrf2 システムは、ノーベル賞テーマである HIF-1α よりも 5 年ほど遅れて発見されました。HIF-1α システムを利用した医薬品 (腎性貧血治療薬) が 2020 年に上市されたことを踏まえると、2024〜25年ごろには Keap1-Nrf2 系を標的とした医薬品が続々出てくることを願ってやみません。Nrf2 はヒトのみならず、高等動物に広く保存された遺伝子です。進化の上に積み重ねられた巧妙な生体防御機構を上手に利用し、来るべき環境変化へ適応することが、生命の夢たる「不老長寿」へ近づくカギになるのではないでしょうか。
そして「宇宙食にはブロッコリー」、これを結論として本記事を締めたいと思います。