アメリカの大学院に留学して約5年、先日無事にPhDを取得することができました。これからアメリカの大学院生活の終盤の様子について、プロポーザル試験・就活・ディフェンスなどのテーマで、いくつか記事を書いていこうと思います。
さて、大学院でのPhD取得要件は、博士論文審査(ディフェンス)に合格すること、というのが一般的ですが、私が在籍するカリフォルニア工科大学の化学科では、それに加えてプロポーザル試験というものがあります。各15ページの模擬プロポーザルを3本書く、という大変な試験で、ディフェンスの数ヶ月前に受ける必要があります。今回は、このプロポーザル試験について、受験の流れやプロポーザルの書き方、実際に受けた様子などを綴ります。
1. 大学院生活の終盤、プロポーザル試験
アメリカの大学院の化学科では、1年目に授業やTA、2-3年目に博士候補生認定試験(Qualification Exam・Candidacy)、5-6年目にディフェンスを経て卒業、というのが一般的な流れです。(TAの時期は大学によって結構違いがあります。)卒業時期は、研究の進捗や進路に合わせて学生・指導教授間の話し合いによって決められるため、人によって学年も時期も異なります。
私の大学では、ディフェンスの5週間以上前に、プロポーザル試験を受けなければならないという要件があります。試験までに3本の模擬研究プロポーザルを書いて提出し、試験当日に博論審査員の教授を相手に口頭試問を受けます。与えられた研究テーマを進めるだけでなく、自分で新たな研究課題を設定し、それに対するアプローチを提案できるような研究者を育てることが狙いのようです。
プロポーザル試験の規定は以下の通りです。
- 3本、各15ページ以内(引用文献リストを除く)、ダブルスペース・最低1本は専門分野外であること。
- 自分やラボメンバーの研究と直接関連しない、オリジナルなアイディアであること。
- ポスドク先での研究についてプロポーザルを書くことは可能。ただし、その旨を明記すること。
- 試験日の2週間前までに審査員に提出。
2. プロポーザルの書き方
学生の読者の方には、プロポーザルなんて書いたことがない、という人も多いかもしれません。私の大学では、1年目の授業の期末課題やCandidacyの要件にもプロポーザル執筆が課されているので、5年目になっていきなり書かされるというわけでなく、大学院生活を通して練習することができます(アメリカの大学院で学ぶ「提案力」)。私は大学院の間に、授業の期末課題、Candidacy(2本)、プロポーザル試験(3本)と、合計7本もプロポーザルを書きました。
授業で教わったプロポーザルの構成は以下の通りです。
- タイトル(Title)
- 概要(Abstract)
- 研究背景と意義(Background & Significance)
- 研究の目的(Objective)
- 実験手法(Experimental Approach)
- まとめと展望(Summary and Outlook)
「研究背景」では、関連分野でこれまでどのような研究がなされてきたのか、現状でどのような問題点・未解明点があるのかを、プロポーザルのテーマに合わせて述べます。鍵となる先行研究はしっかり引用するようにします。論文のイントロを書く流れと同じですね。
注意すべきは、総説論文のように対象分野の先行研究をまとめることが目的ではなく、あくまでプロポーザルの意義を伝えることが目的ということです。学んだ知識をつい詰め込んでしまう人も多いですが、プロポーザルと関連の薄い内容を長々と述べるのは効果的ではありません。
「研究の目的」では、プロポーザル全体での目的を述べ、さらに具体的な目標を2〜3個書くのが良いと言われています。例えばこんな感じです。
- Objective: 分離膜として応用可能な2次元ポリマーの開発
- Aim 1: モノマーの設計と合成
- Aim 2: 2次元シートの作製と評価
- Aim 3: 分子分離能の評価
それぞれの目標は、互いに依存しないものの方が望ましいと言われます。Aim 1がうまく行かなかった場合にプロジェクト全体が停滞してしまうのではなく、Aim 2やAim 3を並行して進められるような形にするのが理想的です。上記の例では、Aim 1での合成がうまく行かなければその後の評価ができないので、以下のような構成の方が良いかもしれません。
- Objective: 分離膜として応用可能な2次元ポリマーの開発
- Aim 1: 側鎖の異なるモノマーの合成と2次元シートの作製
- Aim 2: 主鎖の異なるモノマーの合成と2次元シートの作製
- Aim 3: それぞれの分子分離能の評価
こうすれば、Aim 1とAim 2を並行して進めることができます。このように2つの案を提示すれば、「主鎖を変えるのは面白そうだけど2次元シートがちゃんとできるか分からない、でも側鎖を少し変えるくらいなら上手く行きそう」という場合において、実現可能性・研究の重要性のバランスをとることができます。
また、Aim 2やAim 3がAim 1に依存する場合でも、Aim 1で複数の案を提示したり、実現可能性がかなり高いと示せる場合は、「Aim 1が上手くいかなかったらどうするの?」という懸念は減ります。
「実験手法」では、各Aimごとに、具体的な研究手法を述べます。分子を合成する場合は、分子設計について説明したり、実際の合成スキームを提示したりします。上記の例では、2次元ポリマーを作製する条件検討、生成物の評価方法(NMR, AFM, IR, etc.)などについても記述します。似たような系でその手法が利用されている論文を引用すると、より説得力が増します。
プロポーザルの書き方については、このACSのこの資料でもいろいろ説明されているので、書き方が分からないという人はぜひ参考にしてみてください。
3. アイディアを練る
プロポーザルを書く上で一番重要かつ大変なのは、アイディアを練ることだと思います。科学的または実用的意義はあるか、他の研究の二番煎じではないか、実現可能性はあるかなど、いろいろと考慮する必要があります。
良いアイディアであるほど、既に他の研究者が取り組んでいる可能性が高く、逆に誰もやったことがないテーマは、実現可能性が低かったり意義が薄かったりすることが多いです。そもそも、自分の研究と直接関連しないトピックだと、その分野での現状の問題点を調べるのにはかなり労力が要ります。
私は、プロポーザルを1本書くのに1ヶ月近くかけましたが、最初の1週間はひたすら論文を読んでアイディア探しをしました。主要ジャーナルのページで最新の論文を読んだり、総説論文に目を通したり、分野で気になっているワードで検索してみたり、方法はいろいろあります。また、医療・環境問題など、自分の興味のある課題をもとに、化学が応用されている例を調べてみたりもしました。例えば、環境問題という切り口でも、化学の知識を応用して課題に取り組む方法はたくさんあります。
プラスチックゴミ → プラスチックを分解する微生物
山火事 → 山火事を抑えるための難燃剤
気候変動による食料難 → ゲノム編集による乾燥耐性の作物の開発
普段の研究テーマから離れて、自由にアイディアを巡らせることは結構楽しいです。
4. 試験当日の様子
プロポーザル試験は、博士論文審査員(教授4人)を相手に、1時間ほど行われました。普段は会議室などで行われますが、コロナウイルスの影響でZoom上で試験を行うことになりました。
試験時間になると、まず学生は退出し、教授4人で5-10分間の話し合いがなされます(ZoomではBreakout機能を使いました)。この時間に、指導教員が学生の普段の取り組みを他の教授に共有したり、プロポーザルを読んだ感想をお互いに話し合います。このときの指導教員から評価が高ければ、プロポーザルの出来が多少悪くても大目に見てもらえるようです。
教授同士の話し合いが終わると学生は呼び戻され、3つのうち1つのプロポーザルについて、準備していたスライドを使って発表します。発表は10分程度が目安で、研究背景・目的・手法などを簡潔に示します。発表の合間に、教授たちからの質問・意見が入り、発表と質疑を並行して30分ほど行います。その後、残り2つのプロポーザルに移り、学生がプロポーザルの内容を口頭で簡単に説明しつつ、教授からの質問を受けます。
一通り議論が終わった後、もう一度教授4人でのプライベートな話し合いが行われます。話し合いが終わると学生は呼び戻され、プロポーザルについて良かった点・改善点などのフィードバックを貰います。書き直しなどの必要がなければ、その場で合格が伝えられます。
試験中に出た質問は、「この実験がうまくいかなければどうするか。」「この先行研究との違いは何か。」「この実験のコントロールは何か。」「この測定がうまくいくという根拠は。(この手法の測定限界値と、予想されるサンプルの特性をもとに、この測定は可能だと言えるのか。)」など、様々でした。4人の教授はそれぞれ専門が違うので、自分では思いつかなかった点を指摘されることもあり、とても参考になりました。
試験後には、ディフェンスの大まかな時期やその後の進路についても簡単に話し合いました。私は、インダストリーの研究職志望でしたが、「ボストン周辺」「バイオ系のスタートアップ」「Protein engineering, Protein chemistry関連」などいろいろキーワードを伝えると、教授の一人が「最近卒業した学生がボストンのバイオ系企業で働いているから、ぜひ紹介するね。」と言って、後でメールで繋いでくれました。教授側からどれくらい積極的に次のポジション探しを支援してくれるかは、人によって異なりますが、どの教授も基本的に学生の希望を尊重し、こちらから具体的にお願いすれば卒業生を紹介してくれたり、推薦状を書いてくれたりと、快く支援をしてくれました。
5. おわりに
大学院の最終学年に3本も模擬プロポーザルを書くというのはかなり労力が要りますが、自分の研究以外のテーマや分野について学ぶ良い機会でした。卒業前にプロポーザル試験があることで、大学院生活を通して、普段から様々な分野の論文を読んだり、いろんな講演を聞きに行ったりするモチベーションにもなりました。アカデミック・インダストリー、いずれの道に進むにしても、様々な分野について深く知り、新しいアイディアを提案できる力はとても大事だと思います。
試験自体は、「学生の能力を試す」という目的はあっても、とても和やかな雰囲気でした。私は3つめ(out-field)のプロポーザルで、「サボテンのゲノム編集(乾燥耐性のある作物を作るのは難しいため、乾燥耐性のある植物をもっと食料として活かせるように、ゲノム編集の基礎技術を開発する)」という趣旨のプロポーザルを書いたのですが、教授たちがサボテンにかなり興味を持ったようで、試験の半分くらいはサボテンの議論になりました。笑(サボテンの光合成って面白いんですよ。)
試験ではありますが、毎回教授も学生のプロポーザルを読んで楽しんでいるようです。
ちなみにこのプロポーザルを思いついたのは、よく行くメキシカン料理のフードトラックで、サボテンのタコスが売っていたことがきっかけです。プロポーザルのアイディアを練るのは大変ですが、案外身近なところにアイディアが転がっているかもしれません。
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